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しおりを挟む夏休みが始まり、授業は無くなった。それでも千里はバスケ部の練習のために学校に顔を出しているのだが、憂鬱な気分を抱えていた。
それというのも、千里が虐めを受け始めたからだ。例えばこんなことがあった。ある日の練習中、千里は同級生の女生徒からボールをぶつけられた。そしてこう言った。
「ごめんなさい、わざとじゃないんですよー」
と。
もちろん千里は故意だとわかっている。しかし、それを咎めることはできない。なぜなら、千里は彼女に口答えすることができないから。だから千里はただ黙って俯くことしかできない。また、ある時は――
「おい、邪魔なんだけど」
と、上級生の男子部員から突き飛ばされた。
「すみません」
千里は慌てて頭を下げた。
「ちっ……、調子に乗ってんじゃねえぞ」
彼は舌打ちしながら去っていく。
(なんで私が……)
千里の心の中に怒りと悲しみが渦巻いていた。
「千里、ちょっといいかな?」
練習が終わった後、由紀子に呼び止められた。
「はい、なんですか?」
「あのさ、千葉君って彼女いる?」
「えっ!?い、いないと思いますけど」
「そっかぁ。でも、千葉君好きな人がいるって言ってたよ?それって千里のことなんじゃないの?」
「いえ、それは……」「おーい、由紀子!」
「あっ、ごめん、よばれちゃった。それじゃあね!」「あっ……」
弁明さえさせてもらえなかった。彰久が好きなのは自分の姉なのに。自分ではないのに。
(……もしかして、先輩が彰久に振られたから。だからみんなが私に嫌がらせをするようになったの?)
そうではないと信じたいのに。由紀子がみんなを先導して虐めさせているわけではないと思いたいのに。千里の心の中には疑惑が芽生え始めていた。
***
「よし、彰久君!今日の稽古を始めようじゃないか!」
「はい!」
夏休みに入ってからというもの、毎日彰久は正義から空手の稽古をしてもらっていた。もうすぐアマチュア格闘大会があるし、その後には全国大会も迫っている。だから彰久は少しでも強くなりたいと思っているのだ。
「彰久君。君は本当に筋がいい。才能もある。あとは経験を積むだけだ」
「ありがとうございます!頑張ります!」
「うむ。では今日は型の確認をしようか。まずは基本の構え方だ」
「はいっ!」
***
「はぁ……はぁ……」
道場に彰久の荒い呼吸音だけが響いている。
「ふむ、だいぶ疲れてきたようだね。そろそろ休憩にするか?」
「はい……ありがとう、ございます……」
彰久は床に倒れこんだ。全身汗まみれで、着ていたTシャツはびっしょりと濡れている。
「ほら、水分補給を忘れるなよ」
そう言いながら正義はスポーツドリンクの入ったペットボトルを差し出した。
「ありがとう……ございます」
彰久はそれを受け取ってゴクゴクと飲んだ。冷たい液体が喉を通って胃の中へと流れ込んでくる感覚が何とも心地よい。一息ついたころ、千里が帰ってきた。
「ただいま……」
「おかえり、千里。今日はバスケの練習じゃなかったのか?もうすぐ大会があるんだろ?」
「あっ……う、うん。ちょっと体調が悪くて休んじゃったんだ」
「体調が悪いって……千里、大丈夫か?」
彰久が心配そうな顔をして話しかけてくる。
「うん、大丈夫だよ」
本当は全然大丈夫なんかじゃなくて、心はボロボロだ。だけど、これ以上彰久に迷惑をかけるわけにもいかない。だから千里は無理矢理に笑顔を作った。
「……大丈夫じゃないってことだな」「えっ?」
「お前はいつもそうだ。何かあるとすぐに大丈夫、大丈夫っていうけど全然大丈夫じゃないだろ」
「……」
「俺にはわかるんだよ。小さいころからずっと一緒にいるんだからな。だからさ、もっと俺を頼ってくれよ。俺はそんなに頼りないか?」
その言葉を聞いて胸の奥がきゅっと締め付けられるような感じがした。彰久はいつだって自分のことを気にかけてくれる。家族として、兄弟として、とても大切にしてくれる。だから千里はそんな彰久のことが大好きなのだ。
「……彰久……私……」
涙があふれてきた。
「ごめん……ごめんね……私、彰久に嫌われたくなくって……それで……」
泣き崩れてしまった千里を彰久が優しく抱きしめてくれた。
「ごめんな……俺がもっと早く気がついていれば……」
「違うの、彰久は何も悪くないの。悪いのは私なんだから……」
しばらくして二人は落ち着きを取り戻したのだが……。
(彰久に抱きつかれてる!?)
彰久は千里のことを優しく抱きしめてくれている。だが千里は恥ずかしくて仕方がない。顔だけでなく体全体が熱くなる。心臓の鼓動が速くなっていくのが自分でもよくわかった。
「あのさ、千里」
「な、なに?」
「俺がちゃんと話をつけるよ。」「えっ!?」
「すみません、師匠!ちょっと学校に行ってきます!」「えっ!?彰久っ!?」
言うやいなや駆けだしていく彰久を追いかけて千里も走っていく。そんな二人の姿を見送りながら。
「千里もいい子に好きになってもらえたものだな」
と、正義は呟くのだった。
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