5 / 75
05イザベル・デイナイン
しおりを挟むデビュタントから一月後には、イザベル・デイナインが夫を連れ立ってレイフィールド邸を目指していた。長い年月が過ぎても、ハヤセとイザベルは文通を交換し合うほどの大の仲良しだった。それは夫ができた時節からも変わらず、時おり近況を報告してはお互いにやり取りがなされてきた。そんな習慣も、デビュタント前に送ったハヤセへの手紙を最期に終わりを迎える。
ハヤセに何かあったのではないか、そう思うだけで居てもたってもいられない。デビュタントにて幼馴染の面影さえ辿ることのできなかったイザベルは、本丸への単身乗り込みを決意した。
「待ってくれ。急ぎすぎだイザベル……大切な君の服が汚れてしまうよ」
彼女の夫であるランドルフは妻の同行を申し出た。若き公爵家当主で、帝国参謀総長の肩書きを担う男は多忙だった。しかし愛する妻のためならばと公務を部下たちに放り投げ、最低限の身支度で職場を飛び出し、今に至る。
なぜ馬車の中でも男は肩を揺らし息を切らしているのか。それは全速力で妻のことを追ってきたからに他ならない。
「早く友人に会いたいの。今日だけは……ふふ、はしゃぐのを許してくださいな?」
「はしゃぐのは結構だが訪問先の相手は男だと聞いた…………。まさか君は」
「あら……、浮気を疑うなんてあなたらしくない。ハヤセは本当に素敵な人よ?これ見てくださる?」
文通の中の一枚をわざわざ持ってきており、それをランドルフにひょいと手渡す。紙には丁寧で細やかな文字が並んであった。
「綺麗な文字だね」
「内容を読んでくださいな。私たちの婚約を心の底から祝ってくれていますよ」
「…………、本当だ。会ってもいない僕のことまで褒めちぎってくれているじゃないか。気が利いているというかなんというか」
「その手紙以降……ハヤセから音沙汰はなし。直近のデビュタントにもいませんでしたから心配にもなるのです」
ランドルフは頭をかく素振りをした。
「単に忙しいだけな気がする。侯爵の跡取りなら覚えることだらけだろうしね」
「それだけじゃなくて……、デビュタントにハヤセの弟が紛れ込んでいたらしいのです。なぜかハヤセの代理と称して」
「まさしく取り込み中の体じゃないか。どこもおかしくはないよね?」
「おかしいことだらけでしょう。ハヤセの代理なら私や皇太子の前に挨拶に来るはずですが、それもなかったのですよ?結局会場では会えずじまい。どうして代理人なんかに任せたのか、どうして手紙を返してくれないのか……ハヤセには問い詰めたいことがいっぱいあるのです」
どうだ、と言わんばかりにイザベルは頬を膨らませ夫を見返す。感情任せに男の元へ飛び出したわけではないらしい。そうランドルフ側も認識した。だがイザベルの人脈にはまだ慣れることはないようで、男は面食らった。侯爵令息ならまだしも、皇太子と近しい女性など帝国に数えるほどしかいない。
「ロイゼン……レイフィールド……、君の実家のユンター……。すごい幼馴染がいたものだ」
「すごい組み合わせでしょう?これに私たちデイナイン家も合わせたら国が創れちゃいますね」
冗談よしてくれ、とランドルフは苦笑いを浮かべる。権威も領土も地位も、イザベルの言が絵空事ではなくて本当に創れそうなのが末恐ろしいところであろう。
~~~~~
帝都の郊外、雑踏の音よりも川辺の水音が耳を打つ行路を巡り、ようやく目的地が見えてきた。巨大で荘厳な屋敷と、それを守る門番の夥しい数。さすがに有力な侯爵家だけあって、その誉れにふさわしい佇まいをしている。
「初めて来ましたけれど……外装はずいぶんとゴツゴツしているんですね」
「オックス・レイフィールド侯爵は帝国近衛団団長。武闘派の筆頭だから予想通りではあったかな。あとイザベル、他人様の家に毒を吐くんじゃありません」
馬車から降りると、まるで異世界に迷い込んだかのよう。一面灰色の景色だ。広大な敷地の上には華やかさを添えるものはない。木立でも置いてやれば見映えも変わるはずだが、一面が敷石で埋められているのみ。
「確かに武人気質の家みたいだわ」
色彩が抜け落ちて景色がどこも一緒である。ただ大きいだけでつまらないというのがイザベルの抱いた印象で、彼女は不貞腐れたような顔で地面を見つめた。
「御予約のあったお客様でしょうか…………?何か御用件がありましたか」
「いや、予約は生憎していなくてね。こういうものなんだが……レイフィールドの知り合いの顔を見に来たんだ」
通りがかりの使用人と思しき初老の男性が、ランドルフに声をかけてくる。それにすかさずランドルフは家の紋章を堂々と相手に掲げてみせた。
「なんと……!!デイナイン公爵様!!これは、たいへん失礼な対応を」
「いいんだ。突然訪れたのはこちらなんだから……。それで僕たちは入れてもらえるのかな?」
イザベルが気を抜いていたら、付き添いであるはずの夫があれこれ先にこなしてしまう。人の捌き方には定評のあるランドルフだが、他の貴族の屋敷を前に少しだけ冷や汗をかいていた。
「デイナイン様……事前に申し付けて下さらねば、我らも困ってしまうのです。あまりにも突然のことにこちらも準備が」
「その点は承知して以後気をつけようと思うので、今日のところは融通を利かせてもらいたい。なにせ我が妻の願いなんだ……頼むよ」
「はぁ……とりあえず用件をお聞かせください。我が主のお客様ということでよろしいのでしょうか?」
これにはイザベルがかぶりを振って答えた。
「ハヤセ令息に、友人のイザベルが来たと伝えてくださる?それだけですべてわかるはずよ」
その後、男は限界まで目を剥いて、「ハヤセ様……」と呟いたきり口を開け放していた。呆然自失みたいな態度を取る男の、豊かに蓄えられた白い髭がぶるっと震える。変なことは別に言っていないはずだ、とイザベルとランドルフはお互いに視線を送りあう。
「もしかして……ハヤセは外出中?それともどこかへ出仕中なのかしら?」
「あぁ……いえいえ。おります。すみませぬ、ハヤセ様のお客様を迎えることがあまりにめずらしくて。間抜けな表情を見せてしまいました」
黒の制服の折り目を正しながら、男は軽くせき払いをした。イザベルは怪訝そうに眉をひそめながらも、いま一度大事なことを忘れずに尋ねておく。
「いるのなら、お会いしてもよろしいのかしら?やっぱり忙しいの?」
「おそらくハヤセ様は大丈夫かと存じます。廃嫡子となってからは暇を持て余していると聞きますし……。ご友人とも久々に会えてさぞや嬉しがるでしょう」
あまりにも自然な口ぶりから、あまりにも語調に似つかわしくない「廃嫡」の単語の衝撃に、次はデイナイン夫妻が仰天する番であった。
105
お気に入りに追加
910
あなたにおすすめの小説
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます
muku
BL
魔術師フィアリスは、地底の迷宮から湧き続ける魔物を倒す使命を担っているリトスロード侯爵家に雇われている。
仕事は魔物の駆除と、侯爵家三男エヴァンの家庭教師。
成人したエヴァンから突然恋心を告げられたフィアリスは、大いに戸惑うことになる。
何故ならフィアリスは、エヴァンの父とただならぬ関係にあったのだった。
汚れた自分には愛される価値がないと思いこむ美しい魔術師の青年と、そんな師を一心に愛し続ける弟子の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる