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【番外編】

古傷

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高谷が入院したのは、高校時代に左足首を複雑骨折したときに埋めたチタン製のプレートとボルトを外す抜釘手術のためだった。

本来ならもっと早くするべき手術だったが、長年放置した結果、痛みが出るようになった。
それでも普通に生活する分ならさして問題はないのだが、なにかの話の折に篤郎に話したら、有事が起きたとき困るから手術したほうがいいと、強く勧めてきた。

「ついでに人間ドッグを予約したので、入院は一週間になります」
嬉々としてそう言われたとき、実はそれが篤郎の目的だったとわかったが、高谷は黙って従った。
綾瀬なら、篤郎が泣いて謝るまで罵倒し続けたうえ、無視しただろう。

高谷も、ヤクザが健康に気を配り、人間ドッグを受けるというのもなにかおかしいと思うが、篤郎は最近、自分の会社の福利厚生などにも力を入れている。
だがそのことも綾瀬には冷笑されていた。

入院生活にも飽きてきた4日目に、綾瀬と篤郎が揃って見舞いに来た。
三代目と側近の急な訪問に、病室の内外にいた、高谷の配下の若い組員たちは慌てたが、篤郎が「ただの見舞い」と説明して落ち着かせた。

病室は、応接セットは勿論、シャワールームと洗面室にトイレ付きの豪華な特別室だ。
大きな窓からは秋の柔らかな木漏れ日が注ぎ、病室の門前に続く銀杏並木が一望出来る。
その葉はいま、黄金色に輝いている。

「なにかあったのか?」
高谷はベッドのリクライニングの角度をつけて、座っていた。
普段、後ろに流していることが多い前髪を下ろした顔は、いつもより柔和で実年齢より若く見えるが、二人を見てその顔に緊張が走った。

綾瀬は、エンジ色の光沢のあるシャツの上に黒のジャケットをフラットに着て、サングラスをかけている、いかにもな装いだ。
病室の入り口からここまで来るのにさぞ悪目立ちしたことだろう。
一方、篤郎は休日のサラリーマンのようなポロシャツ姿だった。

「別に、なにもねーよ。通り道だから、寄っただけだ」
サングラスを外して、綾瀬が言った。
その言葉と、篤郎の緊張感のかけらもないのんびりした顔に、高谷は拍子抜けしたように、上げかけた腰を元に戻した。
もっとも、左足は膝から下を副え木で固定され包帯が巻かれていて、やすやすとは動かせない。

「高谷さん、やっとプレートとボルトとったんですね。13、4年も入れたままだったんですね」
篤郎がベッドの側まで来て、高谷の副え木と包帯に巻かれた足を眺めながら、言った。
「そうだな、高一の終わりの春大会の予選でやったんだったな」
「その怪我がなかったら、高谷さんは全日本のメンバーになってたでしょうね。や、プロ選手になれたかも。もったいないなあ」
自分のことのように残念がる篤郎を、綾瀬は呆れたような冷たい目で見た。
「バカか、もしもの話なんかして、なんになる」
「綾瀬は高谷さんのプレイを見たことないから、わからないんだよ。本当にすごかったんだから。なんて言うんだろう、テクニックもすごかったけど、高谷さんのプレイには華があったんだよね~」
「ある」
「え?」
「見たことはある」

高谷も篤郎も、驚いたように綾瀬を見た。
綾瀬の方はつまらないことを言ってしまったというような、後悔を表情に出していた。

「昔のことだ。オレが足首を骨折して腱を切ったのは、14年も前のことだ。古傷が痛まなければ、そんな怪我をしたことも、もう忘れていた」
高谷は、もしも、という仮定の未来は描いたこともないと言っているようだった。

「高谷さんらしい、潔いね。ところで高谷さん、その足じゃ、トイレとかお風呂とか困るでしょう」
話を急に変えて篤郎が言った。
「トイレは松葉杖で行けるぞ。風呂は無理だな、術後は入ってない」
「うわ、大変だね」
「別に、そうでもないけどな。洗髪は毎日してもらえるし、身体もついさっき、看護士に拭いてもらった」
「ああ、だからか。この部屋、入って来たときから、なんか石鹸みたいないい匂いがするって、思ったんだ」
「最近の看護士は昔と違ってサービスがいいんだな。いやに丁寧に、身体の隅々まで拭いてくれたぜ。股間から尻の穴まで拭かれて、半勃しちまった」
高谷の悪ふざけの発言に、篤郎は大笑いした。
「なにそれ、セクハラじゃないの」
「健康な証拠ですから気にしなくていいんですよ、とか言ってたぜ。よくあることらしい」
篤郎はなにがおかしいのか、豪快に笑っている。
下ネタを喜ぶ中学生のようだ。
「あっ、その看護士さんって、さっき廊下ですれ違った人じゃないかなあ。ちょっと年上ぽかったけど、すげえ巨乳のやたら色っぽい人だったよね。ね、綾瀬?」
ニヤけた顔のまま、綾瀬を振り返って、篤郎はしまった、と思った。
どうやら、ふざけ過ぎて綾瀬を怒らせてしまったらしい。

「篤郎、出てろ」
声に温度があるとしたら、マイナス10℃くらいの冷たい声で言われた。
「は、はい」
素直に言って、ドアに向かうと「しばらく誰も入れるなよ」
と、言われた。
「えっ、なにするつもり?高谷さん、術後なんだから、あんまり無理なこと…は…」
睨まれて、最後まで言うことは出来ず、篤郎は外に出てドアを閉め、部外者になった。

