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第四話「それは罪などではなく」
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「おかえりなさいませ、ピースレイヤー卿」
「アインハルトか、君も戻っていたのだな。国境線の動向は?」
「穏やかです。スティアに任を引き継がせておきました。だからこうしてここにいるのですよ」
「それもそうだな」
常に魔物からの脅威と、隣国の動向に備えていなければいけないピースレイヤー領は過酷な地だとは、噂には聞き及んでいる。
アインハルトと呼ばれた黒髪の騎士様に、辺境伯様はふっ、と小さく苦笑してそう返すと、駆け寄ってきた従者たちに「クラウ・ソラス」を預けて、お屋敷の赤絨毯を優雅に歩む。
一方でわたしは、緊張に震えながら、本当にこのお屋敷に足を踏み入れていいものかと、きょろきょろと周囲を見渡していた。
「ピースレイヤー卿、失礼ながらこちらの頭巾を被ったお方は?」
騎士様が辺境伯様へと問いかける。
思わずわたしはびくり、と震えて背筋を伸ばしていた。
そうだった。辺境伯様はどうしてかわたしのことを丁重に扱ってくれているみたいだけど、お屋敷の方々まで、そうとは限らない。
「紹介がまだだったな。彼女──リリアーヌ・エル・ヴィーンゴールド嬢は、今日より私の妻となる女性だ」
「失礼ながら、リリアーヌ嬢は今朝こちらに向かわれるご予定でしたが、道中で魔物の襲撃を受け、お亡くなりになられたと聞き及びましたが……」
「そのような報告を受けたのは本当か、アインハルト」
穏やかな表情をしていたのが一転、辺境伯様はわたしの家が並び立てたのであろう嘘八百に、嫌悪を向けるかのように眉を顰める。
「はっ。今朝方、私が帰還したときに」
「そうか……この俺も随分と舐められたものだ。だが、この通りリリアーヌ嬢は無事だ。彼女には予定通り、この屋敷で暮らしてもらうことになる」
辺境伯様の言葉に異を唱える人は誰もいない。
使用人たちや、騎士様までボロボロのドレスに頭巾を被っているという、見窄らしい出立ちのわたしに恭しく一礼をする。
だけど、わたしはそれが不思議でならなかった。
辺境伯様がなにかの気まぐれでわたしをお手元に置いてくださるというのならかろうじて理解できるけれど、どうして皆、花嫁を迎えるようにわたしを扱うのか。
「お、お待ちください! 辺境伯様!」
「……む、なにか不満か? リリアーヌ嬢」
「わ、わたしは……っ! わたしは、ヴィーンゴールド家の忌み子でございます……! お噂は、聞いていらっしゃることでしょう……なのに、なぜ、辺境伯様だけでなく、皆様は、わたしをいじめないのですか……? 気持ち悪くは、ないのですか……?」
本当に、理解ができなかった。
だから、わたしは問いかける。
頭巾に隠された忌み子の証である赤銅色の髪を露わにして。
「リリアーヌ嬢、君はおかしなことを言うのだな」
そう訴えかけるわたしを真っ直ぐに見据えて、辺境伯様が口を開く。
「……っ、も、申し訳……」
「ここにいるのは俺が正式に結婚を決めた一人の女性……我が妻だろう。忌み子などどこにいる? そうだろう、アインハルト」
「はっ、私の目には目の前にいらっしゃるお方は間違いなく、ピースレイヤー卿の奥方だと映っております」
騎士様に、冗談でも投げかけるかのように微笑を浮かべて辺境伯様は言い放つ。
その言葉を受け取った騎士様も、聞いていた使用人たちも皆、口元を綻ばせていた。
皆が笑っている。それは、わたしがヴィーンゴールドの家にいたときもよく見た光景だ。
書庫に入り込んだことが露見してしまったときや、妹の、マリアンヌのベッドを整えているときについ居眠りをしてしまったとき……お父様から罰を与えられるとき、いつだってお母様やマリアンヌ、使用人たちですらも、わたしを嘲笑っていた。
だけど、今見ている笑顔は違う。
朗らかで、あたたかくて。
なんだか、見ていると泣きたくなってしまうくらいに穏やかな、春の陽射しにも似たものだ。
今まで一度だって向けられたことのなかった……まるで、マリアンヌを褒めるときの、お父様やお母様のような、笑顔。
それが、わたしなんかに向けられている。
