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ねじ磨きとモモンガの章
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8月最後の週末だった。「十王輪友会」は恒例の1泊2日のツーリングに行くことになった。
会の紅一点、葵はいつも1日目の昼まで一緒にツーリングをして、そこから仲間は目的地へ、葵は帰路に就くのだった。
今年は秋の気配も感じられないほど暑かった。
葵は股の間に大きな熱いエンジンを抱え、フルフェイスのヘルメットの中で額が汗まみれになっていた。
むっとするようなコールタールの臭いとともに、アスファルトの照り返しが全身を這い上がってきた。
「暑い――――!」
葵はヘルメットの中で叫んだ。
道路は、最後の夏休みを惜しむかのように、自動車が列を作っていた。
しかし先頭を走る巧が、ドゥカティのスロットルを1回吹かすと爆音が轟き、幅寄せしていた自動車が慌てて道を開けてくれた。
その様子を3番目の位置で見ていた葵は、笑いながら自動車の横を通り抜けた。
彼女の後ろは文一だ。彼の背中を追うように、樹が走っていた。
最後尾は小松だ。彼はハーレーのローライダーにどっかりと腰を降ろし、後方にいる自動車から全員を守っていた。
再びオートバイに乗れたうれしさで、葵は高揚していた。空を見上げると、夏の高気圧は未だ健在で、容赦なく強い光で葵を射抜いていた。
「あんたが一番偉いわ」
葵は、太陽と上空に張り巡らされている太平洋高気圧に向かって、ヘルメットの中で呟いた。
葵はだぼっとした桃色のトレーナーを着ていた。
リーダーの悠真は、流れるような身のこなしで、穏やかな走りをする。
巧はあまり仲間のことまでは気を配らず、自由に走っていってしまうタイプだ。
信号が黄色に変わりそうになると、悠真は速度を落として仲間が分裂しないように気を配っていた。
「十王輪友会」は、すれ違うオートバイの集団に全員がピースサインを出して、お互いの安全と仲間意識を、その立てた二本指に託しながら走った。
やがて悠真が先頭を行く巧を追い越した。
感じの良い喫茶店を見つけると、そこへ自分のオートバイを滑り込ませた。
ものすごい爆音の集団が喫茶店の駐車場に入ってきたので、駐車場にいたライダーたちの注目を一身に浴びた。
葵は「キャンレッドダグちゃん」を降りると、フルフェイスのヘルメットを取り、セミロングの髪の毛をかき上げた。
額は汗でびっしょりだった。
ロングのライダー・ブーツを半分だけ降ろすと、「バグバグ」と音を立てながら、悠真の背中に続いた。
他の奴らもそれぞれに、喫茶店へと入っていった。
席が決まると、巧は再び外へと出ていった。
彼は自分の眼が届くところへ、ドゥカを移動させてきた。
高価で珍しいオートバイだ。傷をつけられたりしたら、たまったものじゃないだろう。
巧は屈みこんで、ドゥカの腹を見ていた。
席に戻ってきたかと思ったら、おもむろに自分のお冷が入っているグラスとおしぼりを握った。
「葵。俺のコーヒーが来たら、持ってきてくれ」
巧は葵をちらっと見ただけで、そのまままた外へ出ていってしまった。
「何事?」
葵は不思議そうに、残った全員を見渡した。
「え? これって、久しぶりじゃね?」
文一が、くはっと笑った。
「葵。コーヒーを持っていったときに、巧に『まだ行きの途中なんだから、ほどほどにしろ』って伝えてくれ」
悠真も諦めたような声で言った。
「う......ん? わかった」
葵は怪訝な顔で答えると、とりあえず汗で濡れている顔を、おしぼりで拭きまくった。
「それを、おっさんという......」
ここにいない巧以外の誰かが呟いた。
「言ったのは誰だ!」
葵は残った者を見回したが、全員ヒョロヒョロ~っと、葵から視線を外した。
「勝手に言って。私だって一応、21歳の女なんだからね。日焼け止めくらいはつけるわよ!」
葵はウエストバッグの中から、UVクリームを取り出して顔中に乱暴に塗りたくった。そうこうしていると、アイスコーヒーが運ばれてきた。
「巧はガムシロップだけだったよね?」
葵は呟きながらガムシロップを入れて、ストローでかき回した後、それを持って外へ出ていった。
「はいよ、た......」
そこまで言ったところで、葵は茫然として固まった。
見下ろした先で、巧が、んこ座りしてねじを磨いているのだった。
(こいつ、何やってんの? そのねじ、どこから外してきた? 今、ツーリングの途中なんだけど? どうしてお冷とおしぼり使って、ねじ、磨いてんのよ?)
