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第40話 身分差

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「──うん。私はエルが好きだよ」

 真剣な顔をしたお爺ちゃんから、エルの事が好きなのかと聞かれた私は、正直に自分の気持ちを伝えた。

「……そうか! わかった!」

「う、うん?」

 私の気持ちを知ったお爺ちゃんの、悪巧みしているような顔が気になったけれど、非力な私が出来る事は何も無い。
 せいぜい人に迷惑をかけませんように、と祈るしかできないけれど、念の為釘は刺しておく。

「お爺ちゃんが何を企んでるのか分からないけれど、エルに余計な事はしないでね! 私は告白するつもり無いんだからさ」

 王国の王太子である、エルのような高貴な身分の人と知り合えただけでも幸運だったのだ。それだけでも一生分の運を使い果たしたと思う。
 なのに子供達を助けて貰っただけでなく、この離宮で勿体ないほどの待遇を受けている──そう考えると来世の幸運まで使い果たしているに違いない。

「そもそも身分が違いすぎるんだよ。なのに告白なんてしたら私はスッキリしても、エルが罪悪感を持ちそうだし」

 どう足掻いたって結局私はエルにとって、児童養護施設運営のお手伝い要員に過ぎないのだから。

(だけどエルは優しいから、私に負い目を感じて償おうとするんじゃないかな……。それはそれで惨めな気持ちになるから全力で遠慮したいけどさ)

「そうか、サラは身分の差が気になるんだな」

 私の話を聞いたお爺ちゃんが納得したように頷いた。

「ん? まあ、そりゃね……。身分の差はどうしようもないよ」

 平民で孤児という時点で、私はエルにとって恋愛対象じゃ無いと思う。
 それに私はエルには立派な王様になって欲しいと心から願っているのだ。その為には物理的にも精神的にもエルを支えてくれる、権力を持つ家柄の王妃様の存在が必要不可欠だろう。

 国王になったエルと、今はまだ見ぬ王妃様が手を取り合う姿を想像する度に、私の胸がズキッと痛むけれど、それはエルの事を好きだと自覚した時からずっと覚悟していた痛みだ。

「何か卑屈になってんなー。お前らしくもねぇ。そんなに身分が大切かねぇ」

 私は「いやいや、相手は王族だよ? そこは重要でしょ!」と、思わずお爺ちゃんにツッコミを入れる。

 だけどツッコんだ後ではたと気が付いた。
 ──そう言えばお爺ちゃんは自ら高貴な身分を捨てたのだ、と。

 大司教の様子からして、お爺ちゃんはかなり高い身分だったのだろう。そんな身分をあっさりと捨てたお爺ちゃんの言葉には妙な説得力があった。

「俺の昔の知り合いも身分差だの禁断の愛だので散々悩んでいたけど、お相手もそいつの事が好きだったらしくてな。色々あったが結局、お互い身分を捨てて駆け落ちしたんだよ。そん時はマジで驚いたわ」

 お爺ちゃんが昔を懐かしむように、遠い目をしながら話してくれた。

「駆け落ち……!? それで? その二人はどうなったの!?」

「そいつらはそりゃあもう甘々でな。俺が砂糖を吐きそうになるぐらい深く愛し合っていたんだが、二人とも運悪く神去ってしまってな……。それでも生きている間はすごく幸せそうだったぞ」

 お爺ちゃんはそう言うと、ひどく優しい、懐かしそうな目で私を見る。
 だけどその目は、まるで「お前はどうなんだ?」と私に問いかけるようだった。

 確かに愛し合っていれば身分なんて関係ないだろうけど、でもそれは両思いの場合だと思う。片思いの私とは状況が違うよね。

(……でも駆け落ちしても二人は幸せだったんだ……良かった……)

 お爺ちゃんの知り合いが幸せだったことに安堵しつつ、よく考えたらその駆け落ちした二人は稀有な例ではないだろうかと思う。
 贅沢に慣れていた人間が質素な生活に嫌気がさして、元の生活に戻ろうとするのはよくある事で。
 それが普通の貴族ではなく王族の、しかも王太子のエルが質素な生活に耐えられるだろうか……?

 私がアレコレ考えていると、お爺ちゃんが呆れたように言った。

「お前は考えすぎなんだよ。好きなら好きでいいじゃねぇか。例え当たって砕けたとしても、それはお前にとって良い経験になる。その経験は決して無駄にはならないから安心しろ」

「そんな安心嫌なんだけど」

 お爺ちゃんが励ましてくれるけれど、何となく恥ずかしかった私は思わず憎まれ口を叩いてしまう。

「うるせぇ。お前は俺の自慢なんだ。お前が振られるなんてこたぁねぇから、もっと自信を持て」

 だけどお爺ちゃんは、そんな生意気な私を気にすること無く励まし続けてくれる。 

「もし万が一にも振られたら、その時は俺も一緒に泣いてやるよ」

「……何それ。お爺ちゃんが泣くところなんて想像も出来ないや。でもすっごく見てみたい!」

 報われない恋に、エルを諦めようと思っていたけれど、好きな気持ちを捨てる必要はないと言うお爺ちゃんの言葉を聞いて肩の力が抜けていく。
 どうやら私はエルに恋心を抱く事がいけない事だと無意識に思い込んでいたのかもしれない。

「……でも有難う。お爺ちゃんのおかげで胸のつかえが下りたよ。エルの事も諦めないで私なりに頑張ってみる」

 ──エルに告白するかどうか、今はまだ決められないけれど……私はいつかこの想いをエルに伝えられる時が来たらいいな、と思う。

 色々吹っ切れたよ、とにっこりお爺ちゃんに笑顔を向けると、私の笑顔を見たお爺ちゃんもホッとしたような、安堵した笑みを浮かべる。
 その安心した表情に、結構心配を掛けていたのだと気付いて申し訳なくなる。

