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第七章≪過去≫
3.偶然の再会
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専門学校に通うようになってから、兄に車での送迎をやめてもらった。
兄を説得するのは大変だったけど、学校の帰りに友達とカフェに寄ることもあるし、晩ご飯の買い物だってしたい、わたしだって自分の時間が欲しいと訴えて、なんとか納得してもらった。
あの事件のこともあって、兄がわたしを心配してくれるのはわかるけど、わたしは一人の大人として、自立したかった。
兄がいないと何もできないような、守られるだけの存在でいたくない。
***
学校帰りにスーパーで買い物をしていたときだった。
偶然、長谷川さんに、会った。
「花音さん…」
「長谷川さん」
レジに並ぼうとしたタイミングであまりにばったり対面してしまって、お互いに避けることが出来なかった。
どうしよう、って戸惑っていると、
「お元気そうで、よかった」
長谷川さんはそう言って、笑顔を見せた。
うちの家政婦さんをしていた頃、長谷川さんがこんなふうに穏やかに笑った顔を見たことはなかった。
長谷川さんはわたしの買い物かごの中を見て「お料理は花音さんが?」と、聞いた。
「はい。長谷川さんのように、美味しくは出来ないけど、頑張っています」
わたしは答えた。
「花音さん、もし、よかったらお茶でも飲みませんか。あの、そこで」
スーパーの一角にあるコーヒーショップを指差して、長谷川さんは言った。
「あ、はい」
わたしは、頷いて答えた。
***
「奏さんから、聞きましたか。わたしと、甥のこと」
手元のコーヒーに視線を落として、長谷川さんは聞いた。
「長谷川さんと、甥御さんのこと、ですか?いいえ、兄からは何も聞いてません」
「そうですか。甥は、拓真は、戸籍上はわたしの兄の子供、ということになっているんですが、本当は、わたしと兄の子なんです」
「え…」
思いがけない告白に、わたしは絶句した。
「わたしと兄も、長い間、そういう関係、でした。だから、奏さんと花音さんの関係にも、すぐに気づいたんですよ。多分、他の家政婦なら、仲の良い兄妹と、疑わなかったと思います。まさか兄妹で、って、普通は思うでしょう」
長谷川さんは、淡々とそう話した。
わたしは言葉が出ない。
「初めて兄とそういうことになったとき、わたしはまだ12歳でした。拓真を妊娠したのは、17歳です」
「じゅ、12歳って、まさか…」
「ええ、無理矢理、でした。それからも、度々…」
わたしは一瞬、あのことを、思い出した。
暴力を受けた、あのことを。
あんなことを、12歳で、しかもお兄さんから?
そんなこと、考えられない。
「父はとても厳格な人で、母はそんな父の機嫌ばかり伺っているような人でした。だから、妊娠していることを誰にも言えず、一人で悩んでいる間に、中絶出来ないほど、時が立ってしまって」
「だから、産んだんですか?」
何か言わなくちゃ、そんな気持ちでやっと出た言葉がそれだった。
「ええ。父と母は激怒しました。わたしは拓真を産んだあと、両親に絶縁され、拓真は奪われて、兄夫婦の子供ということにされたんです」
「お兄さん、結婚していたんですか?」
長谷川さんは頷いた。
「拓真を育ててくれた義姉には、感謝しています。でも義姉は、長い間、兄のことも、わたしのことも、恨んでいたんでしょうね。拓真が高校生の頃、真実を教えてしまったんです。それがきっかけで、あの子の人生は滅茶滅茶になってしまいました」
長谷川さんのコーヒーも、わたしの紅茶も、すっかり冷たくなってしまった。
「母は二年前に、亡くなりましたが、死ぬ間際ですら、娘であるわたしに会おうとはしませんでした。わたしのことは、最期まで許せなかったんです」
長谷川さんのその言葉に、わたしははっとした。
似た言葉を、どこかで、聞いたことがある。
「奏さんには、感謝しています。奏さんは、拓真の脅迫には応じなかった。それはそうでしょうね。あんな写真、どこにも出せませんよ」
あんな写真、と言って長谷川さんは眉をひそめた。
わたしは写真を見ていないけど、ベッドで兄に抱かれたところを映されたなら、それはかなり卑猥で破廉恥な写真なんだと思う。
長谷川さんに軽蔑されているように思えて、消えてしまいたくなる。
「ごめんなさい。そういうつもりじゃないんです。拓真が浅はかだってことです」
長谷川さんはそう言ってわたしを慰めた。
「奏さんは、同情してくれたんでしょうね、お金を貸してくれたんです。借りたお金で闇金には返済して、拓真は今、運送会社でドライバーをしています。お金は少しずつ、お返ししたいと思っています」
「そう…なんですか」
兄はわたしにはお金は払わなかったと言ったけど、支援という形で長谷川さんを助けたんだ。
でも今はそのことは、あまり考えられない。
「花音さん。あなたと奏さんは、わたしと兄とは違うんでしょう。お二人は、お互いを大切に想ってらっしゃるから。でもね、他人に言えない関係は、自分たちだけでなく、周りの人を不幸にするんです。やめたほうが、いいと、わたしは思います」