葵は、巧のちまちまとねじを磨く姿に、言葉を失って立ち尽くした。
葵の中では、巧は「豹男」のイメージで完成している。
その豹がちまい爪を、これまたちまちまと切っているようなものだった。
「おう、サンキュー。そこのブロックの上に置いてくれ」
巧はちらっと葵を見上げただけで、再び熱心にねじを磨きだした。
「え......とぉ、悠真からの伝言です。『まだ途中なんだから、ほどほどに』だそうです」
危うく落としそうになった、アイスコーヒーのグラスを指定された場所へ置くと、夢中でねじを磨いていて聞いていないんじゃないか? と思わしき巧に、葵は敬語を使ってしまった。
「ん―――――!」
巧も心ここにあらずと言った様子で、適当に返答した。
葵は後ろ手に手を組むと、ゆっくりと3歩後ずさり、それから方向転換して首を傾げながら席に戻った。
ソファに座った葵を見て、悠真が深いため息をついて納得していた。
「巧......さぁ? んこ座りしてねじ磨いてた」
葵の信じられないというトーンの声に、樹以外の奴らは「やっぱりかぁ」という表情で頷いた。
「あれを始めたら長いんだ。まぁ、奴とて、ここが自宅でないことは重々承知だろうから、丸一日やることはないだろう。ちょっと長い休憩にはなりそうだ」
文一が後頭部で両手を組み、思いっきり伸びをした。
「え? 巧さん。ツーリング中でもメンテナンスするんですか?」
樹が驚いたように聞いた。
「いや、メンテじゃないんだよ。あいつのドゥカに対する潔癖症は、常軌を逸してる? まぁ、そんなところだ。自宅にいたら、丸一日かけて、すべてのねじを外して磨き上げるって聞いたことがある」
悠真も諦め声で、巧の性癖とやらを暴露した。
「げ―――――! あのちまいねじを、これまたちまちまと一本一本磨くの? あの巧だよ? 『豹男』だよ?」
「それは、おまえの勝手な妄想だろ? 豹だろうがハイエナだろうが、んこするときにはするんだ。ってわけで、あれは奴の病気だ」
悠真はアイスコーヒーに口をつけた。
「なるほどねぇ~。まぁ、確かに、ドゥカはいつもピカピカに磨かれてるよね。しかぁ~し! 私にはできないわ。ねじなんか外したら、磨き終わったころには、どこにはまってたか忘れちゃうわよ」
葵は驚き半分、尊敬半分で呟いた。
「だから、始めたら、次から次へとねじを外しては磨き、はめ込む。納得するまで辞めないんだよ」
文一が大きなため息をついた。それに重なるように、小松がクックと肩で笑った。
「そういえば、葵。後ろから見てると、そのでかいトレーナーがはためいて、おまえモモンガみたいだったぞ」
それを聞いた瞬間、葵は呆然とした。
(モモンガァ―――?)
