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第54話 闇属性の真価

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 エルや子供達と一緒にお散歩していたら、突然目の前にバザロフ司教が現れた。

 バザロフ司教は苦悶に満ちた表情を浮かべながら私達を睨むと、鋭い爪で自分の顔や身体を掻き毟りだした。
 皮膚が裂け、ドス黒い血が出ても手を止めず、肉を抉りながら黒い涙を流している。
 そうしている内に眼球が零れ落ち、目が空洞になってもずっと睨まれているのが不思議と理解できた。
 バザロフ司教の身体が徐々に崩れていくと、黒いドロドロとした液体のようなものに変化する。

 だけどそんな悍ましい光景を見ているのに、私の心は落ち着いていて、
 ”──ああ、まるで<穢れし者>みたいだな……“
 ──なんて、そんなことを冷静に考えている自分を不思議に思う。

 バザロフ司教だったモノが私に狙いを定めた気配がして、私はエルや子供達と逃げようとするけれど、いくら必死に走っても全然前に進むことができない。

 それでも逃げないと捕まってしまうと思い、必死に走っていると、私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

『──ラ……、サラ。 ……てく……い』

(あれ? エルの声? どうして私を呼んでるんだろう?)

 私が不思議に思っていると、誰かに肩をとんとんと叩かれた。

「……ふえ?」

「サラ、大丈夫ですか?」

「……ん? んん? ……あ、エル……? あれ?」

 ぼんやりとした意識が段々はっきりしてくると、エルが私を起こしているところだった。
 子供達を寝かしつけていたつもりが、いつの間にか寝落ちしていたらしい。

「あ、ごめんごめん。つい眠っちゃった。お帰り、エル。怪我してない? 騎士さん達は大丈夫?」

 怪我はないと聞いていたけれど、やっぱり心配なのでつい質問してしまう。

「僕も騎士達も大丈夫ですよ。怪我人はいませんのでご安心下さい」

「そっかー……良かったぁー」

 闇のモノの瘴気にあてられて体調を崩した人はいたものの、早々に討伐することが出来たので重症者はいないらしい。
 一般人の怪我人も、逃げる時につまづいて出来た傷やすり傷などの、軽いものばかりなのだそうだ。
 もしお爺ちゃんの情報がなかったら、今頃王都は阿鼻叫喚の地獄絵図になっていたかも……と考えるとゾッとする。

 でも今回の事件で、六属性が揃うと闇のモノが浄化できるのだと、人々に広く知らしめることが出来た。その効果は計り知れないだろうな、と思う。

「今日のことで闇属性の人達も自信を持つんじゃないかな。世の中の闇属性への認識も良い方へ向かうだろうし……これも全部エルのおかげだね! エルが闇属性で本当に良かったよ」

 私はエルに向かってにっこり微笑んだけれど、エルが今にも泣きそうな表情をしていたのに気付いて驚いてしまう。

「え?! エルどうしたの?! どこか痛むんじゃ……あ」

(あ、そうか! エルは闇属性だからってずっと辛い目にあってきたんだ! なのに私が良かったなんて、のんきに言うから……!)

「ご、ごめんエル……。軽率なことを言っちゃって……。でも──!」

 ──闇属性は本当に凄いんだから、もう過去に囚われないで。エルには自信を持って、前に向かって進んで欲しい──

 私はそうエルに伝えたかったけれど、エルに抱きしめられたことで、続きの言葉は声にならなかった。

「……ああ、サラと出逢えて本当に良かった……っ!」

 何がエルの琴線に触れたのかわからないけれど、敬語が抜けたエルの、感極まった声に彼を傷付けた訳ではないことがわかった私は安堵する。

「私もエルと出逢えて嬉しいよ……大好き」

 私は心の底から思っている言葉を伝えると、ぎゅっとエルを抱きしめ返す。

「サラ……」

 そうしてエルと甘い雰囲気になった時、眠っていた子供達が起き出す気配がした。

「……!! あわわ!!」

 私は思わずエルから離れて距離を置く。甘い雰囲気に流されそうになったけれど、すぐそこで子供達が眠っていたのをっすっかり失念していた。

 私が慌てて子供達を見ると、年少さんの男の子、アレンがボロボロと涙を流していた。

「アレン?! 大丈夫?! 怖い夢を見たの?」

「……ゔ~~サラちゃ~~ん……うえぇぇ~~ん!」

 号泣しだしたアレンに驚いた私は、慌ててアレンを抱っこすると、落ち着くようにと背中をトントンと叩く。

「くろいのやだよ~~! うわぁあ~~ん!!」

 やっぱり闇のモノは子供達の心に悪影響を与え、深く傷つけていた。
 楽しかったはずのお出掛けの思い出が、恐ろしい記憶に書き換えられてしまったことに悔しくなる。

 そしてアレンの泣き声に目を覚ましたのだろう、更に泣き出す子が出てきてしまった。

「僕がアレンを抱っこしましょう」

 あちこちで子供達が泣き出して困っている私に、エルがお手伝いを買って出てくれた。そして子供達の泣き声を聞きつけたエリアナさん達も駆けつけてくれて、皆んなで子供達のケアに当たる。

「悪いやつはエル達がやっつけてくれたよ! だからもう怖くないよ! 大丈夫だからね!」

 とにかく子供達に落ち着いて貰いたかった私は、もう怖いものは無いのだと安心するように言った。

「……ほんとう?」

「本当ですよ。僕やシス殿達騎士団が君達を守ります。だから怖がる必要はありません」

 エルはアレンの質問に笑顔で答えると、そっと優しくアレンの頭を撫でた。

「……ふふ、よかったぁ……おうじさま、ありがとう……」

 アレンはエルに笑顔でお礼を言うと、安心した表情ですうっと眠ってしまった。

(え、さっきまで凄い怖がってて、顔色も悪かったアレンが……!?)

