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可愛くない隣人編
攻める隣人
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仕事を終えて休憩室へ向かうと店長と穂高が何やら話し込んでいた。邪魔するのは悪いと思いつつ、通らないわけにもいかないので、亜紀はノックを一つして部屋に入った。
「お疲れ様です。」
「あ、持田君、お疲れー」
すぐに気が付いた店長が席をたつ。
「あ、大丈夫ですよ、すぐ着替えてでるんで。」
狭い休憩室には座席が2つしかおいていない。もともと4つ置いてあったのだが、管理室の椅子が壊れて、1脚そちらに持って行ったのと、いつの間にか煙草を吸う従業員のために1脚廊下の窓の近くが定位置になってしまったためだ。それぞれ使うときに、各従業員が持ってくるようになっている。それが面倒で増やそう、増やそうと言いながら、亜紀がここに配属になって以降、そのままだ。
「まぁ、僕も話は終わったから、そろそろ下に降りないと。」
最近都ちゃんからの風当たりが強いんだよなぁ、とぼそっと店長がこぼす。それは彼が忙しいときにも管理業務でなかなか下に降りてこないからだろう。店長ともなれば、接客や調理だけに限らず、多様な業務をこなす必要がある。そのため、そうなってしまっても仕方がないところはあるのだが、この店長は何より人当たりが良すぎる。アルバイトやパートさんも彼に色々言いやすいのか、恰好の的となっているようだ。
まぁ、本人もいいつつ気にするような、繊細なタイプではなさそうなので、問題ないだろうが。
頑張ってください、と適当に相槌を打って、亜紀は着替えを持ってすぐに更衣室に入った。
「持田先輩…」
更衣室に入り着替え始めてしばらく、押し殺したような穂高の声に、亜紀は動きをとめた。
「何?」
「更衣室からでてからでいいので、少しお時間いただけませんか。」
正直、穂高に対してわだかまりが全くなくなったかといわれれば、答えられない自覚はあるので、亜紀は迷った。思ったほどの悪感情がなかったとはいえ、それでもあれから必要以上に二人きりになるのを避けているのも事実。
けれど、その声はどこか切迫していて、心なしか涙が混じっている気がする。そんな彼女のお願いをつっぱねるのも気が引けた。
「―――うん、いいよ。」
だが、少し気の重い彼女のお願いを先延ばしにしたくて、着替えに少し時間をかけたのは内緒だ。
***
「仕事、大丈夫なの?」
縛っていた髪をほどきながら、亜紀は穂高の向かいの席に着く。
「勤務自体は19時からなので…」
穂高は始終表情が硬く、唇を噛みしめていた。話しづらそうにしているので、迷ったが、亜紀から水を向けることにした。
「そう…それでどうしたの?」
顔を上げた瞬間、穂高が泣きそうに顔をくしゃりと歪めた。え、と亜紀は戸惑う。
「……っごめんさい」
何を言われたのか分からず、亜紀は一瞬ぽかんとする。けれど、彼女の次の言葉に、心が冷えた。
「私の、せいで」
その言葉に一気に心が覚めた。
ああ、この子は。私が新店に行けない理由を、多分知っている。そして自分の罪悪感を謝って終わりにしようとしているのだ、と瞬間的に思った。心に暗い影が落ちる。
「――謝る、ってことは自分が悪いってことだけど、それでいいの?」
冷たい声に穂高がびくりと体をすくませた。
「社内恋愛が規則違反だってことは知っていたでしょ?」
「はい……」
おまけにバイトにまで知られるような付き合い方をして。こっちはいいとばっちりだ。なんて、思ったことをそのままに口にはしない。
「私のことは別にいいよ。だって、私も知っていて穂高ちゃんのこと見ないふりしてたんだから。それで副店長としての仕事を全うしていないと言われても仕方がない。」
自分で口にして、その痛さに顔をしかめた。
「でも、自分が他店舗に飛ばされる意味はよく考えた方がいいと思う。これからも仕事を続けるつもりがあるなら。」
