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05イザベル・デイナイン

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 デビュタントから一月後には、イザベル・デイナインが夫を連れ立ってレイフィールド邸を目指していた。長い年月が過ぎても、ハヤセとイザベルは文通を交換し合うほどの大の仲良しだった。それは夫ができた時節からも変わらず、時おり近況を報告してはお互いにやり取りがなされてきた。そんな習慣も、デビュタント前に送ったハヤセへの手紙を最期に終わりを迎える。

 ハヤセに何かあったのではないか、そう思うだけで居てもたってもいられない。デビュタントにて幼馴染の面影さえ辿ることのできなかったイザベルは、本丸への単身乗り込みを決意した。


「待ってくれ。急ぎすぎだイザベル……大切な君の服が汚れてしまうよ」


 彼女の夫であるランドルフは妻の同行を申し出た。若き公爵家当主で、帝国参謀総長の肩書きを担う男は多忙だった。しかし愛する妻のためならばと公務を部下たちに放り投げ、最低限の身支度で職場を飛び出し、今に至る。


 なぜ馬車の中でも男は肩を揺らし息を切らしているのか。それは全速力で妻のことを追ってきたからに他ならない。


「早く友人に会いたいの。今日だけは……ふふ、はしゃぐのを許してくださいな?」


「はしゃぐのは結構だが訪問先の相手は男だと聞いた…………。まさか君は」


「あら……、浮気を疑うなんてあなたらしくない。ハヤセは本当に素敵な人よ?これ見てくださる?」


 文通の中の一枚をわざわざ持ってきており、それをランドルフにひょいと手渡す。紙には丁寧で細やかな文字が並んであった。


「綺麗な文字だね」


「内容を読んでくださいな。私たちの婚約を心の底から祝ってくれていますよ」


「…………、本当だ。会ってもいない僕のことまで褒めちぎってくれているじゃないか。気が利いているというかなんというか」


「その手紙以降……ハヤセから音沙汰はなし。直近のデビュタントにもいませんでしたから心配にもなるのです」


 ランドルフは頭をかく素振りをした。


「単に忙しいだけな気がする。侯爵の跡取りなら覚えることだらけだろうしね」


「それだけじゃなくて……、デビュタントにハヤセの弟が紛れ込んでいたらしいのです。なぜかハヤセの代理と称して」


「まさしく取り込み中の体じゃないか。どこもおかしくはないよね?」


「おかしいことだらけでしょう。ハヤセの代理なら私や皇太子の前に挨拶に来るはずですが、それもなかったのですよ?結局会場では会えずじまい。どうして代理人なんかに任せたのか、どうして手紙を返してくれないのか……ハヤセには問い詰めたいことがいっぱいあるのです」


 どうだ、と言わんばかりにイザベルは頬を膨らませ夫を見返す。感情任せに男の元へ飛び出したわけではないらしい。そうランドルフ側も認識した。だがイザベルの人脈にはまだ慣れることはないようで、男は面食らった。侯爵令息ならまだしも、皇太子と近しい女性など帝国に数えるほどしかいない。


「ロイゼン……レイフィールド……、君の実家のユンター……。すごい幼馴染がいたものだ」


「すごい組み合わせでしょう?これに私たちデイナイン家も合わせたら国が創れちゃいますね」


 冗談よしてくれ、とランドルフは苦笑いを浮かべる。権威も領土も地位も、イザベルの言が絵空事ではなくて本当に創れそうなのが末恐ろしいところであろう。


~~~~~


 帝都の郊外、雑踏の音よりも川辺の水音が耳を打つ行路を巡り、ようやく目的地が見えてきた。巨大で荘厳な屋敷と、それを守る門番の夥しい数。さすがに有力な侯爵家だけあって、その誉れにふさわしい佇まいをしている。


「初めて来ましたけれど……外装はずいぶんとゴツゴツしているんですね」


「オックス・レイフィールド侯爵は帝国近衛団団長。武闘派の筆頭だから予想通りではあったかな。あとイザベル、他人様の家に毒を吐くんじゃありません」


 馬車から降りると、まるで異世界に迷い込んだかのよう。一面灰色の景色だ。広大な敷地の上には華やかさを添えるものはない。木立でも置いてやれば見映えも変わるはずだが、一面が敷石で埋められているのみ。


「確かに武人気質の家みたいだわ」


 色彩が抜け落ちて景色がどこも一緒である。ただ大きいだけでつまらないというのがイザベルの抱いた印象で、彼女は不貞腐れたような顔で地面を見つめた。


「御予約のあったお客様でしょうか…………?何か御用件がありましたか」


「いや、予約は生憎していなくてね。こういうものなんだが……レイフィールドの知り合いの顔を見に来たんだ」


 通りがかりの使用人と思しき初老の男性が、ランドルフに声をかけてくる。それにすかさずランドルフは家の紋章を堂々と相手に掲げてみせた。


「なんと……!!デイナイン公爵様!!これは、たいへん失礼な対応を」


「いいんだ。突然訪れたのはこちらなんだから……。それで僕たちは入れてもらえるのかな?」


 イザベルが気を抜いていたら、付き添いであるはずの夫があれこれ先にこなしてしまう。人の捌き方には定評のあるランドルフだが、他の貴族の屋敷を前に少しだけ冷や汗をかいていた。


「デイナイン様……事前に申し付けて下さらねば、我らも困ってしまうのです。あまりにも突然のことにこちらも準備が」


「その点は承知して以後気をつけようと思うので、今日のところは融通を利かせてもらいたい。なにせ我が妻の願いなんだ……頼むよ」


「はぁ……とりあえず用件をお聞かせください。我が主のお客様ということでよろしいのでしょうか?」


これにはイザベルがかぶりを振って答えた。


「ハヤセ令息に、友人のイザベルが来たと伝えてくださる?それだけですべてわかるはずよ」


 その後、男は限界まで目を剥いて、「ハヤセ様……」と呟いたきり口を開け放していた。呆然自失みたいな態度を取る男の、豊かに蓄えられた白い髭がぶるっと震える。変なことは別に言っていないはずだ、とイザベルとランドルフはお互いに視線を送りあう。


「もしかして……ハヤセは外出中?それともどこかへ出仕中なのかしら?」


「あぁ……いえいえ。おります。すみませぬ、ハヤセ様のお客様を迎えることがあまりにめずらしくて。間抜けな表情を見せてしまいました」


 黒の制服の折り目を正しながら、男は軽くせき払いをした。イザベルは怪訝そうに眉をひそめながらも、いま一度大事なことを忘れずに尋ねておく。


「いるのなら、お会いしてもよろしいのかしら?やっぱり忙しいの?」


「おそらくハヤセ様は大丈夫かと存じます。廃嫡子となってからは暇を持て余していると聞きますし……。ご友人とも久々に会えてさぞや嬉しがるでしょう」


 あまりにも自然な口ぶりから、あまりにも語調に似つかわしくない「廃嫡」の単語の衝撃に、次はデイナイン夫妻が仰天する番であった。
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