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【番外編】恋の運命(大学生編)
9.覚悟
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ホテルを出て、数時間前に一人で歩いた海岸線を伊勢谷の車で走る。
すっかり暗くなった海は、昼間と違って不気味に見えた。
こんな寒々とした海でも、好きな人と一緒に見れば、ロマンチックに見えるのかもしれない。
そんなことを考えて眺めていると、堤防の横に夜の闇の中でも目立つ真っ青なクーペが止まっていた。
雅治の車だった。
「伊勢谷さん!止めて!」
ファザートを点滅させて、伊勢谷は路肩に車を止めた。
「どうした?」
「雅治の車がある」
「彼、君を探してるんだな。どうする?」
「きっと心配してる。オレ、行ってくる」
伊勢谷は頷きながら「待ってようか?」と聞いた。
晶は考えた。
雅治はまだ怒っているかもしれない。
今は怒ってなくても、伊勢谷に迎えに来てもらったことを知ったら、怒るかもしれない。
どちらにしろ、帰る手段は確保しておいた方が安全だった。
「じゃあ、ちょっとここで待ってて」
雅治は真っ暗な車の中の運転席に座っていた。
後ろから車に向って歩いてくる晶には気づいていないようで、窓枠に肘をついて、手を顎の下にあて、ぼんやり遠くを見つめている。
晶を置いて走り去ったあとで、戻ってきてずっとここにいたのかと思うと、晶は胸が締め付けられるような気がした。
晶がフロントドアの横に立ち止まると、やっと雅治は晶に気づいた。
ドアを開けて、車外に出てくる。
口を開く前に一度、大きなため息を吐いた。
「晶、いったい、どこにいたんだ」
晶は指で「あそこ」と、道の前方を指差した。
「あそこ?」
「ラブホ」
「電話したんだけど」
「充電、切れて」
雅治は呆れたように顔を顰めたが、それでも晶が見つかったことにほっとしたように「帰ろう」と言った。
「迎えに来て貰ったんだ」
慌てて、晶は言った。
伊勢谷のことを黙っているわけにはいかなかった。
「誰に?」
「伊勢谷さん…」
今度はホテルとは逆の方向を指して、答える。
雅治は反対車線の路肩にファザードを点滅させて停車しているスカイラインを見て、眉間に皺を寄せた。
「つまり、今まで、伊勢谷さんとラブホにいたってことか」
「だけど、なにもしてない!」
雅治は自分の車のルーフに両手をついて、視線を足元に落とした。
「オレに、それを、信じろって?」
「ほんとに、やってねーもん。正直言うと、やっちゃおうかとは思ったんだ。だってオレ、すげえ、むしゃくしゃしてたし。どーせ雅治はオレが誰と寝たって構わないんだから、憂さ晴らしに伊勢谷さんと寝てもいいかって思った」
雅治は口を挟まないで、晶の言葉をただ聞いている。
「だけど…出来なかったんだ。一緒にベッドに横になったら、わーって泣けてきて。オレがあんまり激しく泣くもんだから、伊勢谷さん、引いちゃって…。で、帰ろうかって、なって」
その言葉を裏付けるように、晶の目は赤かった。
「あっ、そう。で、晶は今からどうするんだ。オレと帰る?それとも、彼と帰る?」
完璧に怒りモード全開の雅治の横に座ってドライブするのはかなり気鬱ではあったが、伊勢谷と帰る、と言えるわけもなかった。
何故かまた涙が込み上げて来て、晶はしゃくりあげながら「雅治と帰る」と答えた。
雅治は「わかった」と、晶の頭に手を置き、「乗ってて。オレは伊勢谷さんに、お礼を言ってくるから」と言った。
雅治は、伊勢谷に迷惑をかけたことを詫びた。
「構わないよ。オレは隙があればつけこませてもらおうと思ってるだけだからね。君にとって晶君が重荷なら、いつでも引き受ける」
「重荷って、どういう意味ですか」
「持て余しているように見える、ってことだ」
「そんなことありませんので、ご心配には及びません」
強気な雅治に、伊勢谷は不敵な笑みを浮かべて言った。