傷ついたように、眉を顰め、俯く穂高をそれ以上見ていられなくて、亜紀は席を立つ。こんなの正論をかざしながら、その実、自分を正当化して穂高を追い詰めているだけだ。そんな自分に吐き気がした。
「あの、ほんとうに、」
「だから、謝らなくてもいいよ。お疲れ。」
それだけ言って亜紀は外へでた。
言いたいことを口にしたはずなのに、心は沈んだまま。
***
今日は飲む、と決めてコンビニで大量に缶チューハイを買い込んだ。つまみは、大好きなサラミとちーたら。
幸い明日は休みだ。少し飲み過ぎたところで問題はないだろう。
TVの音をBGMに亜紀は、早速缶を開けた。
のどに程よい炭酸が滑り落ちて心地よい。
『ごめんなさい』
どんな気持ちで彼女はそれを口にしたのだろう。
亜紀が行くはずだった新店に行くことが決まり、罪悪感でいたたまれなくなったのか。そんな風に彼女に惨めだと思われることがなんとなく癪で悔しかったのだろうと思う。
「でも、あの態度はないよなぁ…」
自分に盛大に突込みを入れる。過去、最低の態度だったと思う。おまけに、先輩風吹かせてえらそうに。もともと自分が悪かったところだってあったというのに。
元来お酒に強い方でもないくせに、亜紀は感情のまま缶を開けていく。
―――ピンポーン
ふいにチャイムの音が鳴り、亜紀はふらふらする体を玄関に向かわせ、ドアを開けた。
***
「…………一応、女の子なんだからさ、ドアホンで相手ぐらい確認しなよ。」
真志が呆れたように言った。
それもそうだった。普段チャイムが鳴る時刻にいることなど滅多にないので、すっかり忘れていた。亜紀は少し恥ずかしくなって顔をうつむけた。
「え、もしかしてお酒飲んでんの?」
亜紀の体から酒の臭いがしたのだろう、真志が驚いたように声をあげた。
「たまには私だって飲みたくなる時もあるのよ。」
言い訳のように、亜紀はつぶやいた。
「それより、どうかした?」
「や、実家から大量に野菜が送られてきちゃってさ、亜紀ちゃん食べない?」
「え、野津君って実家どこなの?」
「群馬だよ。親父の趣味で家庭菜園やっててさ、それで。」
真志が肩をすくめた。
「嬉しい…けど、私、多分料理する時間ない、かも。」
というより、スキルがないかも。が正しい。
昼も夜も、酷い時は朝も、まかないのことが多い亜紀は家でご飯を食べることが極端に少なかった。同年代の女性に比べて圧倒的に料理のスキルがない自覚はある。
「ふっふ、そんなこともあろうかと…じゃん、作ってきましたー」
真志が自分でぱちぱち、と拍手をする。
そしてはい、と手渡されたのは紙袋に入ったタッパーがいくつか。
中を見ると茄子の煮びたしや、タケノコの酢漬けが入っていた。
「すごい……これ、自分で?」
「料理は結構嫌いじゃないんだよねー」
得意げに真志が笑う。
「私も野津君、見習わないとね。」
がっくりと肩を落とした亜紀に、真志が「ですね」、と同意した。ちょっとは否定してよ、とむくれたものの、事実なのでそれ以上は何も言えない。
「今度何かお返ししなきゃ。――あ、そうだ」
亜紀はふと自分の部屋に大量に買い込んだ酒が置いてあるのを思い出す。
すでに2缶目でちょっとくらくらしている。
どうせこれ以上は飲めないだろう。さほど飲めないくせに、酩酊感を味わいたくて買い込んできた酒の山を部屋から持ってくる。
「野津君、家飲みとか結構してるよね?」
「え、うん…」
「どうせだから持ってって。飲みきれないし。」
亜紀は近くに用意していた紙袋に酒を詰めていく。と、その手を真志にとられる。
「いやいや、今お酒飲んでんだよね?」
「え、うん…」
「じゃあ、一緒に呑めばよくない?」
真志はそういうと部屋に上がろうと、靴を脱ぎ始める。亜紀は慌てた。
「ちょちょちょ、まってよ。」
先週片付けたばかりだからそこまで汚くはないが、綺麗なわけでもない。先ほどまで酒を飲んでいた机はサラミとちーたらと酒に埋め尽くされ、もはや女子の部屋というよりはおっさんの部屋だし、下着だって干してある。
