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悪夢 003

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 『悪夢ブラックカーペット』、石島いしじま煉瓦れんが
 最悪の世代の一人にして、八月二日に発生した菱岡市襲撃事件の実行犯であり。
 俺の両親含め、二十人以上の善良な市民を殺害した凶悪犯である。
 被害者の数が確定していないのは、俺の妹――叶凛音が、今なお生死の境を彷徨っているからなのだが。


「……江角さん、奴がまたここに現れたっていうのは、どうしてなんです?」


 俺は平常心を保とうと、意図的に声のトーンを落とす。そうでもしないと、今すぐ怒りでどうにかなりそうだからだ。


「目的は不明です。ですが、彼を追い続けているチームからの情報なので、信憑性は確かです。うちの課で緊急の対策班を編成し、居場所を特定次第討伐に向かいます」


 俺に動揺を与えまいとしているのか、江角さんは淡々と事実を伝える。それは実に大人の対応で、沸き上がる感情を抑えるのに一役買ってくれた。


「叶さんには直接会ってお伝えするのが礼儀だと思って、こうして会いにきました。恐らく近いうちに『悪夢』との決着をつけてみせます……いえ、必ずつけます」


 力強くこちらを見据える彼女の言葉には、安心感と信頼感があった。江角さんの強さはあの渚美都も認める程なので、きっと無事に奴を討伐してくれるのだろう。


「今回の件に関しては、叶さんに力を貸して頂くことはしません。ご遺族の方を巻き込むわけにはいきませんから。どうか私たちを信じて待っていてください」


 それが四脳会の責任ですと、江角さんは意志のこもった声で言う。そう言われてしまったら、こちらとしても彼女に任せる他ない。ここで私的な感情に流されていては、逆に迷惑をかけることになってしまう。


「……わかりました」


 俺はその言葉を発するしかなかった。
 本当は、『悪夢』をこの手で殺したくて殺したくて仕方がないのに……あれ、俺ってこんなキャラだったっけ?


「では、何か動きがあれば進捗をお伝えしますね。デート、お邪魔してすみませんでした」

「はぁ……」


 盛大に勘違いしたままの江角さんは、自分の車へと向かって歩き出す。訂正するのも面倒なので、俺は曖昧な返事を返すだけだった。


「あの、江角さん。今回の件には渚さんは関わってくれるんですか?」


 彼女が運転席に乗り込む前に、寸でのところで疑問を投げかける。少し気になっただけなのだが、もし『凶器の愛トリガーハッピー』が協力してくれれば鬼に金棒だ。彼女の実力は、先日の『巨獣モンスター』狩りの時に嫌という程見せつけられたわけだし。


「……あの人は、天津さんの命令で別件にあたっているようで、連絡が取れないんです」


 江角さんは、何か一悶着あったことを匂わせる表情で言う。まさかゴシュジンサマの名前が出てくるとは思わなかった……渚さんの中での優先順位は当然四脳会よりも橙理の方が上なので、仕方ないのだろう。


「安心してください、叶さん。彼女がいなくとも、私たちは必ず『悪夢』を討伐してみせます」


 そう言って、江角さんは車に乗り込む。そして荒々しいエンジン音を吹かせ、たちまちに猛スピードで狭い路地を駆け抜けていった。

 走り去る高級車を見送りながら、俺は考える。
 『悪夢』のことを。

 奴の名前を聞いた瞬間に、爆発するような感情が右腕から流れ込んできた――それは怒り、憎悪、そして悲哀。今まで四人のカワードを食べてきた俺は、初めて能動的に、『悪夢』のことを食い散らかしたいと思ってしまったのだ。


 それは、俺が人間であるために超えてはならない一線。
 その境界の向こうは――ただの怪物だ。

 だから、ここは江角さんに全てを任せよう。そもそも一介の大学生である俺如きが、大量殺人犯をどうこうできるはずがないのだ。


「……」


 ふと背後から怪しい視線を感じる。一体こんな昼間にどんな不審者がと思って振り返ると、不機嫌そうな顔をした立花日奈だった。彼女はいつの間にか俺の真後ろまで迫ってきて、ジトッとした目で睨みつけてくる。


「……で、あの大人かっこいい女の人は誰なの、凛土くん」


「誰っつうか、普通の知り合いだけど……」


 なんだ、どうしていきなり柄が悪くなったんだ。江角さんと話していたのもほんの数分だし、そこまで待ちぼうけさせたわけでもあるまいに。


「ふーん……ああいう人が好みなんだ、凛土くんは。そうですかそうですか」


「……」


 女子、わからねえ。

 とりあえず彼女の機嫌を損ねてしまったのは確かなようなので、ここは早々に部屋に招待した方がよさそうだ。凛音の声が聞こえれば、オカルト好きな立花は狂喜乱舞することだろうし……あんまり自分の妹をオカルト扱いしたくはないが、まあ許してくれるはずだ。


「まあまあ、とにかく部屋に入ろう。話はそれからだ」


 立花をなだめるためにも、そしてこんな往来でもめているところを近所の住人に見られないためにも、俺は彼女を急かして歩かせようとしたのだが。


 ブルッ。


 腰の携帯が震える。

 嫌な予感が再度頭を駆け巡る。しかもさっきのよりも一段と強い。親の仇が現れた報せより不吉だなんて、これは中々背筋が凍る。

 バイブレーションはやまない。早く出ろと震え続ける。あー、これは確実にあいつからの電話だ。このタイミングでの着信、作為と悪意に満ちた嫌がらせ。

 俺は意を決して電話に出る。


「……はい、もしも」


『遅いですよ凛土先輩。まさか無視しようとしてました?』


 食い気味に突っかかってくる声の主は案の定、天津橙理だった。さて、嫌な予感の一つは的中してしまった形だが……残りの一つはどうだ?
 この電話は、『悪夢』に関するものなのか?


『立花先輩とよろしくやってるようで何よりです。退院直後に自宅に連れ込もうだなんて、先輩は手が早いですねぇ』


 主観的な事実とは大いに異なるが、しかし客観的に見れば橙理の言う通りだった。


「うるせえ。さっさと用件を言え」


『急かしますね。?』


 お前からの電話はいつも最悪だと思いつつ、詰め将棋みたいに外堀を埋めてきやがる話し方にもっと嫌気がさす。


「……」


『おや、黙っちゃいましたね。まあ、あんまりいじめるのも可哀想なので、今回はこのくらいにしておきましょうか』


 やけにあっさりしている奴の態度が、逆に不吉さを加速させる。だって、すでに不穏な事態は始まっていると言わんばかりじゃないか。


「……で、本題はなんなんだ」


 電話の向こうのゴシュジンサマはくすりと笑う。その吐息は嫌に鼓膜にこびり付き、全身に寒気が駆け巡る。


『ええ。これが面白いことに、凛土先輩の仇が、菱岡市に舞い戻ってきたようなんですよ』


 そんなことは知っている。そして、俺がその情報を得ていることを、橙理は知っている。
 なら、本命はその続き。

 恐らくいつもの性悪そうな笑みを浮かべているであろう橙理は、言葉を続ける。

 最低最悪な情報を、俺に教える。


『石島煉瓦……彼は現在、。そこには、確か先輩の愛すべき妹さんが入院してましたよね』



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