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2月29日(木)夜
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お風呂に入って、夜ご飯を食べて、歯磨きをして。史上最速でやるべきことを終わらせ、如月が待っている自室へ戻った。
「あ、詩。早いね、もうちょっとゆっくりしてもいいんだよ?」
「だめだよ、あと三時間しかないもん」
もう午後九時を過ぎている。如月と過ごせるのは、あと少し。一分一秒も無駄にしたくない。
「さあ、何しようか」
「それは考えてないんだね」
といっても、今日はゲームにトランプにオセロに五目並べ、いろんなことをやりつくしてしまった。そういうのにも飽きてきたころだ。
「そうだ、如月。ブローチ、カバンにつけようかと思うんだけど、どう思う?」
学校で使っているカバンを持った。来週にテストがあるから持って帰ってきた教科書が、ずっしりと重たかった。
「カバン? いいと思うけど、なんでカバン?」
「それは……」
理由を言うのが恥ずかしい気がして、少し言うのを躊躇った。
「できれば、ずっとつけていたくて。でも学校だと制服につけてたら先生から何か言われそうだから、それならカバンかなーって」
ブローチのアメジストが如月の色って感じがして、このブローチをつけていたら二月じゃなくても如月と一緒にいるような気がしそうだと思ったのだ。だから、できるだけ近くに置いておきたい。
「そんなに気に入ってくれたの? 嬉しいな」
如月がアルバイトして稼いだお金で、私のために買ってくれたブローチだ。気に入らないわけがない。
「大事にしてね。それを来年からはそのブローチを目印に、詩に会いに行くから」
これを目印に? なら、なおさら大切なものになってしまった。もし壊れたり失くしたりしたら、如月が迷ってしまうかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。
「アメジストのネックレスさ、オレが持ってちゃだめかな」
「あ、これ?」
絡まらないように大事にしまってあったネックレスを取り出す。
これは、如月と文子さんの思い出が詰まった大切なもの。文子さんの形見でもある。
たしかに、私が持っているのも変な話だ。
「いいよ。如月が持ってた方が、文子さんも嬉しいと思う」
「え、いいの? ……ありがとう」
如月は大事そうにアメジストのネックレスを受け取った。私にネックレスをくれたおばあちゃんへなんて説明すればいいのか思いつかないけど、それは後で考えればいい。
如月の表情が柔らかくて、いいなと思った。如月は意外と整った顔をしている。特にどこがいいとかはよくわからないけど、全体的なバランスがいいような気がした。
ふと思いついて、スマートフォンのカメラアプリを開く。そうして、如月にカメラを向けてみた。
「あー、やっぱ映んないなぁ」
スマートフォンの画面には、如月を通り越して見慣れた私の部屋が映っているだけだった。一応シャッターを押してみたけど、如月は映っていなかった。
「ん? どうかした?」
「如月の写真が欲しかったけど無理だった」
「オレの写真?」
仕方ない、諦めよう。
でもよく見ると、今撮った写真の、実際には如月がいる箇所が、少しだけ歪んでいるような気がした。映ってはいないけど、ここに如月がいるんだということはわかる。
「にこにこしてるけど、どんな写真撮ったの?」
「なんか歪んでる心霊写真」
「オレにも見せて」
スマートフォンの画面を如月に見せる。
「本当だ、歪んでる」
如月がいたところの空間が歪んでいるのは、なんでなんだろう。不思議だ。
「詩のことも撮ってあげようか?」
「なんで」
私のことを撮っても私のスマホにしかデータはないし、何の意味もない。
