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地獄からの帰還
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気がつくと、みちるは拓郎を引きずった状態で、見たことのないマンションの前にいた。
スマートフォンを取り出して日時を確認すると、みちるは胸をなでおろした。ゴミ箱に落ちた日のままだった。
「深夜の11時過ぎか。他の日だったら、今頃警察に、あたしの捜索願いが出てたわね」
父親の勤続何十年かのご褒美だとかで、両親は1週間ほど海外旅行に出ている。
「でも、ここはどこなのかしら?」
みちるは座り込んでいる拓郎の肩を叩いた。
「拓郎。人間界に戻ってきてるんだけど、ここがどこかがわからないの」
「戻ってる?」
拓郎は座り込んだまま、周囲を見渡した。
「……俺のマンションの前だ」
拓郎は立ち上がると、みちるに支えられながらマンションへと向かった。
「拓郎、鍵を開けて」
みちるはまだ茫然としている拓郎に、エントランスホールで声をかけたが、これといった反応がなかった。
「ドアを開ける呪文。部屋番号は? 吐けぇ――――――!」
拓郎の肩を揺らすと、機械のように無機質な声でそれを口にした。
みちるがディスプレイを操作すると、マンションへ入るためのドアが開いた。2人は静かに歩いていった。
「拓郎。鍵」
みちるは再び声をかけたが、今度は何も答えてはくれなかった。
しかたがないから、拓郎のジーンズに下がっていた鍵の束をはずして、それらしき鍵を見つけだすと、ドアに差し込んだ。
「あったり――――――!」
ドアを開けると、玄関脇にかけてある姿見を眺めてぎょっとした。
泥だらけだった。
服はもちろんのこと、顔や手、髪までが泥をかぶり、すでに乾きかけていた。
刀葉林で大暴れしていた拓郎を、押さえようとしていた自分を思いだした。
「悲惨」
拓郎を見ると、彼はみちる以上に泥だらけだった。
「拓郎、大丈夫?」
声をかけても反応がなかった。
「心を地獄に置いてきちゃったみたいじゃない」
みちるはどちらかというと短気だ。ついでに阿修羅の性質を持っている。
「あたし、こういうのって許せないのよね」
みちるは自分に言い聞かせるように唸ると、容赦なく拓郎の服を脱がし始めた。
「本当に人形そのものね」
みちるは拓郎の上半身を裸にした。
ジーンズはさすがに脱がせなかったが、乱暴に靴を脱がせ、靴下も脱がせてしまった。
「さあ、立って」
みちるは拓郎を引きずって、バスルームへ入った。
シャワーのノブを回すと、座り込んでいる拓郎の頭から、熱い湯を思いっきりかけた。
「あ……つい」
拓郎はぼんやりとした表情で呟いた。
「そりゃ熱いでしょう。熱くしてるんだもん!」
みちるは容赦しなかった。
「熱い。……熱いよ、みちる」
拓郎がようやくまともに反応した。
身体をびくびく動かし、手で熱い湯を遮るような仕草をしながら、みちるを見上げた。
みちるは少し温度を下げた。
「やっと、地獄から還ってきたね」
みちるは拓郎の正面に座り、そっと彼の顔についた泥を落としながら、眼を覗き込んで笑った。
「ここは?」
拓郎は、眼の前に垂れ下がった髪の毛を掻き上げた。
「自分のマンションだって、言ったじゃない。覚えてないの? 部屋番号も言ったし、鍵もあってたわよ」
「ああ、そうなのか。覚えてないや……」
「日常的にしてることって、考えなくてもできちゃうってことね」
みちるは笑うと立ち上がった。
「さあ、もう大丈夫ね? あたしは出るから、シャワーを浴びなさい。熱いお湯をどんどんとかけて、うんと汗をかくのよ。そうしてね、自分の中のどろどろしたものも、全部流してしまうの」
みちるはやさしく微笑むとバスルームから出て、洗面所で顔だけ洗った。
玄関脇のクローゼットから、拓郎のフードつきジャンパーを選び出して羽織ると、すぐ近くのコンビニエンス・ストアーで下着だけ買ってきた。
「気持いい」
