MASK 〜黒衣の薬売り〜

天瀬純

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「う゛っ‼︎」

蛇だ。登山コースを歩いていたところ、突然何かが私に飛びかかってきた。それが蛇だと気付いたときには、奴の牙はすでに私の首すじをかなり深くまで噛み付いていた。

「あ、あ゛あ゛…」

なんとかして払いのけたかったが、蛇に触れたことがなかった私は恐怖のあまりそれを引き離すことができなかった。

(誰か…、誰か助けてくれ…)

蛇は一向に離れる気配がない。私はパニックになり、体勢を大きく崩した。そして、歩いていたら登山道から転げ落ちていった。

 どれだけの距離を転がり落ちたのか分からないが、とにかく体中が痛い。どうやら蛇は今も噛み付いているようで、首筋が焼けるように痛い。

(ダメだ…。体が動けそうにない…)

「誰か…」

薄れゆく意識のなか、遠くから足音が近づいてくるのが聞こえた。

(人か…?…それとも、……獣か?)

……………

………



「ん゛っ!」

目を覚ますと、日はすっかり落ち、辺りは暗くなっていた。どうやら、かなり眠っていたようだ。

「おや、気がつかれましたか?」

見ると、ソロキャンプ用の焚き火台を前に座っている1人の男がいた。登山用のブーツ以外は全身黒色の彼は横になっている私に優しく微笑みかけてきた。

「…あなたは?」

「たまたま近くを通りかかった者ですよ。何かが転がっていく音が聞こえたので、気になりましてね。近くに寄ったら、蛇に首を噛まれた状態で倒れている登山者が目に入ったので、驚きましたよ」

(この人が、私を助けてくれたのか?)

首の周りを触ってみると、包帯のような物が巻かれているのが分かった。

「これは、あなたが?」

「ええ、私が。こう見えて、薬売りを生業としていまして。ちょうど、持ち合わせの薬で手当てできたので良かったです」

「そうでしたか。ありがとうございます」

(薬剤師なのかな?それとも、お医者さんかな?いや、でも“薬売り”って言っていたしな…)

私が彼の素性について、あれこれと推測していると、

「よかったら、どうぞ。温まりますよ」

「あ、どうも」

コーヒーをアルミ製のケトルからマグカップに注いで、彼は私に差し出した。

「それにしても危なかったですね。ヤマカガシに噛まれるとは。下手したら、その命、危なかったかもしれませんよ」

「えっ、毒蛇だったんですか⁉︎」

「そうですよ。ヤマカガシの毒はマムシの3倍はあるとされていますから。それに重症の場合、脳内出血や急性腎不全などがあり得ます。気をつけてくださいね」

(まさか、趣味の登山で死にかけるとは……)

「ん⁉︎」

男が焚き火を使って何を焼いているのか気になったのでよく見ると、それは1匹の蛇であった。

(え…、あれって……)

「あの…、それって?」

「これですか?これはあなたの首すじに先ほどまで噛み付いていたものですよ。せっかくですから、夕食にと」

(いやいや、毒蛇でしょ⁉︎)

「ああ、ご心配なく。私、こういったたぐいの“毒抜き”が得意ですから。美味しいですよ」

ふと、彼が言っていた“持ち合わせの薬”がどんな物なのか気になってきた。

「あの…、私の治療に使っていただいたお薬ってどのような物だったんですか?一応、治療費のこともありますし…」

「ん?気にしなくても大丈夫ですよ。今回は不慮の事故であって、偶然近くにいた私が勝手に使った物ですから」

「流石にそれは…。私の気が収まりません」

(救急医療でも退院時には請求するのだから…)

「う~ん、そうですねぇ……」

串刺しにされた蛇の焼き加減をみながら、彼は少し考え始めた。

「とりあえず、私の知り合いの連絡先を渡しておきますね。近々、携帯の電波が届かないところに行く予定があるので」

「えっ」

そうして彼から手渡されたのは、1枚の名刺であった。

「そこに書かれている駄菓子屋の店主は昔からの仲でしてね。大抵の私への伝言は彼女が伝えてくれるんですよ」

(駄菓子屋……)

「ここでの精算は面倒なので、また後日っということで」

「はあ…」

(いいのか、それで?)

「で、あなたに使用したお薬なんですけどね」

(あっ、教えてくれるんだ)

「【蛇忌退散じゃきたいさん】という注射タイプのお薬になります」

(ん?……聞いたことがない。大丈夫なのか、その薬)

「如何なる毒蛇に噛まれようと、ケガ人がご存命である限り、噛まれた場所近くから投与すれば確実に解毒ができる代物でございます」

「へぇ……」

おそらく一般的に出回っている市販薬ではないと察した私は、彼の素性についてそれ以上考えることをやめた。その後、薬の価格を彼から教えてもらい、日を改めて精算することを約束した。彼は、気にしなくてもいいと言っていたが…。あと、蛇は意外と美味しかった。

* * *

* * 



 後日、無事に下山した私は、例の駄菓子屋に赴いた。

(紹介されたとはいえ、信じてもらえるだろうか)

店内は小さな子供でも手が届くようにと高さが調整された陳列棚が数多く並べられており、様々な菓子類が所狭しと置かれていた。それは、大人になった私でも惹きつけられるほどの光景であった。

「いらっしゃいませ」

それほど広くはない店の奥のカウンターから1人の女性が声を掛けてきた。

(彼女が店主なのかな?)

私は山での出来事を彼女に話し、薬売りの彼へのお礼の品を持ってきたから渡して欲しいと伝えてみた。彼女は、

「あぁ~、分かりました」

と、とくに私に聞き返すこともなく承諾してくれた。

(よくあることなのか?)

帰る前に、子供の頃よく食べていた駄菓子を見つけたのでいくつかまとめ買いすることにした。大人になった今だからできる楽しみ方だ。
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