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12.敗北の代償

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「おぼ……ぉ……」
口の中が酸味で溢れる。身体の内側は焼け、顔は赤く染まっている。
ゲロトラップダンジョン――なんたる恐るべき悪夢の迷宮か。
歴戦《二年目》の騎士であるノミホですら、ここまでの傷を負ったのだ。
ノミホは周囲を見回す。
彼女を待ち受けているはずのヤカサはいない。
ノミホは自嘲した、当然のことである。
今日たまたまゲロトラップダンジョンで出会った関係である。
自分にゲロを吐きかけた女騎士など、何故、待つというのか。
そのような愚かな選択を誰がするだろう。
そうだ、常に愚かなのは自分だ。

そのような関係性だというのに、
ヤカサがいないというだけで、胃袋どころか、心まで空虚感に満ちている。

「あっ……そうか……」
少しだけ落ち着いて、スマートフォンを操作しかけたノミホの手が止まった。
せめて、謝罪の一つでもしようと思ったが、
彼女はヤカサの連絡先の一つも知らなかったのだ。

「ふふ……全く……私という奴は……しょうがないな……」
ノミホは取り出したスマートフォンで、そのまま通話アプリを起動した。
ダイヤル先は上司――騎士団長ルナ・ノンディモーノ・マレ(32)である。

「ノミホか、どうだったゲロトラップダンジョンは?」
「……負けました。もう、駄目です……!」
「そうか、負けたか……お前ほどの騎士でも、アレは駄目か」
「申し訳ございません!」
「いや、良い。
 お前で駄目ならば、もう我が騎士団での攻略は不可能だろう。
 だが、安心しろ……最終手段はちゃんと用意している」
「さ、最終手段ですか?」
「ゲロトラップダンジョンを、
 戦略魔導兵器によって、この世から塵一つ残さず消滅させる……!」
「や、やりすぎ子供の喧嘩に魔王が出るでは……?」
「……だが、敗北よりは良い。
 国が一人の魔術師に屈するなど……絶対にあってはならぬのだ!」
「しかし、何の罪もない民に被害が!」
「安心しろ、周辺被害は出ないように高度な調整を施す。
 そして、ゲロトラップダンジョンに行くようなアホ、死んでも構わんだろ」

騎士団長ルナの言葉に、ノミホの記憶が蘇る。

親の財布をパクってゲロトラップダンジョンに来たニート、
毎月コツコツと横領してマイホームを買ったおじさん、脱税のプロ、
そして、トイレに並ぶ酔っ払い共。
退店するべきであるのに、飲み放題を続けるために退店しようとしないのだ。

「くそっ!一理ある!」
「午前8時に、ゲロトラップダンジョンは消滅する。
 エメトに悟られぬように、間違っても避難誘導は行うなよ」
「……はい」

騎士は時に非情な選択を求められる。
10のために1を切り捨て、100のために10を切り捨てる。
そして、時には1のために100を。
ゲロトラップダンジョン――あの恐るべき悪意の迷宮のために、
どれほどの人間が、死ぬことになるだろう。
そして、それは本当に正しい選択であるのだろうか。
だが、敗者たるノミホに何を言うことが出来るだろう。

「さらば、ゲロトラップダンジョン……」
通話が切られ、夜の闇に向けてノミホは呟く。
そして、スマートフォンを仕舞おうとして、
思い直したノミホは嘔吐マッピングアプリを起動した。

結局ゲロトラップダンジョンをクリアすることは出来なかった。
それでも、この基本無料アプリが無ければ、
ビュッフェまで辿り着くことは出来なかっただろう。
削除する前に、自分も記録を残しておいてもいいだろう、と思った。
ゲロトラップダンジョンは消滅する。
役目を失った嘔吐マッピングアプリの記録は誰にも読まれることはない。
だから、本当にただの自己満足だ。

絶体絶命の危機をピンを引き抜くタイミング次第で回避出来るおっさん、
異常なスピードでIQが増減するパズルゲーム、
ゲームをクリアするだけで電子マネーを入手できる怪しいアプリ、
様々な無料広告が流れた。
それはまるで死の瞬間に流れる走馬燈の如き記憶の乱舞のようだった。

★4の欄に書き込もうとして、ノミホは見た。

女騎士の相棒
★★★★☆
大丈夫だ、俺が代わりに勝ってくる。
俺と一緒に戦ってくれてありがとうな。

「あぁ……クソ……本当に愚かなのは私だった!」
ヤカサは自分を見捨てたのではない。
誰かがノミホを見捨てたというのならば、それはノミホ自身だ。
一度の嘔吐が何だというのだ、それは諦める理由にはならない。

女騎士
★★★★☆
戦いが終わったら、連絡先を教えるよ。
こんなクソアプリを二度と使わないでいいように。
だから、無事で待っていてくれ。
今から私が追いかけるから。

嘔吐マッピングアプリに書き込みを行い、ノミホは再度通話アプリを起動した。

「どうした、ノミホ。眠いんだが」
「……行きます」
「何がだ」
「ノミホ・ディモ・ジュースノームは……再度、ゲロトラップダンジョンに赴き、
 今度こそ、邪悪なる魔術師エメトを討伐します!!」
「もう遅い」
「は?」
「敗北した部下がダンジョンに再挑戦を願い出たが、
 もう戦略魔導兵器は始動した。今更止められないから後悔してももう遅い。」
「……わかりました」
そう言って、ノミホは通話アプリを切断した。
部下の方から通話アプリを切断するなど、
マナー孔子が墓から蘇り、二時間説教するような真似である。
だが、上司に切らせるその数秒ですらノミホには勿体ないのだ。
戦略魔導兵器が起動する前に、
邪悪なる魔術師エメトを討伐し、ヤカサと共に帰還する。

再び、ノミホがゲロトラップダンジョンへの一歩を踏み出そうとして、
「むっ」
女騎士は何かを蹴飛ばした。
感触は軽く、蹴飛ばされたものは、倒れて、少しだけころころと転がる。

「これは……」
拾い上げてみれば、それは水だった。
近くの自販機で売っている500mlペットボトルの水。
蓋は閉まったままで、手がつけられていないのだろう。

「全く、勿体ないことを……いや」
ペットボトルの水を飲みながら、ノミホは走った。
焼けた喉に、荒れた胃に、よく冷えた水の感触が心地よい。

「ありがとうな、ヤカサ」
ゲロトラップダンジョンに敗北した女騎士ノミホ。
だが、彼女は何も失ってはいないのだ。

入場料1980フグを払い、免許証で年齢を確認したノミホは、
再び、ゲロトラップダンジョンへと挑んだ。
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