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2月3日(土)
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今日は土曜日。学校は休みだ。
お母さんは仕事、お兄ちゃんは部活で、午前中は家に誰もいない。
だから一人でゆっくりできると、さっきまでは思っていた。
「詩ちゃん、豆まきしない?」
「うわぁ何何!? なんでいんの!?」
視界の端にちらついた薄紫色。
二月の精霊――如月が、四角い箱に入った豆を抱えて、満面の笑みを浮かべていた。
「なんでって、今年からはオレ、詩ちゃんとこにいればいいんでしょ?」
「は? どういうこと?」
「あのネックレス、詩ちゃんが受け継いだんだよね?」
アメジストのネックレスのことだとすぐに浮かんだ。あれが、どうかしたのだろうか。
「今日は付けてないんだ」
「そりゃあ、ここ家だから」
「似合ってたのに」
似合ってた? あれが?
そもそも私にあれは綺麗すぎて似合わないし、昨日は高校の制服だった。似合っていたわけがない。お世辞か。
「こず枝さんから聞いてない?」
「何が」
「あのネックレス、オレの受け入れ先を示すやつなんだけど」
受け入れ先? そういえば昨日、そんなようなことを言っていた気がする。うちの家系は先祖代々どうのこうのって。
「つまり、詩ちゃんがそれを持ってるってことは、オレは詩ちゃん家に泊まるってこと」
「なっ、何勝手なこと」
「勝手なことって、そういう約束だし……」
何それ聞いてない。
おばあちゃんも知ってたならちゃんと説明してくれればよかったのに。いや……説明されても私は適当に聞き流してただろう。だから説明しなかったのか。
「これからひと月の間、よろしくね」
そんなこと言われても。急に受け入れられるわけがない。
「というわけで、豆まきしない?」
「豆まきって。節分じゃないんだし」
「節分だよ」
あれ、と思って日付を確認する。二月三日。
「ホントだ、節分じゃん」
豆まきとか恵方巻きとか、もうめっきりやらなくなった。小学生までだったかな、ちゃんと行事に参加していたのは。
「でも豆まきって。片付け面倒だし、やりたくない」
「そんなこと言ってると、鬼がこの家に居座っちゃうよ?」
節分って、そういえば、鬼を追い払うために豆まきをするんだった。
とはいっても、実際に鬼がいるわけじゃないんだし、去年は豆まきをやっていないけど何事もなく過ごせている。正直、意味なんてなさそうだ。
まあ、できれば出ていってほしい人ならいる。鬼じゃなくて、精霊だけど。
「ほら、そこにも。いるじゃん」
如月は空虚を指差した。何もない。少なくとも、私には何も見えない。
「いるって、何が?」
恐る恐る尋ねると、如月はあっけらかんと答えた。
「鬼」
「お、鬼!?」
「鬼っていうか、よくないモノ? 邪気というか、不幸を呼びよせるような」
「何それ!?」
如月が普通の人間だったら、冗談やめてよって笑い流せた。だけど、彼は人間じゃない。私に見えないモノが見えていても不思議じゃない。
「あれ、見えないんだ。てっきり、詩ちゃんはそういうのが見える体質の人かと思ったんだけど」
如月は鬼がいるらしい場所に手を伸ばし、それを掴んだ。食べる気じゃないかというぐらいに顔を近づけて、それを観察している。
「詩ちゃんがオレを見ているのは、本当に偶然、波長が合っただけなんだ。マジで奇跡じゃん」
そんな奇跡、別にいらない。
「ほら詩ちゃん、豆まきしなきゃ。そこら中にいるよ、同じやつ」
鬼を持っているらしい右手をぶらぶらさせながら、如月は言った。
私は思わず如月が持っている鬼に向かって、豆を投げつける。
「ちょ、痛いって。オレにまで当てないでよ」
「どこ?」
「へ?」
「鬼! どこにいるの?」
如月はニッコリと笑って、嬉しそうに頬を赤く染めた。
「やる気じゃん。じゃあ鬼退治といこうか。じゃあまず、詩ちゃんの後ろ!」
私はすかさず豆を投げつける。
「次、右上らへんの天井!」
たぶん届かなかったけど、今のは意味があったのかな。投げ直そうとする前に、如月は続けた。
「それからソファー! あとテーブルの下!」
あまりに指示が早すぎて、だんだんついていけなくなる。
「そこと、あっちと、ここと、向こう!」
「待ってそれ本当にいる?」
いくら何でもいすぎじゃない?