 私はアレンの変化に驚愕する。
 エルの腕の中で、すやすやと健やかに眠るアレンの顔色は、本来の桃色に戻っていたのだ。

「エル、アレンに何かした?」

「ええ、魔法でアレンの恐怖心を抑えました」

 何でも無いようにエルがサラッと言う。

「え、それって凄いことなんじゃ……?」

「闇魔法は精神に作用出来ますから。今回は脳にある扁桃体という器官に干渉して、活動を抑制したのです」

 エルの言う扁桃体とは、不安や恐怖といった原始的な感情の中枢となっている器官なのだそうだ。

「記憶を消すと脳に負担がかかりますからね。それに恐怖記憶は危険の予知・回避に必要な能力ですので、消してしまうと事前に危険を予想し、身を守ることができなくなってしまうのです」

 だからエルは無理に記憶を消すのではなく、闇のモノに対する恐怖反応を抑えるよう、魔法で扁桃体に働きかけたのだそうだ。

「すごい! すごいよエル! じゃあ、子供達はトラウマを抱えなくても良いんだね!」

 喜んだ私はエルにお願いして、アレンと同じように子供達に魔法をかけて貰った。

 これで子供達は今後、闇のモノと対峙することになっても、パニックになること無く対応できるだろう。もうエルには感謝しかない。

 私は改めて闇属性の素晴らしさに感動した。今まで貶められていたことが信じられないぐらいだ。
 自分達の利益を守るために、闇属性の間違った情報を流したアルムストレイム教の罪は、私が考えるよりもずっと重いのかもしれない。



 * * * * * *



 ──<穢れし者>が討伐されてから一週間が経った。

 エルのおかげで子供達はすっかり元気になり、闇のモノに対する恐怖心もすっかり克服できたようだ。

 だけど、今回の事件で心に傷を負ったのは子供達だけではなかった。討伐に参加した騎士団や、その場に居合わせた市場の人々の中にも同じように不安障害などの精神疾患を発症した人がいたのだ。

 そんな悪夢に苦しむ人達にも救いの手を差し伸べたエルは、王都中で神の御使いだと崇め奉られている。
 逆に神殿の権威は大きく失墜し、教徒の数も激減しているのだと、様子を見に来てくれたヴィクトルさんが嬉しそうに教えてくれた。

 どうやら闇のモノを解き放ったのが司教であること、恐ろしい経験に心を病んだ人を救う術を持っていなかったことなどが原因らしい。
 ……闇属性を貶めた弊害がこんなところに現れるとは。自業自得で呆れてしまう。

「でも、神殿で祈ると神の光で心に平穏が齎されていたでしょう? すぐには無理だろうけど、徐々に心の傷も治ると思うんですけど」

 神殿は最も神に近い場所であり、また神への祈りの場として、常に人々の信仰心が溢れている。そんな神殿は神聖な光に満ち溢れているはずなのに。

「それが、神殿本部にいる知り合いからの話なんですが、どうやら小神殿から<神の栄光>が消失したようなのです」

「………………は? 神殿から神の光が消えたんですか?」

「はい。それも貴女とシス殿が神殿から去った日を境に、です。何か心当たりはありませんか?」

 あの日は司教達が私に無理やり叙階を受けさせようとした日だ。

(えーっと、あの時は神殿本部の司教達から慈愛の心が全く感じられなくて……失望したんだっけ……)

 だけど、私が失望したことと神の光が失われたことの関連性は薄いような気がする。

「うーん、お爺ちゃんが自分からアルムストレイム教と決別したから、じゃないですか? でも、あの腐敗した聖職者達がいる限り、何時そうなってもおかしくありませんでしたけど」

 実際、私はあの場所にいるのがすごく嫌で、早く帰りたかったのは確かなのだ。

「……まあ、今はそういうことにしておきましょうか」

 ヴィクトルさんはどうやら私の推理にご不満らしい。頑張って考えたのに。でも”今は”ってなんなのさ。

「──もし、神殿本部を再建することになったら、その時はサラ様のお力をお貸しいただけますか?」

「え? えっと、はい。私でお役に立てるのなら」

 もしかしてヴィクトルさんは神殿本部に情が移ってしまったのかもしれない。上位聖職者の司教達は腐りきっていたけど、まともな人達だって大勢いると思うし。
 私も結局、アルムストレイム教と決別したけれど、ずっとお世話になったことは変わらないのだ。
 元巫女見習いの私がお役に立てるかわからないけれど、恩返しのつもりで頑張ってみるのも良いかもしれない。

「そう言えば、トルスティ大司教はまだ法国にいるんですか?」

 バザロフ司教が事件を起こしたことで、神殿本部は事後処理でてんやわんやだろう。市場の人達への賠償もしないといけないし。
 そんな時に最高責任者である大司教が不在なのは運が悪かったとしか言いようがない。

「三日後、トルスティ大司教を王宮で喚問することになりましたよ」

 私の質問にエルが答えてくれた。

 大司教が王宮を訪れるのは、国王の戴冠式や王族の誕生など、大切な行事の時だけなのに……。大司教が喚問に応じるなんて異例中の異例ではないだろうか。
 それだけ今回の一件は、アルムストレイム教にとって無視できない出来事だったのだろうけれど……。

 ──そうして、言いしれない不安を感じながら、私はその日を迎えたのだった。
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