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第59話 聖女

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 私が目を覚ますと、見覚えがある天井が見えた。

 何となく顔に違和感があったので、震える指でそっと頬を触ってみると、涙で濡れている感触があった。

(そう言えば変な夢を見たんだっけ……? 何だか寂しい光景だったなぁ……)

 あの夢の中は寂しくて孤独でとても寒く感じたので、ポカポカしていて温かいこのベットの中はとても心地良い。
 いつも寝ているベットも気持ち良いけれど、今寝ているベットからはとても良い匂いがして、ここから出たく無いな、と思う。

(なんだかエルに抱きしめられているみたいで安心する……)

 ……と、思ったところで、はたと気が付いた。

(あれっ?! ここってエルのベットじゃ……?!)

 私、また何かやらかしちゃった?! と思い、慌てて起きあがろうとしたけれど、腕に力が入らずベットにへたりと倒れ込んでしまう。

「な、な……で……」

 思わず出た声も凄く掠れていて、自分の声じゃないみたいだ。

 何が何だか分からず混乱していると、部屋に入ってきた可愛い使用人さんと目が合った。

「?!」

 ひどく驚いた使用人さんの顔が、段々涙ぐんできた。どうして泣きそうになっているのか不思議に思っている内に、使用人さんの涙腺が決壊してしまう。

「せ、聖女様……!! ぐずっ……お目覚めになられたのですね……!! ああ、本当に良かったです!! あ! すぐ殿下にお知らせしてまいります!!」

 使用人さんは私にお辞儀をすると、慌てて部屋から飛び出していった。

(すごく泣いてたけど大丈夫なのかな……。あれ? さっき私のこと「聖女様」って言ってたような? 聞き間違い?)

 何だか頭がぼんやりしていて、いまいち記憶がはっきりしない。しかも身体に力が入らないし、動かすとあちこちギシギシ言ってるし。
 何となく覚えているのは、必死に私の名前を呼ぶエルの声で。

「サラっ!!!」

(そうそう、こんな感じですっごく焦ってたよね……って、あれ?! 本物!?)

 おぼろげな記憶を思い出していたら、よほど慌てたのだろう、息を切らしたエルが部屋にやってきて驚いた。

「目が覚めたんですね……! ああ、本当に良かった……!! もう目覚めないのかとすごく心配していたんですよ!!」

「……お……」

 エルに「ごめん」と言いたいけれど、相変わらず上手く言葉にすることが出来ない。

「無理に話さなくて大丈夫ですよ。水は飲めますか?」

 私はこくこくと頷き、エルからお水を受け取ろうとしたけれど、「僕が手伝いますから」と、やんわりとたしなめられてしまう。

 エルに支えられながらお水を飲むと、じんわりとお水が身体中に染み込んでいくような感覚がした。余程カラカラに乾いていたのだろう、二回おかわりをしてようやくほっと落ち着くことが出来た。
 そうしてお水を飲み終えると、軋んでいた身体が解れ、更に筋力が戻る感覚がして驚いた。

(ええ……! 身体がすごく楽になった……! まさか、さっき飲んだのって……?)

「今サラが飲んだのは<聖水>ですよ。効果覿面でしょう?」

「聖水!?」

 私の疑問はエルがあっさりと解消してくれた。

(まさか本当に聖水だったなんて……! どうしよう、おかわりしちゃったよ……)

 そんな高価なものを私が飲んで良いのかな、と思っていると、めちゃくちゃ周りからの視線を感じた。
 私がちらっと様子を見ると、いつの間にやらヴィクトルさんや側近の人達、使用人さんまでもが私達の様子を窺っていた。そして何故か皆んなすごくいい笑顔をしている。

(一体何なのー?! 何が起こっているのー?!)