拓郎がバスルームから出てきた。
「パジャマに着替えてくるよ。みちるはどうする?」
「近くのコンビニで、下着だけは買ったわ」
「違うよ。家に帰らなくて大丈夫?」
そう言った拓郎の眼は、捨てられた仔犬のように見えた。
「忘れた? あの人たちバカンスに出るって言ってたじゃない。今日はちょうどその日よ」
「じゃあ、帰らなくてもいいんだ」
なぜか拓郎の眼に、ほっとしたような色が見えた。
「拓郎が置いてくれるならね。あの家は、おそらく六条院たちが見張ってると思うから、帰りたくないことは確かなのよ」
みちるは呟いた。
「ああ、あいつらの問題もあったっけ……。いいよ。いてくれた方が嬉しい」
最後の方は消えそうな声だった。
「俺の洋服じゃぁ、でかすぎるけれど、小さいよりはましだもんな。何か出しておくから、シャワーを浴びてこいよ」
「うん。ありがとう。あたしも泥だらけなの。それに疲れたから、熱いお湯をじっくりと浴びたいわ」
「うん。気持がいいよ。すっきりする」
拓郎は言葉とは裏腹に悲しげに笑った。
それを見て、みちるはバスルームに行きかけていた歩みを止め、拓郎に再び近づき、彼の眼を見つめた。
「私たちは、地獄から還ってきたの。わかった? 還ってきてるのよ」
みちるの赤い眼が、射るように拓郎を見つめた。
「うん。わかってる。わかってはいるんだけど……、見たくなかったんだ」
拓郎はうつむいた。
濡れた髪の毛から雫が顔に流れていった。みちるはそれをタオルで拭いた。
「もう、何も考えたくない。この苦しみから逃れたい」
拓郎はみちるの手からタオルを取り、その中に顔を埋めた。
「馬鹿ね。苦しみから逃れられないことは、拓郎が一番良く知ってるでしょう?」
「でも、心が壊れそうなんだ」
拓郎は絞り出すような声で言った。
「わかってる。わかってるよ、拓郎。でも、私たちには何もできない。あれが彼らの今の生きざまなのだと、納得するしかないじゃない」
「今の生きざま?」
「変な表現だったかな? 人間界にいた時の彼らと、地獄で生きてる彼らは、もう生きてる世界が違うんだと思ったの。その世界の理の中で生きてるんだと思ったの」
「理……」
「うん。何となくそんな感じがした」
みちるはゆっくりと拓郎から離れた。
「シャワー浴びてくるわ」
シャワーを浴びてバスルームから出てきたみちるは、リビング・ルームの入り口に立ち髪を拭きながら、ソファに座る拓郎を見つめた。
うつむいている彼の身体が、少年のように小さく華奢に見えた。
みちるの気配に気がついた拓郎が顔を上げ、泣きそうな顔で微笑んだ。
「ごめん。俺の方がずっと年上なのにな。こんな醜態を見せられて、嫌になるだろう」
拓郎は小さな声で呟いた。
「ううん。拓郎だもん」
みちるは躊躇したが、意をけっして、拓郎の両ひざの間にごそごそと入り込んで、ソファに座った。
「み……みちる?」
拓郎は驚いて、ちょっと大きな声を出した。
「だ……だから……。ぬいぐるみだと思ってくれ。拓郎、寒いでしょう? あたしに、泣き顔見られたくないでしょう? でも泣きたいでしょう? 泣いていいから。弱音を吐いていいから。ずっと我慢してきたこと。溜め込んできたこと。ここで全部流しちゃえ!」
みちるは真っ赤になりながらも、拓郎の両腕を持つと自分の身体に巻きつけ、ソファに身体を埋めるように促した。
「う……ん。辛かった。本当は今も辛い」
拓郎は、みちるの身体を抱き締めた。
「うん。うん。でもね。もうすべて済んだことなんだよ。拓郎は人間界で、この苦しみを抱いたまま生きる。彼らは地獄に転生して、その罪を償う。もう関わりがないんだよ」
みちるは身体に回された拓郎の手に、自分の手を重ねた。
「わかってる。頭ではわかってる。でも感情がついてかない」
「拓郎は人間だもん。当然じゃない」
みちるは拓郎の胸の中で、ただぬいぐるみのように、おとなしくしていた。
拓郎が肩を震わせ、みちるを強く抱きしめて、嗚咽を漏らし続けた。
みちるは拓郎の胸の中で、うとうとしていた。
