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2月1日(木)
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おばあちゃん家に行ったら、知らない男がいた。
髪を薄紫色に染め、ごついアクセサリーを身につけている男。ローテーブルに肘をつきながら、特に何をするわけでもなく、カチカチと爪を鳴らしている。
当然、あんな人は私の知り合いじゃない。おばあちゃんの知り合いにも思えない。じゃあお兄ちゃんの友達? でも玄関にお兄ちゃんの靴は無かったし、お兄ちゃんの友達だけこの家に来ているのもおかしな話だ。
そういえば、玄関に男物の靴なんてあったっけ。
男はようやく私の気配に気づいたのか、顔を上げてこっちを見た。話しかけてくるかな、と身構えたけれど、男と目が合っていたのはたったの数秒間だけで、会話も何もなかった。
「こず枝さーん、オレもう行くわー」
一瞬、誰のことかと思ったけど、そういえばおばあちゃんの名前は、こず枝だった。
男がおばあちゃんに声をかけた少し後に、おばあちゃんが部屋に入ってきた。
「あら、詩ちゃん。来てたの」
「おばあちゃん! あの人、誰!」
男の方を指差すと、おばあちゃんは驚いたような表情でそっちに顔を向けた。
「あの人って?」
おばあちゃんは視線を彷徨わせていた。なんでわからないの、と思って男の方を見ると、もうそこには誰もいなかった。
いつの間に? 玄関までの道は私が塞いでいたはずなのに。カーテンが揺れている。あの窓から出て行ったってこと?
「さっきまでそこにいた人! ほら、薄紫の髪の、チャラい感じの」
おばあちゃんは首を傾げていた。来客なら覚えているはずだ。じゃあ、あの男は不法侵入者? でも、なんで彼はおばあちゃんの名前を知っていたんだろう。
それとも、おばあちゃん、もしかしてボケてきてる? だから来客を覚えていないとか。
「まあ、もしかして」
おばあちゃんが開いたままの窓を見ながら微笑んだ。
「きっとその人は、二月の妖精さんね」
「二月の妖精さん?」
やっぱり、おばあちゃんはボケてきているのかもしれない。お母さんに相談したほうがいいかな。
「二月の妖精さんはね、二月に現れて、幸せを運んできてくれるのよ。詩ちゃん、会えてよかったわね」
おばあちゃんは頼りにならない。
あの人、詐欺師なんじゃないかな。高齢者を狙った詐欺とか、多いって聞くし。一度そう思ったら、そうにしか思えなくなってしまった。
とりあえず、お母さんに連絡しておくことにした。おばあちゃん家に怪しい男の人がいたことと、おばあちゃんがボケてきてるかもしれないこと。
「詩ちゃん。詩ちゃんの好きなゼリーがあるけど、食べる?」
冷蔵庫から取り出されたそれは、ぶどうの実が入ったゼリー。小さい頃はすごく好きだったらしいけど、今はそうでもない。私が好きだからって常備してくれてるおばあちゃんになんだか申し訳なくて、実はそこまで好きじゃないってことを今まで言えてない。
「うん、食べる」
たぶんこれからも、本心は言えないと思う。
私はお母さんに送るための文章を書き終え、送信ボタンを押した。
「ねえ、おばあちゃん。誰かにお金を貸してほしいって言われた?」
「そうねぇ……この前、律くんには千円あげたわよ。詩ちゃんは何か欲しいものはないの?」
「んー、私は特にないかな」
律はお兄ちゃんの名前だ。いつの間に、おばあちゃんにお小遣いをねだっていたんだろう。お母さんにバレたら怒られるっていうのに。よし、報告しとこ。
「知らない人から電話かかってきたこととかは?」
「あったわよ。電話番号、間違えちゃったみたいでね」
それはただの間違い電話だ。私が聞きたいのは、詐欺らしき電話がかかってきたかってことなのに。
