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63そのままで② 

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 どれだけの時間が過ぎただろう。

 大浴場での仕事が終わっても、侍女たちの手には官人たちが残していった業務があった。明日までに仕上げるべきものが山ほど託されている。責任と、疲労と、睡魔と、ここで断言できることは従者たちの窮状が甚だしいことだ。


「……やっ……!!んぅう…………!!」


 皇太子と妃はなおも熱い吐息を交わし合っていた。何度も同じような言葉を重ね、ひたすらに心と心を寄り添い続けていく。その一部始終に聞き耳を立てていた執事のゴードンは感激のあまりに涙を落とす。


(ようやく心も身体も通われなさった)


 老人の全力の号泣を見た、イヴのような侍女ですら小さくだが心が揺さぶられることであった。


 待機所からでも漏れ聞こえる妃の嬌声。壁の厚みがほとんど意味をなさないのは、夜の静寂のせいであろう。
 まともな神経をした官僚ならば、その声を聞いて精魂尽き果てていてもおかしくはない。だが侍女たちは主に忠実かつ献身的である。妃のはじけきった痴態を見聞きして、むしろ沈みかけた気持ちを奮い立たせる女性もいたほどだ。


 そのおかげか怒涛の残業に夜も明ける。結局、朝日を拝んでから、ようやく業務の終わりが確定することになった。


 半ば失神している者。日の光に祈りを呟く者が数人いたが、大部分は耐え抜いていた。宮廷調理師の厚意で届けられたスイーツの数品が、働き手の思考力をなんとか繋ぎ止めてくれる。


 そんな待機所の有り様の中で、チリリンと小気味の良い鈴の音が聞こえてきた。絶望感が伝染していく。
 寝所方面から呼び鈴が鳴れば、誰もが振り返らざるを得ない。あと少しで人の入れ替えがなされ、束の間の休息が手に入るというのに。満身創痍の従者たちには酷な音色に聞こえた。


「ハヤセの服と、なにか拭えるものを持ってきてくれ」


「御意に。殿下」


 なんてことはない。皇太子からの言伝はその程度のものだった。しかしその文脈の意図を、畏まった侍女たちは即座に理解できてしまった。


「あの……ハヤセ様は」


「今は眠っている。待て、寝室には近づくな」


「でもお身体が心配で」


 ハヤセの身がただ事でないこと、夜通し絶えなかった声、情交で乱れ果てているのだろう。イヴは主が気になって仕方がなかった。


「問題はない。疲労はあるだろうが無理はさせていない。すべてハヤセに合わせたつもりだ」


 訊いてもいないのに皇太子は何やら弁明らしきことを語る。執務室で余裕そうに筆を握っていたかと思えば、侍女の言葉だけで動揺する。やはり賢い皇太子であっても不眠不休では本調子でいられないらしい。


「それと皆に伝えておけ。俺は今日一日はここで公務を続ける。宰相にはこれを」


 さらさらと先まで書いていたものがイヴの手に渡ってくる。皇太子からの書類、直々の任を預かったのである。


 「御意に殿下」と、イヴは誇らしい気持ちを秘めながら貴人に礼した。それを見て満足したかのように、男は立ち上がり、また隣室の扉に戻っていった。吸い込まれるように寝所に戻っていく皇太子の挙動を、従者たちはやれやれという顔で見守っていた。
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