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1.自惚れひよこの世間知らず

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「ビーを春まであずかるって?」
 デーティアはシャロン、ここではシャーリーに聞き返した。
「はい」
 シャーリーはいつになく厳しい顔で答えた。

 母親のシャーリーと長男で十五歳ののジル、双子の姉妹で十三歳のアンジーとフラニー、五歳の末娘のビーは、デーティアの森の魔女の家で夏の楽しい三週間を終えて、三日後に変える予定だった。

 ジルはすっかり逞しくなって、朝夕の納屋仕事を一手に引き受け、今年はデーティアに指導されて新しい畑を開墾した。
「薬草園が手狭になったから助かるよ」
 デーティアに感謝されて素直に喜ぶジル。

 ジルことジルリアは今年の冬から婚約者の選定が始まる。アンジーとフラニーの婚約も公表される。最後の子供時代の夏休暇かもしれない。

 そんな子供達をデーティアは思いきり甘やかし、毎日彼らの好物を振舞った。
 ヤギのバターとクリームとチーズの入ったマッシュポテト、タマネギとパンとセージの詰め物を入れてクランベリーやカラントやオレンジのソースをかけたロースト・チキン、鶏肉と豆のクリーム煮、夏野菜の冷製スープ、キャベツ・サラダのゼリー、ベーコンとジャガイモのパイ、レーズン入りグレイビー・ソースをかけた蒸し鶏やロースト・ビーフ。たいてい冬に作るミンス・パイやドライフルーツをたっぷり入れたプディングやケーキも、ここぞとばかりに食卓を賑わせた。ティータイムも思いつく限りの菓子を作った。真っ赤なイチゴのジェリーをたっぷり塗って巻いたジェリー・ロール、パウンド・ケーキに氷室の氷で作ったアイスクリームを添えたもの、焼きメレンゲ・ケーキ、レモン・カードや様々なフルーツ・ジャムのタート、杏のプリザーブ、チェリー・パイやイチゴ・パイやカスタード・パイ。

 もちろんビーもシャーリーも喜んで相伴した。

「ちょっと甘やかし過ぎたせいで、戻るのが嫌になってしまったのかね?」
「確かにもっとここに居たいとビーが我儘を言っているのですが、わたくしの理由は違いますの」
 デーティアには思い当たることがあった。
「この家系の赤毛は利かん気で厄介な気性だからねえ」
 デーティアの言葉にシャーリーは、ふふふと笑った。
「ビーはおばあさまのようになりたいと言っているのです」
「あたしのように?ビーは何か勘違いしてるね」
 手をひらひら振ってデーティアが言う。
「魔女にでもなる気かい?」
「そうなのです」
 はぁと鼻白むデーティア。

「ビーは思い違いをしているようだね。大方、王宮での生活が煩わしくて駄々をこねているんだろう?」
 シャーリーは真剣な表情になった。

「アンジーとフラニーの婚約も来年には調うので、過敏になっているのかとも思いましたが…」
 元々アンジーことアンジェリーナはフィランジェ王国の王太子に、フラニーことフランシーヌはダンドリオン侯爵家の長男に嫁ぐことが内定していた。十四歳になれば正式に婚約が発表されるのだ。

「ビーは王家の奔放な方の気質が勝っているようなのです」
 シャーリー、いや、この国の王太子妃シャロンが語った。

 ビーの正式な名前はベアトリス。今年五歳になった。
 父親そっくりの(デーティアにもそっくりの)赤い巻き毛、灰青色の瞳、性格は陽気で気ままでかなり我儘だ。しかし、デーティアの下では我儘も鳴りを潜めるらしい。

 十分我儘でやんちゃだけどね。デーティアは思う。

 デーティアの家では食事の時もお茶の時もお行儀よく振舞うが、王宮に帰ると反抗する。
 アンジーとフラニーにも行儀作法を教えているブラウ伯爵夫人に、同じく習っているが逃げ出すことの方が多い。
 ここに来る前に「伯爵夫人のくせに指図する」とシャロンに言ったため、「講義内容に身分は関係ありません」と厳しく叱られた。

 やれやれ、生意気な猫かぶりっ子だね。うちでは大きな猫はジルだけで十分だよ。デーティアは心の中で笑う。ジルはシャロンの長男のジルリアと同じ呼び名のデーティアの飼っている大きな白い猫だ。

 叱った時にビーことベアトリスはこう言ったという。
「あたしは淑女にならないもん!魔女になるんだもん!おばあさまとずっと暮らすんだもん!」
 シャロンやアンジェリーナやフランシーヌが
「おばあさまは然るべき場所では、淑女のマナーは完璧だ」
 と言えば
「じゃあ、あたしもできるもん」
 と豪語したそうだ。