「じゃあ、通帳とか、高価な物とか、なくなってない?」
「通帳? ちょっと待っててね」
おばあちゃんは部屋を出て、通帳を確認しに行った。わざわざおばあちゃんを立たせてしまって申し訳ない。私が確認しに行ければよかったけど、あいにく私は通帳の保管場所を知らないのだ。
「ちゃんとあるわよ」
おばあちゃんは通帳を手に持っていた。
「それから、これ」
机の上に置かれたのは、紫色の宝石がついたネックレス。その輝きに、きっと高価な物だと思った。
「アメジストの首飾りなんだけど、詩ちゃんにあげる」
「えっ、アメジストって、高いやつじゃないの? 悪いよ」
宝石は高価なものという印象がある。しかも、アメジストは誕生石にもなっている有名な宝石だ。それなりの値段はすると思う。
「でも、私が持っていてもねぇ。詩ちゃんに使ってもらった方がいいと思うの」
アメジストは保管状態が良かったのか、傷一つ見当たらず、その透明感がとても綺麗だった。
「お母さんになんて言われるか気にしてる? 大丈夫よ。お母さんには、おばあちゃんが言っておくから」
正直、こういうアクセサリーを使うかって言ったら使わないけど、おばあちゃんの気持ちを無下にはできない。
「ありがとう、おばあちゃん」
私はアメジストを受け取った。こんな綺麗なアクセサリーは、きっと私には似合わないだろうな、と思いながら。
いけない。あまりにおばあちゃんが普通だから、不審者のことを忘れそうになっていた。
そもそも、本当に男の人なんていたんだろうか。私の見間違いだったってことはないだろうか。だめだ、わからなくなってきた。
でも、確かにいたはず。目が合ったし、声だって聞いた。
こういう場合って、警察に通報したほうがいいのかな。これといった被害はないし、本当に不審者がいたのかさえ曖昧だけど、それでも相談していいものだろうか。
誰かに頼りたいのに、お母さんからの返信はまだない。きっと夕飯の準備をしているんだろう。
お兄ちゃんにも連絡しようか迷ったけど、「見間違いじゃね?」で済まされそうだからやめた。
「詩ちゃん、お夕飯、食べていく?」
「あー、うん。食べてく」
おばあちゃんのことが心配だ。誰かに騙されてるんじゃないかっていうのもそうだし、ボケてきてるかもしれないのも。とにかくいろいろ。
もしまたあの男がやって来たら? 男の人に、おばあちゃん一人じゃ抵抗なんてできないだろう。まあ、私みたいな一般女子高校生が一緒にいたところで何の変わりもないかもしれないけど。それでも、ちょっとは安心じゃないだろうか。
お母さんに、今日はおばあちゃんが心配だから夕飯はおばあちゃん家で食べていくという旨を連絡する。私の分を作ってくれていたら申し訳ないが、非常事態だし許してくれるだろう。
「最近、学校はどうなの?」
「まあ、ぼちぼちかな」
「彼氏とかいないの?」
「いないよ。いるわけないじゃん」
おばあちゃんの質問に答えながら、私はネットで『知らない人 家にいた』と検索してみる。
出てきたのは、やっぱり警察に相談したほうがいいということ。どうやら、窃盗などの被害はなくても、住居侵入罪となるそうだ。
でも、もしおばあちゃんが忘れているだけで、おばあちゃんがあの男を招き入れていた場合は、どうなるんだろう。
何気なく、さっきまで怪しい男がいたところを見た。ローテーブルの上に、何かが光っている。
指紋がつかないようにハンカチで包んで見てみると、それは指輪だった。太くてゴツゴツしていて、真ん中には紫色の宝石。アメジストのように見えなくもないが、おばあちゃんから貰ったものより輝きがない。
こんなゴツい指輪、おばあちゃんの物のわけがない。きっと、あの男の物だ。そういえば、こんな指輪を身につけていたような気もする。やっぱり、さっきまでここに男がいたんだ。