「分かった。じゃあ、3分待つから急いで片付けて。」
くるっと背を向けると、真志は玄関に座り込む。
「そ、そういう問題じゃないでしょ!」
「はいはい、カウントダウンスタート。14分になったら、問答無用で入るからね。」
「ちょっと!?」
盛大に突込みを入れたが、無情にも真志がカウントダウンを始めたため、やむなく亜紀は慌てて部屋を片付け始めた。
***
3分という時間の中で、亜紀は見られてはいけないものをすべて押し入れに突込み、奔走した。そしてその感想が。
「ふーん……思ったよりちゃんとしてる、のかな。」
それとも押し入れにぶっこんであるのかな、と揶揄するように言われ、亜紀は眉を吊り上げた。
「開けたらはったおすから。」
「はいはい…ってか、つまみ、これだけ?」
「別にいいでしょ、好きなんだから」
つまみのチョイスにケチをつけられ、亜紀はふてくされた。
「まぁいいけど。」
真志が腰を下ろす。
家に人を呼ぶこともしばらくしていなかったので、奇妙な気持ちになる。
「あ、モニタリングだ。俺、これ好きなんだよね。」
真志が付いていたTVを見て声あげる。BGMがわりにつけてほとんどみていなかった亜紀はふーん、とサラミを口にした。
「興味ない?」
「TVあんま見ないから。どんな番組?」
「ありえないようなことを一般人に仕掛けて、どんな反応をするかモニタリングする番組だよ。こないだは――」
真志が生き生きと番組の内容を語り始める。
「なかなか悪趣味な番組ね…」
と言いつつさっきまで興味のなかったTVの内容が気になりだし、亜紀は画面を見つめた。
TVの奥ではドッキリにひっかかって面白い動きをする人たちが映し出され、亜紀は思わず噴き出した。
「ぷっ」
「ありえなーい」
気が付くと、目の前の真志も声を上げて笑っていた。
「TVもたまには悪くないでしょ。」
「確かに。」
そのまま二人は番組の感想を言い合いながら、酒を開けていく。
「っていうかさ、普段、亜紀ちゃんってお酒飲むイメージなかったんだけど。」
「え、ああ…うーん…」
解答に困ってぼかしていると察しのいい真志が、またなんかあった?と聞いてきた。
「まぁ…そんなとこ」
「愚痴る?聞くよ?」
真志が優しく眦を下げたので、亜紀は悩んだけれど結局話してしまう。
「……なんか、自分がすごいやなやつになっちゃったっていうか。」
うだうだと愚痴りながら、亜紀は酒をあおった。
「それってでも、普通じゃん。」
「え」
「誰だってそんなことになればムカつくし、謝って終わりにすんなよって思うでしょ。その子が実際どんな気持ちだったのかはわかんないけど。」
真志が缶をぷらぷらとさせていう。
「でも」
「亜紀ちゃんは自分に厳しすぎるんじゃない。人間なんだからさ、嫌な感情もあるし、そういう態度とっちゃう時だってあるでしょ。」
「そう…かな…。」
亜紀は俯いた。
「そうだよ」
力強くうなずく真志の姿に心が少し軽くなる。
「……ありがと。うん、はい、じゃあこの話はもう終わりー。」
亜紀はちょっとふざけながら、缶チューハイをあおった。
「言い足りないんじゃない?終わりにしていいの?」
「もう十分すっきりしたよ。それに、愚痴なんてきいてもたのしくないでしょ、」
「俺は全然かまわないよ。だって、俺、亜紀ちゃんのことが好きだから。」
***
一瞬時間が止まる。
思考が停止したまま、ふと気を紛らわすように時計を見て、はっと目が覚めた。時計の針は12時を回ろうとしていた。
「うわ、もうこんな時間だ。」
すっと立ち上がった亜紀の腕を真志が引いた。
「今更、帰れとか、何言わないよね。」
「え、だって」
隣だし、すぐ帰れるでしょ。ともごもごというと、そうじゃないでしょ、と唇をむにっとつままれた。
「俺、まだ返事聞いてないよ」
真志が求める返事が何かはすぐわかった。
「それはもう前に返事したじゃない。お店の前で。」
「冗談でしょ。あんなの、俺の求める解答じゃないよ。」
ねぇ、と耳元でささやかれる。その色っぽい声に、ぞくんと下肢が震えるのが分かった。
