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召喚者の痕跡2
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大陸北西端に位置するウリア王国。
この小国は人族を中心とした王国であり、小麦やジャガイモを主要産物とするのどかな国である。
その小国に属し、海峡を隔てて点在するレイブン諸島に向かう船に、一人の行商人が乗船していた。
彼の名はキリル。
今年で30歳になるこの行商人はレイブン諸島が生まれ故郷であり、青年期に商人を目指して故郷を離れた。
彼の故郷では農業や漁業に就く者が大半である。
キリルはそれを嫌がり、商人を目指して海を渡ったのであるが、彼が思っていたほどに世の中は甘くない。
ウリア王国の商人ギルドに加入したものの、自前の店舗を持つにも至らず、大陸中を回って商売をする行商人で生計を立てている。
それでもキリルは今の立場を気に入っていた。
元来、一か所に定住する事を良しとしない性格であり、大陸中を回る事で色々な仲間を得る事も出来た。
それはそれで楽しいのである。
地方を回る旅芸人のグループや吟遊詩人の一団と数日同行した事もあった。
また、訪れた国々の酒場で現地の住人の諍い事に巻き込まれた事もあった。
何かと刺激の多い旅程だが、その中でも商売のネタになる情報を得て、それを実際の商取引に結び付けた事も少なくない。
この仕事は俺に向いているんだろうな。
そう実感する昨今のキリルである。
今回自分の生まれ育った島に戻るのは単なる帰省ではない。
これも商取引の為であり、幾つかの商品を手に入れなくてはならないからだ。
取引の依頼主はミラ王国の王家。
大陸東部に位置するミラ王国は、キリルが行商で回る国々の中でもかなり遠い方だ。
そのミラ王国の貴族の屋敷に出入りするようになってまだ2年。
商売のきっかけはお粗末なもので、隣国でトラブルに遭い売り捌けなかった故郷の物産をミラ王国に持ち込んだ。
その際に自由市場を開いている領地を探し、行きついたのが地方貴族のフリックス家の領地であった。
そして露店販売を始めたところ、フリックス家のメイドの目に留まり、そのまま屋敷に通されて全て買い取ってもらったのだ。
フリックス家の当主が甘党だったのが幸いだった。
キリルが持参していた物産の中でも、特に菓子類を気に入ってくれたのだ。
確かにドーラの様な生菓子は俺の故郷以外では見ないよなあ。
そう思いながらキリルは商品搬送用のマジックボックスからドーラを取り出し、それをまじまじと見つめた。
そのドーラと言う名の生菓子は、リリスが目にすれば間違いなく『どら焼き』だと思うだろう。
レイブン諸島の主要産物はジャガイモや小麦であり、地元の産物として小豆も育てている。
この小豆はレイブン諸島でのみ収穫されていて、他の地域では収穫どころか繁茂する事さえ出来ない。
それ故に幻の食材とも言われているのだが、子供の頃から慣れ親しんできたキリルにとっては意外な事である。
更に今回の商取引では小刀を手に入れて欲しいと言う依頼も含んでいる。
小刀なんてどうするんだ?
そう思いつつキリルの脳裏に浮かんだのは、自分の生家の敷地にあった武器蔵である。
彼の生家は農家ではあるが武器蔵があった。そこに収蔵しているのは先祖から受け継いできた武器の数々であり、その半数は刀剣類が占め、その他には防具類や火薬などもあった。
祖父の話では先祖は農業をしながら、何か一大事があれば武装して、兵士にもなるような立場だったそうだ。
それにしてもあんな刀剣が役に立つのかね?