「あれ、スマホ反応しない。オレの指じゃ反応してくれない感じ?」
「かもね。仕組みよくわかんないけど、スマホって指かタッチペン以外のものじゃ反応しないから」
如月は人間じゃないから、何かが違うのかもしれない。
彼は口を尖らせながらスマートフォンから手を離した。
「オレが写真に写れたら、詩とのアルバムとか作れたのになぁ」
「それやってみたかったかも」
アルバムがあればいつでも見返せるし、寂しくない。それに、この時ああだったよね、実はこの時、と話しながらアルバムを作るのは楽しそうだ。
「アルバムじゃないけど、日記はつけてるんだよね」
小学校の頃に日記を三行書くという宿題が出ていて、その名残で現在も日記をつけている。その日の勢いで書いているし見返すことはあまりないから、文章ははちゃめちゃかもしれない。
「それ見たい。初めて話した時とか、どういう風に思われたのか知りたい」
「え、あー……まあ、うん。いいよ」
悩んだけど、最後の如月と過ごせる日の、彼からのお願いだ。多少抵抗があっても叶えてあげようと思った。
日記帳を手に取り、二月一日のページを探す。そういえば、私自身も読み返すのは初めてだ。
『2月1日(木)
おばあちゃん家に行ったら、知らない男がいた。おばあちゃんに聞いてみても、二月の妖精さん?とか意味がわからないことばっかり。とりあえずお母さんに連絡したけど、返事来ないし、どうすればいいんだろう』
まだ一か月も経ってないのに、懐かしく感じる。ここから今日まであっという間のようで長かった。
「オレの知らないところでこんなことになってたんだ。怖がらせてごめんね」
最初に見た如月は、もう本当に怖かった。如月は窓から出ていくし、おばあちゃんは頼りにならないし、お母さんにメッセージを送っても返信が来ないし。とにかく不安で不安でしようがなかった。
「オレたちが初めて喋ったのって二日だっけ?」
「だったと思う」
ページをめくってみる。そのページの字は、書き殴られていてとてつもなく読みにくかったから、解読に時間がかかった。
『2月2日(金)
変なのいた。昨日見た男の人、お兄ちゃんに見えてなかった。二月の精霊とか言ってたけど、何あれ、怖い。どうしよう』
その後も不安な気持ちがびっしりと書かれている。この日は得体の知れないモノと会話をしてしまった衝撃で、怖くて夜眠れなかった。
「めちゃくちゃ怖がらせてんじゃん。ほんとごめん、そんなつもりはなかったんだよ」
「あの時はすごく怖かったけど、今は怖くないから大丈夫」
この日記を書いていた日は、まさか如月のことを好きになるだなんて思いもしなかった。
「ショッピングデートした日、なんて書いてある?」
いつだったっけ。最初の方だった気がする……あ、これかな。
『2月4日(日)
今日はすごく疲れた。
友達とショッピングに行こうと思っていたのに、妹ちゃんが熱出しちゃったみたいで行けなくなった。
代わりに如月と行くことになったけど、よく知らない人とショッピングは疲れた。
でもちょっと楽しかったかも』
そうだ、めちゃくちゃ疲れてたんだ。大きなショッピングモールを回るだけでも大変なのに、それに加えて、まだよく知らなかった如月と一緒にっていうのが、しんどいぐらいだった。
だけど、日記に書いてある通り、ショッピングデートは楽しかった。
「楽しかったよね、ショッピングデート。ワッフル美味しかったし、それ食べてる詩も可愛かったし。来年も行こうよ」
可愛いって、こんなにさらっと言われて私だけ恥ずかしくなるとか、不公平な気がする。だから平気なふりをした。
「私も行きたい。でも次は他のお店でもいいね、クレープとかもあったよ」
照れているのがバレているのか、如月は私の顔を覗き込んでニヤニヤしていた。
誤魔化すように日記のページをめくる。
あと印象に残っていることといえば……初午の日、稲荷神社に行った時のこと。
