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「一年生集まってー」


 二年生になったということは部活で後輩ができるということ。

 後輩の指導係に任命された私は、早速簡単な雑用を押し付け始めた……嫌な奴と思うかもしれないが、運動部なんてそんなもんなのだ。

 ただ――一つ。

 グラウンド端でジャグ用の水を汲んでくる雑用だけは……私が率先してやっている。


「……」


 じゃーっという水音をかき消すように、隣の道場から大声が聞こえてくる。

 この声のどれか一つが、きっと。

 市原くんのものなんだろう。


「あれ、前田さんじゃん」


 不意に、後ろから声を掛けられた。

 今朝も似たようなことがあったなと思いつつ振り返ると――案の定、そこには市原くんが立っていた。

 違う点は、いつもの制服姿ではなく、道着を着ているところ。


「……何してんの市原くん。練習中でしょ?」


「なんか入部希望者が少なすぎるらしくて、二年生は勧誘いけってさ。サボれてラッキー」


「なるほどね。勧誘頑張って」


「ありがと。ていうか、前田さんこそ何してんの? 水汲みって一年生がやるんじゃないんだ」


「……今は他のこと覚えてもらってるから、私が代わりにね」


「へー、相変わらず優しいね」


「……」


 なんか変な感じだ。

 違うクラスになって、もう話すこともないと思っていただけに……不意打ちで始まったこの会話が、妙に心地いい。


「あ、あのー……剣道部の人ですか?」


 市原くんの後ろから、そんな声が聞こえた。

 見れば、ザ・一年生という雰囲気を纏った女の子が、おどおどしながら彼に話しかけている。


「? そうだけど、何か用ですか?」


「えっと……ちょっと興味があって、見学したいなと……」


「マジ⁉ おっけーおっけー、道場の入り口すぐそこだから、案内するよ」


「あ、ありがとうございます」


 女の子はぺこりとお辞儀をする。


「ってことだから、俺行くわ。前田さんも、水汲みとかいろいろ頑張って!」


 市原くんはそう言って、私に背を向けた。

 当然だ。彼がここで会話を続ける理由なんて一つもないのだから、さっさと道場に戻るに決まっている。


「……待って」


 あれ?

 なんで私、引き止めてるの?


「ん? どうしたの?」


 急に引き止めたの嫌な顔一つせず、市原くんは振り返ってくれた。


「えっと……」


 気まずい。

 言うことなんて考えてなかったし、どうして声が出たのかも自分でわかっていない。

 ただ。

 ここで彼を行かせてしまったら……二度と。
 もう二度と、話せないような気がして。


「……ココア」


「え、ココア?」


「……無糖のココア、お返しにあげたことがあったでしょ? お父さんが注文間違えたらしくて、家に大量に余ってて……もしよかったら、貰ってくれないかな?」


「マジ? ……いやでも、そんな貰いっぱなしは悪いって」


「お父さんも、無駄にするくらいなら飲みたい人にあげなさいって言ってたから、そこは気にしないで」


「んー……そういうことなら……超いる! ありがと、前田さん!」


 市原くんはニコッと笑う。


「一気に渡すと迷惑だと思うから……一本ずつあげる感じでもいい? 私も、段ボール持ってくるの嫌だし……」


「何でもオッケー。俺は貰う側なんだから、前田さんのやりやすいようにしてくれていいよ」


「じゃあ、明日また、部活の前にここで渡すね」


「了解! 楽しみ!」


 そう言い残して、彼は一年生と共に道場へと戻っていった。


「……バイト、増やした方がいいかな」


 もちろん、家に大量の無糖ココアなんて余っていない。

 私は携帯を開き――ココアの相場を調べる。

 うん。ちょっとだけシフト、増やしてもらおう。





 それから。

 私から市原くんへの無糖ココアのプレゼントは、ほとんど毎日続いている。

 もっとも、彼はプレゼントだとは思っていないけれど……私が実費で購入してると知ったら、申し訳なくて受け取ってくれないだろうから、そのことは伏せているのだ。

 放課後、ココアを渡す数分間。

 私たちの奇妙な関係は、なぜか途切れることなく続いていった。

 ……それで、まあ、認めたくないけど。

 事ここに至っては、認めざるを得ないだろう。

 私が――彼を。

 市原勇樹くんのことを、憎からず思っているという事実を。


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