そして、辺境伯様は、わたしを……痩せ衰えて、背も低いわたしを、妻だと、そう呼んでくれた。その事実がもたらす感情は、わたしの頭の中をいくら探しても、名前が見当たらないものだった。
「……辺境伯、様」
頭巾を目深に被って、わたしはその名前がわからない感情から目を逸らすように、俯く。
「さぞかし、つらかったことだろう。リリアーヌ嬢」
「……ですが、わたしは……」
「俺は、生まれてくることに罪などないと思っている」
「……っ……!」
俯き、震えるわたしの肩に手を置いて、辺境伯様はまるで童話を読み聞かせるように語る。
生まれてきたことが罪だと、生きていることが罪だと詰られ続けてきたわたしにとって、その言葉は理解が及ぶものではなかった。
それでも、辺境伯様が嘘を言っていないことは、その力強い光を放つ瞳を覗き込めばわかる。だから、どうしていいのかわからなくて。
「ここはウェスタリア神聖皇国の最前線にして、最後の砦だ。我がピースレイヤー領を訪れる人間は……ここに仕える者たちも含め、皆それぞれに事情を抱えている」
「……」
「だから、というわけではないのだがな。今は呑みこめずとも構わない。それでも俺は、君を……リリアーヌ・エル・ヴィーンゴールド嬢を伴侶とした選択を後悔してはいない。そして、君はここにいてもいい。それだけは、忘れないでほしい」
泣きたくなるくらいに優しくて、あたたかい言葉だった。木漏れ日のように、春風のように心地よく……だけど、心に走っているひび割れに染みてしまうような、そんなお言葉。
辺境伯様が仰った通りに、今のわたしではその全てを受け止めることはできない。
だけど。だけど、「ここにいていい」というその言葉が、今はなによりも甘美に……かつて盗み見た童話の結末を見届けたような心地にさせる。
「リリアーヌ嬢に相応しい服と、ありったけの食事を用意しろ! 湯浴みの準備もだ!」
『かしこまりました!』
辺境伯様がぱちん、と指を鳴らすと同時に、使用人たちが散り散りに支度へかかる。
「さあ、リリアーヌ嬢。ようこそ、我がピースレイヤー家へ」
「……は、はい……ありがとう、ございます……」
わたしはただ、辺境伯様から差し伸べられた手を取って、頭巾の下から呆気に取られたような表情で、それを見つめることしかできなかった。
「アインハルトか、君も戻っていたのだな。国境線の動向は?」
「穏やかです。スティアに任を引き継がせておきました。だからこうしてここにいるのですよ」
「それもそうだな」
常に魔物からの脅威と、隣国の動向に備えていなければいけないピースレイヤー領は過酷な地だとは、噂には聞き及んでいる。
アインハルトと呼ばれた黒髪の騎士様に、辺境伯様はふっ、と小さく苦笑してそう返すと、駆け寄ってきた従者たちに「クラウ・ソラス」を預けて、お屋敷の赤絨毯を優雅に歩む。
一方でわたしは、緊張に震えながら、本当にこのお屋敷に足を踏み入れていいものかと、きょろきょろと周囲を見渡していた。
「ピースレイヤー卿、失礼ながらこちらの頭巾を被ったお方は?」
騎士様が辺境伯様へと問いかける。
思わずわたしはびくり、と震えて背筋を伸ばしていた。
そうだった。辺境伯様はどうしてかわたしのことを丁重に扱ってくれているみたいだけど、お屋敷の方々まで、そうとは限らない。
「紹介がまだだったな。彼女──リリアーヌ・エル・ヴィーンゴールド嬢は、今日より私の妻となる女性だ」
「失礼ながら、リリアーヌ嬢は今朝こちらに向かわれるご予定でしたが、道中で魔物の襲撃を受け、お亡くなりになられたと聞き及びましたが……」
「そのような報告を受けたのは本当か、アインハルト」
穏やかな表情をしていたのが一転、辺境伯様はわたしの家が並び立てたのであろう嘘八百に、嫌悪を向けるかのように眉を顰める。
「はっ。今朝方、私が帰還したときに」
「そうか……この俺も随分と舐められたものだ。だが、この通りリリアーヌ嬢は無事だ。彼女には予定通り、この屋敷で暮らしてもらうことになる」
辺境伯様の言葉に異を唱える人は誰もいない。
使用人たちや、騎士様までボロボロのドレスに頭巾を被っているという、見窄らしい出立ちのわたしに恭しく一礼をする。
だけど、わたしはそれが不思議でならなかった。
辺境伯様がなにかの気まぐれでわたしをお手元に置いてくださるというのならかろうじて理解できるけれど、どうして皆、花嫁を迎えるようにわたしを扱うのか。