「晶君は、女以上に甘えたがりで構われたがりだ。ほっておかれることが、なにより苦痛なんだ。君が彼の望みを適えられるとは到底思えないね。現に、彼に寂しい思いをさせている。オレなら、たっぷり彼を甘やかしてやれるよ。時間も金もかけて、快楽を覚えさせ、オレがいなければ夜も明けない身体にしてやってもいい。彼はそういう愛情を望んでいる」
「なんですかそれ、中年の夢ですか」
伊勢谷の笑みは苦笑に変わった。
「案外口が悪いな、君は」
「あいにく、オレは晶を自分の思い通りにしたいなんて思ってません。自分の思い通りになる人間なんかつまらないでしょう。晶は誰の思い通りにもならないから、オレにとって意味があるんです。手に入らないんですよ、永遠に」
「あんなに君に惚れているのに?」
「想われているから所有していることにはならない」
「君は随分、わきまえがあるんだな」
感心したように伊勢谷は言う。
「だけど、正直じゃない。君が晶君を独占しないように自制しているのは、自分に自信がないからじゃないのか。君たちは相手を自分のものにすることを、怖がっているだけなんだろ。そういうのは、うまいやり方のように見えて、案外脆いと思うね」
その言葉にはっとしたように雅治は目を瞠った。
「ふーん、図星か。まあ、わからなくもないけどね。男同士で付き合っていることで、君たちはいつか終わりがくると決めつけている。覚悟が足りないんだよ、覚悟が」
雅治は一瞬、息を飲んだ。
伊勢谷に言われた言葉に打たれたように、しばらく身じろぎすらしなかった。
「覚悟、ですか」
そう呟いて、一度地面に伏せた視線を再び伊勢谷に向けたとき、表情が変っていた。
その言葉が雅治の中でなにか大事なことを決定づけたようだった。
「いつか、あなたに見せつけます。オレの覚悟をね」
伊勢谷は大声で笑った。
器用なのか不器用なのかわからない若い恋人たちの恋の行方が、楽しみに思えて引き下がる気になった。
「そのいつかを楽しみにしてるよ」
そう言って雅治と別れたときには、後年、まさか本当に雅治に「覚悟」を見せつけられる日が来るとは思ってもみなかった。
小田切雅治はマスコミを使って記者会見までして、伊勢谷どころか全国に自分の覚悟を見せつけたのだ。
すっかり暗くなった海は、昼間と違って不気味に見えた。
こんな寒々とした海でも、好きな人と一緒に見れば、ロマンチックに見えるのかもしれない。
そんなことを考えて眺めていると、堤防の横に夜の闇の中でも目立つ真っ青なクーペが止まっていた。
雅治の車だった。
「伊勢谷さん!止めて!」
ファザートを点滅させて、伊勢谷は路肩に車を止めた。
「どうした?」
「雅治の車がある」
「彼、君を探してるんだな。どうする?」
「きっと心配してる。オレ、行ってくる」
伊勢谷は頷きながら「待ってようか?」と聞いた。
晶は考えた。
雅治はまだ怒っているかもしれない。
今は怒ってなくても、伊勢谷に迎えに来てもらったことを知ったら、怒るかもしれない。
どちらにしろ、帰る手段は確保しておいた方が安全だった。
「じゃあ、ちょっとここで待ってて」
雅治は真っ暗な車の中の運転席に座っていた。
後ろから車に向って歩いてくる晶には気づいていないようで、窓枠に肘をついて、手を顎の下にあて、ぼんやり遠くを見つめている。
晶を置いて走り去ったあとで、戻ってきてずっとここにいたのかと思うと、晶は胸が締め付けられるような気がした。
晶がフロントドアの横に立ち止まると、やっと雅治は晶に気づいた。
ドアを開けて、車外に出てくる。
口を開く前に一度、大きなため息を吐いた。
「晶、いったい、どこにいたんだ」
晶は指で「あそこ」と、道の前方を指差した。
「あそこ?」
「ラブホ」
「電話したんだけど」
「充電、切れて」
雅治は呆れたように顔を顰めたが、それでも晶が見つかったことにほっとしたように「帰ろう」と言った。
「迎えに来て貰ったんだ」
慌てて、晶は言った。
伊勢谷のことを黙っているわけにはいかなかった。
「誰に?」
「伊勢谷さん…」
今度はホテルとは逆の方向を指して、答える。