 戸惑う私の心境を察してくれたエルが「サラが眠っている間のことをお話した方が良いですか?」と聞いてくれたので、私はようやく出るようになった声で「……聞かせて欲しいです」とお願いした。

 そして、エルが眠っている間の出来事を話してくれたけれど、何だか凄いことになっていた。

 エル曰く、私は二週間眠り続けていたのだそうだ。どうりで身体が動かないはずだと納得する。
 それから私が身を挺して<穢れを纏う闇>からエルを救ったこと、聖属性を発現させて<穢れを纏う闇>を浄化したこと、傷ついた騎士団員達を癒やしたこと、聖なる光で王宮を照らし、王都中にその存在を知らしめたこと……。

 どうやら私はエルを助けたい一心で聖属性を発揮したらしい……しかもド派手な演出付きで。

(ひえぇ~~! ど、どうしてそんなことに……!!)

 エルを助けることが出来たのはとても嬉しい。そこは自分で自分を褒めてあげたい。でも、出来れば聖属性のことは秘密にしておきたかった……。

「やっと起きたかこのバカ娘が」

 エルから話を聞いて衝撃を受けていると、お爺ちゃんが呆れた顔をして立っていた。騎士団の仕事中だったけど、私が目覚めたと聞いてわざわざ抜けてきてくれたようだ。

「お、お爺ちゃん……どうしよう……」

「はぁ?」

「私法国に連れて行かれるの? <花園>行きになるの?」

 昔から聖属性の人間は有無を言わさず法国の<花園>に連れて行かれると聞いている。もしかしたら既に神殿から私の身柄引き渡しの要求が来ているかもしれない。
 王都中の人が知っているのなら、しらを切ることも誤魔化すことも出来ないだろう。

「まあ、あんだけ派手に聖魔力ぶっ放しゃあなぁ。言い逃れはできんわな」

「ひぃー! 行きたくない! 逃げたい! あ、逃げよう! うん、そうしよう!」

 一刻も早く準備してトンズラせねば! と思っていると、お爺ちゃんがニヤリと笑った。

「まあ、落ち着け。良い方法があるぞ」

「え! 何?!」

 普段ならお爺ちゃんの笑顔に警戒していたけれど、長い眠りから覚めたばかりの私の頭はまだ正常に動いていなかった。

「お前と殿下がとっとと結婚することだな。お前が王太子妃になれば流石にアレ教も手が出せないだろ」

「まあ、確かに。一国の王太子妃を<花園>に閉じ込めるようなそんな真似は出来ないよね……って、え? 王太子妃?」

「うん、王太子妃。どうせその内なるんだろ? だったらこの勢いに乗った方が何かと楽なんじゃね?」

「いや、この勢いって何なのさ。王太子妃ってノリで簡単に決めちゃっていいものじゃないよね……?」

 有力な貴族の家門からの横槍とか、婚約者候補筆頭のご令嬢からのいじめとか、王太子妃になるためには色々な関門……壁がそそり立っているはずなのだ。

「何を仰います! 今やサラ様は国を守った救国の聖女として王国中にその御名を轟かせていらっしゃるのですよ! そして貴族や騎士団の者達もサラ様の御光をその身に受け深い感動を覚えたと申しています! サラ様に一生の忠誠を誓うと望むほどに! 先ほどサラ様がお飲みになられた<聖水>も、サラ様の御身体を心配した貴族達が提供してきたものなのですよ! ですからサラ様が王太子妃になられるのを反対する者などこの国には存在いたしません! もし存在するのならその者は国家転覆を企む不届き者です!! むしろ国民全てが一刻も早くサラ様に王太子妃となっていただきたいと願っているのです!!!」

 ……ヴィクトルさんが凄い早口で捲し立てる。……この人こんなキャラだっけ?

 そんなヴィクトルさんに賛同するかのように、側近の人達や使用人さん達もこくこくと頷いている。皆んな目がキラキラしているし頬は上気しているのか真っ赤だしでちょっと怖い。
 お爺ちゃんはそんな人達を楽しそうに眺めながら、高みの見物を決め込んでいる。
 そんなお爺ちゃんの様子に、まさか彼らを先導しているのは……と疑ってしまうのは最早条件反射なのかもしれない。