「亜紀ちゃんだって、俺のこと絶対好きだって」
「だから違うって…」
きっと睨みつけると、真志は面白そうに笑った。
「ふーん、そう。なら仕方がないね。」
そういうが早いか、真志は亜紀の体を後ろから抱きしめた。
「え、ちょ、ね、やだ…離して」
真志はその腕の中で抵抗する亜紀をなんなく、受け止める。普段は華奢で可愛い印象しか受けないのに、こういう時、真志の中の男を嫌でも感じてしまう。
「やだよ。離さない。」
「やだって、あんた…」
ぎゅっと力をこめて抱きしめられる。
「こうでもしないと亜紀ちゃん分かってくれないでしょ、俺の気持ち。」
すねたように、ぐりぐりと額を肩に押し付けられる。こんな時に、可愛いしぐさをするなんて、反則だ。
「……分かってるって。」
声がかすれた。
「嘘。分かってないよ。」
言うなり、真志が亜紀の頬を包み込み顔を上げさせた。
「え」
「―――嫌なら拒みなよ。」
ゆっくりと真志の綺麗な顔が近づいてきて――怖いと思うのに、逃げなきゃと思うのに、体が動かない。唇が重なる直前、亜紀は自分の恐怖や戸惑いの中に、確かに口づけへの期待があることに気が付く。
「ん」
柔らかく生暖かい濡れた唇の感触。ドラマや少女マンガとは違う、リアルなその感触に体が震える。触れただけなのに、その熱に体中が解けていくような、錯覚を覚えた。
どれほどの長さだったのか、一瞬だったのか、それとも。真志の唇が離れた途端、緊張していた筋肉のすべてが緩み、一気に力が抜ける。思わず、真志の肩に倒れ込んだ亜紀の体を真志は抱き留め、その耳元でささやく。
「これが俺の気持ち。」
ねぇ、本当に分かってた?いつもより少し低い真志の声が耳に響く。亜紀は頬を真っ赤に染めた。そんな亜紀を真志がまじまじと見つめた。
「予想以上に初心な反応…まさか結構ご無沙汰な感じ…?」
図星をつかれて、亜紀は黙り込む。
「え、嘘。ほんとに?うわー、俺のほうがどきどきしちゃうかも。」
うわーはこっちのセリフだ。冗談交じりに言われた言葉に泪が滲む。
「……からかうのもいい加減にしてっ」
亜紀は、渾身の力で真志を突き飛ばすと、ドアまで引っ張った。
「か、え、れ!!」
「えー、亜紀ちゃーん」
ドア越しに真志の声が聞こえたけれど、亜紀は耳をふさいで、ベッドにもぐりこんだ。
「お疲れ様です。」
「あ、持田君、お疲れー」
すぐに気が付いた店長が席をたつ。
「あ、大丈夫ですよ、すぐ着替えてでるんで。」
狭い休憩室には座席が2つしかおいていない。もともと4つ置いてあったのだが、管理室の椅子が壊れて、1脚そちらに持って行ったのと、いつの間にか煙草を吸う従業員のために1脚廊下の窓の近くが定位置になってしまったためだ。それぞれ使うときに、各従業員が持ってくるようになっている。それが面倒で増やそう、増やそうと言いながら、亜紀がここに配属になって以降、そのままだ。
「まぁ、僕も話は終わったから、そろそろ下に降りないと。」
最近都ちゃんからの風当たりが強いんだよなぁ、とぼそっと店長がこぼす。それは彼が忙しいときにも管理業務でなかなか下に降りてこないからだろう。店長ともなれば、接客や調理だけに限らず、多様な業務をこなす必要がある。そのため、そうなってしまっても仕方がないところはあるのだが、この店長は何より人当たりが良すぎる。アルバイトやパートさんも彼に色々言いやすいのか、恰好の的となっているようだ。
まぁ、本人もいいつつ気にするような、繊細なタイプではなさそうなので、問題ないだろうが。
頑張ってください、と適当に相槌を打って、亜紀は着替えを持ってすぐに更衣室に入った。
「持田先輩…」
更衣室に入り着替え始めてしばらく、押し殺したような穂高の声に、亜紀は動きをとめた。
「何?」
「更衣室からでてからでいいので、少しお時間いただけませんか。」
正直、穂高に対してわだかまりが全くなくなったかといわれれば、答えられない自覚はあるので、亜紀は迷った。思ったほどの悪感情がなかったとはいえ、それでもあれから必要以上に二人きりになるのを避けているのも事実。