あの男の忘れ物なら、この指輪は証拠になる。もしかしたら、男が取りに戻ってくるかもしれない。私は指輪をハンカチに包み、無くさないようにポケットにしまっておいた。
髪を薄紫色に染め、ごついアクセサリーを身につけている男。ローテーブルに肘をつきながら、特に何をするわけでもなく、カチカチと爪を鳴らしている。
当然、あんな人は私の知り合いじゃない。おばあちゃんの知り合いにも思えない。じゃあお兄ちゃんの友達? でも玄関にお兄ちゃんの靴は無かったし、お兄ちゃんの友達だけこの家に来ているのもおかしな話だ。
そういえば、玄関に男物の靴なんてあったっけ。
男はようやく私の気配に気づいたのか、顔を上げてこっちを見た。話しかけてくるかな、と身構えたけれど、男と目が合っていたのはたったの数秒間だけで、会話も何もなかった。
「こず枝さーん、オレもう行くわー」
一瞬、誰のことかと思ったけど、そういえばおばあちゃんの名前は、こず枝だった。
男がおばあちゃんに声をかけた少し後に、おばあちゃんが部屋に入ってきた。
「あら、詩ちゃん。来てたの」
「おばあちゃん! あの人、誰!」
男の方を指差すと、おばあちゃんは驚いたような表情でそっちに顔を向けた。
「あの人って?」
おばあちゃんは視線を彷徨わせていた。なんでわからないの、と思って男の方を見ると、もうそこには誰もいなかった。
いつの間に? 玄関までの道は私が塞いでいたはずなのに。カーテンが揺れている。あの窓から出て行ったってこと?
「さっきまでそこにいた人! ほら、薄紫の髪の、チャラい感じの」
おばあちゃんは首を傾げていた。来客なら覚えているはずだ。じゃあ、あの男は不法侵入者? でも、なんで彼はおばあちゃんの名前を知っていたんだろう。
それとも、おばあちゃん、もしかしてボケてきてる? だから来客を覚えていないとか。
「まあ、もしかして」
おばあちゃんが開いたままの窓を見ながら微笑んだ。
「きっとその人は、二月の妖精さんね」
「二月の妖精さん?」
やっぱり、おばあちゃんはボケてきているのかもしれない。お母さんに相談したほうがいいかな。
「二月の妖精さんはね、二月に現れて、幸せを運んできてくれるのよ。詩ちゃん、会えてよかったわね」
おばあちゃんは頼りにならない。
あの人、詐欺師なんじゃないかな。高齢者を狙った詐欺とか、多いって聞くし。一度そう思ったら、そうにしか思えなくなってしまった。
とりあえず、お母さんに連絡しておくことにした。おばあちゃん家に怪しい男の人がいたことと、おばあちゃんがボケてきてるかもしれないこと。
「詩ちゃん。詩ちゃんの好きなゼリーがあるけど、食べる?」
冷蔵庫から取り出されたそれは、ぶどうの実が入ったゼリー。小さい頃はすごく好きだったらしいけど、今はそうでもない。私が好きだからって常備してくれてるおばあちゃんになんだか申し訳なくて、実はそこまで好きじゃないってことを今まで言えてない。
「うん、食べる」
たぶんこれからも、本心は言えないと思う。
私はお母さんに送るための文章を書き終え、送信ボタンを押した。
「ねえ、おばあちゃん。誰かにお金を貸してほしいって言われた?」
「そうねぇ……この前、律くんには千円あげたわよ。詩ちゃんは何か欲しいものはないの?」
「んー、私は特にないかな」
律はお兄ちゃんの名前だ。いつの間に、おばあちゃんにお小遣いをねだっていたんだろう。お母さんにバレたら怒られるっていうのに。よし、報告しとこ。
「知らない人から電話かかってきたこととかは?」
「あったわよ。電話番号、間違えちゃったみたいでね」
それはただの間違い電話だ。私が聞きたいのは、詐欺らしき電話がかかってきたかってことなのに。
「じゃあ、通帳とか、高価な物とか、なくなってない?」
「通帳? ちょっと待っててね」
おばあちゃんは部屋を出て、通帳を確認しに行った。わざわざおばあちゃんを立たせてしまって申し訳ない。私が確認しに行ければよかったけど、あいにく私は通帳の保管場所を知らないのだ。