確かに桃色のだぶだぶのトレーナーだから、風にはためいて、実際の身体よりは膨らんで見えていただろう。
葵の脳裏に、空中で両手両足をおっぴろげて、木から木へと飛び移るモモンガの姿が浮かんだ。
「小松さん~~~」
葵はショックで言葉を失った。
仲間は桃色のトレーナーを着た彼女を見て、一斉に大笑いした。
「こんな服、着てくるんじゃなかったぁ―――!」
葵は真っ赤になった顔を、両手で隠して呟いた。
「そこが葵ってもんだ。すれ違う奴らが、『おっ! モモンガ!』とか思いながら、通り過ぎるんだろうなぁ?」
文一が、わざと葵の反応を楽しんでいた。葵は泣きたくなった。
「おまえは目立ったほうがいい。その方が安全だ」
悠真が慰めた。
確かにライダーは目立ったほうがいい。
自動車より小さい分、近くまで来ていても、対向の運転手はライダーが遠くにいるように錯覚し、強引に右折して衝突する事故はよくある。
「わかった。モモンガしながら走ります」
葵は自嘲気味に呟いた。
「さて、行くか。巧も満足しただろう。先は長いぞ」
悠真が全員を見回した。
葵は巧のウエストバッグを、自分の分と一緒に持った。
駐車場に出ると、葵たちのオートバイの横に、数台のオートバイが止まりエンジンを切った。
先頭を走ってきたライダーがヘルメットを取り、にこやかに笑いながら声をかけてきた。
「こんにちは。これからどちらへ行くんですか?」
こういうときの対応は悠真に任せていた。
各々が彼らに笑いかけながら、自分のオートバイへと向かった。
巧も満足したらしい。
葵からウエストバッグを受け取ると、グラスを戻しに店内へ入っていった。
「これから能登半島を一周してきます」
悠真は能登の方角を指さして答えた。
葵たちはヘルメットを被り、各々のオートバイに火を入れた。
巧のドゥカと小松のハーレーが一際大きな音を轟かせた。
「僕たちは能登から帰ってきたところです。気をつけて行ってきてください」
青年は満面の笑みを浮かべて叫んだ。悠真もモト・グッツィにまたがるとにっと笑った。
「ありがとう。君たちも気をつけて」
悠真はヘルメットを被ると、モト・グッツィのエンジンをかけて、ゆっくりと走り出した。
青年たちが、次々と動き出した「十王輪友会」の面々に手を振った。
一列になって動き出した葵たちは、彼らにピースサインを送り、国道へと滑り出した。
彼らとの出会いは一瞬だった。もう二度と会うことはないだろう。
それでも、この瞬間を2つのライダー集団は共有した。
(自動車では得られない、オートバイ乗りだからこそできる、心の通い合いだ)
葵はさわやかに笑った青年の顔を思い浮かべた。
(オートバイはいい。ライダーというだけでみんなが仲間だ。みんなが風だ。自然と一体になって、私たちは駆けてる)
葵は、小松にモモンガと言われた、大きな桃色のトレーナーの中に風を呼び込んで、魂を上昇気流に乗せながら走った。
やがて富山県に入り、国道8号から国道415号へと分岐する地点へ来た。
悠真が冬の積雪時、チェーンを装着するために作られた広場へ入り、ヘルメットをとってエンジンも止めた。
「さて、能登半島へと入る。葵はここで帰れ」
悠真の言葉に、葵は額の汗をぬぐいながら頷いた。
「うん。わかった。みんなも気をつけてね」
葵が全員の顔を見つめた。
「ここからは独りだ。十分気をつけて帰れよ」
悠真が葵を促した。
葵はヘルメットを被るとエンジンをかけ、フルフェイスのシールドを上げると、ゆっくり動き出した。
「じゃあね」
来た道を戻ろうと、方向転換しながら葵は叫んだ。
残った全員が手を振った。
葵は彼らに背中を向けると、来た道を戻りながら大きく後方に手を振った。
バックミラーに見送る彼らの姿を捉えた。
仲間と別れて独りになった葵は、来た道を戻り始めた。
左側に海が迫っていた。
国道8号は、海に張り出したような造りをしている。
コンクリートの防波壁があるので、座っていたらその全景を見ることはできない。
葵は前後に自動車がいないことを確認し、ステップの上で立ち上がった。
「う......わぁ......!」
思わず呟きが漏れた。
日本海は夏だけ波が優しい。真っ青な空と、平たんでささやかなうねりが確認できた。
海なし県に住む葵は、日本海が大好きだった。
同時に、日本アルプスを抱える長野県は、オートバイ乗りにとっては程よいワインディングロードがどこにでもあったので、機動力の醍醐味を楽しむにはもってこいの県だった。
そして、何といってもオートバイは、瞬発力が魅力だ。
どんなに凄いスーパーカーであっても、スタートダッシュだけはオートバイには勝てない。
身体を置いていかれるほどの粘りとスタートダッシュは、一度体感したら取り憑かれてしまうものだった。