『2月12日(月)
稲荷神社に行ったらめちゃくちゃ拒まれた。なんでだろう。
でもいなり寿司とお揚げのバーガーが美味しかったからよかった』
「この日、やる気なかったんだな。せっかくの思い出なのに、何も書き留めてない」
「でも詩の記憶には残ってるでしょ? ならよくない?」
たしかに、思い出として心の中に残っている。日記には書かれていなくても、覚えているならいいか。
『2月14日(水)
如月にあげようと思ったのに、マカロン失敗した。余分に作ったクッキーをあげたけど、あれ形悪かったやつだし、そんなのを如月にあげることになってしまって悔しい。
如月は失敗したマカロンを美味しいって言ってたけど、気を使わせちゃったかな』
反省だらけのバレンタインデー。思い返すと後悔しかないけど、それも思い出だ。
「気を使ったとかじゃなくて、本気で美味しいと思ったんだけどな」
「あれが?」
私は美味しくないと思ったから、如月に共感はできない。たぶん本気で美味しいと思ったんだろうけど、どうしてもお世辞だと思ってしまう。
「あとクッキーも美味しかったよ。売り物みたいに美味しかった」
クッキーには自信がある。そう言ってもらえて嬉しい。
「動物園行ったよね、前の日に作ったチョコパン持って」
「行ったね。その日のこと書いてないや、疲れてすぐ寝ちゃったから」
印象に残っている出来事は大体全部ちゃんと書かれていない。そういう日は疲れていることが多いから、すぐに寝てしまうのだ。
「なんか、あっという間だったような長かったような。毎日何かしら思い出あるよね」
「うん。今年の二月は詩と過ごせて、本当に幸せだったよ」
幸せ。私も幸せだった。
一緒に豆まきしたり、料理したり、からかわれたり、変に疑って尾行したり。それから、告白されて、恋をして。この二月、本当にいろんなことがあった。
隣に座っている如月にもたれかかる。彼も真似して私の方に倒れてきた。
こうやって誰かの温もりを感じたのは、子どもの時以来だろうか。心が満たされていく感じがする。
「もうこんな時間」
時計の針は11時52分を指していた。カチ、カチ、と音を立てて、秒針は進んでいく。
如月と私の間には、穏やかな時間が流れていた。お互いに楽な支え合う体制で、時がゆっくり進んでいるのを感じていた。
息を吸う音が聞こえた。それが自分のものなのか、如月のものなのか、区別がつかないぐらい近くにいた。
ああ、好きだなぁ、と思った。温かくて、心地よくて。如月の隣にずっといたいと思った。大好きだ。
「ねぇ如月。大好き」
彼は驚いたように一瞬体を震わせた。そして私の手を握り、離さないように指を絡める。
「オレも、詩が大好きだよ」
胸の辺りがくすぐったい。この感じが気持ちよくて、つい眠ってしまいそうになる。
如月と会えなくなるのは寂しいけど、もう焦ったりはしていない。
だって、またすぐに二月は来る。それまでに如月へ話す思い出も作らなきゃだし、やることはたくさんある。きっとすぐだ。
「絶対、真っ先に詩に会いに行くよ」
11時58分。そろそろ時間だ。
如月と話したいことはまだたくさんあるけど、最後にこれだけは伝えたい。
「待ってるよ。ずっと、待ってるから」
11時59分。
如月は私の返事を聞いて、そっと微笑んだ。
最後にもっと近づきたくて、如月に抱きついた。お別れは笑顔でいようと思ったのに、だめだなぁ。勝手に涙が出てきてしまった。
「またね、詩」
如月が私の頭を優しく撫でた。
そう、また会える。これで一生のお別れってわけでもないんだ。如月を待つと約束したんだ。
「うん。またね、如月」
0時0分。日付が変わって、3月1日。
如月は、まるで最初からいなかったみたいに跡形もなくいなくなった。
でも、ちゃんと覚えている。最後に、泣き出しそうな私を見て、少し顔を赤らめて笑った顔。如月の、嬉しいときに見せる表情。