けれど、その声はどこか切迫していて、心なしか涙が混じっている気がする。そんな彼女のお願いをつっぱねるのも気が引けた。
「―――うん、いいよ。」
だが、少し気の重い彼女のお願いを先延ばしにしたくて、着替えに少し時間をかけたのは内緒だ。
***
「仕事、大丈夫なの?」
縛っていた髪をほどきながら、亜紀は穂高の向かいの席に着く。
「勤務自体は19時からなので…」
穂高は始終表情が硬く、唇を噛みしめていた。話しづらそうにしているので、迷ったが、亜紀から水を向けることにした。
「そう…それでどうしたの?」
顔を上げた瞬間、穂高が泣きそうに顔をくしゃりと歪めた。え、と亜紀は戸惑う。
「……っごめんさい」
何を言われたのか分からず、亜紀は一瞬ぽかんとする。けれど、彼女の次の言葉に、心が冷えた。
「私の、せいで」
その言葉に一気に心が覚めた。
ああ、この子は。私が新店に行けない理由を、多分知っている。そして自分の罪悪感を謝って終わりにしようとしているのだ、と瞬間的に思った。心に暗い影が落ちる。
「――謝る、ってことは自分が悪いってことだけど、それでいいの?」
冷たい声に穂高がびくりと体をすくませた。
「社内恋愛が規則違反だってことは知っていたでしょ?」
「はい……」
おまけにバイトにまで知られるような付き合い方をして。こっちはいいとばっちりだ。なんて、思ったことをそのままに口にはしない。
「私のことは別にいいよ。だって、私も知っていて穂高ちゃんのこと見ないふりしてたんだから。それで副店長としての仕事を全うしていないと言われても仕方がない。」
自分で口にして、その痛さに顔をしかめた。
「でも、自分が他店舗に飛ばされる意味はよく考えた方がいいと思う。これからも仕事を続けるつもりがあるなら。」
傷ついたように、眉を顰め、俯く穂高をそれ以上見ていられなくて、亜紀は席を立つ。こんなの正論をかざしながら、その実、自分を正当化して穂高を追い詰めているだけだ。そんな自分に吐き気がした。
「あの、ほんとうに、」
「だから、謝らなくてもいいよ。お疲れ。」
それだけ言って亜紀は外へでた。
言いたいことを口にしたはずなのに、心は沈んだまま。
***
今日は飲む、と決めてコンビニで大量に缶チューハイを買い込んだ。つまみは、大好きなサラミとちーたら。
幸い明日は休みだ。少し飲み過ぎたところで問題はないだろう。
TVの音をBGMに亜紀は、早速缶を開けた。
のどに程よい炭酸が滑り落ちて心地よい。
『ごめんなさい』
どんな気持ちで彼女はそれを口にしたのだろう。
亜紀が行くはずだった新店に行くことが決まり、罪悪感でいたたまれなくなったのか。そんな風に彼女に惨めだと思われることがなんとなく癪で悔しかったのだろうと思う。
「でも、あの態度はないよなぁ…」
自分に盛大に突込みを入れる。過去、最低の態度だったと思う。おまけに、先輩風吹かせてえらそうに。もともと自分が悪かったところだってあったというのに。
元来お酒に強い方でもないくせに、亜紀は感情のまま缶を開けていく。
―――ピンポーン
ふいにチャイムの音が鳴り、亜紀はふらふらする体を玄関に向かわせ、ドアを開けた。
***
「…………一応、女の子なんだからさ、ドアホンで相手ぐらい確認しなよ。」
真志が呆れたように言った。
それもそうだった。普段チャイムが鳴る時刻にいることなど滅多にないので、すっかり忘れていた。亜紀は少し恥ずかしくなって顔をうつむけた。
「え、もしかしてお酒飲んでんの?」
亜紀の体から酒の臭いがしたのだろう、真志が驚いたように声をあげた。
「たまには私だって飲みたくなる時もあるのよ。」
言い訳のように、亜紀はつぶやいた。
「それより、どうかした?」
「や、実家から大量に野菜が送られてきちゃってさ、亜紀ちゃん食べない?」
「え、野津君って実家どこなの?」
「群馬だよ。親父の趣味で家庭菜園やっててさ、それで。」
真志が肩をすくめた。
「嬉しい…けど、私、多分料理する時間ない、かも。」
というより、スキルがないかも。が正しい。