真正面から風を受けると、ひょぉ―――っと、魂が浮き上がる感覚がある。
これはバイク乗りでないと絶対にわからない。
これが「風になって走る」ということだ。
「風になりたい」
そう思うのは人間の本能かもしれないと、葵は常々思うのだった。
人間は、肉体は飛べずとも、魂または精神と呼ばれるものが、風に乗って空へと運ばれるという空想ができる「夢見る」生き物だ。
「夢を持てるって、いいねぇ」
葵は、時々ステップの上に立って海を見てはまた座り、身体にあたる海風に魂を乗せながら、来た道を戻っていた。
会の紅一点、葵はいつも1日目の昼まで一緒にツーリングをして、そこから仲間は目的地へ、葵は帰路に就くのだった。
今年は秋の気配も感じられないほど暑かった。
葵は股の間に大きな熱いエンジンを抱え、フルフェイスのヘルメットの中で額が汗まみれになっていた。
むっとするようなコールタールの臭いとともに、アスファルトの照り返しが全身を這い上がってきた。
「暑い――――!」
葵はヘルメットの中で叫んだ。
道路は、最後の夏休みを惜しむかのように、自動車が列を作っていた。
しかし先頭を走る巧が、ドゥカティのスロットルを1回吹かすと爆音が轟き、幅寄せしていた自動車が慌てて道を開けてくれた。
その様子を3番目の位置で見ていた葵は、笑いながら自動車の横を通り抜けた。
彼女の後ろは文一だ。彼の背中を追うように、樹が走っていた。
最後尾は小松だ。彼はハーレーのローライダーにどっかりと腰を降ろし、後方にいる自動車から全員を守っていた。
再びオートバイに乗れたうれしさで、葵は高揚していた。空を見上げると、夏の高気圧は未だ健在で、容赦なく強い光で葵を射抜いていた。
「あんたが一番偉いわ」
葵は、太陽と上空に張り巡らされている太平洋高気圧に向かって、ヘルメットの中で呟いた。
葵はだぼっとした桃色のトレーナーを着ていた。
リーダーの悠真は、流れるような身のこなしで、穏やかな走りをする。
巧はあまり仲間のことまでは気を配らず、自由に走っていってしまうタイプだ。
信号が黄色に変わりそうになると、悠真は速度を落として仲間が分裂しないように気を配っていた。
「十王輪友会」は、すれ違うオートバイの集団に全員がピースサインを出して、お互いの安全と仲間意識を、その立てた二本指に託しながら走った。
やがて悠真が先頭を行く巧を追い越した。
感じの良い喫茶店を見つけると、そこへ自分のオートバイを滑り込ませた。
ものすごい爆音の集団が喫茶店の駐車場に入ってきたので、駐車場にいたライダーたちの注目を一身に浴びた。
葵は「キャンレッドダグちゃん」を降りると、フルフェイスのヘルメットを取り、セミロングの髪の毛をかき上げた。
額は汗でびっしょりだった。
ロングのライダー・ブーツを半分だけ降ろすと、「バグバグ」と音を立てながら、悠真の背中に続いた。
他の奴らもそれぞれに、喫茶店へと入っていった。
席が決まると、巧は再び外へと出ていった。
彼は自分の眼が届くところへ、ドゥカを移動させてきた。
高価で珍しいオートバイだ。傷をつけられたりしたら、たまったものじゃないだろう。
巧は屈みこんで、ドゥカの腹を見ていた。
席に戻ってきたかと思ったら、おもむろに自分のお冷が入っているグラスとおしぼりを握った。
「葵。俺のコーヒーが来たら、持ってきてくれ」
巧は葵をちらっと見ただけで、そのまままた外へ出ていってしまった。
「何事?」
葵は不思議そうに、残った全員を見渡した。
「え? これって、久しぶりじゃね?」
文一が、くはっと笑った。
「葵。コーヒーを持っていったときに、巧に『まだ行きの途中なんだから、ほどほどにしろ』って伝えてくれ」
悠真も諦めたような声で言った。
「う......ん? わかった」
葵は怪訝な顔で答えると、とりあえず汗で濡れている顔を、おしぼりで拭きまくった。
「それを、おっさんという......」
ここにいない巧以外の誰かが呟いた。
「言ったのは誰だ!」
葵は残った者を見回したが、全員ヒョロヒョロ~っと、葵から視線を外した。
「勝手に言って。私だって一応、21歳の女なんだからね。日焼け止めくらいはつけるわよ!」
葵はウエストバッグの中から、UVクリームを取り出して顔中に乱暴に塗りたくった。そうこうしていると、アイスコーヒーが運ばれてきた。
「巧はガムシロップだけだったよね?」
葵は呟きながらガムシロップを入れて、ストローでかき回した後、それを持って外へ出ていった。
「はいよ、た......」
そこまで言ったところで、葵は茫然として固まった。
見下ろした先で、巧が、んこ座りしてねじを磨いているのだった。
(こいつ、何やってんの? そのねじ、どこから外してきた? 今、ツーリングの途中なんだけど? どうしてお冷とおしぼり使って、ねじ、磨いてんのよ?)