魔法で戦う方が手っ取り早いのに・・・・・。
そう感じていたキリルは元々武術に関心も無く、魔剣化した刀剣類には価値も感じていなかった。
鍛冶素材としての価値はそれなりに知っていたのだが、それでも玉鋼そのものの価値を知らなかったようだ。
例え知っていたとしても、玉鋼を魔剣の素材として流用出来る鍛冶職人は現時点でほとんどいない。
かつてのシューサックのレベルの職人でもなければ、その本来の価値を認識出来ないのだ。
広い客室で大勢の乗客が雑魚寝をしている。
その中には見覚えのある顔もあり、故郷に帰って来たと言う実感を得ながらもキリルは転寝をした。
そこから恐らく2時間ほど経っただろうか。
着船の銅鑼の音で目が覚めたキリルは、寝起きで少しふらつきながら下船した。
大地に降りたキリルの鼻に、故郷の匂いが漂ってくる。
半年振りの帰省だ。
慣れ親しんだ農道を歩くと、陰り始めた日の光が実り始めた小麦の穂を照らして美しい。
間も無く収穫が始まる。
空気は清涼で清々しく、少し肌寒いが不快ではない。
あと数か月でこの畑も雪に埋もれるだろう。
そんな事を考えながら、キリルは自分の生家に辿り着いた。
石垣で囲われた生家は広く、その敷地も広い。その敷地の片隅に武器蔵が建てられている。
その用途故に武骨なほどに簡素で頑丈そうな造りだ。
その武器蔵を横目で見ながら帰宅したキリルを待っていたのは両親と兄夫婦であった。
兄のタロフは1歳上の兄で、老齢の両親の跡を継いで農業を営んでいる。
この兄が両親の面倒を見てくれているお陰で、キリルは自由奔放なほどに行商人を続けられているのだ。
食卓を囲み、大陸諸国の話をネタに、賑やかな晩餐の時は続いた。
翌朝になってキリルは兄と共に武器蔵に入った。
分厚い構造の大きな扉を開き、内部に入るとムッとするかび臭いに襲われる。
たまに扉や窓を開けて換気しているようだが、密閉された構造の故にどうしても空気が淀んでしまう。
そのかび臭さに耐えながら、二人は武器蔵の奥に進んだ。
魔道具の灯りで薄暗い武器蔵の手前の部屋には防具類が並んでいる。
所狭しと並んだ防具類は木製の人形に掛けられていた。
レザーアーマーや金属片を入れた着衣などが目に入る。
その奥にフルメタルアーマーが置かれていた。
だがそれはキリルが大陸諸国で見慣れたフルメタルアーマーではない。
金属片を巧みにつなぎ合わせ、胴部の分厚い革の防具をそれで包み込んでいる。
頭部のヘルメットも三角形で、鹿の角の様な形状の金属片で飾られている。
不思議な形のメタルアーマーだな。
キリルがそう思ったのも無理は無い。
この大陸には存在しない形態だからだ。
リリスが見れば思わず『甲冑だ!』と騒いだであろう。
「キリル。奥に進むぞ。」
不思議な形態のメタルアーマーに目を奪われていたキリルに、兄のタロフは前進するように促した。
奥の部屋に入るとそこには多数の刀剣が縦に並べられていた。
大小合わせて50本ほどもあるだろうか。
更に脇のテーブルには小さな短刀も多数並べられている。
「小刀が良いのか?」
タロフの言葉にキリルはうんと頷いた。
タロフはその様子を見ながら、刀身が40cmほどの小刀を手に取り、キリルにそれを手渡した。
長年収蔵されていた故に、若干魔力を帯びて魔剣化しているのが良く分かる。
刀身は美しく、タロフがたまに手入れをしている事が窺えた。
この兄弟は・・・、否、この地域の住民は武器や防具に精通しているのだ。
「この程度のもので良いんじゃないか? でもこんなものをどうするんだ? 儀礼用にでも使うのか?」
矢継ぎ早に尋ねるタロフに向けてキリルは首を横に振った。
「儀礼用なら大刀を持っていくよ。これは魔剣の素材として使うそうだ。玉鋼を魔剣の心材に使うって言うんだがな。」
含み笑いをするキリルの言葉に、タロフはほうっ!と眉を上げて唸った。
「そうすると、玉鋼を魔剣の心材に出来るような技量の鍛冶職人が居るって事だな。うんうん。それは結構な事だ。」
タロフは腕組みをしてうんうんと頷いた。
その様子が微笑ましい。
兄のその表情を見ながらキリルは、持参したマジックボックスにその小刀を収納した。
これを持っていけば良い。
後は別途注文されていたドーラと小豆だ。
ドーラは地元の菓子だから、島の中でいくらでも手に入る。
だが小豆を仕入れてどうするんだ?
