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第2章 惹かれ合う二人
22話 縮まる距離、募る不安⑹
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それはレインリットが恐れていたことでもあった。自分が捕まれば、エファは誘拐犯として処罰されてしまう。エファは覚悟していると言っていたけれど、心の中では怖がっているはずだ。なぜなら、自分も怖くて怖くて仕方がないのだから。
「ですが、私たちにはもうそれしか残っていないのです! せめて、せめて兄様がいてくだされば、こんなことにはならなかったのに」
「戦争で亡くなったのだったね……私も大切な友を失ったんだ。お悔やみ申し上げる」
ソファに戻り、すっかり冷えてしまった香茶を飲み干したエドガーが、紙をめくると何かを書き記す。それからしばしの間、何かを考え込んでいるのか沈黙した。その姿をぼんやりと眺めながら、レインリットはとりとめもなく考える。
――エファをエドガー様に預けて、私がソランスターに戻れば……。
そうすれば、少なくともエファは無事でいられる。そしてレインリットは、予定通りウェルシュ子爵夫人になるのだ。一度しか顔を合わせたことがなく、その時でも彼女をいやらしい目で見ていて、正直、子爵には嫌悪しかない。
――私に、ソランスター伯の称号を拒否しないよううまく説得できるかしら。
冷めて渋みが増した香茶がさらに苦く感じる。ウェルシュ子爵がソランスター伯爵として領地に入ってくるのは嫌だが、少なくとも自分もソランスター伯爵夫人を名乗ることになる。そしてゆくゆくは、自分の子供がそれを継ぐとすれば。
――悪いことではないのかもしれない。クロナンに渡すよりずっと、それの方がいい。
そして、機を見てクロナンの疑惑を追及するのだ。資金もない今の状況より、伯爵夫人の地位といくらか自由になるお金があれば誰にも迷惑をかけることはない。
――でも……好きでもない人と、本当に結婚なんてできる?
レインリットは自問自答する。愛のない結婚など、貴族の間では当たり前だ。仲睦まじかった両親でさえ、先代のソランスター伯爵から決められたものなのだ。
――もし、エドガー様のような男性と恋に落ちて結婚できるなら、どんなに素敵なことか。
銀色の不思議な髪と瞳のエドガーは、とても紳士的で、頼り甲斐があって、優しい男性だ。きっとエーレグランツの社交界で、多くの令嬢から望まれていることだろう。そう考えると、レインリットの胸がツキンと痛む。
――そんなこと、あり得ない。
エドガーも、こんなに問題を抱えた自分より、華やかで美しく話題に富んだ令嬢の方がいいに違いない。レインリットは重くのしかかる現実に、夢をみてはいけないと自分を戒める。
――私が我慢すれば、いい。
エドガーに、何かする前に相談するよう言われたばかりなので、レインリットは一応お伺いを立てることにした。
「お考え中のところ申し訳ありません、エドガー様」
するとエドガーは、顔を上げずに続きを促す。
「なんだい、メアリ」
「あの、私……本国に戻ろうかと」
「却下だよ。それは認められない」
エドガーの銀色の目が鋭く光る。昨日も何度か目にした時と同じように、不機嫌にも見える険しい表情に、レインリットは身をすくませる。その様子を見た彼は顔を背け、ゴホンと一つ咳払いをすると早口で聞いてきた。
「本国に戻って結婚するのか?」
「この際、それが一番いいかと」
「ろくでもない男からもたらされた縁談に飛びついたような男と結婚して、君は幸せなのか」
「私の幸せなど……どうでもいいとは言えません。ですが、私には守るべきものがあるのです。エドガー様にも、レイウォルド伯として避けて通れない義務がおありでしょう」
貴族としての義務と責任を果たさなければならなかったのだ、とレインリットは今になって痛感した。逃げる前に、もっとよく考えるべきだった、と。決意を秘めた目を向けた彼女に、エドガーはイライラとした様子で髪をかき上げる。それから何度か口を開きかけ、唸るように声を上げた。
「だったら、義務を果たせばいい」
「ええ、そうします」
「私も君も、一緒に責任と義務を果たすんだよ」
「え……エドガー様?」
レインリットのところへつかつかと速足でやってきたエドガーが、彼女囲うようにして両手を突き出し、ソファの背に手をついた。彼の端正な顔がこれ以上ないほど彼女に近づき、一気に顔が赤く染まる。
「メアリ、私と君が結婚をすれば解決すると思わないか?」
エドガーの銀色の瞳が鋭い光を放つかのように怪しく煌めく。緊迫した空気に動けなくなったレインリットが喉を鳴らした瞬間、その唇は柔らかく熱いものによって塞がれていた。
「んんんっ!」
何が起きたのかわからず、レインリットは銀色の瞳を間近で見てしまい、ギュッと目を瞑る。それからやにわに唇を食まれ、キスをされていると気づいた。
「んっ……は」
頭の中が驚きに支配され、レインリットは咄嗟に両手で胸を押す。しかしエドガーの身体はビクともせず、逆に抱き寄せられてしまった。ぬるりとしたものが唇の間をこじ開けようとしてきたため、首を左右に振って逃れようと必死になる。
「やめて、ください、エドガーさまっ」
「まさかその反応……君は初めてなのか?」
