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梅花は蕾めるに香あり
1.御曹司
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高谷に面白い子供がいると話を持ちかけてきたのは、青龍会配下の広岡組の組長広岡徳馬だった。
広岡組は土地買収予定地の買収済の空き地を利用して、ホームレスの宿泊施設を運営している。
要は生活保護費を搾取する、貧困ビジネスだが、その施設に市民団体が抗議活動をはじめたという。
そのリーダーが、高校生だと言うのだが、素性を洗うと大物の子息だった。
広岡としては対応に苦慮して、問題を高谷に預けたという側面もある。
高谷がその施設に出向いてみると、施設の前の歩道にプラカードを掲げた十数名の人間がいた。
高谷を乗せた車はクラクションを鳴らして道を開けさせ、敷地に入った。
高谷が車から降りると、中心に立っていた若い男が、前に出てきて睨みつけるように言った。
「この施設の関係者の方ですか。話を聞いて下さい」
「いいだろう、中に入れ。ただし、代表一人だけだ。それでも来るか」
高谷の返答に、集団からはブーイングがあがったが、若い男がそれを止めた。
「一人で行きます」
野々村光。
それが、その男の名前だった。
まだ容貌に少年の名残りすらある、青年だった。
高谷の目の前に差し出された名刺には、「非営利団体・都民ボランティアneed代表」と、肩書きが書かれていた。
施設で生活しているホームレスの環境改善が、野々村光の要求だった。
確かに住み心地がいいとは言えない環境だ。
作りはプレハブで、6畳程に区切られた一室に二段ベッドが二つ、一部屋を4人でシェアしていることになる。
食堂は別のプレハブで、そこにはテレビがあり、娯楽室を兼ねているらしい。
高谷はその食堂兼娯楽室で、光と向かい合って座った。
それまで、そこでテレビを見ていた男たちは、空気を読んで静かに退出した。
「ここの環境はあまりに酷すぎます。せめて、一部屋に二人にしてください。それと、生活保護費を全額徴収するのをやめて、宿泊費を払ってもらうように、お願いします」
こういった施設では、個人に支給される生活保護費を施設で全額徴収し、施設は食事と寝る場所と、一日数百円の小遣いを渡す、というシステムで運営している場合が多い。
「広岡からは、入居者に不満はないと聞いている。もし不満があるなら、出ていけばいいだろう」
高谷は言った。
入居者は強制されて施設にいるわけではない。
出ていきたければいつでも出ていける。
実際に、いくら食事と寝る場所が保証されていても、他人と同じ空間にいられずに、ホームレスに戻る者も多い。
「不満があっても、言えるわけないでしょう、ヤクザ相手に」
光は、臆する事なく言い放った。
怖いとは思っていない、そんな目だ。
「なるほど。おまえがヤクザ相手にそんな口を訊けるのは父親のせいか」
光の顔色が変わった。
自分の素性を知られているとは思っていなかったのだろう。
「無事に帰れることを外務大臣の親父さんに感謝して、友達を連れてとっとと消えろ。ここは子供の遊び場じゃない」
「いいえ、帰りません。せめて、食事の質だけでもあげて下さい。今の食事では、必要カロリーが足りていません!」
「何を根拠に、言っている」
光は持っていた鞄から、白い紙の束を出して、テーブルに叩きつけた。
「一週間分の食事の内容をカロリー計算しています。それと、改善案です。収支も計算してあります。これだけ儲けがあれば、充分でしょう」
高谷は光の出した紙には触れずに、言った。
「毎日歩道を占拠されて抗議活動されるのは迷惑だ。あれを続けるなら、この施設は撤去させる。別に、こんなケチな仕事はする必要はないんでね。入居者には、おまえが、ここより快適な施設を探してやるんだな」
高谷の言葉に、光は動揺した。
「待ってください!無理です、それは。ここがなくなったら、あの人たちはまた、ホームレスになるしかない!」
「本人たち次第だろう。誰にでも生きる場所を選ぶ権利はある。おまえがやってることは、自分の安い正義感を振りかざして、他人を巻き込んでるだけだ」
「そんなこと、あなたに言われなくてもわかっています。でも、じゃあ、どうすればいいんですか?どうすれば、弱い人たちを救えるんですか」
「他人を救う?おまえは何様のつもりだ」
高谷の声のトーンに、光は怯んだ。
怒らせてはいけない男を、怒らせたとわかる。
けれど、光は、どうなっても構わなかった。
正しい答えをくれるなら、誰にでも縋るし、殺されたっていい。
「公園で暮らしていたホームレスに付き添って、区役所に生活保護の申請に行ったことがあります。でも、無駄だった。いろんな理由で却下された。なのにどうして、この施設に入れば、申請が通るんですか」
「判断してるのが人間だからだろう。誰でも、面倒に関わりたくないからな」
「僕に、力がないせいですか」
「権力なら、おまえにも使えるコネがあるだろう。ヤクザがしていることは、せいぜい暴力をチラつかせるくらいのことだと思うが」