「よし! お前が本気なのはわかった! 後は俺に任せておけ!」

 お茶を飲んでいたお爺ちゃんが、カップを置いて勢い良く立ち上がった。

「え? え?? 何を?」

「そろそろ始まる時間だな。良いタイミングだ! ほら、行くぞ!」

「な、なになに? え? 行くって何処に??」

 突然の事にびっくりしたままの私を、お爺ちゃんが立たせて何処かに連れて行こうとする。

「ほらほら! ラスボスの登場はタイミングが重要なんだよ!」

「いや、ラスボスとか意味わかんないから!」

 離宮から出ると、いつの間にか用意されていたのか馬車が私達を待ち構えていた。

 戸惑う私をお爺ちゃんが馬車に押し込むのを見計らって、馬車が王宮に向かって走り出す。

「ちょっとお爺ちゃん! もしかして王宮に行くの? いい加減どういう事か説明して!」

 相変わらず訳が分からないお爺ちゃんの行動に慣れているつもりだった私だけれど、流石に今の状況は知っておかないと不味いと私の勘が言っている。

「んー? これからの身の振り方を決めたんでな。殿下に報告すっからちょいと会議室まで顔を出しに行こうかと」

「……エルに?」

 お爺ちゃんが言う身の振り方とは、さっき離宮で言っていた人生設計の事らしい。

 お爺ちゃんはエルに忠誠を誓っていたし、人生設計が決まったのなら報告するのも納得なんだけど……。何となく嫌な予感がするのは何故だろう。しかも会議室って。

 結局、お爺ちゃんから詳しい話を聞く間も無く、馬車は王宮へと到着してしまう。

 王宮には子供達と何度も来ているので慣れている筈なのに、何故か今はとても入り難い。

(エルに会えるとはいえ、何だか気が重いなあ。うぅ、もうすでに帰りたいよ……)

 馬車から降りた私達を迎えに来てくれたのは、いつか神殿本部で会った、ツルッとした司教の付き人さんだった。

(あ、あの時の付き人さんだ……! 確かヴィクトルさんだったっけ?)

 初めて会った時は神殿本部から追い出されてすごく腹が立ったけれど、エルと出逢えたきっかけを作ってくれたのは間違いなくヴィクトルさんだ。
 それに困窮していた孤児院の事をエルに報告してくれなかったら、今の私達は無かったと思う。

「あの、お久しぶりです。以前神殿本部でお会いした事があるのですが……あ」

 つい声をかけてしまったけれど、もし私の事を覚えていなかったら……と考えて言葉を止める。だけどヴィクトルさんは私の事をバッチリと覚えていたようで、私を見てにっこりと微笑んだ。

「お久しぶりです、サラ様。こうしてお会いするのは初めてですね。私はヴィクトル・オークランスと申します。どうぞお見知りおきを」

 ヴィクトルさんのフルネームを聞いた私は驚いた。オークランスといえば貴族でも上位の伯爵家だ。

「申し訳ありません! 伯爵家の方とは存じ上げず大変失礼致しました。どうか無礼をお許しください」

 平民が気軽に話しかけて良い人ではないと気付いた私は、慌ててヴィクトルさんに謝罪する。下手をすると不敬罪で投獄されるかもしれない。

「どうか頭をお上げください。サラ様に頭を下げさせたなんて殿下に知られたら、私の首が飛んでしまいます」

「えっ!? 首!」

 思わず頭を上げた私にヴィクトルさんが意地悪そうに微笑んだ。どうやら私はからかわれたらしい。

「おいおい、サラをいじめんな。こいつをいじめて良いのは俺だけだ」

「ちょ……!? お爺ちゃん!!」

「ふふ、これは失礼しました。以後気をつけます」

 不敬を許してくれたヴィクトルさんはともかく、お爺ちゃんまで私をからかってくる。
 息がピッタリな二人に、私はいつの間に仲良くなったんだろうと不思議に思う。

(貴賓室から連れ出してくれた時に意気投合でもしたのかな? ……っていうかお爺ちゃん、お貴族様に対してタメ口はどうなの……)

 そんなお爺ちゃんの態度だけれど、ヴィクトルさんは全く気にしていないようだ。

「冗談はさておき、会議の様子は?」

「殿下が不法に神殿本部へ乗り込んだと、神殿派の議員が抗議の声を上げています」

 先程のくだけた雰囲気はどこへやら、真面目モードになったお爺ちゃんとヴィクトルさんの会話にドキッとする。

(え、エルが神殿本部に乗り込んだって……私を助けに来てくれた時の事だよね……)

 私のせいでエルが貴族達から責められていると知り、顔から血の気が引いた私の顔色は真っ青になる。
 そんな私に気付いたお爺ちゃんが、軽く頭をぽんぽんしてくれた。
 ただそれだけの何気ない行為なのに、不安だった心が落ち着いてくるのを感じた私は、変人だけどやっぱりお爺ちゃんはすごいな、と思う。

「ほら、サラ! 殿下の応援に行くぞ!」

「だから訳が分かんないってば! 応援て何ーーーーっ!?」

 ……私が感心した途端、暴走するお爺ちゃんに、またか!と思う。

 結局、意味がわからないお爺ちゃんの言動に振り回されたまま、私はエルと貴族が対立しているという会議室へと連れて行かれたのだった。
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