上 下
55 / 62
第七章≪過去≫

9.海辺の街

しおりを挟む
翌日、わたしと翔平は神奈川県三浦市の海辺の街に来ていた。
小鳥遊先生は、わたしが子供の頃に何をされたのかは、教えてくれなかった。
翔平と二人で、なんとか聞くことが出来たのは、わたしが子供の頃に住んでいた街の名前だ。

「港がある海辺の街で、花音ちゃんのお父さんはピアノ教室をしていたって聞いたわ」
小鳥遊先生はそう言った。

ピアノはわたしの記憶にもある。
兄はピアノが上手だった。

山梨からその街まで辿り着くのも、結構大変だった。
バスに乗って、在来線を何度か乗り換えて、また、バスに乗った。

昼間の路線バスは他に乗ってる人はいなかった。
窓から見える景色を、記憶と照らし合わせても、まったく懐かしさはなかった。

翔平は、電車でもバスの中でも無口だった。
「翔平、ごめんね。せっかくの週末を、こんなことに付き合わせちゃって」
「そんなこと、いいんだ。気にするな」
「でも、なんだか、怒ってるみたい」

翔平は、滅多に怒ることがない。だから、わかりづらいけど、わたしには、わかる。

「花音に、怒ってるんじゃない。おまえ、昨夜も、うなされてた」
「えっ」

昨日、わたしと翔平は、病院に泊まった。
帰りのバスがもうなくて、タクシーで帰ろうと思ったら、小鳥遊先生が、泊まっていきなさいと言ってくれた。
病院は、入院患者さんの面会に来る家族のために、同じ敷地に宿泊施設が用意されていた。

ただ、婚約者って嘘をついたわたしたちは、当然のように、ツインベッドの同じ部屋を充てがわれた。

「ごめん、ね。眠れなかったでしょ?」
「そんなこと、どうでもいいんだ。オレが、許せないのは、奏さんだよ。あんな、苦しそうな声で、泣くようなことをしたとしたら…」

翔平は、ぎゅっと、強く拳を握って、言った。

「わたし…わたしには、まだ、わからないよ」

兄に対して、怒りは、まだない。
むしろ、兄が恋しい。
会いたい。
触れたい。
抱きしめられたい。
「花音」って、甘い声で呼んで欲しい。
いやらしいこと、して欲しい。
二人だけの秘密の、行為を。

ああ、わたしはなんて、いやらしい女なんだろう。
もし、兄が幼いわたしをレイプしたとしても、わたしにそれを責める権利はあるのだろうか。




***



わたしと、兄と、お父さん、お母さんの四人で住んでいた家は、まだ、昔のまま、そこにあった。

意外にも洋風の大きな家で、広い庭もあった。
ただし、庭には雑草が生い茂り、家を囲む木の柵も、傷んでボロボロだった。

まるで時の中に置き去りにされたような家の門には、「ゆいのピアノ教室」と書かれたプレートがあった。

「ここが、わたしが生まれた家?」
「花音、覚えてない?」
「なんとなく。あの、ウッドデッキがある部屋が、お父さんの教室だったと思う。子供たちが、たくさん、通って来てた…の」

わたしと翔平は、家の前で、呆然と立ちすくんでいた。

この場所を探し出すために、何人かの人に、「昔、ピアノ教室があった家を知りませんか?」と聞いた。
知ってる人は一様に、顔をしかめて、同じことを言ったのだ。
「あの、事件のあったピアノ教室?」

「あの、この家になにか用ですか?」
窓からわたしたちを見て、不審に思ったのか、隣の家から女の人が出てきて、言った。

「いえ、あの、すみません」
慌てて言うと、お母さんと同じ年齢くらいのその女の人は、わたしの顔を見て、驚いた表情になった。
「花音ちゃん?あなた、花音ちゃんでしょう!」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【R18】今夜、私は義父に抱かれる

umi
恋愛
封じられた初恋が、時を経て三人の男女の運命を狂わせる。メリバ好きさんにおくる、禁断のエロスファンタジー。 一章 初夜:幸せな若妻に迫る義父の魔手。夫が留守のある夜、とうとう義父が牙を剥き──。悲劇の始まりの、ある夜のお話。 二章 接吻:悪夢の一夜が明け、義父は嫁を手元に囲った。が、事の最中に戻ったかに思われた娘の幼少時代の記憶は、夜が明けるとまた元通りに封じられていた。若妻の心が夫に戻ってしまったことを知って絶望した義父は、再び力づくで娘を手に入れようと──。 【共通】 *中世欧州風ファンタジー。 *立派なお屋敷に使用人が何人もいるようなおうちです。旦那様、奥様、若旦那様、若奥様、みたいな。国、服装、髪や目の色などは、お好きな設定で読んでください。 *女性向け。女の子至上主義の切ないエロスを目指してます。 *一章、二章とも、途中で無理矢理→溺愛→に豹変します。二章はその後闇落ち展開。思ってたのとちがう(スン)…な場合はそっ閉じでスルーいただけると幸いです。 *ムーンライトノベルズ様にも旧バージョンで投稿しています。 ※同タイトルの過去作『今夜、私は義父に抱かれる』を改編しました。2021/12/25

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

【完結】堕ちた令嬢

マー子
恋愛
・R18・無理矢理?・監禁×孕ませ ・ハピエン ※レイプや陵辱などの表現があります!苦手な方は御遠慮下さい。 〜ストーリー〜 裕福ではないが、父と母と私の三人平凡で幸せな日々を過ごしていた。 素敵な婚約者もいて、学園を卒業したらすぐに結婚するはずだった。 それなのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう⋯? ◇人物の表現が『彼』『彼女』『ヤツ』などで、殆ど名前が出てきません。なるべく表現する人は統一してますが、途中分からなくても多分コイツだろう?と温かい目で見守って下さい。 ◇後半やっと彼の目的が分かります。 ◇切ないけれど、ハッピーエンドを目指しました。 ◇全8話+その後で完結

絶倫彼は私を離さない~あぁ、私は貴方の虜で快楽に堕ちる~

一ノ瀬 彩音
恋愛
私の彼氏は絶倫で、毎日愛されていく私は、すっかり彼の虜になってしまうのですが そんな彼が大好きなのです。 今日も可愛がられている私は、意地悪な彼氏に愛され続けていき、 次第に染め上げられてしまうのですが……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

処理中です...