扱い方を知っているとでも言うのか?
ミラ王国の王家からの注文に若干疑問を感じつつ、キリルは即座に頭の中で売値を計算していたのだった。
その日の午後。
キリルは実家への置き土産に魔物を狩りに出た。
行く先は島の中央部の森林だ。
この地域に生息する魔物は雷撃を放つものが多い。
角の生えたホーンラビットや狐、更には森の食物連鎖の頂点に立つ熊でさえ雷撃を放つ。
ホーンベアと言う小振りな角を生やした熊だ。
角が小さいのはその角で突き刺すような用途ではないからで、あくまでも雷撃用のアンテナである。
熊は捨てるところが無いからなあ。
そう思いつつキリルは森の奥に入っていった。
鳥の鳴き声があちらこちらから聞こえて来て、風も涼やかで気持ちが良い。
ピクニック気分になるところだったが、その足元を角の生えたウサギが駆け抜けた。
「おっと! 危なかったな。」
咄嗟に避けたその場所にバチッと火花が走った。
ホーンラビットの雷撃だ。
あくまでも防御用の雷撃だが、それでも生身で受けてしまうと半日は痛みが残る。
厄介な奴だと思いながら、注意深く歩く事2時間。
奥深い森の少し開けたところに熊の気配を感じたキリルは、早速慎重に探知を掛けた。
単独で行動している雄のようだ。
体長は約3mと言うところか。
キリルは魔力を集中させ、身体中の魔力を循環させる事で剛性と俊敏性を一気に強化させた。
気配を消し、音もたてずに探知した箇所に走り込んでいく。
その様はまるで風だ。
ホーンベアとの距離は約5m。
だがそこでホーンベアもキリルを探知した。
ウガアッと叫んで向きを変え、キリルの方向に雷撃を放った。
激しい雷撃が森の木々を削りながらキリルの前方から向かって来る。
それを瞬時に躱してキリルは懐から、長さ15cmほどの金属の針を数本取り出した。
木々の生い茂る森の中で剣を振り回すのは非効率的だ。
弓矢や飛び道具が森の中で有効なのは言うまでもないのだが、基本的に平地でも対人戦でもキリルの武器はこの針で、その先には粘着性の強力な麻痺毒が塗布されている。
投擲スキルを発動させ、素早くその針をホーンベアの首元に向けて放った。
キーンと音を立てて滑空する数本の針は見事にホーンベアの首や頭部に刺さり、瞬時に唸り声をあげながらホーンベアは倒れ込んだ。
ドサッと音を立て、黒い塊りが木々をなぎ倒しながら横になった。
それを確認してキリルは接近し、麻痺毒で細かく痙攣しているその耳元に手を当てて一機に魔力弾を放った。
ドンッと言う衝撃音と共に、ホーンベアの頭部が一瞬揺れ動き、そのまま崩れ落ちてしまった。
魔力弾で脳を破壊してとどめを刺したのだ。
仕留めたホーンベアを改めて見ると、かなりの巨体である。
体長は4m近くあるかも知れない。
これなら兄貴も喜ぶだろう。
そう思いながら、キリルは移送用のマジックバッグにその巨体を収納させた。
肉だけでもかなりの分量だ。
村の住民にも分けてあげよう。
分厚い皮もコートなどに珍重される。
更に村の長老達なら、熊の肝臓などから薬さえ調合出来る。
村の人々の笑顔を思い描きながら、キリルは足早に森を去っていったのだった。
時間を遡り、キリルがレイブン諸島に帰る2週間ほど前。
リリスは玉鋼を手に入れる手段を模索していたが、エリスの実家に来る行商人を頼るしかないと思い、生徒会の部屋でエリスにその話をしてみた。
だがエリスの返答は期待していたようなものではなかった。
「その行商人が何時実家の屋敷に来るのか、私には分からないんですよね。」
まあ、それは無理も無い話だ。
突然話を振られたエリスも答えようが無いだろう。
それならどうするか?
