夏の終わりに

佐城竜信

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7月29日。彰久は武道館にいる。これからアマチュア格闘大会が始まるのだ。
彰久は緊張している。なにしろ今日の結果次第でプロ格闘家になれるかどうかが決まるのだ。
それに。
(親父から許可もらわないまま参加してるからな)
彰吾はあれからも、彰久がプロ格闘家になることを拒否し続けている。まるで子供が駄々をこねるように、だ。その度に彰久は説得を試みたのだが、やはり上手くいかない。結局、今日までずるずると来てしまったわけである。
(でもまあ……)
ここまで来た以上、やるしかないのだ。
そうこう考えているうちに、試合開始の時間が迫っていた。控え室にはセコンドである正義がいる。
「大丈夫かい?緊張しているんじゃないかね?」
「ええ、まあ……」
「大丈夫だよ。君はまだ若いんだ。今回優勝を逃しても、またいずれプロになれる機会があるさ」
正義の言葉を聞きながら、彰久は深呼吸をする。
そのときだった。
――バンッ! ドアが勢いよく開く音がした。誰かが来たようだ。
そこにいたのは千里だった。その後ろには真理もついている。
「彰久、応援に来たよ!」
「おう、来てくれたのか二人とも!」
彰久の顔がほころんだ。千里の顔を見ていると、先ほどまでの緊張が嘘のように消えていくようであった。
千里の後ろにいる真理を見て、彰久は微笑む。
――ありがとう。
声にならない声で呟く。
「まあね。っていっても、みんなもちゃんと応援席にいるから心配しないで!」
「はは。そりゃあ心強いや」
「それにしても、彰久君……」
真理は顔を赤くして彰久を見ている。彰久の体は腹はきれいに六つに割れており、腕にもしっかりと筋肉がついている。
「どうしたんだよ、真理姉?」
「ううん……。なんか別人みたいだからびっくりしちゃっただけ……」
「ああ、これか。まあ、ちょっと頑張ってみたんだ」
彰久は自分の体を見ながら言った。彰久は大会参加が決まってから、毎日トレーニングをしていた。それは今までのような趣味ではなく、格闘技のトレーニングだ。おかげでこの通り、体は鍛えられている。
「へぇー。すごいじゃん。ねえ、千里」
「そうね!彰久、すっごいエロい体になってるよ!」
「エロいって……」
屈託のない笑顔で凄いことを言いだしたものだ。彰久は苦笑するしかなかった。
「そういえば彰久、雄介と小百合が付き合いだしたって知ってた?もう、会場に来るまでずーっといちゃいちゃしっぱなし!おかげでこっちまで恥ずかしくなっちゃった!」
「そうなのか。まあ、やっとといえばやっと、って感じかな」
そんなたわいのない会話をしていると、係員の男がやってきた。そろそろ試合が始まるらしい。
「あっ、ごめん。大切な試合の前にこんな話して」
「いや、いいんだ。おかげで緊張もほぐれたからちょうどよかったよ」
彰久は立ち上がり。
「じゃあ行ってくるよ」
「がんばってね!」
「絶対勝ってよね!」
二人の言葉を聞いて、彰久は大きく肯いた。そして、拳を前に突き出す。
「まかせとけって!」
二人は同時にその拳に自分の拳を合わせた。


第一試合の彰久の相手は木戸武。彼はキックボクシングの使い手である。彰久とそれほど変わらない背丈ではあるが、彼の方が体つきは細い。とはいえ、筋肉はしっかりと突いている。俊敏性をあげるために筋肉をそいでいるのだとしたら油断はできない。
「レディー……ファイっ!」
審判の掛け声とともにゴングが鳴る。先に動いたのは武の方だった。
ステップを踏みながらハイキックを放ってくる。速攻で決めにきているとでもいわんばかりに。
(もしかして、グラウンドの技術がないのか?)
キックボクシングには相手を倒してから制する技も、それを回避するための技術もない。だからこそ、相手に組み付かれる前に仕留めたいと思うのだろう。彰久も空手家であり、同様に組み付かれた後の対策がないからこそよくわかる。
(それにしても……)
相手のキックをガードしながら、彰久は思う。
今日この日まで彰久は正義を相手に嫌というほどに組み手を繰り返してきた。だからこそ思うのだ。
(遅くないか?相手の攻撃)
牽制のキックが飛んでくる。彰久はそれを受けながら前へ出る。相手がにやりと笑った気がした。フェイント気味のキックの後に本命のコンビネーションをお見舞いするつもりだったのだろう。だが、彰久の踏み込みの方が早く、懐に飛び込み相手の必殺の間合いから外れると、キックを受けながらも相手の腹に正拳突きをお見舞いする。
互いにカウンター気味に入った一撃ではあるが、相手は体重を減らしてしまっているためにうまく重さが出せていない。正義よりはるかに軽い蹴りでは彰久に致命打は与えられない。逆に彰久の拳を受けた相手は体をくの字に折り曲げる。
その隙を逃さずに彰久は足を振り上げて相手の顎に食い込ませる。蹴り飛ばされて上を向いた相手の顔に踵落としが見事に極まる。
――ドゴッ! 鈍い音と共に、リングの上に鮮血が飛び散った。
鼻骨が完全に折れてしまったのだ。
「ダウンっ!」
レフェリーがカウントを始める。彰久はすかさず追い打ちをかけようとするのだが、レフェリーは待ったをかけた。
そしてレフェリーが10カウントを数え終わると、彰久の勝利が確定した。
「勝者、千葉彰久!」
勝利を告げるアナウンスが流れると、観客席からは歓声が上がった。
「うおおおおっ!すげえぞ、あいつ!いきなり勝ったぜ!!」
「あの木戸さんに勝つなんて、いったい何者なんだ!?」
観客の声を聞きながら周囲を見渡すと、千里と真理、そして友人たちの姿を見つけることができた。彰久が笑顔で手を振ると、千里たちも同じように手を振り返してくれた。
――よし。
彰久は心の中でガッツポーズをした。だが、それでも。
(やっぱり親父は来てくれてないのか……)
それだけが心残りだった。
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