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第8話 来客

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 エルと協力関係になった次の日から、私の生活は更に忙しくなった。
 早朝に起きて朝ごはんの準備をし、子供達を起こして食べさせた後は子供達と一緒に食器の片付けをしてから掃除と洗濯をする。それらが終わるとエルから貰った絵本を使って文字の勉強。それからお昼ごはんの準備をして食べさせたら次はお昼寝。ここでようやく私は一息つくことが出来るのだ……。

 私は子供達がお昼寝をしている間に内職の刺繍を進めておく。出来るだけ沢山の品を納品したいと思うけれど、刺繍の品質を下げる事だけはしたくないので、丁寧に針を刺すのを忘れない。
 そんなこだわりを持っているからか、私がの刺繍した商品は納品した端からすぐ売り切れてしまうらしい。きっと婦人会のおばさま方が応援してくれているのだろう……その心遣いがとても有難い。そんなだから商会の人も好条件で取引してくれるのだ。

 そして私は今回の売上分で更に刺繍糸を買い込もうと考える。もし時間に余裕があれば、自分で縫った服なんかも作ってみたい。私は刺繍だけでなくお裁縫も得意なのだ。子供達の破けた服で培った裁縫スキルは伊達じゃない。

(……あ、ちょっとだけお金を残して、子供達におやつを買ってあげたいな)

 そんな事を考えて、子供達が喜ぶ顔を想像すると思わず顔がにやけてしまう。本当は今度貰えるお金は子供達の服を買うための貯金に回そうと思っていたのだ。

(エルが服を贈ってくれて本当に助かったよ。その分内職の資材を買えるから、刺繍をいっぱい頑張れるし)

 色鮮やかな刺繍糸は高価だから、今迄は地味……落ち着いた色合いのモチーフしか刺繍出来なかったけれど、これからはもっと華やかな図案を考えることが出来ると思うと楽しみで仕方がない。

 こんな風に心に余裕ができたのもエルのお陰だと考えると、悪魔だと分かっていても感謝してしまう。

(次は何時逢えるかな? 今晩来てくれるかな? エルにも何か刺繍したら喜んでくれるかな)

 気がつけばエルの事ばかり考えている自分に気がついた。エルと会えるのを楽しみにしている事に驚いてしまう。そればかりか贈り物だなんて……。

(いやいやいや! ちょっと感謝の気持ちに渡すだけだから! そんな意味深なものじゃ無いから!)

 なるべくエルの事を思い出さないようにしないと、察しのいい子供達に勘ぐられたら堪らない。子供の洞察力をナメたらダメなのだ。

 私は雑念を追い払うように刺繍の続きをする。今はハンカチに花と葉っぱをガーランド状に見立てた図案を刺繍している。花モチーフは人気があるので、今までも沢山刺繍してきたけれど、微妙に色を変えたり配置を変えているから、同じものは一つと無いのだ。

 それから何枚かの刺繍を終わらせた私は、子供達がお昼寝から目覚める頃合いを見計らっておやつの準備をする。孤児院の裏庭に実っているクラベットベリーで作ったジャムを、薄く切ったパンに塗った簡単なものだけど、子供達は喜んで食べてくれる。

(ジャムをたっぷり塗ってあげたいけれど……砂糖は高いからなぁ……)

 そんな事を考えていると、玄関の方からドアベルの音が聞こえてきたのに気付く。一瞬エルが来たのかな? と思ったけれど、太陽が出ている時間に玄関から来るわけないよね、と思い直す。

(誰が来たのかな?)

「はいはーい! お待ち下さーい!」

 玄関の扉を開けると、そこには見知った顔の若い男の人が立っていた。

「テオ……」

「よう、サラ。この前王都に行ったんだって? 水臭いなあ。言ってくれたら一緒に行ってやったのによぉ」

 この馴れ馴れしいやつはテオバルトと言う、この街の領主のドラ息子だ。昔っから事あるごとに私に絡んでくる嫌な奴だ。しかもナルシストだからたちが悪い。自分に靡かない女はいないと本気で思い込んでいるのだ。