昼も夜も、酷い時は朝も、まかないのことが多い亜紀は家でご飯を食べることが極端に少なかった。同年代の女性に比べて圧倒的に料理のスキルがない自覚はある。
「ふっふ、そんなこともあろうかと…じゃん、作ってきましたー」
真志が自分でぱちぱち、と拍手をする。
そしてはい、と手渡されたのは紙袋に入ったタッパーがいくつか。
中を見ると茄子の煮びたしや、タケノコの酢漬けが入っていた。
「すごい……これ、自分で?」
「料理は結構嫌いじゃないんだよねー」
得意げに真志が笑う。
「私も野津君、見習わないとね。」
がっくりと肩を落とした亜紀に、真志が「ですね」、と同意した。ちょっとは否定してよ、とむくれたものの、事実なのでそれ以上は何も言えない。
「今度何かお返ししなきゃ。――あ、そうだ」
亜紀はふと自分の部屋に大量に買い込んだ酒が置いてあるのを思い出す。
すでに2缶目でちょっとくらくらしている。
どうせこれ以上は飲めないだろう。さほど飲めないくせに、酩酊感を味わいたくて買い込んできた酒の山を部屋から持ってくる。
「野津君、家飲みとか結構してるよね?」
「え、うん…」
「どうせだから持ってって。飲みきれないし。」
亜紀は近くに用意していた紙袋に酒を詰めていく。と、その手を真志にとられる。
「いやいや、今お酒飲んでんだよね?」
「え、うん…」
「じゃあ、一緒に呑めばよくない?」
真志はそういうと部屋に上がろうと、靴を脱ぎ始める。亜紀は慌てた。
「ちょちょちょ、まってよ。」
先週片付けたばかりだからそこまで汚くはないが、綺麗なわけでもない。先ほどまで酒を飲んでいた机はサラミとちーたらと酒に埋め尽くされ、もはや女子の部屋というよりはおっさんの部屋だし、下着だって干してある。
「分かった。じゃあ、3分待つから急いで片付けて。」
くるっと背を向けると、真志は玄関に座り込む。
「そ、そういう問題じゃないでしょ!」
「はいはい、カウントダウンスタート。14分になったら、問答無用で入るからね。」
「ちょっと!?」
盛大に突込みを入れたが、無情にも真志がカウントダウンを始めたため、やむなく亜紀は慌てて部屋を片付け始めた。
***
3分という時間の中で、亜紀は見られてはいけないものをすべて押し入れに突込み、奔走した。そしてその感想が。
「ふーん……思ったよりちゃんとしてる、のかな。」
それとも押し入れにぶっこんであるのかな、と揶揄するように言われ、亜紀は眉を吊り上げた。
「開けたらはったおすから。」
「はいはい…ってか、つまみ、これだけ?」
「別にいいでしょ、好きなんだから」
つまみのチョイスにケチをつけられ、亜紀はふてくされた。
「まぁいいけど。」
真志が腰を下ろす。
家に人を呼ぶこともしばらくしていなかったので、奇妙な気持ちになる。
「あ、モニタリングだ。俺、これ好きなんだよね。」
真志が付いていたTVを見て声あげる。BGMがわりにつけてほとんどみていなかった亜紀はふーん、とサラミを口にした。
「興味ない?」
「TVあんま見ないから。どんな番組?」
「ありえないようなことを一般人に仕掛けて、どんな反応をするかモニタリングする番組だよ。こないだは――」
真志が生き生きと番組の内容を語り始める。
「なかなか悪趣味な番組ね…」
と言いつつさっきまで興味のなかったTVの内容が気になりだし、亜紀は画面を見つめた。
TVの奥ではドッキリにひっかかって面白い動きをする人たちが映し出され、亜紀は思わず噴き出した。
「ぷっ」
「ありえなーい」
気が付くと、目の前の真志も声を上げて笑っていた。
「TVもたまには悪くないでしょ。」
「確かに。」
そのまま二人は番組の感想を言い合いながら、酒を開けていく。
「っていうかさ、普段、亜紀ちゃんってお酒飲むイメージなかったんだけど。」
「え、ああ…うーん…」
解答に困ってぼかしていると察しのいい真志が、またなんかあった?と聞いてきた。
「まぁ…そんなとこ」
「愚痴る?聞くよ?」
真志が優しく眦を下げたので、亜紀は悩んだけれど結局話してしまう。