あれこれ考え込んで、最終的にリリスはメリンダ王女に頼む事にした。
あらかじめ用件を手紙に書き、学生寮の最上階のメイド長セラに手渡した上で連絡を待つ。
意外にもその翌日にメリンダ王女は使い魔の形態で、リリスの部屋を訪れた。
勿論その運び屋は小人、すなわちフィリップ王子の使い魔である。
リリスの部屋の扉を開けて入って来た使い魔を見て、その場に居合わせたサラは気を遣って外に出て行った。
サラにごめんねと言いながら、リリスは使い魔を迎え入れた。
「あんたから呼び出すなんて珍しいわね。」
そう言いながら小人と共にソファに座った芋虫に、リリスはエリスの実家を不定期的に訪れる行商人の話をした。
「ふうん。その行商人を通じて玉鋼を手に入れる事が出来るのね。」
「うん。多分・・・・・」
「多分って何よ。確信も無いのに依頼しろって言うの?」
メリンダ王女の言い分も分かる。だがそれ以上にリリスには予感があった。
どら焼きやシューサックの著書から、色々なものが繋がっているのだ。
それを逐一説明すると、芋虫もう~んと唸って考え込んだ。
その様子を見ながら小人が呟いた。
「メル。玉鋼を手に入れる可能性は高そうだよ。やってみる価値はあると思う。」
「王家からフリックス家に依頼して、その行商人と連絡を取れば良い。行商人ならメッセンジャーを使っているだろうから、どこに居ても連絡を取れないはずは無いと思うよ。」
小人の言葉に芋虫はうんうんと頷いた。
「そうね。やってみようかしらね。玉鋼が最悪駄目でも、そのお菓子だけでも手に入れば良いわよ。」
「ありがとう、メル。」
芋虫の言葉にリリスはホッとして頭を下げ、礼を告げたのだった。
この小国は人族を中心とした王国であり、小麦やジャガイモを主要産物とするのどかな国である。
その小国に属し、海峡を隔てて点在するレイブン諸島に向かう船に、一人の行商人が乗船していた。
彼の名はキリル。
今年で30歳になるこの行商人はレイブン諸島が生まれ故郷であり、青年期に商人を目指して故郷を離れた。
彼の故郷では農業や漁業に就く者が大半である。
キリルはそれを嫌がり、商人を目指して海を渡ったのであるが、彼が思っていたほどに世の中は甘くない。
ウリア王国の商人ギルドに加入したものの、自前の店舗を持つにも至らず、大陸中を回って商売をする行商人で生計を立てている。
それでもキリルは今の立場を気に入っていた。
元来、一か所に定住する事を良しとしない性格であり、大陸中を回る事で色々な仲間を得る事も出来た。
それはそれで楽しいのである。
地方を回る旅芸人のグループや吟遊詩人の一団と数日同行した事もあった。
また、訪れた国々の酒場で現地の住人の諍い事に巻き込まれた事もあった。
何かと刺激の多い旅程だが、その中でも商売のネタになる情報を得て、それを実際の商取引に結び付けた事も少なくない。
この仕事は俺に向いているんだろうな。
そう実感する昨今のキリルである。
今回自分の生まれ育った島に戻るのは単なる帰省ではない。
これも商取引の為であり、幾つかの商品を手に入れなくてはならないからだ。
取引の依頼主はミラ王国の王家。
大陸東部に位置するミラ王国は、キリルが行商で回る国々の中でもかなり遠い方だ。
そのミラ王国の貴族の屋敷に出入りするようになってまだ2年。
商売のきっかけはお粗末なもので、隣国でトラブルに遭い売り捌けなかった故郷の物産をミラ王国に持ち込んだ。
その際に自由市場を開いている領地を探し、行きついたのが地方貴族のフリックス家の領地であった。
そして露店販売を始めたところ、フリックス家のメイドの目に留まり、そのまま屋敷に通されて全て買い取ってもらったのだ。
フリックス家の当主が甘党だったのが幸いだった。
キリルが持参していた物産の中でも、特に菓子類を気に入ってくれたのだ。
確かにドーラの様な生菓子は俺の故郷以外では見ないよなあ。
そう思いながらキリルは商品搬送用のマジックボックスからドーラを取り出し、それをまじまじと見つめた。
そのドーラと言う名の生菓子は、リリスが目にすれば間違いなく『どら焼き』だと思うだろう。
レイブン諸島の主要産物はジャガイモや小麦であり、地元の産物として小豆も育てている。
この小豆はレイブン諸島でのみ収穫されていて、他の地域では収穫どころか繁茂する事さえ出来ない。
それ故に幻の食材とも言われているのだが、子供の頃から慣れ親しんできたキリルにとっては意外な事である。
更に今回の商取引では小刀を手に入れて欲しいと言う依頼も含んでいる。
小刀なんてどうするんだ?