さすがにここまでの旅で、かなり疲れていた。
やがて、頭上で大きなため息が聞こえて、眼を覚ました。
「ありがとう。みちる。もう落ち着いた」
拓郎はみちるを強く抱きしめた。
みちるは拓郎の胸に、頬を押しつけた。
「そうか。すぐに答えが出ることじゃないけど、状況に納得できたんならよかった。そういえばさぁ、さっき人間界についたとき、大きな月が見えてたわよ」
みちるは拓郎の腕の中で呟いた。
「今日は十六夜だと思う」
「そうね。昨晩夢を見たから、昨日が十五夜だったはずだわ」
みちるは呟いた。
「夢? もしかして、歓喜苑の夢?」
拓郎はみちるを見おろした。
「たぶん……ね。あたし十五夜の日には、閻魔さまが言ってたとおりの風景の夢を見るの」
「俺もだよ。もしかしたら俺は、かぐや姫の記憶を、夢として見てるんじゃないかって思ったよ」
「あたしも。あたしたちの中の兎が、かぐや姫を記憶してるんだわ」
「うん」
やがてみちるが呟いた。
「ああ、早くかぐや姫の欠片をすべて見つけて、黒い眼に戻りたい」
「本当の自分に戻りたいよな……?」
「うん。本当の自分ってどんな人間か、もう忘れちゃった気がする」
「それは大丈夫だ。全身癇癪玉」
拓郎は笑いながら言った。
「癇癪玉ぁ?」
「それに、愛嬌もあるし、おもしろい奴だよ、おまえは」
拓郎はくすくす笑いながら続けた。
「家へ勉強を教えに行ってるときはさぁ、サングラスをかけて、誰も近づけさせない『みちる』を演じてた」
みちるは、そのときの自分を思い出していた。
「負けてたまるか。って思ってた」
みちるは拓郎に寄りかかった。
「なんか……。疲れたな……」
みちるは弱々しい声で呟いた。
「俺たちさ、本当の自分では、立ち向かえる自信がなかったから、別の人格を作って、逃げてたんだ」
拓郎がみちるを見た。
「うん。そうだね。でも、私たちは、きっとまだやり直せるよ。人間界はそういうところなんだから」
みちるの言葉に、拓郎はにっと笑った。
「よし。決めた!」
拓郎はみちるを抱いたまま立ち上がった。
「うぉ――――――?」
急な行動に、みちるは慌てて拓郎の首に両腕でしがみついた。
「今晩はゆっくりと眠ろう。そして明日から遊ぼうぜ。兎が現れるまで、思いっきり楽しもうよ」
拓郎の言葉に、みちるは強く彼を抱きしめた。
「遊ぶの? 普通の人のように?」
床に降ろされたみちるは、わくわくして叫んだ。
「しかも、男つきだ。いい男だと思わない、俺?」
「かっこいいよ」
「お姫さまも、とっても美人だ」
拓郎は天井を見上げて笑った。
「遊ぼう!」
二人で手をつないで寝室へと向かった。
「あ……」
拓郎が、突然立ち止まった。
「ベッド、1つしかない。クイーン・サイズだから、2人で寝ても寝ることはできるけど……。俺、ソファで寝ようか」
「ふかふかのベッドでゆっくりと眠りたいのは、あたしだけじゃないと思うんだけど?」
みちるは拓郎を見つめた。
「いいの?」
「手ぇ、出すなよ」
ドアを開けると、すごく大きなベッドが置いてあった。
「行くぞ!」
「え?」
拓郎はかけ声をかけるとみちるの手を引っ張り、2人はベッドに向かって宙を飛んでいた。
「きゃ――――――! ふかふかだぁ」
みちるは着地と同時に叫び、掛け布団にくるまった。
「半分よこせ」
拓郎はみちるから掛け布団を引きはがすと、隣に入って来た。
「ちょっとぬくぬくちょうだい」
みちるは笑いながら、拓郎の胸の中へ入り込んだ。
「こりゃ! 男を挑発するようなまねをするんじゃない」
そう言いながらも、拓郎もみちるを抱きしめた。
スマートフォンを取り出して日時を確認すると、みちるは胸をなでおろした。ゴミ箱に落ちた日のままだった。
「深夜の11時過ぎか。他の日だったら、今頃警察に、あたしの捜索願いが出てたわね」
父親の勤続何十年かのご褒美だとかで、両親は1週間ほど海外旅行に出ている。
「でも、ここはどこなのかしら?」
みちるは座り込んでいる拓郎の肩を叩いた。