「……なんか、自分がすごいやなやつになっちゃったっていうか。」
うだうだと愚痴りながら、亜紀は酒をあおった。
「それってでも、普通じゃん。」
「え」
「誰だってそんなことになればムカつくし、謝って終わりにすんなよって思うでしょ。その子が実際どんな気持ちだったのかはわかんないけど。」
真志が缶をぷらぷらとさせていう。
「でも」
「亜紀ちゃんは自分に厳しすぎるんじゃない。人間なんだからさ、嫌な感情もあるし、そういう態度とっちゃう時だってあるでしょ。」
「そう…かな…。」
亜紀は俯いた。
「そうだよ」
力強くうなずく真志の姿に心が少し軽くなる。
「……ありがと。うん、はい、じゃあこの話はもう終わりー。」
亜紀はちょっとふざけながら、缶チューハイをあおった。
「言い足りないんじゃない?終わりにしていいの?」
「もう十分すっきりしたよ。それに、愚痴なんてきいてもたのしくないでしょ、」
「俺は全然かまわないよ。だって、俺、亜紀ちゃんのことが好きだから。」
***
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「え、だって」
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ねぇ、と耳元でささやかれる。その色っぽい声に、ぞくんと下肢が震えるのが分かった。
「亜紀ちゃんだって、俺のこと絶対好きだって」
「だから違うって…」
きっと睨みつけると、真志は面白そうに笑った。
「ふーん、そう。なら仕方がないね。」
そういうが早いか、真志は亜紀の体を後ろから抱きしめた。
「え、ちょ、ね、やだ…離して」
真志はその腕の中で抵抗する亜紀をなんなく、受け止める。普段は華奢で可愛い印象しか受けないのに、こういう時、真志の中の男を嫌でも感じてしまう。
「やだよ。離さない。」
「やだって、あんた…」
ぎゅっと力をこめて抱きしめられる。
「こうでもしないと亜紀ちゃん分かってくれないでしょ、俺の気持ち。」
すねたように、ぐりぐりと額を肩に押し付けられる。こんな時に、可愛いしぐさをするなんて、反則だ。
「……分かってるって。」
声がかすれた。
「嘘。分かってないよ。」
言うなり、真志が亜紀の頬を包み込み顔を上げさせた。
「え」
「―――嫌なら拒みなよ。」
ゆっくりと真志の綺麗な顔が近づいてきて――怖いと思うのに、逃げなきゃと思うのに、体が動かない。唇が重なる直前、亜紀は自分の恐怖や戸惑いの中に、確かに口づけへの期待があることに気が付く。
「ん」
柔らかく生暖かい濡れた唇の感触。ドラマや少女マンガとは違う、リアルなその感触に体が震える。触れただけなのに、その熱に体中が解けていくような、錯覚を覚えた。
どれほどの長さだったのか、一瞬だったのか、それとも。真志の唇が離れた途端、緊張していた筋肉のすべてが緩み、一気に力が抜ける。思わず、真志の肩に倒れ込んだ亜紀の体を真志は抱き留め、その耳元でささやく。
「これが俺の気持ち。」
ねぇ、本当に分かってた?いつもより少し低い真志の声が耳に響く。亜紀は頬を真っ赤に染めた。そんな亜紀を真志がまじまじと見つめた。
「予想以上に初心な反応…まさか結構ご無沙汰な感じ…?」
図星をつかれて、亜紀は黙り込む。
「え、嘘。ほんとに?うわー、俺のほうがどきどきしちゃうかも。」
うわーはこっちのセリフだ。冗談交じりに言われた言葉に泪が滲む。
「……からかうのもいい加減にしてっ」
亜紀は、渾身の力で真志を突き飛ばすと、ドアまで引っ張った。
「か、え、れ!!」
「えー、亜紀ちゃーん」
ドア越しに真志の声が聞こえたけれど、亜紀は耳をふさいで、ベッドにもぐりこんだ。
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〇構想執筆:2020年、改稿投稿:2024年
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