最後に見れたのがあの顔でよかった。
涙が溢れてきて、止まらなくなる。パジャマの袖がびちゃびちゃになるぐらい、如月のことを想っていた。
「あ、詩。早いね、もうちょっとゆっくりしてもいいんだよ?」
「だめだよ、あと三時間しかないもん」
もう午後九時を過ぎている。如月と過ごせるのは、あと少し。一分一秒も無駄にしたくない。
「さあ、何しようか」
「それは考えてないんだね」
といっても、今日はゲームにトランプにオセロに五目並べ、いろんなことをやりつくしてしまった。そういうのにも飽きてきたころだ。
「そうだ、如月。ブローチ、カバンにつけようかと思うんだけど、どう思う?」
学校で使っているカバンを持った。来週にテストがあるから持って帰ってきた教科書が、ずっしりと重たかった。
「カバン? いいと思うけど、なんでカバン?」
「それは……」
理由を言うのが恥ずかしい気がして、少し言うのを躊躇った。
「できれば、ずっとつけていたくて。でも学校だと制服につけてたら先生から何か言われそうだから、それならカバンかなーって」
ブローチのアメジストが如月の色って感じがして、このブローチをつけていたら二月じゃなくても如月と一緒にいるような気がしそうだと思ったのだ。だから、できるだけ近くに置いておきたい。
「そんなに気に入ってくれたの? 嬉しいな」
如月がアルバイトして稼いだお金で、私のために買ってくれたブローチだ。気に入らないわけがない。
「大事にしてね。それを来年からはそのブローチを目印に、詩に会いに行くから」
これを目印に? なら、なおさら大切なものになってしまった。もし壊れたり失くしたりしたら、如月が迷ってしまうかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。
「アメジストのネックレスさ、オレが持ってちゃだめかな」
「あ、これ?」
絡まらないように大事にしまってあったネックレスを取り出す。
これは、如月と文子さんの思い出が詰まった大切なもの。文子さんの形見でもある。
たしかに、私が持っているのも変な話だ。
「いいよ。如月が持ってた方が、文子さんも嬉しいと思う」
「え、いいの? ……ありがとう」
如月は大事そうにアメジストのネックレスを受け取った。私にネックレスをくれたおばあちゃんへなんて説明すればいいのか思いつかないけど、それは後で考えればいい。
如月の表情が柔らかくて、いいなと思った。如月は意外と整った顔をしている。特にどこがいいとかはよくわからないけど、全体的なバランスがいいような気がした。
ふと思いついて、スマートフォンのカメラアプリを開く。そうして、如月にカメラを向けてみた。
「あー、やっぱ映んないなぁ」
スマートフォンの画面には、如月を通り越して見慣れた私の部屋が映っているだけだった。一応シャッターを押してみたけど、如月は映っていなかった。
「ん? どうかした?」
「如月の写真が欲しかったけど無理だった」
「オレの写真?」
仕方ない、諦めよう。
でもよく見ると、今撮った写真の、実際には如月がいる箇所が、少しだけ歪んでいるような気がした。映ってはいないけど、ここに如月がいるんだということはわかる。
「にこにこしてるけど、どんな写真撮ったの?」
「なんか歪んでる心霊写真」
「オレにも見せて」
スマートフォンの画面を如月に見せる。
「本当だ、歪んでる」
如月がいたところの空間が歪んでいるのは、なんでなんだろう。不思議だ。
「詩のことも撮ってあげようか?」
「なんで」
私のことを撮っても私のスマホにしかデータはないし、何の意味もない。
「あれ、スマホ反応しない。オレの指じゃ反応してくれない感じ?」
「かもね。仕組みよくわかんないけど、スマホって指かタッチペン以外のものじゃ反応しないから」
如月は人間じゃないから、何かが違うのかもしれない。
彼は口を尖らせながらスマートフォンから手を離した。