そう思いつつキリルの脳裏に浮かんだのは、自分の生家の敷地にあった武器蔵である。
彼の生家は農家ではあるが武器蔵があった。そこに収蔵しているのは先祖から受け継いできた武器の数々であり、その半数は刀剣類が占め、その他には防具類や火薬などもあった。
祖父の話では先祖は農業をしながら、何か一大事があれば武装して、兵士にもなるような立場だったそうだ。
それにしてもあんな刀剣が役に立つのかね?
魔法で戦う方が手っ取り早いのに・・・・・。
そう感じていたキリルは元々武術に関心も無く、魔剣化した刀剣類には価値も感じていなかった。
鍛冶素材としての価値はそれなりに知っていたのだが、それでも玉鋼そのものの価値を知らなかったようだ。
例え知っていたとしても、玉鋼を魔剣の素材として流用出来る鍛冶職人は現時点でほとんどいない。
かつてのシューサックのレベルの職人でもなければ、その本来の価値を認識出来ないのだ。
広い客室で大勢の乗客が雑魚寝をしている。
その中には見覚えのある顔もあり、故郷に帰って来たと言う実感を得ながらもキリルは転寝をした。
そこから恐らく2時間ほど経っただろうか。
着船の銅鑼の音で目が覚めたキリルは、寝起きで少しふらつきながら下船した。
大地に降りたキリルの鼻に、故郷の匂いが漂ってくる。
半年振りの帰省だ。
慣れ親しんだ農道を歩くと、陰り始めた日の光が実り始めた小麦の穂を照らして美しい。
間も無く収穫が始まる。
空気は清涼で清々しく、少し肌寒いが不快ではない。
あと数か月でこの畑も雪に埋もれるだろう。
そんな事を考えながら、キリルは自分の生家に辿り着いた。
石垣で囲われた生家は広く、その敷地も広い。その敷地の片隅に武器蔵が建てられている。
その用途故に武骨なほどに簡素で頑丈そうな造りだ。
その武器蔵を横目で見ながら帰宅したキリルを待っていたのは両親と兄夫婦であった。
兄のタロフは1歳上の兄で、老齢の両親の跡を継いで農業を営んでいる。
この兄が両親の面倒を見てくれているお陰で、キリルは自由奔放なほどに行商人を続けられているのだ。
食卓を囲み、大陸諸国の話をネタに、賑やかな晩餐の時は続いた。
翌朝になってキリルは兄と共に武器蔵に入った。
分厚い構造の大きな扉を開き、内部に入るとムッとするかび臭いに襲われる。
たまに扉や窓を開けて換気しているようだが、密閉された構造の故にどうしても空気が淀んでしまう。
そのかび臭さに耐えながら、二人は武器蔵の奥に進んだ。
魔道具の灯りで薄暗い武器蔵の手前の部屋には防具類が並んでいる。
所狭しと並んだ防具類は木製の人形に掛けられていた。
レザーアーマーや金属片を入れた着衣などが目に入る。
その奥にフルメタルアーマーが置かれていた。
だがそれはキリルが大陸諸国で見慣れたフルメタルアーマーではない。
金属片を巧みにつなぎ合わせ、胴部の分厚い革の防具をそれで包み込んでいる。
頭部のヘルメットも三角形で、鹿の角の様な形状の金属片で飾られている。
不思議な形のメタルアーマーだな。
キリルがそう思ったのも無理は無い。
この大陸には存在しない形態だからだ。
リリスが見れば思わず『甲冑だ!』と騒いだであろう。
「キリル。奥に進むぞ。」
不思議な形態のメタルアーマーに目を奪われていたキリルに、兄のタロフは前進するように促した。
奥の部屋に入るとそこには多数の刀剣が縦に並べられていた。
大小合わせて50本ほどもあるだろうか。
更に脇のテーブルには小さな短刀も多数並べられている。
「小刀が良いのか?」
タロフの言葉にキリルはうんと頷いた。