「そんなの、おかしい。不公平だ。本当に必要な人に支給されず、暴力団の資金源になるとわかっているのに支給させるなんて」
「今はシノギも難しい。国庫から巻き上げるのが、一番簡単だ。自分の財布じゃないから、紐が緩いんだよ。ヤクザじゃなくても、不正に受給している奴はごまんといる」
「仕組みが悪いのは理解しています。でもそれを変えるのは時間がかかる。今、目の前にいる人を助けることは出来ません」
「おまえとそんな議論をしている時間はない。どうするんだ、抗議を続けるのか」
光は、しばらく黙って高谷の顔を見ていた。
「わかりました。抗議活動は、やめます。そのかわり、食事の差し入れを認めて下さい。定期的な、炊き出しも」
「好きにしろ。広岡には言っておく」
***
子供の頃、クリスマスはボランティア活動に熱心だった母に連れられて教会にいた。
孤児にプレゼントを、ホームレスには温かい食事を、手ずから渡す母の姿は美しく、尊いものに思えた。
もともと姿の美しい母の美しい行いは、まるで聖母のようだと人に讃えられた。
けれど成長して、光は気づいた。
母は、貧しい人たちに施しをする自分自身に、陶酔しているだけなのだと。
手に余るほど多くを持ったものが、持たないものに分配する。
そうすることで多少、持ち分が減っても、たいしたことではない。
けれど、その少しの糧で、今日の命が繋がる人間もいる。
教会でホームレスの手を握った母は、家に帰ると、除菌石鹸で念入りに手を洗っていた。
それでも光は母を偽善者と軽蔑することはなかった。
かつて舞台でヒロインを演じていたときのように、母は常に観客の目を意識した行動をとっていたに過ぎない。
そして、その裏で道ならぬ恋に身を焦がしていた。
今でも母は自分の人生の主役を演じ続けている。
光は高校生になると部活動はせずに、自らボランティア団体を作って、主にホームレスの救済を目的に活動するようになった。
その活動で、光は世の中の不条理を目の当たりにした。
人がホームレスになる事情は人それぞれで、中には自業自得だと思う場合もあるし、また中には社会のルールや人気関係に縛られることを厭い、好きでやっている人間もいる。
けれど、不運が重なって、生きる術が他にないという人間もいる。
もともと貧しい家庭に生まれ、まともに学校に行っておらず、だからまともな職につけない。
人の嫌がるような仕事に就いても、職場で字が読めないことや非常識を馬鹿にされ続かない。
そういう人間は、生活保護を受給して生きる権利があることさえ知らない。
光は自分が、今まで何不自由なく生きてきたことを恥じ、生まれた場所の違いで受ける恩恵に差があることに疑問を抱いた。
自分という存在の罪滅ぼしのように、ボランティア活動にのめり込んだ。
広岡組は土地買収予定地の買収済の空き地を利用して、ホームレスの宿泊施設を運営している。
要は生活保護費を搾取する、貧困ビジネスだが、その施設に市民団体が抗議活動をはじめたという。
そのリーダーが、高校生だと言うのだが、素性を洗うと大物の子息だった。
広岡としては対応に苦慮して、問題を高谷に預けたという側面もある。
高谷がその施設に出向いてみると、施設の前の歩道にプラカードを掲げた十数名の人間がいた。
高谷を乗せた車はクラクションを鳴らして道を開けさせ、敷地に入った。
高谷が車から降りると、中心に立っていた若い男が、前に出てきて睨みつけるように言った。
「この施設の関係者の方ですか。話を聞いて下さい」
「いいだろう、中に入れ。ただし、代表一人だけだ。それでも来るか」
高谷の返答に、集団からはブーイングがあがったが、若い男がそれを止めた。
「一人で行きます」
野々村光。
それが、その男の名前だった。
まだ容貌に少年の名残りすらある、青年だった。
高谷の目の前に差し出された名刺には、「非営利団体・都民ボランティアneed代表」と、肩書きが書かれていた。
施設で生活しているホームレスの環境改善が、野々村光の要求だった。
確かに住み心地がいいとは言えない環境だ。
作りはプレハブで、6畳程に区切られた一室に二段ベッドが二つ、一部屋を4人でシェアしていることになる。
食堂は別のプレハブで、そこにはテレビがあり、娯楽室を兼ねているらしい。
高谷はその食堂兼娯楽室で、光と向かい合って座った。
それまで、そこでテレビを見ていた男たちは、空気を読んで静かに退出した。
「ここの環境はあまりに酷すぎます。せめて、一部屋に二人にしてください。それと、生活保護費を全額徴収するのをやめて、宿泊費を払ってもらうように、お願いします」
こういった施設では、個人に支給される生活保護費を施設で全額徴収し、施設は食事と寝る場所と、一日数百円の小遣いを渡す、というシステムで運営している場合が多い。
「広岡からは、入居者に不満はないと聞いている。もし不満があるなら、出ていけばいいだろう」
高谷は言った。
入居者は強制されて施設にいるわけではない。
出ていきたければいつでも出ていける。
実際に、いくら食事と寝る場所が保証されていても、他人と同じ空間にいられずに、ホームレスに戻る者も多い。
「不満があっても、言えるわけないでしょう、ヤクザ相手に」