「オレが写真に写れたら、詩とのアルバムとか作れたのになぁ」
「それやってみたかったかも」
アルバムがあればいつでも見返せるし、寂しくない。それに、この時ああだったよね、実はこの時、と話しながらアルバムを作るのは楽しそうだ。
「アルバムじゃないけど、日記はつけてるんだよね」
小学校の頃に日記を三行書くという宿題が出ていて、その名残で現在も日記をつけている。その日の勢いで書いているし見返すことはあまりないから、文章ははちゃめちゃかもしれない。
「それ見たい。初めて話した時とか、どういう風に思われたのか知りたい」
「え、あー……まあ、うん。いいよ」
悩んだけど、最後の如月と過ごせる日の、彼からのお願いだ。多少抵抗があっても叶えてあげようと思った。
日記帳を手に取り、二月一日のページを探す。そういえば、私自身も読み返すのは初めてだ。
『2月1日(木)
おばあちゃん家に行ったら、知らない男がいた。おばあちゃんに聞いてみても、二月の妖精さん?とか意味がわからないことばっかり。とりあえずお母さんに連絡したけど、返事来ないし、どうすればいいんだろう』
まだ一か月も経ってないのに、懐かしく感じる。ここから今日まであっという間のようで長かった。
「オレの知らないところでこんなことになってたんだ。怖がらせてごめんね」
最初に見た如月は、もう本当に怖かった。如月は窓から出ていくし、おばあちゃんは頼りにならないし、お母さんにメッセージを送っても返信が来ないし。とにかく不安で不安でしようがなかった。
「オレたちが初めて喋ったのって二日だっけ?」
「だったと思う」
ページをめくってみる。そのページの字は、書き殴られていてとてつもなく読みにくかったから、解読に時間がかかった。
『2月2日(金)
変なのいた。昨日見た男の人、お兄ちゃんに見えてなかった。二月の精霊とか言ってたけど、何あれ、怖い。どうしよう』
その後も不安な気持ちがびっしりと書かれている。この日は得体の知れないモノと会話をしてしまった衝撃で、怖くて夜眠れなかった。
「めちゃくちゃ怖がらせてんじゃん。ほんとごめん、そんなつもりはなかったんだよ」
「あの時はすごく怖かったけど、今は怖くないから大丈夫」
この日記を書いていた日は、まさか如月のことを好きになるだなんて思いもしなかった。
「ショッピングデートした日、なんて書いてある?」
いつだったっけ。最初の方だった気がする……あ、これかな。
『2月4日(日)
今日はすごく疲れた。
友達とショッピングに行こうと思っていたのに、妹ちゃんが熱出しちゃったみたいで行けなくなった。
代わりに如月と行くことになったけど、よく知らない人とショッピングは疲れた。
でもちょっと楽しかったかも』
そうだ、めちゃくちゃ疲れてたんだ。大きなショッピングモールを回るだけでも大変なのに、それに加えて、まだよく知らなかった如月と一緒にっていうのが、しんどいぐらいだった。
だけど、日記に書いてある通り、ショッピングデートは楽しかった。
「楽しかったよね、ショッピングデート。ワッフル美味しかったし、それ食べてる詩も可愛かったし。来年も行こうよ」
可愛いって、こんなにさらっと言われて私だけ恥ずかしくなるとか、不公平な気がする。だから平気なふりをした。
「私も行きたい。でも次は他のお店でもいいね、クレープとかもあったよ」
照れているのがバレているのか、如月は私の顔を覗き込んでニヤニヤしていた。
誤魔化すように日記のページをめくる。
あと印象に残っていることといえば……初午の日、稲荷神社に行った時のこと。
『2月12日(月)
稲荷神社に行ったらめちゃくちゃ拒まれた。なんでだろう。
でもいなり寿司とお揚げのバーガーが美味しかったからよかった』
「この日、やる気なかったんだな。せっかくの思い出なのに、何も書き留めてない」