 実際デーティアの見ているところでは、5歳にしては及第点をとれるマナーを見せている。地頭はいいのだ。

 そしてとうとう「おばあさまと暮らしたい!」と言ってきかなくなった。

「要するに舐めてかかっているのですわ」
 舐めてかかるなどという、俗っぽい言葉をシャロンはわざと遣った。
 デーティアが眉を上げて見せると、シャロンはくすっと笑った。
「王宮の暮らしがどれだけ恵まれているか、夏に過ごすおばあさまの家でどれだけ甘やかされているかわかっていないのです。ここでの生活が夏のように、いつも楽だと思っているのですわ」
「これはあたしの責任も大きいね。あたしは無責任が売りだけど、それで子供をダメにするのは気が咎めるよ」
 デーティアがしおらしく言うと、シャロンは首を振った。
「おばあさまは責任を果たしておいでです。現に、ジルもアンジーもフラニーも弁えて切り替えることができますもの」
「王家の赤毛の血の業かねえ?」
 デーティアは自分の肩口の毛先に触れる。
「アンジーとフラニーも同じくらいの歳には、堅苦しいことをいやがったけどねえ」
「二人はビーよりずっと物事がわかっていました。ダメだとわかって反抗していたのです。ビーは違います。今は本気で王家から出られると思っているのです」
「それはあたしがここで暮らしているからだね?」
「それもありますが…」
 シャロンは言いにくそうに答えた。
「おばあさまのことを、今どれくらい話したらいいのか迷っているのです」

 デーティアはハーフ・エルフだ。エルフの母親と人間の父親から産まれた。
 生後半年で母親を失い、父親はエルフの村にデーティアを託した。
 その父親は当時の第三王子で、後に兄2人が亡くなったため探し出されて王位に就いた。
 シャロンからすると夫である王太子の曽祖父だ。デーティアはその母親違いの姉に当たる。
 エルフの母親に似ているのは長身と吊り気味の緑色の瞳、そして長命であること。130歳を超えた今も10代後半の娘のようなみかけだ。人間の父親に似たのは、渦巻くような赤い巻き毛と小さめの耳、そして身勝手で自由で短気な性格だ。
 代々美姫を娶る王家とエルフの美しさが溶けあっている美貌。王家とエルフの魔力が相乗効果を成した強い魔力と魔力量の多さは、宮廷魔導士が全員でかかっても敵わない。

 父親は高等教育を望んで金子を置いて行ったので、デーティアは十歳から五年間王立学園に通った。
 実は父親はデーティアの身分を証明するペンダントも残して行き、そこに探索の魔法をかけていた。いずれ学園に進学した時に引き取る気でいたのかもしれない。
 しかしデーティアはエルフの村で魔法を習い始めてすぐ、その魔法を解除してしまった。その上、初等教育を飛ばして中等科から始め、高等科も早くに履修を始め、通常より早く卒業していたので、父親とは会わずじまいだ。
 尤も、会いたいとか引き取りたいとか思っていたのかどうかもわからない。
 その気ならいくらでも探し出すことができただろう。

 しかし父親はそうしなかった。

 それが父親の答えだろうとデーティアは解釈している。

 数百年も生きる王族なんぞ、面倒極まりないからね。と。

 だからデーティアは人間とエルフの中間に居ることを選んだ。
 魔女になることだ。

 そして何百年も生きる王族を増やさないよう、魔女の契約儀式で子宮の機能を捧げた。
 デーティアは恋することも子供を産むことも放棄したのだ。

 変わり者の魔女を殊更強調するように、表地が深紅で裏地が漆黒のフード付きマントを纏い、いつも黒い服を着ている。渦巻く赤毛は肩辺りで乱雑に切っている。

 惚れ薬も恋のまじないもできない魔女。それでも医術にも薬学にも魔法にも長けた魔女。
 それがデーティアだ。

 ハーブや薬草を調合した薬やお茶や料理用の調味料、髪油や肌に潤いを与える薔薇水や白粉や色粉や香油、それを加工した紅などはよく売れる。植物を使った染め物をした布で小物を作ったり、繊細なレースを編んだり、刺繍をしたり。それも売り物だ。

 過去に何度か王家の危機を救う一助となった縁で、今では王太子妃のシャロンをはじめ、子供のジルリア、アンジェリーナ、フランシーヌ、ベアトリスが夏に遊びに来るようになっている。

 末娘のベアトリスが五歳、来年には「もう淑女になる勉強に力を入れるように」と言い渡す予定だった。アンジーとフラニーのように。
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