「お、お待ちください! 辺境伯様!」
「……む、なにか不満か? リリアーヌ嬢」
「わ、わたしは……っ! わたしは、ヴィーンゴールド家の忌み子でございます……! お噂は、聞いていらっしゃることでしょう……なのに、なぜ、辺境伯様だけでなく、皆様は、わたしをいじめないのですか……? 気持ち悪くは、ないのですか……?」
本当に、理解ができなかった。
だから、わたしは問いかける。
頭巾に隠された忌み子の証である赤銅色の髪を露わにして。
「リリアーヌ嬢、君はおかしなことを言うのだな」
そう訴えかけるわたしを真っ直ぐに見据えて、辺境伯様が口を開く。
「……っ、も、申し訳……」
「ここにいるのは俺が正式に結婚を決めた一人の女性……我が妻だろう。忌み子などどこにいる? そうだろう、アインハルト」
「はっ、私の目には目の前にいらっしゃるお方は間違いなく、ピースレイヤー卿の奥方だと映っております」
騎士様に、冗談でも投げかけるかのように微笑を浮かべて辺境伯様は言い放つ。
その言葉を受け取った騎士様も、聞いていた使用人たちも皆、口元を綻ばせていた。
皆が笑っている。それは、わたしがヴィーンゴールドの家にいたときもよく見た光景だ。
書庫に入り込んだことが露見してしまったときや、妹の、マリアンヌのベッドを整えているときについ居眠りをしてしまったとき……お父様から罰を与えられるとき、いつだってお母様やマリアンヌ、使用人たちですらも、わたしを嘲笑っていた。
だけど、今見ている笑顔は違う。
朗らかで、あたたかくて。
なんだか、見ていると泣きたくなってしまうくらいに穏やかな、春の陽射しにも似たものだ。
今まで一度だって向けられたことのなかった……まるで、マリアンヌを褒めるときの、お父様やお母様のような、笑顔。
それが、わたしなんかに向けられている。
そして、辺境伯様は、わたしを……痩せ衰えて、背も低いわたしを、妻だと、そう呼んでくれた。その事実がもたらす感情は、わたしの頭の中をいくら探しても、名前が見当たらないものだった。
「……辺境伯、様」
頭巾を目深に被って、わたしはその名前がわからない感情から目を逸らすように、俯く。
「さぞかし、つらかったことだろう。リリアーヌ嬢」
「……ですが、わたしは……」
「俺は、生まれてくることに罪などないと思っている」
「……っ……!」
俯き、震えるわたしの肩に手を置いて、辺境伯様はまるで童話を読み聞かせるように語る。
生まれてきたことが罪だと、生きていることが罪だと詰られ続けてきたわたしにとって、その言葉は理解が及ぶものではなかった。
それでも、辺境伯様が嘘を言っていないことは、その力強い光を放つ瞳を覗き込めばわかる。だから、どうしていいのかわからなくて。
「ここはウェスタリア神聖皇国の最前線にして、最後の砦だ。我がピースレイヤー領を訪れる人間は……ここに仕える者たちも含め、皆それぞれに事情を抱えている」
「……」
「だから、というわけではないのだがな。今は呑みこめずとも構わない。それでも俺は、君を……リリアーヌ・エル・ヴィーンゴールド嬢を伴侶とした選択を後悔してはいない。そして、君はここにいてもいい。それだけは、忘れないでほしい」
泣きたくなるくらいに優しくて、あたたかい言葉だった。木漏れ日のように、春風のように心地よく……だけど、心に走っているひび割れに染みてしまうような、そんなお言葉。
辺境伯様が仰った通りに、今のわたしではその全てを受け止めることはできない。
だけど。だけど、「ここにいていい」というその言葉が、今はなによりも甘美に……かつて盗み見た童話の結末を見届けたような心地にさせる。
「リリアーヌ嬢に相応しい服と、ありったけの食事を用意しろ! 湯浴みの準備もだ!」
『かしこまりました!』
辺境伯様がぱちん、と指を鳴らすと同時に、使用人たちが散り散りに支度へかかる。
「さあ、リリアーヌ嬢。ようこそ、我がピースレイヤー家へ」
「……は、はい……ありがとう、ございます……」
わたしはただ、辺境伯様から差し伸べられた手を取って、頭巾の下から呆気に取られたような表情で、それを見つめることしかできなかった。
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