タロフはその様子を見ながら、刀身が40cmほどの小刀を手に取り、キリルにそれを手渡した。
長年収蔵されていた故に、若干魔力を帯びて魔剣化しているのが良く分かる。
刀身は美しく、タロフがたまに手入れをしている事が窺えた。
この兄弟は・・・、否、この地域の住民は武器や防具に精通しているのだ。
「この程度のもので良いんじゃないか? でもこんなものをどうするんだ? 儀礼用にでも使うのか?」
矢継ぎ早に尋ねるタロフに向けてキリルは首を横に振った。
「儀礼用なら大刀を持っていくよ。これは魔剣の素材として使うそうだ。玉鋼を魔剣の心材に使うって言うんだがな。」
含み笑いをするキリルの言葉に、タロフはほうっ!と眉を上げて唸った。
「そうすると、玉鋼を魔剣の心材に出来るような技量の鍛冶職人が居るって事だな。うんうん。それは結構な事だ。」
タロフは腕組みをしてうんうんと頷いた。
その様子が微笑ましい。
兄のその表情を見ながらキリルは、持参したマジックボックスにその小刀を収納した。
これを持っていけば良い。
後は別途注文されていたドーラと小豆だ。
ドーラは地元の菓子だから、島の中でいくらでも手に入る。
だが小豆を仕入れてどうするんだ?
扱い方を知っているとでも言うのか?
ミラ王国の王家からの注文に若干疑問を感じつつ、キリルは即座に頭の中で売値を計算していたのだった。
その日の午後。
キリルは実家への置き土産に魔物を狩りに出た。
行く先は島の中央部の森林だ。
この地域に生息する魔物は雷撃を放つものが多い。
角の生えたホーンラビットや狐、更には森の食物連鎖の頂点に立つ熊でさえ雷撃を放つ。
ホーンベアと言う小振りな角を生やした熊だ。
角が小さいのはその角で突き刺すような用途ではないからで、あくまでも雷撃用のアンテナである。
熊は捨てるところが無いからなあ。
そう思いつつキリルは森の奥に入っていった。
鳥の鳴き声があちらこちらから聞こえて来て、風も涼やかで気持ちが良い。
ピクニック気分になるところだったが、その足元を角の生えたウサギが駆け抜けた。
「おっと! 危なかったな。」
咄嗟に避けたその場所にバチッと火花が走った。
ホーンラビットの雷撃だ。
あくまでも防御用の雷撃だが、それでも生身で受けてしまうと半日は痛みが残る。
厄介な奴だと思いながら、注意深く歩く事2時間。
奥深い森の少し開けたところに熊の気配を感じたキリルは、早速慎重に探知を掛けた。
単独で行動している雄のようだ。
体長は約3mと言うところか。
キリルは魔力を集中させ、身体中の魔力を循環させる事で剛性と俊敏性を一気に強化させた。
気配を消し、音もたてずに探知した箇所に走り込んでいく。
その様はまるで風だ。
ホーンベアとの距離は約5m。
だがそこでホーンベアもキリルを探知した。
ウガアッと叫んで向きを変え、キリルの方向に雷撃を放った。
激しい雷撃が森の木々を削りながらキリルの前方から向かって来る。
それを瞬時に躱してキリルは懐から、長さ15cmほどの金属の針を数本取り出した。
木々の生い茂る森の中で剣を振り回すのは非効率的だ。
弓矢や飛び道具が森の中で有効なのは言うまでもないのだが、基本的に平地でも対人戦でもキリルの武器はこの針で、その先には粘着性の強力な麻痺毒が塗布されている。
投擲スキルを発動させ、素早くその針をホーンベアの首元に向けて放った。
キーンと音を立てて滑空する数本の針は見事にホーンベアの首や頭部に刺さり、瞬時に唸り声をあげながらホーンベアは倒れ込んだ。
ドサッと音を立て、黒い塊りが木々をなぎ倒しながら横になった。
