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13.決戦への前奏曲

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一度クリアした罠は最早、通用しないと悟ったのか。
あるいは、邪悪なる魔術師エメトが直々に相手をすると決めたのか。
いずれの理由にせよ、ヤカサはとうとう辿り着いたのだ、
ゲロトラップダンジョンの最奥部、スタッフルームに。

ノックも無しにドアノブを捻り、ヤカサはスタッフルームへと踏み込んだ。
ヤカサを包む生暖かい空気の感触、まるで獣の口内に入ったかのような。
わかっていたことだ、今更その程度のことでヤカサは怯まない。
暗く広いスタッフルームに、ヤカサは敵の姿を探した。
真正面にある豪奢な玉座には、誰も座っていない。
ならば、どこだ――邪悪なる魔術師エメトは。
部屋の隅に光があった、文明の叡智――パソコンの明かりだ。
パイプ椅子に座って、エクセルを操作する作務衣姿の男が一人。
男はパソコンに向けて座ったまま、振り向くこともなく言った。

「……今から休憩時間を取るので、少し待って頂けますか。
 侵入者で遊ぶのは業務ではなく、趣味ですからね」
ヤカサは何も言わず、石ころを男に向けて投げつけた。
男は座ったまま、視線をヤカサの方に向けることもなく、石ころを捕らえた。
男は手に入れた石ころを、ポケットに入れ、玉座へと歩き出した。
横顔だけでわかる、白く美しい肌をした男だった。
無造作に遊ばせた髪の毛は、奇妙にバランスが取れていて、
自然に生まれたものが芸術の根本であることを示しているかのようである。

「どうも初めまして、私がエメトです」
エメトは玉座に座り、始めてヤカサの顔を見た。
その目には金色の妖しき輝きが宿っている。魔性の瞳である。

「ヤカサ・ノ・コスムだ」
ヤカサは端的に名乗り、エメトを睨んだ。
エメトは頬を僅かに上げ、静かな声で言った。

「コスム……覚えていますよ、私のもとに唯一辿り着いたのが彼でした。
 すると、貴方は彼の息子さんかな」
「ああ……」

昨日のことであるかのように、ヤカサの脳裏に情景が浮かび上がる。
父親が迷宮に挑んだ日のことだ。
「……行ってくる」
「親父、行くな。素人のアンタに何が出来るって言うんだよ」
「……迷宮の素人でも、酒のプロだ。
 俺は行く、俺の作った酒を全部、取り戻す」
「良いじゃねぇかよ別に!奪った酒も、結局エメトから代金は振り込まれてる!
 好きにさせときゃいいだろうが!親父のやることじゃねぇ!」
「酒が人を幸せにするとは思わん、
 だが……俺は、人を不幸にしないつもりで酒を作ってきた。
 クソみたいな世の中だ、素面で生きていくのは辛い奴もいる。
 そんな奴らが、少しでも苦しみを忘れられるように、と作ってきた。
 ……エメトには一言ぐらい文句を言ってやらねぇと、おさまらねぇよ」
「親父、だったら……俺も!」
父は、片目を瞑り、口元を奇妙に歪めた。
ウインクのつもりなのだ、笑っているつもりなのだ。
酒造り以外に関しては不器用な父だった。

「……たまには息子に格好いいところ見せさせてくれや」
父はそう言って、俺の頭を撫でた。
いつだって、親父は格好良かったよ――その言葉を結局言えないまま、
親父はゲロトラップダンジョンに挑み、敗れた。
嘔吐による罰金を払えなかった親父は、
今もゲロトラップダンジョンの地下で、
奴隷がぐるぐる回す棒みたいな奴を回しているらしい。

ヤカサの心の中で嵐のように感情が渦巻いていた、しかし、その思考は冷静だった。
「テメェをぶちのめす前に……親父の思いをわからせてやる」
「ほう……?それはそれは興味深い、
 この歳になっても新しい物事を知ることは大きな喜びですからね」
頭にまで怒りが上らぬように、ヤカサは大きく息を吐いた。
思うのは父親、そして――女騎士。
ヤカサは懐からタブレット端末を取り出し、映像の再生を開始した。

「動画でビールが出来るまでの過程を見ていきましょう」
タブレット端末から流れ出す音声。

「待ってもらっていいですか」
「なんだ」
ヤカサは映像を一時停止し、エメトに応じた。

「えっ、わからせるって……その」
「親父の情熱を……工場長として、どんな気持ちでビールを作って、
 どんな気持ちでテメェに挑んだかわからせるために、動画を作ってみた」
「こういう親父の仕事を汚された復讐系の奴で工場長の息子って来るんですね……」
「工場長の息子だって親父の仕事を尊敬するからな!」
怒りの指先が再生アイコンを叩きつけるように打った。
再び流れ始めるビールが出来るまでの過程。

「そういえば、長年生きてきたけど工場見学って行ったことないですねぇ」
「工場によっては団体でなくても見学出来るところもあるが、
 やはり、行ったことがないと工場見学に対するハードルがあるからな。
 だが、今回の映像のように、公式サイトで動画を公開している企業もある。
 まずはそういうものから触れてみるのも良いだろう」
「クク……成程、それは良いことを聞きましたね」
油断ならぬ会話が交わされる一方で、映像はとうとうパッケージングに突入した。
出来上がったビールが、見知ったデザインの缶に収められていく。

「工場見学も色々と楽しいところはあるが、一番テンションが上がるのは、
 あっ!この商品だ!っていうのが明確にわかるところだな」
「わかりますねぇ!あっ……でも、このデザイン」
「どうした?何か不備があったか?」
「いや、こういう工場長って、ローカルな地ビール工場の人だと思っていたので、
 普通に世界中に流通してるビール会社の工場長が来るんだなぁ……って」
「仕事に対する情熱はどこでも変わらねぇからな」
「まぁ、そうですねぇ……」

かくして、邪悪なる魔術師エメトは見た。
ビールが生まれ、販売されるまでの過程を。
映像が流れ終わったタブレット端末を仕舞い、ヤカサは叫んだ。

「これが……お前が簡単に奪ってきたビールの、親父の情熱の結晶だ!!」
「クク……いや、全く素晴らしかったですよ」
邪悪なる魔術師エメトは拍手を送る。
それは悪鬼の心の底からの称賛のようであった。
「だが、それと戦いは別の話……嘔吐クチュールで作成した魔獣が、
 貴方を地獄へと……」
エメトの目に邪悪なる炎が宿った、獲物を甚振る獣の輝きである。
赤よりも熱く燃える、青色の嗜虐的な情熱である。
だが、エメトの言葉を制して、ヤカサが言った。

「戦いを始める前に、
 今回、動画作成に協力していただいた工場にお礼状を送るから、
 お前も感想文とか何かしら書いてくれ、向こうも喜ぶと思うから」
「クク……いいでしょう」

戦いの予感を残して、
エメトは玉座から降りて、デスクに向かい、感想文を書き始めた。
感想文を書き終えた瞬間に、熾烈なる戦いが幕を開けるだろう。
戦いの前奏曲であるかのように、
静寂にエメトのボールペンの音だけが響き渡っていた。
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