「当たり前ですっ! こんなふしだらなこと」
呆然とした表情のエドガーから顔を背け、レインリットは両手で唇を押さえた。
「いきなりなんて、酷いです」
ワナワナと震える唇はしかし、エドガーから与えられた温もりを確かに感じ取っており、レインリットは羞恥に顔を熱くする。
「……すまなかった。だが、結婚するということは、夫となる男ともっとふしだらなことをするということだぞ。君はそれが嫌で逃げてきたのではないのか?」
「ですが、私たちにはもうそれしか残っていないのです! せめて、せめて兄様がいてくだされば、こんなことにはならなかったのに」
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ソファに戻り、すっかり冷えてしまった香茶を飲み干したエドガーが、紙をめくると何かを書き記す。それからしばしの間、何かを考え込んでいるのか沈黙した。その姿をぼんやりと眺めながら、レインリットはとりとめもなく考える。
――エファをエドガー様に預けて、私がソランスターに戻れば……。
そうすれば、少なくともエファは無事でいられる。そしてレインリットは、予定通りウェルシュ子爵夫人になるのだ。一度しか顔を合わせたことがなく、その時でも彼女をいやらしい目で見ていて、正直、子爵には嫌悪しかない。
――私に、ソランスター伯の称号を拒否しないよううまく説得できるかしら。
冷めて渋みが増した香茶がさらに苦く感じる。ウェルシュ子爵がソランスター伯爵として領地に入ってくるのは嫌だが、少なくとも自分もソランスター伯爵夫人を名乗ることになる。そしてゆくゆくは、自分の子供がそれを継ぐとすれば。
――悪いことではないのかもしれない。クロナンに渡すよりずっと、それの方がいい。
そして、機を見てクロナンの疑惑を追及するのだ。資金もない今の状況より、伯爵夫人の地位といくらか自由になるお金があれば誰にも迷惑をかけることはない。
――でも……好きでもない人と、本当に結婚なんてできる?
レインリットは自問自答する。愛のない結婚など、貴族の間では当たり前だ。仲睦まじかった両親でさえ、先代のソランスター伯爵から決められたものなのだ。
――もし、エドガー様のような男性と恋に落ちて結婚できるなら、どんなに素敵なことか。
銀色の不思議な髪と瞳のエドガーは、とても紳士的で、頼り甲斐があって、優しい男性だ。きっとエーレグランツの社交界で、多くの令嬢から望まれていることだろう。そう考えると、レインリットの胸がツキンと痛む。
――そんなこと、あり得ない。
エドガーも、こんなに問題を抱えた自分より、華やかで美しく話題に富んだ令嬢の方がいいに違いない。レインリットは重くのしかかる現実に、夢をみてはいけないと自分を戒める。
――私が我慢すれば、いい。
エドガーに、何かする前に相談するよう言われたばかりなので、レインリットは一応お伺いを立てることにした。
「お考え中のところ申し訳ありません、エドガー様」
するとエドガーは、顔を上げずに続きを促す。
「なんだい、メアリ」
「あの、私……本国に戻ろうかと」
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貴族としての義務と責任を果たさなければならなかったのだ、とレインリットは今になって痛感した。逃げる前に、もっとよく考えるべきだった、と。決意を秘めた目を向けた彼女に、エドガーはイライラとした様子で髪をかき上げる。それから何度か口を開きかけ、唸るように声を上げた。
「だったら、義務を果たせばいい」
「ええ、そうします」
「私も君も、一緒に責任と義務を果たすんだよ」
「え……エドガー様?」
レインリットのところへつかつかと速足でやってきたエドガーが、彼女囲うようにして両手を突き出し、ソファの背に手をついた。彼の端正な顔がこれ以上ないほど彼女に近づき、一気に顔が赤く染まる。
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「んんんっ!」
何が起きたのかわからず、レインリットは銀色の瞳を間近で見てしまい、ギュッと目を瞑る。それからやにわに唇を食まれ、キスをされていると気づいた。
「んっ……は」
頭の中が驚きに支配され、レインリットは咄嗟に両手で胸を押す。しかしエドガーの身体はビクともせず、逆に抱き寄せられてしまった。ぬるりとしたものが唇の間をこじ開けようとしてきたため、首を左右に振って逃れようと必死になる。
「やめて、ください、エドガーさまっ」
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「当たり前ですっ! こんなふしだらなこと」
呆然とした表情のエドガーから顔を背け、レインリットは両手で唇を押さえた。
「いきなりなんて、酷いです」
ワナワナと震える唇はしかし、エドガーから与えられた温もりを確かに感じ取っており、レインリットは羞恥に顔を熱くする。
「……すまなかった。だが、結婚するということは、夫となる男ともっとふしだらなことをするということだぞ。君はそれが嫌で逃げてきたのではないのか?」
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