それを確認してキリルは接近し、麻痺毒で細かく痙攣しているその耳元に手を当てて一機に魔力弾を放った。
ドンッと言う衝撃音と共に、ホーンベアの頭部が一瞬揺れ動き、そのまま崩れ落ちてしまった。
魔力弾で脳を破壊してとどめを刺したのだ。
仕留めたホーンベアを改めて見ると、かなりの巨体である。
体長は4m近くあるかも知れない。
これなら兄貴も喜ぶだろう。
そう思いながら、キリルは移送用のマジックバッグにその巨体を収納させた。
肉だけでもかなりの分量だ。
村の住民にも分けてあげよう。
分厚い皮もコートなどに珍重される。
更に村の長老達なら、熊の肝臓などから薬さえ調合出来る。
村の人々の笑顔を思い描きながら、キリルは足早に森を去っていったのだった。
時間を遡り、キリルがレイブン諸島に帰る2週間ほど前。
リリスは玉鋼を手に入れる手段を模索していたが、エリスの実家に来る行商人を頼るしかないと思い、生徒会の部屋でエリスにその話をしてみた。
だがエリスの返答は期待していたようなものではなかった。
「その行商人が何時実家の屋敷に来るのか、私には分からないんですよね。」
まあ、それは無理も無い話だ。
突然話を振られたエリスも答えようが無いだろう。
それならどうするか?
あれこれ考え込んで、最終的にリリスはメリンダ王女に頼む事にした。
あらかじめ用件を手紙に書き、学生寮の最上階のメイド長セラに手渡した上で連絡を待つ。
意外にもその翌日にメリンダ王女は使い魔の形態で、リリスの部屋を訪れた。
勿論その運び屋は小人、すなわちフィリップ王子の使い魔である。
リリスの部屋の扉を開けて入って来た使い魔を見て、その場に居合わせたサラは気を遣って外に出て行った。
サラにごめんねと言いながら、リリスは使い魔を迎え入れた。
「あんたから呼び出すなんて珍しいわね。」
そう言いながら小人と共にソファに座った芋虫に、リリスはエリスの実家を不定期的に訪れる行商人の話をした。
「ふうん。その行商人を通じて玉鋼を手に入れる事が出来るのね。」
「うん。多分・・・・・」
「多分って何よ。確信も無いのに依頼しろって言うの?」
メリンダ王女の言い分も分かる。だがそれ以上にリリスには予感があった。
どら焼きやシューサックの著書から、色々なものが繋がっているのだ。
それを逐一説明すると、芋虫もう~んと唸って考え込んだ。
その様子を見ながら小人が呟いた。
「メル。玉鋼を手に入れる可能性は高そうだよ。やってみる価値はあると思う。」
「王家からフリックス家に依頼して、その行商人と連絡を取れば良い。行商人ならメッセンジャーを使っているだろうから、どこに居ても連絡を取れないはずは無いと思うよ。」
小人の言葉に芋虫はうんうんと頷いた。
「そうね。やってみようかしらね。玉鋼が最悪駄目でも、そのお菓子だけでも手に入れば良いわよ。」
「ありがとう、メル。」
芋虫の言葉にリリスはホッとして頭を下げ、礼を告げたのだった。
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初投稿です。異世界令嬢物が好きすぎて書き始めてしまいました。
まだまだ勉強中です。
話を早く進める為に、必要の無い視覚描写(情景、容姿、衣装など)は省いています。世界観を堪能されたい方はご注意下さい。
間違いを見つけられた方は、そーっと教えていただけると有り難いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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