「……何か用? これから晩御飯の準備で忙しいんだけど」

「用がなければ会いに来ちゃいけないのかよ。俺がわざわざ会いに来てやってんだから、もっと嬉しそうな顔しろよ。せっかく可愛い顔してんだからさぁ」

 正直テオのことには全く興味がないので、会いに来られても迷惑以外の何物でもない。コイツは自分の自慢話しかしないし、相手をするだけ時間が勿体ないのだ。

(テオの相手している時間で刺繍や本を読んで勉強ができるのに……)

「なぁ、そろそろ俺と付き合う気になったか? 孤児院の経営厳しいんだろ? 俺と付き合えば親父に頼んで援助してやれるぜ?」

 以前からテオに交際を申し込まれていたけれど、私は頑なに拒否している。目先の利益に囚われてテオと付き合えば、ろくな事にならないのは目に見えているし、絶対子供達の面倒を見る時間がなくなってしまう。

(……まあ、それ以前に私がこのテオという男を嫌いだという事もあるけれど)

「何度も言っているけど、テオと付き合う気はないから。この前まで付き合っていた女の子はどうしたの?」

 テオはその比較的整った顔と領主の息子という身分を活かして、女の子を取っ替え引っ替えしている。泣かせた女の子は数しれず、でもこの街に住んでいる限りは誰も文句が言えないという地雷男なのだ。

「何々、もしかしてヤキモチ焼いてんの? 大丈夫だって、俺はサラ一筋だぜ? 今までの女はサラと付き合うまでの代わりだよ」

(……うわぁ、サイテー! これは野放しにしちゃダメな奴なんじゃ……)

 こんな男が次期領主だなんて……この街の未来が心配になる。

「あのね、テオは将来領主になるんでしょう? そんな風にフラフラするのはもうやめなよ」

 領主やその家臣たちは一体何をしているのか。一刻も早く良き後継者を育てないといけないと思うんだけど。

「あれぇ? もしかして俺の心配をしてくれるの? サラは優しいなぁ」

 ……普通に苦言を呈しただけなのに、何処に優しさがあるというのか。って言うか、話が通じなくて困る。コイツこんなに馬鹿だったっけ?

「いやいや、私は優しくなんてないから! 勘違いしないでよね! 今から晩御飯の準備するんだからもう帰って!」

「えぇ? それってもしかして『ツンデレ』ってやつ? 今王都で流行ってるんだっけ? 早速実践して俺を誘惑してるの?」

 ……ダメだコイツ。頭の中お花畑だ。男でも脳内お花畑っているんだな……。

 領主の息子がこんなお花畑なんて情けない……って、あれ? そう言えばエルが知りたいことに領主の情報もあったんだっけ。ついでだとは思うけれど、義務は果たさないとね。

「ええっと……お付き合いは出来ないけど、今度ゆっくりお話しよう? 領主の仕事や街のことを色々知りたいし」

 今はもう話している余裕なんてないから、日を改めてテオを含めた領主一族の事を聞いてみたい。そしてその時にテオとは絶対付き合えないって釘を差しておかなくちゃ。

「おお! ツンの次はデレか? やっぱり『ツンデレ』じゃん! もう、サラは素直じゃねーなあ!」

(なんてこった! テオの勘違いを更に加速させてしまった!)

「だから勘違いしないでってば! 私は忙しいの!! じゃあね!!」

「わ、わわっ!」

 私は強引にテオを追い出して扉を閉め、鍵をかける。テオは扉を何回か叩いていたけれど、私が開ける気がないと分かると「また来るからなー!」と扉に声を掛けて帰って行った。

(やれやれ……。あの勘違いをどうすれば止めさせられるんだろう)

 本当は関わりたくないけれど、後一回我慢すればいいのだ、と自分を慰める。

 それから私は子供達に夕食を作り、身体を清めさせて寝る準備をする。そしてエルから貰った新しい絵本の内から一冊を選び、子供達に読み聞かせる。
 ちなみにエルは新しい絵本を子供の人数分──十冊も贈ってくれていた。これでしばらくは子供達を退屈させなくて済みそうだ。

 子供達を寝がしつけた後は部屋に戻り、アルムストレイム教の経典や聖書を読んで過ごすことにする。

(……今日は来ないのかな……? 毎日は無理だって言っていたものね)

 念の為、夜が更けるまでエルを待っていたけれど、結局その日にエルが来ることはなかった。けれど、贈り物はその日も届いていたらしく、朝子供達に起こされてその事を知らされたのだった。
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