私には見えてないから本当のことはわからないけど、如月に遊ばれているような気がしてきた。
「……バレた?」
ほらやっぱり。嘘じゃん。
私はため息をついた。
「ごめん、ごめん。必死になってる詩ちゃんが可愛くて、つい」
「何それ……」
好きでもない、何なら人間ですらない男に言われても嬉しくない。そういえば、ずっと男だと思っていたけど、精霊に性別ってあるんだろうか。
「詩ちゃんのおかげで、この家は守られたよ」
無駄な体力を使っただけな気がするけど。
「そういえば、鬼は外、福は内って言わなくてよかったの?」
「言った方が良いけど、それよりも、こういうのは気持ちが大事なんだよ」
気持ちっていっても、私はそんなに深く考えずに豆を投げたから、本当に効果があったのか疑問だ。でも確かに、鬼は出ていってほしいという気持ちは強かった。
「本当は夜にやった方がいいんだよねー。夜は鬼が好む時間帯だから、集まってきやすいんだよ」
「えっ、じゃあ夜もやったほうがいいの?」
「やる?」
別に豆まきがしたいわけじゃなくて、鬼とかいう得体の知れないモノが家にいるのが嫌なだけだ。
如月ってば、わざわざ怖がらせること言わなくてもいいのに。
「節分といえば、恵方巻き食べて、あと、けんちん汁もいいよね」
「けんちん汁って何?」
「知らない? んーと、ほら、学校の給食で出たことない?」
そういえば、そんな名前の汁物が出ていたような気もする。
「節分に食べるやつなの?」
「うん。でも、ここらへんじゃ食べないのかな」
節分に食べるものは、地域によって違うらしい。でも、たぶん、恵方巻きは全国共通っぽい。テレビで、今年はこの方角を向いて食べましょうってやってるし。
「そういえば、今年はどの方角なの?」
「東北東」
「どっちだよそれ」
「あっち」
如月は特に悩む様子もなく答えた。あまりにあっさりしていたから、それが適当に言ったことなのか、本気で言ったことなのか、私には見抜けなかった。
「痛っ」
少し足を動かしたら、落ちていた豆を踏んでしまった。結構、痛かった。
「豆、片付けないとじゃん。面倒くさ……」
私は散らばった豆に手を伸ばす。掴もうとした指先にコツンと当たって、意外と勢いよく飛んでいってしまう。
「これ、掃除機で吸っちゃダメ? ……ダメか、掃除機が壊れる」
あちこちに転がっているたくさんの豆を集めるのは、想像するだけで嫌気がさした。
「ぷっ、ははは!」
今、どこに笑う要素があった?
如月は、お腹を抱えて笑っていた。目に涙が浮かぶぐらいに、笑い転げていた。
「あーなんか、楽しいなぁ」
呼吸を整えながら、彼は言った。
「最近は季節の行事とか、面倒くさがってやらなくなった家が多くて、寂しかったんだよね」
ちょっと前まで今日が節分だと忘れていた私はどきっとした。
如月は、私がまいた豆を、一つ一つ大事そうに集める。そんな風にしてたらいつまで経っても終わらないよ、とは思ったけど、言い出せない雰囲気だった。
「こず枝さんは毎年やってくれてたけど、オレのことが見えてたわけじゃないし。こうやって誰かと豆まきしたのは、久しぶり」
そう言う彼は、頬を少しだけ赤らめて笑った。本当に嬉しそうだった。
お母さんに頼んで、今日の夕飯は恵方巻きとけんちん汁にしてもらった。
ちゃんと東北東を向いて恵方巻きを食べ始めたは良いものの、直後にお兄ちゃんからイタズラされて、しゃべらずに食べ切ることはできなかった。悔しい。
お母さんは仕事、お兄ちゃんは部活で、午前中は家に誰もいない。
だから一人でゆっくりできると、さっきまでは思っていた。
「詩ちゃん、豆まきしない?」
「うわぁ何何!? なんでいんの!?」
視界の端にちらついた薄紫色。
二月の精霊――如月が、四角い箱に入った豆を抱えて、満面の笑みを浮かべていた。
「なんでって、今年からはオレ、詩ちゃんとこにいればいいんでしょ?」
「は? どういうこと?」
「あのネックレス、詩ちゃんが受け継いだんだよね?」
アメジストのネックレスのことだとすぐに浮かんだ。あれが、どうかしたのだろうか。
「今日は付けてないんだ」
「そりゃあ、ここ家だから」
「似合ってたのに」
似合ってた? あれが?