雅治は反対車線の路肩にファザードを点滅させて停車しているスカイラインを見て、眉間に皺を寄せた。
「つまり、今まで、伊勢谷さんとラブホにいたってことか」
「だけど、なにもしてない!」
雅治は自分の車のルーフに両手をついて、視線を足元に落とした。
「オレに、それを、信じろって?」
「ほんとに、やってねーもん。正直言うと、やっちゃおうかとは思ったんだ。だってオレ、すげえ、むしゃくしゃしてたし。どーせ雅治はオレが誰と寝たって構わないんだから、憂さ晴らしに伊勢谷さんと寝てもいいかって思った」
雅治は口を挟まないで、晶の言葉をただ聞いている。
「だけど…出来なかったんだ。一緒にベッドに横になったら、わーって泣けてきて。オレがあんまり激しく泣くもんだから、伊勢谷さん、引いちゃって…。で、帰ろうかって、なって」
その言葉を裏付けるように、晶の目は赤かった。
「あっ、そう。で、晶は今からどうするんだ。オレと帰る?それとも、彼と帰る?」
完璧に怒りモード全開の雅治の横に座ってドライブするのはかなり気鬱ではあったが、伊勢谷と帰る、と言えるわけもなかった。
何故かまた涙が込み上げて来て、晶はしゃくりあげながら「雅治と帰る」と答えた。
雅治は「わかった」と、晶の頭に手を置き、「乗ってて。オレは伊勢谷さんに、お礼を言ってくるから」と言った。
雅治は、伊勢谷に迷惑をかけたことを詫びた。
「構わないよ。オレは隙があればつけこませてもらおうと思ってるだけだからね。君にとって晶君が重荷なら、いつでも引き受ける」
「重荷って、どういう意味ですか」
「持て余しているように見える、ってことだ」
「そんなことありませんので、ご心配には及びません」
強気な雅治に、伊勢谷は不敵な笑みを浮かべて言った。
「晶君は、女以上に甘えたがりで構われたがりだ。ほっておかれることが、なにより苦痛なんだ。君が彼の望みを適えられるとは到底思えないね。現に、彼に寂しい思いをさせている。オレなら、たっぷり彼を甘やかしてやれるよ。時間も金もかけて、快楽を覚えさせ、オレがいなければ夜も明けない身体にしてやってもいい。彼はそういう愛情を望んでいる」
「なんですかそれ、中年の夢ですか」
伊勢谷の笑みは苦笑に変わった。
「案外口が悪いな、君は」
「あいにく、オレは晶を自分の思い通りにしたいなんて思ってません。自分の思い通りになる人間なんかつまらないでしょう。晶は誰の思い通りにもならないから、オレにとって意味があるんです。手に入らないんですよ、永遠に」
「あんなに君に惚れているのに?」
「想われているから所有していることにはならない」
「君は随分、わきまえがあるんだな」
感心したように伊勢谷は言う。
「だけど、正直じゃない。君が晶君を独占しないように自制しているのは、自分に自信がないからじゃないのか。君たちは相手を自分のものにすることを、怖がっているだけなんだろ。そういうのは、うまいやり方のように見えて、案外脆いと思うね」
その言葉にはっとしたように雅治は目を瞠った。
「ふーん、図星か。まあ、わからなくもないけどね。男同士で付き合っていることで、君たちはいつか終わりがくると決めつけている。覚悟が足りないんだよ、覚悟が」
雅治は一瞬、息を飲んだ。
伊勢谷に言われた言葉に打たれたように、しばらく身じろぎすらしなかった。
「覚悟、ですか」
そう呟いて、一度地面に伏せた視線を再び伊勢谷に向けたとき、表情が変っていた。
その言葉が雅治の中でなにか大事なことを決定づけたようだった。
「いつか、あなたに見せつけます。オレの覚悟をね」
伊勢谷は大声で笑った。
器用なのか不器用なのかわからない若い恋人たちの恋の行方が、楽しみに思えて引き下がる気になった。
「そのいつかを楽しみにしてるよ」
そう言って雅治と別れたときには、後年、まさか本当に雅治に「覚悟」を見せつけられる日が来るとは思ってもみなかった。
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