当事者の二人は、全く違う表情を浮かべながら、二人きりになった部屋でお互いを見つめあっていた。
高谷は余裕のある表情で。
綾瀬は憮然とした表情で。

実際、高谷は愉快だった。
綾瀬は意外に嫉妬深いという、かわいらしい一面を持っている。
そしてそのことは誰も知らない。

「おまえは、よく入院するな」
憮然とした顔のまま、綾瀬にそう言われて、確かにそうだと高谷も思う。
自分が病室のベッドの上にいて、そのかたわらに綾瀬が立つ。
こんなことは前にも何度もあった。

「ああ、また傷がひとつ、増えたな」
もともとあった左足首の手術痕は、引き攣れたような痕になっている。
今回は似たような場所にメスが入った。
医療の技術が進み、前回よりかなり小さな痕になると説明を受けたが、そんなことはどうでも良かった。

高谷の身体には他にも傷跡がある。
ナイフで深く切られた右腕を縫合した痕。
そして、腹部には銃弾を受けた痕、これが一番大きい。
その二つは、綾瀬と一緒にいるときに出来た。
身体にある古傷はそのまま、二人の歴史のようだ。

「そういえば、おまえの身体には傷がないな。こんな商売をしているのに、奇跡みたいなやつだ」
大切に育てられた深窓の令嬢のように、綾瀬の美しい肢体には目立った傷がない。

「けど、ひとつだけある」
高谷にそう指摘されて、綾瀬は顔をしかめた。
「どこに?」
「教えるから、側に来いよ」

綾瀬が側にいくと、高谷は腕を伸ばして、綾瀬の首の後ろに回した。
「耳の後ろの、このへんに…」
言いながら、高谷の指が小さな凹凸に触れた。

「これだ。いつ出来た?」
「多分、金沢にいた頃、木から落ちて出来た傷だ」
「木から落ちた?おまえにもそんな普通の子供時代があったのか」
「悪いか」
戯言を言いながら、高谷は綾瀬の頭を自分の方に引き寄せる。
「この傷を知っているのはオレだけだ」
満足そうに高谷は呟いた。
それは、髪をかきわけて、顔を近づけなければ見つからない場所にある。
何度もベッドを共にして、身体中を舐め回すような相手にしか、見つけられないだろう。
そんなことで独占欲が満たされる高谷もまた、綾瀬と同じように嫉妬深い。

見えない鎖で互いを縛り合う二人は、そのまま顔を近づけて、唇を重ねた。
舌を絡め吸いあって、息継ぎのために一度離れた唇を、角度を変えてもう一度触れ合わせようとした綾瀬を、高谷が止めた。
「待て。これ以上はやばい。勃ちそうだ」

綾瀬はほとんどベッドに乗り上げていた上体を起こして高谷を睨む。
「どうせ、一発抜いてもらったんだろ、巨乳の看護士に」
「勃っただけだ、抜いてねーよ」

言い訳のような返事をしながら、高谷は内心、安堵していた。
実は、かなり際どいところだった。
セクシーな看護士は高谷の性器を丁寧に拭いたあと、そっと握ってきた。
今にも口に入れそうな情欲に濡れた目で迫られて、高谷はとっさに「そろそろ妻が来るので」と、スマートに過剰サービスを断わった。
別に好きに抜いてもらっても良かったのだが、なぜかその気にならなかった。
まさか綾瀬が来るとは思ってなかったが、勘が働いたらしい。

「どうだかな」
言って綾瀬は、高谷の着ていた病院専用のローブの前をはだけさせた。
足に副え木をしているためか、下半身はなにもつけていない。

「お、おい、綾瀬」
「確かめてやる」
綾瀬は、高谷のペニスを握った。
数回擦っただけで、それは支えなくても天を向くほどの角度で硬くなった。
綾瀬は、躊躇うことなく顔を近づけて、舌で舐め、口に含んだ。

高谷は戸惑いながら快楽に身を委ねる。
綾瀬の、瞼を半分閉じた長い睫毛の印影が浮かぶ顔は綺麗すぎて、男の性器を咥えるのは似合わない。
けれど美しいものを汚しているような、甘く痺れるような切ない気持ち良さがある。
嗜虐心に近いかもしれない。
多分、ヤル気満々の巨乳の看護士では得られないだろう。
「…ああ、気持ちいいな…」
指で綾瀬の柔らかい髪を弄びながら、一点だけに施される快感に集中する。
長くは持たなかった。

高谷のものを口内で受け止めた綾瀬は、洗面所で口をゆすいで身形を整えると、何事もなかったような涼しい顔で、高谷に「帰る」と告げた。

「おまえ、本当に何しに来たんだ?」
デリへルじゃあるまいし、一方的にサービスだけして帰るという。
青龍会の三代目が。
高谷は呆れた。

「最後だ。おまえを見舞うのは。もう二度と、ごめんだからな」
高谷の欲望を口で奉仕していたときより恥ずかしそうに、綾瀬は言う。

どうやら高谷の入院は、綾瀬の古傷を刺激したらしい。
それは、高谷を失うと感じたときに負った心に出来た傷だ。

古傷が痛んだのは自分だけじゃない、と高谷は悟った。
ここに来た綾瀬の心情も、汲んだ。

「綾瀬、オレはおまえを守る以外には、身体は張らない。だから、おまえが無事なら、オレも無傷でいられる」
言葉にすると随分甘ったるいが、高谷の口調は軽く、綾瀬は黙って受け取った。

病室の窓はオレンジ色に染まっていた。
気づけばもう日が傾きはじめていた。
しばらく二人は無言で目に染みるような鮮やかな夕日を眺めた。




《完》








■あとがき■
タイトルを「デリバリーヘルス」にするべきか、ちょっと悩みました。。。



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