葵は、巧のちまちまとねじを磨く姿に、言葉を失って立ち尽くした。
葵の中では、巧は「豹男」のイメージで完成している。
その豹がちまい爪を、これまたちまちまと切っているようなものだった。
「おう、サンキュー。そこのブロックの上に置いてくれ」
巧はちらっと葵を見上げただけで、再び熱心にねじを磨きだした。
「え......とぉ、悠真からの伝言です。『まだ途中なんだから、ほどほどに』だそうです」
危うく落としそうになった、アイスコーヒーのグラスを指定された場所へ置くと、夢中でねじを磨いていて聞いていないんじゃないか? と思わしき巧に、葵は敬語を使ってしまった。
「ん―――――!」
巧も心ここにあらずと言った様子で、適当に返答した。
葵は後ろ手に手を組むと、ゆっくりと3歩後ずさり、それから方向転換して首を傾げながら席に戻った。
ソファに座った葵を見て、悠真が深いため息をついて納得していた。
「巧......さぁ? んこ座りしてねじ磨いてた」
葵の信じられないというトーンの声に、樹以外の奴らは「やっぱりかぁ」という表情で頷いた。
「あれを始めたら長いんだ。まぁ、奴とて、ここが自宅でないことは重々承知だろうから、丸一日やることはないだろう。ちょっと長い休憩にはなりそうだ」
文一が後頭部で両手を組み、思いっきり伸びをした。
「え? 巧さん。ツーリング中でもメンテナンスするんですか?」
樹が驚いたように聞いた。
「いや、メンテじゃないんだよ。あいつのドゥカに対する潔癖症は、常軌を逸してる? まぁ、そんなところだ。自宅にいたら、丸一日かけて、すべてのねじを外して磨き上げるって聞いたことがある」
悠真も諦め声で、巧の性癖とやらを暴露した。
「げ―――――! あのちまいねじを、これまたちまちまと一本一本磨くの? あの巧だよ? 『豹男』だよ?」
「それは、おまえの勝手な妄想だろ? 豹だろうがハイエナだろうが、んこするときにはするんだ。ってわけで、あれは奴の病気だ」
悠真はアイスコーヒーに口をつけた。
「なるほどねぇ~。まぁ、確かに、ドゥカはいつもピカピカに磨かれてるよね。しかぁ~し! 私にはできないわ。ねじなんか外したら、磨き終わったころには、どこにはまってたか忘れちゃうわよ」
葵は驚き半分、尊敬半分で呟いた。
「だから、始めたら、次から次へとねじを外しては磨き、はめ込む。納得するまで辞めないんだよ」
文一が大きなため息をついた。それに重なるように、小松がクックと肩で笑った。
「そういえば、葵。後ろから見てると、そのでかいトレーナーがはためいて、おまえモモンガみたいだったぞ」
それを聞いた瞬間、葵は呆然とした。
(モモンガァ―――?)