長谷川さんの声が、遠くに感じる。
わたしは、わたしの中をさまよっていた。
そして、あの夢を、反芻していた。
兄を説得するのは大変だったけど、学校の帰りに友達とカフェに寄ることもあるし、晩ご飯の買い物だってしたい、わたしだって自分の時間が欲しいと訴えて、なんとか納得してもらった。
あの事件のこともあって、兄がわたしを心配してくれるのはわかるけど、わたしは一人の大人として、自立したかった。
兄がいないと何もできないような、守られるだけの存在でいたくない。
***
学校帰りにスーパーで買い物をしていたときだった。
偶然、長谷川さんに、会った。
「花音さん…」
「長谷川さん」
レジに並ぼうとしたタイミングであまりにばったり対面してしまって、お互いに避けることが出来なかった。
どうしよう、って戸惑っていると、
「お元気そうで、よかった」
長谷川さんはそう言って、笑顔を見せた。
うちの家政婦さんをしていた頃、長谷川さんがこんなふうに穏やかに笑った顔を見たことはなかった。
長谷川さんはわたしの買い物かごの中を見て「お料理は花音さんが?」と、聞いた。
「はい。長谷川さんのように、美味しくは出来ないけど、頑張っています」
わたしは答えた。
「花音さん、もし、よかったらお茶でも飲みませんか。あの、そこで」
スーパーの一角にあるコーヒーショップを指差して、長谷川さんは言った。
「あ、はい」
わたしは、頷いて答えた。
***
「奏さんから、聞きましたか。わたしと、甥のこと」
手元のコーヒーに視線を落として、長谷川さんは聞いた。
「長谷川さんと、甥御さんのこと、ですか?いいえ、兄からは何も聞いてません」
「そうですか。甥は、拓真は、戸籍上はわたしの兄の子供、ということになっているんですが、本当は、わたしと兄の子なんです」
「え…」
思いがけない告白に、わたしは絶句した。
「わたしと兄も、長い間、そういう関係、でした。だから、奏さんと花音さんの関係にも、すぐに気づいたんですよ。多分、他の家政婦なら、仲の良い兄妹と、疑わなかったと思います。まさか兄妹で、って、普通は思うでしょう」
長谷川さんは、淡々とそう話した。
わたしは言葉が出ない。
「初めて兄とそういうことになったとき、わたしはまだ12歳でした。拓真を妊娠したのは、17歳です」
「じゅ、12歳って、まさか…」
「ええ、無理矢理、でした。それからも、度々…」
わたしは一瞬、あのことを、思い出した。
暴力を受けた、あのことを。
あんなことを、12歳で、しかもお兄さんから?
そんなこと、考えられない。
「父はとても厳格な人で、母はそんな父の機嫌ばかり伺っているような人でした。だから、妊娠していることを誰にも言えず、一人で悩んでいる間に、中絶出来ないほど、時が立ってしまって」
「だから、産んだんですか?」
何か言わなくちゃ、そんな気持ちでやっと出た言葉がそれだった。
「ええ。父と母は激怒しました。わたしは拓真を産んだあと、両親に絶縁され、拓真は奪われて、兄夫婦の子供ということにされたんです」
「お兄さん、結婚していたんですか?」
長谷川さんは頷いた。
「拓真を育ててくれた義姉には、感謝しています。でも義姉は、長い間、兄のことも、わたしのことも、恨んでいたんでしょうね。拓真が高校生の頃、真実を教えてしまったんです。それがきっかけで、あの子の人生は滅茶滅茶になってしまいました」
長谷川さんのコーヒーも、わたしの紅茶も、すっかり冷たくなってしまった。
「母は二年前に、亡くなりましたが、死ぬ間際ですら、娘であるわたしに会おうとはしませんでした。わたしのことは、最期まで許せなかったんです」
長谷川さんのその言葉に、わたしははっとした。
似た言葉を、どこかで、聞いたことがある。
「奏さんには、感謝しています。奏さんは、拓真の脅迫には応じなかった。それはそうでしょうね。あんな写真、どこにも出せませんよ」
あんな写真、と言って長谷川さんは眉をひそめた。
わたしは写真を見ていないけど、ベッドで兄に抱かれたところを映されたなら、それはかなり卑猥で破廉恥な写真なんだと思う。
長谷川さんに軽蔑されているように思えて、消えてしまいたくなる。
「ごめんなさい。そういうつもりじゃないんです。拓真が浅はかだってことです」
長谷川さんはそう言ってわたしを慰めた。
「奏さんは、同情してくれたんでしょうね、お金を貸してくれたんです。借りたお金で闇金には返済して、拓真は今、運送会社でドライバーをしています。お金は少しずつ、お返ししたいと思っています」
「そう…なんですか」
兄はわたしにはお金は払わなかったと言ったけど、支援という形で長谷川さんを助けたんだ。
でも今はそのことは、あまり考えられない。
「花音さん。あなたと奏さんは、わたしと兄とは違うんでしょう。お二人は、お互いを大切に想ってらっしゃるから。でもね、他人に言えない関係は、自分たちだけでなく、周りの人を不幸にするんです。やめたほうが、いいと、わたしは思います」
長谷川さんの声が、遠くに感じる。
わたしは、わたしの中をさまよっていた。
そして、あの夢を、反芻していた。
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