そもそも私にあれは綺麗すぎて似合わないし、昨日は高校の制服だった。似合っていたわけがない。お世辞か。
「こず枝さんから聞いてない?」
「何が」
「あのネックレス、オレの受け入れ先を示すやつなんだけど」
受け入れ先? そういえば昨日、そんなようなことを言っていた気がする。うちの家系は先祖代々どうのこうのって。
「つまり、詩ちゃんがそれを持ってるってことは、オレは詩ちゃん家に泊まるってこと」
「なっ、何勝手なこと」
「勝手なことって、そういう約束だし……」
何それ聞いてない。
おばあちゃんも知ってたならちゃんと説明してくれればよかったのに。いや……説明されても私は適当に聞き流してただろう。だから説明しなかったのか。
「これからひと月の間、よろしくね」
そんなこと言われても。急に受け入れられるわけがない。
「というわけで、豆まきしない?」
「豆まきって。節分じゃないんだし」
「節分だよ」
あれ、と思って日付を確認する。二月三日。
「ホントだ、節分じゃん」
豆まきとか恵方巻きとか、もうめっきりやらなくなった。小学生までだったかな、ちゃんと行事に参加していたのは。
「でも豆まきって。片付け面倒だし、やりたくない」
「そんなこと言ってると、鬼がこの家に居座っちゃうよ?」
節分って、そういえば、鬼を追い払うために豆まきをするんだった。
とはいっても、実際に鬼がいるわけじゃないんだし、去年は豆まきをやっていないけど何事もなく過ごせている。正直、意味なんてなさそうだ。
まあ、できれば出ていってほしい人ならいる。鬼じゃなくて、精霊だけど。
「ほら、そこにも。いるじゃん」
如月は空虚を指差した。何もない。少なくとも、私には何も見えない。
「いるって、何が?」
恐る恐る尋ねると、如月はあっけらかんと答えた。
「鬼」
「お、鬼!?」
「鬼っていうか、よくないモノ? 邪気というか、不幸を呼びよせるような」
「何それ!?」
如月が普通の人間だったら、冗談やめてよって笑い流せた。だけど、彼は人間じゃない。私に見えないモノが見えていても不思議じゃない。
「あれ、見えないんだ。てっきり、詩ちゃんはそういうのが見える体質の人かと思ったんだけど」
如月は鬼がいるらしい場所に手を伸ばし、それを掴んだ。食べる気じゃないかというぐらいに顔を近づけて、それを観察している。
「詩ちゃんがオレを見ているのは、本当に偶然、波長が合っただけなんだ。マジで奇跡じゃん」
そんな奇跡、別にいらない。
「ほら詩ちゃん、豆まきしなきゃ。そこら中にいるよ、同じやつ」
鬼を持っているらしい右手をぶらぶらさせながら、如月は言った。
私は思わず如月が持っている鬼に向かって、豆を投げつける。
「ちょ、痛いって。オレにまで当てないでよ」
「どこ?」
「へ?」
「鬼! どこにいるの?」
如月はニッコリと笑って、嬉しそうに頬を赤く染めた。
「やる気じゃん。じゃあ鬼退治といこうか。じゃあまず、詩ちゃんの後ろ!」
私はすかさず豆を投げつける。
「次、右上らへんの天井!」
たぶん届かなかったけど、今のは意味があったのかな。投げ直そうとする前に、如月は続けた。
「それからソファー! あとテーブルの下!」
あまりに指示が早すぎて、だんだんついていけなくなる。
「そこと、あっちと、ここと、向こう!」
「待ってそれ本当にいる?」
いくら何でもいすぎじゃない?