「拓郎。人間界に戻ってきてるんだけど、ここがどこかがわからないの」
「戻ってる?」
拓郎は座り込んだまま、周囲を見渡した。
「……俺のマンションの前だ」
拓郎は立ち上がると、みちるに支えられながらマンションへと向かった。
「拓郎、鍵を開けて」
みちるはまだ茫然としている拓郎に、エントランスホールで声をかけたが、これといった反応がなかった。
「ドアを開ける呪文。部屋番号は? 吐けぇ――――――!」
拓郎の肩を揺らすと、機械のように無機質な声でそれを口にした。
みちるがディスプレイを操作すると、マンションへ入るためのドアが開いた。2人は静かに歩いていった。
「拓郎。鍵」
みちるは再び声をかけたが、今度は何も答えてはくれなかった。
しかたがないから、拓郎のジーンズに下がっていた鍵の束をはずして、それらしき鍵を見つけだすと、ドアに差し込んだ。
「あったり――――――!」
ドアを開けると、玄関脇にかけてある姿見を眺めてぎょっとした。
泥だらけだった。
服はもちろんのこと、顔や手、髪までが泥をかぶり、すでに乾きかけていた。
刀葉林で大暴れしていた拓郎を、押さえようとしていた自分を思いだした。
「悲惨」
拓郎を見ると、彼はみちる以上に泥だらけだった。
「拓郎、大丈夫?」
声をかけても反応がなかった。
「心を地獄に置いてきちゃったみたいじゃない」
みちるはどちらかというと短気だ。ついでに阿修羅の性質を持っている。
「あたし、こういうのって許せないのよね」
みちるは自分に言い聞かせるように唸ると、容赦なく拓郎の服を脱がし始めた。
「本当に人形そのものね」
みちるは拓郎の上半身を裸にした。
ジーンズはさすがに脱がせなかったが、乱暴に靴を脱がせ、靴下も脱がせてしまった。
「さあ、立って」
みちるは拓郎を引きずって、バスルームへ入った。
シャワーのノブを回すと、座り込んでいる拓郎の頭から、熱い湯を思いっきりかけた。
「あ……つい」
拓郎はぼんやりとした表情で呟いた。
「そりゃ熱いでしょう。熱くしてるんだもん!」
みちるは容赦しなかった。
「熱い。……熱いよ、みちる」
拓郎がようやくまともに反応した。
身体をびくびく動かし、手で熱い湯を遮るような仕草をしながら、みちるを見上げた。
みちるは少し温度を下げた。
「やっと、地獄から還ってきたね」
みちるは拓郎の正面に座り、そっと彼の顔についた泥を落としながら、眼を覗き込んで笑った。
「ここは?」
拓郎は、眼の前に垂れ下がった髪の毛を掻き上げた。
「自分のマンションだって、言ったじゃない。覚えてないの? 部屋番号も言ったし、鍵もあってたわよ」
「ああ、そうなのか。覚えてないや……」
「日常的にしてることって、考えなくてもできちゃうってことね」
みちるは笑うと立ち上がった。
「さあ、もう大丈夫ね? あたしは出るから、シャワーを浴びなさい。熱いお湯をどんどんとかけて、うんと汗をかくのよ。そうしてね、自分の中のどろどろしたものも、全部流してしまうの」
みちるはやさしく微笑むとバスルームから出て、洗面所で顔だけ洗った。
玄関脇のクローゼットから、拓郎のフードつきジャンパーを選び出して羽織ると、すぐ近くのコンビニエンス・ストアーで下着だけ買ってきた。
「気持いい」
拓郎がバスルームから出てきた。
「パジャマに着替えてくるよ。みちるはどうする?」
「近くのコンビニで、下着だけは買ったわ」
「違うよ。家に帰らなくて大丈夫?」
そう言った拓郎の眼は、捨てられた仔犬のように見えた。
「忘れた? あの人たちバカンスに出るって言ってたじゃない。今日はちょうどその日よ」
「じゃあ、帰らなくてもいいんだ」
なぜか拓郎の眼に、ほっとしたような色が見えた。
「拓郎が置いてくれるならね。あの家は、おそらく六条院たちが見張ってると思うから、帰りたくないことは確かなのよ」
みちるは呟いた。
「ああ、あいつらの問題もあったっけ……。いいよ。いてくれた方が嬉しい」
最後の方は消えそうな声だった。
「俺の洋服じゃぁ、でかすぎるけれど、小さいよりはましだもんな。何か出しておくから、シャワーを浴びてこいよ」