「ちゃんとあるわよ」
おばあちゃんは通帳を手に持っていた。
「それから、これ」
机の上に置かれたのは、紫色の宝石がついたネックレス。その輝きに、きっと高価な物だと思った。
「アメジストの首飾りなんだけど、詩ちゃんにあげる」
「えっ、アメジストって、高いやつじゃないの? 悪いよ」
宝石は高価なものという印象がある。しかも、アメジストは誕生石にもなっている有名な宝石だ。それなりの値段はすると思う。
「でも、私が持っていてもねぇ。詩ちゃんに使ってもらった方がいいと思うの」
アメジストは保管状態が良かったのか、傷一つ見当たらず、その透明感がとても綺麗だった。
「お母さんになんて言われるか気にしてる? 大丈夫よ。お母さんには、おばあちゃんが言っておくから」
正直、こういうアクセサリーを使うかって言ったら使わないけど、おばあちゃんの気持ちを無下にはできない。
「ありがとう、おばあちゃん」
私はアメジストを受け取った。こんな綺麗なアクセサリーは、きっと私には似合わないだろうな、と思いながら。
いけない。あまりにおばあちゃんが普通だから、不審者のことを忘れそうになっていた。
そもそも、本当に男の人なんていたんだろうか。私の見間違いだったってことはないだろうか。だめだ、わからなくなってきた。
でも、確かにいたはず。目が合ったし、声だって聞いた。
こういう場合って、警察に通報したほうがいいのかな。これといった被害はないし、本当に不審者がいたのかさえ曖昧だけど、それでも相談していいものだろうか。
誰かに頼りたいのに、お母さんからの返信はまだない。きっと夕飯の準備をしているんだろう。
お兄ちゃんにも連絡しようか迷ったけど、「見間違いじゃね?」で済まされそうだからやめた。
「詩ちゃん、お夕飯、食べていく?」
「あー、うん。食べてく」
おばあちゃんのことが心配だ。誰かに騙されてるんじゃないかっていうのもそうだし、ボケてきてるかもしれないのも。とにかくいろいろ。
もしまたあの男がやって来たら? 男の人に、おばあちゃん一人じゃ抵抗なんてできないだろう。まあ、私みたいな一般女子高校生が一緒にいたところで何の変わりもないかもしれないけど。それでも、ちょっとは安心じゃないだろうか。
お母さんに、今日はおばあちゃんが心配だから夕飯はおばあちゃん家で食べていくという旨を連絡する。私の分を作ってくれていたら申し訳ないが、非常事態だし許してくれるだろう。
「最近、学校はどうなの?」
「まあ、ぼちぼちかな」
「彼氏とかいないの?」
「いないよ。いるわけないじゃん」
おばあちゃんの質問に答えながら、私はネットで『知らない人 家にいた』と検索してみる。
出てきたのは、やっぱり警察に相談したほうがいいということ。どうやら、窃盗などの被害はなくても、住居侵入罪となるそうだ。
でも、もしおばあちゃんが忘れているだけで、おばあちゃんがあの男を招き入れていた場合は、どうなるんだろう。
何気なく、さっきまで怪しい男がいたところを見た。ローテーブルの上に、何かが光っている。
指紋がつかないようにハンカチで包んで見てみると、それは指輪だった。太くてゴツゴツしていて、真ん中には紫色の宝石。アメジストのように見えなくもないが、おばあちゃんから貰ったものより輝きがない。
こんなゴツい指輪、おばあちゃんの物のわけがない。きっと、あの男の物だ。そういえば、こんな指輪を身につけていたような気もする。やっぱり、さっきまでここに男がいたんだ。
あの男の忘れ物なら、この指輪は証拠になる。もしかしたら、男が取りに戻ってくるかもしれない。私は指輪をハンカチに包み、無くさないようにポケットにしまっておいた。
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