私には見えてないから本当のことはわからないけど、如月に遊ばれているような気がしてきた。
「……バレた?」
ほらやっぱり。嘘じゃん。
私はため息をついた。
「ごめん、ごめん。必死になってる詩ちゃんが可愛くて、つい」
「何それ……」
好きでもない、何なら人間ですらない男に言われても嬉しくない。そういえば、ずっと男だと思っていたけど、精霊に性別ってあるんだろうか。
「詩ちゃんのおかげで、この家は守られたよ」
無駄な体力を使っただけな気がするけど。
「そういえば、鬼は外、福は内って言わなくてよかったの?」
「言った方が良いけど、それよりも、こういうのは気持ちが大事なんだよ」
気持ちっていっても、私はそんなに深く考えずに豆を投げたから、本当に効果があったのか疑問だ。でも確かに、鬼は出ていってほしいという気持ちは強かった。
「本当は夜にやった方がいいんだよねー。夜は鬼が好む時間帯だから、集まってきやすいんだよ」
「えっ、じゃあ夜もやったほうがいいの?」
「やる?」
別に豆まきがしたいわけじゃなくて、鬼とかいう得体の知れないモノが家にいるのが嫌なだけだ。
如月ってば、わざわざ怖がらせること言わなくてもいいのに。
「節分といえば、恵方巻き食べて、あと、けんちん汁もいいよね」
「けんちん汁って何?」
「知らない? んーと、ほら、学校の給食で出たことない?」
そういえば、そんな名前の汁物が出ていたような気もする。
「節分に食べるやつなの?」
「うん。でも、ここらへんじゃ食べないのかな」
節分に食べるものは、地域によって違うらしい。でも、たぶん、恵方巻きは全国共通っぽい。テレビで、今年はこの方角を向いて食べましょうってやってるし。
「そういえば、今年はどの方角なの?」
「東北東」
「どっちだよそれ」
「あっち」
如月は特に悩む様子もなく答えた。あまりにあっさりしていたから、それが適当に言ったことなのか、本気で言ったことなのか、私には見抜けなかった。
「痛っ」
少し足を動かしたら、落ちていた豆を踏んでしまった。結構、痛かった。
「豆、片付けないとじゃん。面倒くさ……」
私は散らばった豆に手を伸ばす。掴もうとした指先にコツンと当たって、意外と勢いよく飛んでいってしまう。
「これ、掃除機で吸っちゃダメ? ……ダメか、掃除機が壊れる」
あちこちに転がっているたくさんの豆を集めるのは、想像するだけで嫌気がさした。
「ぷっ、ははは!」
今、どこに笑う要素があった?
如月は、お腹を抱えて笑っていた。目に涙が浮かぶぐらいに、笑い転げていた。
「あーなんか、楽しいなぁ」
呼吸を整えながら、彼は言った。
「最近は季節の行事とか、面倒くさがってやらなくなった家が多くて、寂しかったんだよね」
ちょっと前まで今日が節分だと忘れていた私はどきっとした。
如月は、私がまいた豆を、一つ一つ大事そうに集める。そんな風にしてたらいつまで経っても終わらないよ、とは思ったけど、言い出せない雰囲気だった。
「こず枝さんは毎年やってくれてたけど、オレのことが見えてたわけじゃないし。こうやって誰かと豆まきしたのは、久しぶり」
そう言う彼は、頬を少しだけ赤らめて笑った。本当に嬉しそうだった。
お母さんに頼んで、今日の夕飯は恵方巻きとけんちん汁にしてもらった。
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