「うん。ありがとう。あたしも泥だらけなの。それに疲れたから、熱いお湯をじっくりと浴びたいわ」
「うん。気持がいいよ。すっきりする」
拓郎は言葉とは裏腹に悲しげに笑った。
それを見て、みちるはバスルームに行きかけていた歩みを止め、拓郎に再び近づき、彼の眼を見つめた。
「私たちは、地獄から還ってきたの。わかった? 還ってきてるのよ」
みちるの赤い眼が、射るように拓郎を見つめた。
「うん。わかってる。わかってはいるんだけど……、見たくなかったんだ」
拓郎はうつむいた。
濡れた髪の毛から雫が顔に流れていった。みちるはそれをタオルで拭いた。
「もう、何も考えたくない。この苦しみから逃れたい」
拓郎はみちるの手からタオルを取り、その中に顔を埋めた。
「馬鹿ね。苦しみから逃れられないことは、拓郎が一番良く知ってるでしょう?」
「でも、心が壊れそうなんだ」
拓郎は絞り出すような声で言った。
「わかってる。わかってるよ、拓郎。でも、私たちには何もできない。あれが彼らの今の生きざまなのだと、納得するしかないじゃない」
「今の生きざま?」
「変な表現だったかな? 人間界にいた時の彼らと、地獄で生きてる彼らは、もう生きてる世界が違うんだと思ったの。その世界の理の中で生きてるんだと思ったの」
「理……」
「うん。何となくそんな感じがした」
みちるはゆっくりと拓郎から離れた。
「シャワー浴びてくるわ」
シャワーを浴びてバスルームから出てきたみちるは、リビング・ルームの入り口に立ち髪を拭きながら、ソファに座る拓郎を見つめた。
うつむいている彼の身体が、少年のように小さく華奢に見えた。
みちるの気配に気がついた拓郎が顔を上げ、泣きそうな顔で微笑んだ。
「ごめん。俺の方がずっと年上なのにな。こんな醜態を見せられて、嫌になるだろう」
拓郎は小さな声で呟いた。
「ううん。拓郎だもん」
みちるは躊躇したが、意をけっして、拓郎の両ひざの間にごそごそと入り込んで、ソファに座った。
「み……みちる?」
拓郎は驚いて、ちょっと大きな声を出した。
「だ……だから……。ぬいぐるみだと思ってくれ。拓郎、寒いでしょう? あたしに、泣き顔見られたくないでしょう? でも泣きたいでしょう? 泣いていいから。弱音を吐いていいから。ずっと我慢してきたこと。溜め込んできたこと。ここで全部流しちゃえ!」
みちるは真っ赤になりながらも、拓郎の両腕を持つと自分の身体に巻きつけ、ソファに身体を埋めるように促した。
「う……ん。辛かった。本当は今も辛い」
拓郎は、みちるの身体を抱き締めた。
「うん。うん。でもね。もうすべて済んだことなんだよ。拓郎は人間界で、この苦しみを抱いたまま生きる。彼らは地獄に転生して、その罪を償う。もう関わりがないんだよ」
みちるは身体に回された拓郎の手に、自分の手を重ねた。
「わかってる。頭ではわかってる。でも感情がついてかない」
「拓郎は人間だもん。当然じゃない」
みちるは拓郎の胸の中で、ただぬいぐるみのように、おとなしくしていた。
拓郎が肩を震わせ、みちるを強く抱きしめて、嗚咽を漏らし続けた。
みちるは拓郎の胸の中で、うとうとしていた。
さすがにここまでの旅で、かなり疲れていた。
やがて、頭上で大きなため息が聞こえて、眼を覚ました。
「ありがとう。みちる。もう落ち着いた」
拓郎はみちるを強く抱きしめた。
みちるは拓郎の胸に、頬を押しつけた。
「そうか。すぐに答えが出ることじゃないけど、状況に納得できたんならよかった。そういえばさぁ、さっき人間界についたとき、大きな月が見えてたわよ」
みちるは拓郎の腕の中で呟いた。
「今日は十六夜だと思う」
「そうね。昨晩夢を見たから、昨日が十五夜だったはずだわ」
みちるは呟いた。
「夢? もしかして、歓喜苑の夢?」
拓郎はみちるを見おろした。
「たぶん……ね。あたし十五夜の日には、閻魔さまが言ってたとおりの風景の夢を見るの」