「……ヴィクトル。サラは目覚めたばかりなのだから騒がしくしないように。君の熱意は十分伝わったから騎士団に戻れ。他の者もそれぞれ持ち場に戻りなさい」

 王国の良心、エルが呆れた顔をして皆んなに退出を命じ、部屋に残ったのはエルとお爺ちゃんだけとなった。
 さっきまで凄かった熱気は冷めていき、部屋に静寂が戻ってくる。

「サラ、ヴィクトルが言った話の内容は本当ですよ。サラのおかげでこの国は救われたんです。本当に有難うございました」

「えっ?! あ、いや、そんな……! 皆んなが無事なら良かったけど……」

 正直無意識だったので、感謝されてもいまいち実感が湧いてこない。それでも、エルの役に立てたのならこんなに嬉しいことはない。

「……とまあ、そういう訳でだな。お前が王太子妃になるための障害は綺麗サッパリ無くなったっていう訳だ」

 そう言って苦笑いを浮かべているお爺ちゃんの言葉の後には、「後はお前次第だぞ」と続くような気がしたけれど……。きっと気のせいじゃないんだろうな、と思う。

 実際、アルムストレイム教との関わりを避けるのなら、「王太子妃」という肩書は私にとって都合がいい。だけど──。

「……目が覚めたばかりでサラも混乱するでしょうし、この話はまた落ち着いてからにしましょう。今はゆっくり休んで体調を整えて下さい」

 エルが私を気遣い、この話の続きはまた後日という流れになるけれど、一瞬だけ見えたエルの表情に不安の色が滲んでいると気付く。

(あ。さっき私が”逃げたい”なんて言ったから……もしかしてエルは私が王太子妃になりたくないって思ってる……?)

 本当なら、すぐにでも私の真意を問い質しかったのだと思う。でもエルはいつでも私のことを一番に考えてくれるのだ──自分の感情は後回しにして。

 そんなエルのことを、私はたまらなく愛しいと思う。

 エルが部屋から出ようとして立ち上がるその手をそっと握り、私はエルを引き止めた。

「サラ……?」

 エルが引き止めた私を不思議そうに見る。そんなエルからの視線とこれから言おうとする言葉に、私の顔は段々熱を帯びてくる。

 何とも言えない雰囲気が流れる中、お爺ちゃんが軽く咳払いし、すっと席を立って言った。

「じゃあ、俺は一旦騎士団に戻るわ。殿下、サラをよろしくお願いいたします」

 お爺ちゃんは顔を真っ赤にした私が、これから何を言おうとしているのか察したのだろう。早々に部屋から出ていってしまった。

 私は邪魔にならないように気を遣ってくれたお爺ちゃんに応えるためにも、ちゃんとエルに気持ちを伝えなきゃ、と自分を奮いたたせる。

「……えっと、さっきは法国に行きたくなくて、つい逃げたいって言ったけど、その……」

 引き止めたはいいけれど、どう伝えればいいのかわからず、しどろもどろになる私の手を、エルがそっと包み込んだ。
 もうそれだけで、エルからの愛情が伝わってきて、自分もその想いに応えたい、と強く思う。

「逃げるための手段じゃなくて、エルの隣に立ちたいから……。だから、私は──……っ、」

 私の言葉を遮るように、エルがそっと頬に触れてきた。

「すみません、その先は僕に言わせてくれませんか……?」

 緊張しているのは私だけじゃなくて、エルも同じように緊張しているのだと、触れた指先から伝わってくる。

「サラだけを愛しています。どうか僕と結婚して下さい」

 ただシンプルで、一切装飾されていないその言葉に、エルの気持ちが真っ直ぐ私の心に届く。
 そしてエルの紅玉のような瞳から、永遠に通じるような深い愛情を感じ、喜びがじわじわと心の底から湧いてくる。

「うん……っ! 私もエルだけを愛してる……!」

 頬に触れるエルの手に、そっと自分の手を添わせて微笑む。
 私の返事を聞いたエルも、嬉しそうに微笑んでくれる。
 その笑顔はとても綺麗で、たくさんの言葉を並び立てるより、多くの愛情を私に伝えてくるようだった。

 ──そうして、私達はどちらからともなくキスをする。

 それは永遠の誓いのような、神聖な約束事みたいだった。
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