光は、臆する事なく言い放った。
怖いとは思っていない、そんな目だ。
「なるほど。おまえがヤクザ相手にそんな口を訊けるのは父親のせいか」
光の顔色が変わった。
自分の素性を知られているとは思っていなかったのだろう。
「無事に帰れることを外務大臣の親父さんに感謝して、友達を連れてとっとと消えろ。ここは子供の遊び場じゃない」
「いいえ、帰りません。せめて、食事の質だけでもあげて下さい。今の食事では、必要カロリーが足りていません!」
「何を根拠に、言っている」
光は持っていた鞄から、白い紙の束を出して、テーブルに叩きつけた。
「一週間分の食事の内容をカロリー計算しています。それと、改善案です。収支も計算してあります。これだけ儲けがあれば、充分でしょう」
高谷は光の出した紙には触れずに、言った。
「毎日歩道を占拠されて抗議活動されるのは迷惑だ。あれを続けるなら、この施設は撤去させる。別に、こんなケチな仕事はする必要はないんでね。入居者には、おまえが、ここより快適な施設を探してやるんだな」
高谷の言葉に、光は動揺した。
「待ってください!無理です、それは。ここがなくなったら、あの人たちはまた、ホームレスになるしかない!」
「本人たち次第だろう。誰にでも生きる場所を選ぶ権利はある。おまえがやってることは、自分の安い正義感を振りかざして、他人を巻き込んでるだけだ」
「そんなこと、あなたに言われなくてもわかっています。でも、じゃあ、どうすればいいんですか?どうすれば、弱い人たちを救えるんですか」
「他人を救う?おまえは何様のつもりだ」
高谷の声のトーンに、光は怯んだ。
怒らせてはいけない男を、怒らせたとわかる。
けれど、光は、どうなっても構わなかった。
正しい答えをくれるなら、誰にでも縋るし、殺されたっていい。
「公園で暮らしていたホームレスに付き添って、区役所に生活保護の申請に行ったことがあります。でも、無駄だった。いろんな理由で却下された。なのにどうして、この施設に入れば、申請が通るんですか」
「判断してるのが人間だからだろう。誰でも、面倒に関わりたくないからな」
「僕に、力がないせいですか」
「権力なら、おまえにも使えるコネがあるだろう。ヤクザがしていることは、せいぜい暴力をチラつかせるくらいのことだと思うが」
「そんなの、おかしい。不公平だ。本当に必要な人に支給されず、暴力団の資金源になるとわかっているのに支給させるなんて」
「今はシノギも難しい。国庫から巻き上げるのが、一番簡単だ。自分の財布じゃないから、紐が緩いんだよ。ヤクザじゃなくても、不正に受給している奴はごまんといる」
「仕組みが悪いのは理解しています。でもそれを変えるのは時間がかかる。今、目の前にいる人を助けることは出来ません」
「おまえとそんな議論をしている時間はない。どうするんだ、抗議を続けるのか」
光は、しばらく黙って高谷の顔を見ていた。
「わかりました。抗議活動は、やめます。そのかわり、食事の差し入れを認めて下さい。定期的な、炊き出しも」
「好きにしろ。広岡には言っておく」
***
子供の頃、クリスマスはボランティア活動に熱心だった母に連れられて教会にいた。
孤児にプレゼントを、ホームレスには温かい食事を、手ずから渡す母の姿は美しく、尊いものに思えた。
もともと姿の美しい母の美しい行いは、まるで聖母のようだと人に讃えられた。
けれど成長して、光は気づいた。
母は、貧しい人たちに施しをする自分自身に、陶酔しているだけなのだと。
手に余るほど多くを持ったものが、持たないものに分配する。
そうすることで多少、持ち分が減っても、たいしたことではない。
けれど、その少しの糧で、今日の命が繋がる人間もいる。
教会でホームレスの手を握った母は、家に帰ると、除菌石鹸で念入りに手を洗っていた。
それでも光は母を偽善者と軽蔑することはなかった。
かつて舞台でヒロインを演じていたときのように、母は常に観客の目を意識した行動をとっていたに過ぎない。
そして、その裏で道ならぬ恋に身を焦がしていた。
今でも母は自分の人生の主役を演じ続けている。
光は高校生になると部活動はせずに、自らボランティア団体を作って、主にホームレスの救済を目的に活動するようになった。
その活動で、光は世の中の不条理を目の当たりにした。
人がホームレスになる事情は人それぞれで、中には自業自得だと思う場合もあるし、また中には社会のルールや人気関係に縛られることを厭い、好きでやっている人間もいる。
けれど、不運が重なって、生きる術が他にないという人間もいる。
もともと貧しい家庭に生まれ、まともに学校に行っておらず、だからまともな職につけない。
人の嫌がるような仕事に就いても、職場で字が読めないことや非常識を馬鹿にされ続かない。
そういう人間は、生活保護を受給して生きる権利があることさえ知らない。
光は自分が、今まで何不自由なく生きてきたことを恥じ、生まれた場所の違いで受ける恩恵に差があることに疑問を抱いた。
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