「俺もだよ。もしかしたら俺は、かぐや姫の記憶を、夢として見てるんじゃないかって思ったよ」
「あたしも。あたしたちの中の兎が、かぐや姫を記憶してるんだわ」
「うん」
やがてみちるが呟いた。
「ああ、早くかぐや姫の欠片をすべて見つけて、黒い眼に戻りたい」
「本当の自分に戻りたいよな……?」
「うん。本当の自分ってどんな人間か、もう忘れちゃった気がする」
「それは大丈夫だ。全身癇癪玉」
拓郎は笑いながら言った。
「癇癪玉ぁ?」
「それに、愛嬌もあるし、おもしろい奴だよ、おまえは」
拓郎はくすくす笑いながら続けた。
「家へ勉強を教えに行ってるときはさぁ、サングラスをかけて、誰も近づけさせない『みちる』を演じてた」
みちるは、そのときの自分を思い出していた。
「負けてたまるか。って思ってた」
みちるは拓郎に寄りかかった。
「なんか……。疲れたな……」
みちるは弱々しい声で呟いた。
「俺たちさ、本当の自分では、立ち向かえる自信がなかったから、別の人格を作って、逃げてたんだ」
拓郎がみちるを見た。
「うん。そうだね。でも、私たちは、きっとまだやり直せるよ。人間界はそういうところなんだから」
みちるの言葉に、拓郎はにっと笑った。
「よし。決めた!」
拓郎はみちるを抱いたまま立ち上がった。
「うぉ――――――?」
急な行動に、みちるは慌てて拓郎の首に両腕でしがみついた。
「今晩はゆっくりと眠ろう。そして明日から遊ぼうぜ。兎が現れるまで、思いっきり楽しもうよ」
拓郎の言葉に、みちるは強く彼を抱きしめた。
「遊ぶの? 普通の人のように?」
床に降ろされたみちるは、わくわくして叫んだ。
「しかも、男つきだ。いい男だと思わない、俺?」
「かっこいいよ」
「お姫さまも、とっても美人だ」
拓郎は天井を見上げて笑った。
「遊ぼう!」
二人で手をつないで寝室へと向かった。
「あ……」
拓郎が、突然立ち止まった。
「ベッド、1つしかない。クイーン・サイズだから、2人で寝ても寝ることはできるけど……。俺、ソファで寝ようか」
「ふかふかのベッドでゆっくりと眠りたいのは、あたしだけじゃないと思うんだけど?」
みちるは拓郎を見つめた。
「いいの?」
「手ぇ、出すなよ」
ドアを開けると、すごく大きなベッドが置いてあった。
「行くぞ!」
「え?」
拓郎はかけ声をかけるとみちるの手を引っ張り、2人はベッドに向かって宙を飛んでいた。
「きゃ――――――! ふかふかだぁ」
みちるは着地と同時に叫び、掛け布団にくるまった。
「半分よこせ」
拓郎はみちるから掛け布団を引きはがすと、隣に入って来た。
「ちょっとぬくぬくちょうだい」
みちるは笑いながら、拓郎の胸の中へ入り込んだ。
「こりゃ! 男を挑発するようなまねをするんじゃない」
そう言いながらも、拓郎もみちるを抱きしめた。
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95部で第一部完とさせて貰ってます。
※9/24日まで毎日投稿されます。
※カクヨムさんでも改稿前の作品が読めます。
おおよそ、起こりうるであろう転移系の内容を網羅してます。
勇者召喚、ハーレム勇者、巻き込まれ召喚、俺TUEEEE等々。
ダンジョン活動、ダンジョンマスターまでなんでもあります。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
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スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
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小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
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