確かに桃色のだぶだぶのトレーナーだから、風にはためいて、実際の身体よりは膨らんで見えていただろう。
葵の脳裏に、空中で両手両足をおっぴろげて、木から木へと飛び移るモモンガの姿が浮かんだ。
「小松さん~~~」
葵はショックで言葉を失った。
仲間は桃色のトレーナーを着た彼女を見て、一斉に大笑いした。
「こんな服、着てくるんじゃなかったぁ―――!」
葵は真っ赤になった顔を、両手で隠して呟いた。
「そこが葵ってもんだ。すれ違う奴らが、『おっ! モモンガ!』とか思いながら、通り過ぎるんだろうなぁ?」
文一が、わざと葵の反応を楽しんでいた。葵は泣きたくなった。
「おまえは目立ったほうがいい。その方が安全だ」
悠真が慰めた。
確かにライダーは目立ったほうがいい。
自動車より小さい分、近くまで来ていても、対向の運転手はライダーが遠くにいるように錯覚し、強引に右折して衝突する事故はよくある。
「わかった。モモンガしながら走ります」
葵は自嘲気味に呟いた。
「さて、行くか。巧も満足しただろう。先は長いぞ」
悠真が全員を見回した。
葵は巧のウエストバッグを、自分の分と一緒に持った。
駐車場に出ると、葵たちのオートバイの横に、数台のオートバイが止まりエンジンを切った。
先頭を走ってきたライダーがヘルメットを取り、にこやかに笑いながら声をかけてきた。
「こんにちは。これからどちらへ行くんですか?」
こういうときの対応は悠真に任せていた。
各々が彼らに笑いかけながら、自分のオートバイへと向かった。
巧も満足したらしい。
葵からウエストバッグを受け取ると、グラスを戻しに店内へ入っていった。
「これから能登半島を一周してきます」
悠真は能登の方角を指さして答えた。
葵たちはヘルメットを被り、各々のオートバイに火を入れた。
巧のドゥカと小松のハーレーが一際大きな音を轟かせた。
「僕たちは能登から帰ってきたところです。気をつけて行ってきてください」
青年は満面の笑みを浮かべて叫んだ。悠真もモト・グッツィにまたがるとにっと笑った。
「ありがとう。君たちも気をつけて」
悠真はヘルメットを被ると、モト・グッツィのエンジンをかけて、ゆっくりと走り出した。
青年たちが、次々と動き出した「十王輪友会」の面々に手を振った。
一列になって動き出した葵たちは、彼らにピースサインを送り、国道へと滑り出した。
彼らとの出会いは一瞬だった。もう二度と会うことはないだろう。
それでも、この瞬間を2つのライダー集団は共有した。
(自動車では得られない、オートバイ乗りだからこそできる、心の通い合いだ)
葵はさわやかに笑った青年の顔を思い浮かべた。
(オートバイはいい。ライダーというだけでみんなが仲間だ。みんなが風だ。自然と一体になって、私たちは駆けてる)
葵は、小松にモモンガと言われた、大きな桃色のトレーナーの中に風を呼び込んで、魂を上昇気流に乗せながら走った。
やがて富山県に入り、国道8号から国道415号へと分岐する地点へ来た。
悠真が冬の積雪時、チェーンを装着するために作られた広場へ入り、ヘルメットをとってエンジンも止めた。
「さて、能登半島へと入る。葵はここで帰れ」
悠真の言葉に、葵は額の汗をぬぐいながら頷いた。
「うん。わかった。みんなも気をつけてね」
葵が全員の顔を見つめた。
「ここからは独りだ。十分気をつけて帰れよ」
悠真が葵を促した。
葵はヘルメットを被るとエンジンをかけ、フルフェイスのシールドを上げると、ゆっくり動き出した。
「じゃあね」
来た道を戻ろうと、方向転換しながら葵は叫んだ。
残った全員が手を振った。
葵は彼らに背中を向けると、来た道を戻りながら大きく後方に手を振った。
バックミラーに見送る彼らの姿を捉えた。
仲間と別れて独りになった葵は、来た道を戻り始めた。
左側に海が迫っていた。
国道8号は、海に張り出したような造りをしている。
コンクリートの防波壁があるので、座っていたらその全景を見ることはできない。
葵は前後に自動車がいないことを確認し、ステップの上で立ち上がった。
「う......わぁ......!」
思わず呟きが漏れた。
日本海は夏だけ波が優しい。真っ青な空と、平たんでささやかなうねりが確認できた。
海なし県に住む葵は、日本海が大好きだった。
同時に、日本アルプスを抱える長野県は、オートバイ乗りにとっては程よいワインディングロードがどこにでもあったので、機動力の醍醐味を楽しむにはもってこいの県だった。
そして、何といってもオートバイは、瞬発力が魅力だ。
どんなに凄いスーパーカーであっても、スタートダッシュだけはオートバイには勝てない。
身体を置いていかれるほどの粘りとスタートダッシュは、一度体感したら取り憑かれてしまうものだった。
真正面から風を受けると、ひょぉ―――っと、魂が浮き上がる感覚がある。
これはバイク乗りでないと絶対にわからない。
これが「風になって走る」ということだ。
「風になりたい」
そう思うのは人間の本能かもしれないと、葵は常々思うのだった。
人間は、肉体は飛べずとも、魂または精神と呼ばれるものが、風に乗って空へと運ばれるという空想ができる「夢見る」生き物だ。
「夢を持てるって、いいねぇ」
葵は、時々ステップの上に立って海を見てはまた座り、身体にあたる海風に魂を乗せながら、来た道を戻っていた。
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