「でも詩の記憶には残ってるでしょ? ならよくない?」
たしかに、思い出として心の中に残っている。日記には書かれていなくても、覚えているならいいか。
『2月14日(水)
如月にあげようと思ったのに、マカロン失敗した。余分に作ったクッキーをあげたけど、あれ形悪かったやつだし、そんなのを如月にあげることになってしまって悔しい。
如月は失敗したマカロンを美味しいって言ってたけど、気を使わせちゃったかな』
反省だらけのバレンタインデー。思い返すと後悔しかないけど、それも思い出だ。
「気を使ったとかじゃなくて、本気で美味しいと思ったんだけどな」
「あれが?」
私は美味しくないと思ったから、如月に共感はできない。たぶん本気で美味しいと思ったんだろうけど、どうしてもお世辞だと思ってしまう。
「あとクッキーも美味しかったよ。売り物みたいに美味しかった」
クッキーには自信がある。そう言ってもらえて嬉しい。
「動物園行ったよね、前の日に作ったチョコパン持って」
「行ったね。その日のこと書いてないや、疲れてすぐ寝ちゃったから」
印象に残っている出来事は大体全部ちゃんと書かれていない。そういう日は疲れていることが多いから、すぐに寝てしまうのだ。
「なんか、あっという間だったような長かったような。毎日何かしら思い出あるよね」
「うん。今年の二月は詩と過ごせて、本当に幸せだったよ」
幸せ。私も幸せだった。
一緒に豆まきしたり、料理したり、からかわれたり、変に疑って尾行したり。それから、告白されて、恋をして。この二月、本当にいろんなことがあった。
隣に座っている如月にもたれかかる。彼も真似して私の方に倒れてきた。
こうやって誰かの温もりを感じたのは、子どもの時以来だろうか。心が満たされていく感じがする。
「もうこんな時間」
時計の針は11時52分を指していた。カチ、カチ、と音を立てて、秒針は進んでいく。
如月と私の間には、穏やかな時間が流れていた。お互いに楽な支え合う体制で、時がゆっくり進んでいるのを感じていた。
息を吸う音が聞こえた。それが自分のものなのか、如月のものなのか、区別がつかないぐらい近くにいた。
ああ、好きだなぁ、と思った。温かくて、心地よくて。如月の隣にずっといたいと思った。大好きだ。
「ねぇ如月。大好き」
彼は驚いたように一瞬体を震わせた。そして私の手を握り、離さないように指を絡める。
「オレも、詩が大好きだよ」
胸の辺りがくすぐったい。この感じが気持ちよくて、つい眠ってしまいそうになる。
如月と会えなくなるのは寂しいけど、もう焦ったりはしていない。
だって、またすぐに二月は来る。それまでに如月へ話す思い出も作らなきゃだし、やることはたくさんある。きっとすぐだ。
「絶対、真っ先に詩に会いに行くよ」
11時58分。そろそろ時間だ。
如月と話したいことはまだたくさんあるけど、最後にこれだけは伝えたい。
「待ってるよ。ずっと、待ってるから」
11時59分。
如月は私の返事を聞いて、そっと微笑んだ。
最後にもっと近づきたくて、如月に抱きついた。お別れは笑顔でいようと思ったのに、だめだなぁ。勝手に涙が出てきてしまった。
「またね、詩」
如月が私の頭を優しく撫でた。
そう、また会える。これで一生のお別れってわけでもないんだ。如月を待つと約束したんだ。
「うん。またね、如月」
0時0分。日付が変わって、3月1日。
如月は、まるで最初からいなかったみたいに跡形もなくいなくなった。
でも、ちゃんと覚えている。最後に、泣き出しそうな私を見て、少し顔を赤らめて笑った顔。如月の、嬉しいときに見せる表情。
最後に見れたのがあの顔でよかった。
涙が溢れてきて、止まらなくなる。パジャマの袖がびちゃびちゃになるぐらい、如月のことを想っていた。
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