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祈り
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ハルは手を合わせて祈り続けた。
ユウキも何も話さず静かにハルの横に座っていた。
どれくらい待っただろうか…
手術室から医師が出てきた。
ハルとユウキは立ち上がった。
「手術は成功しましたが、まだ予断を許さない状況です。」
そう告げられた。
ハルはまたベンチに座り祈った。
それから暫くしてタカヤの両親が駆けつけた。
「タカヤは…大丈夫なの?」
タカヤの母親がハルに聞いた。
「すいません…本当に…」
ハルはタカヤの両親に土下座をした。
「ハルちゃん、立って。何があったか説明してくれる?」
タカヤの母親がハルを優しく立ち上がらせた。
ハルは何から話せばいいのか分からず言葉がなかなか出てこなかった。
「ちょっと二人だけにしてくれるかな?」
タカヤの母親はハルを支えながら病院の待合室まで連れて行った。
ハルはゆっくり話し始めた。
「手術は成功しましたが、タカヤの意識はまだ戻ってません。タカヤは何度も私の命を救ってくれました。今回も私の身代わりに刺されたんです。私なんかの為に本当にすいません。」
ハルは震える声で泣いて謝った。
タカヤの母親は昔からとても穏やかで温かい人だった。
タカヤがこんな状況なのにハルの手を優しく握って微笑んだ。
「あの子、また見たんだね夢を。」
「え…」
「今朝、部屋を覗いたらあの子いなかったの。車も無かったからきっとあなたの元へ走ったのね。
子供の頃も夜中によく目覚めて私の布団に潜り込んできた時期があってね。それも小学5年生なのに…怖い夢でも見たの?と聞くとハルが泣いてるとかおじいさんが死んだとかそんな話するの。
でもあの子が見る夢はみんな正夢になった。しかも全部ハルちゃんに関する夢ばかり。
ハルちゃんのことが大好きなのね?と言ったら…うん。俺、ハルを一生守る。男らしくそうはっきり言ったのよ。
でも私、あなたたちが高校2年生の時にたまたま家の前にいるハルちゃんとタカヤを見たの。タカヤが心にも無いこと言ってハルちゃん逃しちゃって、あの日一晩中布団の中でこっそり泣いてたわ。」
ハルはタカヤにフラれたんじゃなかった。
タカヤの気持ちは勘違いじゃなかった。
それなのに勝手に腹を立ててタカヤを忘れる為にユウキくんと付き合った。
ユウキくんにとってもタカヤにとっても自分は最低な人間だ。
そう思った。
きっと自分がこんな中途半端な人間だから神様が怒って大切な人をみんな奪って行くのだと…
「ハルちゃんのこと一生守ると言い切ったんだからあの子はこんなことでは死なないわ。私は母親だから分かるの。」
タカヤの母親はそう言ってハルの肩を優しく撫でた。
「はい…」
ハルはタカヤの母親の言葉で泣いてる場合じゃないと涙を拭った。
手術室の前に戻るとユウキはいなくなっていた。
それから毎日ハルは病院に通った。
タカヤは2日経っても目を覚まさない。
病院に警察が訪ねてきてハルは事情を聞かれた。
中山とのトラブルと今回の状況を隠さず全て話した。
中山は殺人未遂の容疑で逮捕された。
テレビでも
「エリート医師ストーカー殺人未遂事件」
という見出しで大々的に報道された。
ハルが働いていた店とハルの住むマンションには連日報道人が詰めかけた。
店はとても営業出来る状況ではなくしばらくの間、閉店することになった。
ハルは社長に呼ばれて病院から本社に向かった。
「失礼します。」
社長室に入りハルは深々と頭を下げた。
「そこにどうぞ掛けて下さい。」
そう言って社長もソファに座り直した。
「はい。失礼します。」
「大変なことになったね。」
「本当に申し訳ありませんでした。」
ハルは座ったまま頭を下げた。
「悪いのはあの医者だよ。怖かっただろう。でも今回一番驚いたのは助けたのがプロドだったことだ。私も偶然知ったんだが、君も、もう正体知ってるんだろう?」
「はい…」
「プロドに何かあったらそれこそ大騒ぎだ。まだ意識は戻らないのか?」
社長に聞かれてハルは黙って俯いた。
「そうか…」
ハルは鞄の中から辞表を取り出して社長に渡した。
「これ…私、皆さんにご迷惑おかけしてこれ以上ここで働けません。」
社長はそれを受け取り
「これは預かっておくが受理は出来ない。確かに凄く迷惑だ。でもここで逃げたらずっと逃げることになるよ。君には責任を取ってもらう意味で残ってもらうよ。そのつもりでいてくれ。」
社長はハルの肩を叩いて立ち上がった。
「はい…ありがとうございます。」
ハルは社長に深々と頭を下げた。
床にぽたぽたと大粒の涙が落ちた。
会社の外に出るとユウキが待っていた。
「病院に行ったら社長に呼ばれてここにいると聞いたんだ。大丈夫か?」
「うん…」
ハルは笑顔を作ってみせた。
「ハル…」
ユウキはハルの頭を撫でた。
「無理に笑わなくていいよ。それに俺に気を使わなくていいよ。ハルが辛いなら俺、もう自分の気持ち押し付けたりしないから…」
そう言って笑った。
「マンションには帰れないだろ?俺のとこ来るか?」
ユウキはハルが心配なのもあったが、一緒に居たかった。
「大丈夫だよ。私逃げないことにしたから…ありがとう。」
「そっか…じゃあ、送ってもいい?」
ユウキに聞かれてハルは頷いた。
ユウキはハルと手を繋ぎたかった。
しかしそういう状況ではないと思い直して
一度ハルの手を掴もうと出した手を引っ込めた。
ふたりは電車の中で何も話さなかった。
ハルはユウキにかける言葉が見つからなかった。
ユウキもまた同じだった。
ハルは今までのことが走馬灯のように頭の中を過ぎった。
タカヤと過ごした時間は誰よりも長くてタカヤは家族よりも大切な存在だった。
それなのにタカヤから守ってもらうばかりで自分はタカヤに何もしてあげていなかった。タカヤがずっと側にいてくれることを当たり前だと思ってつけ上がっていた。
「他に好きな子いる」
というタカヤのたったあの一言だけを信じて勝手に傷付いて…
そしてユウキという新しい楽園でその大切な存在を忘れてひとりバカンスを楽しんでいたのかもしれない。
ユウキくんもまた自分を最初から大切に思ってくれていた。それなのに自分からユウキくんにしてあげたことはあったのだろうか。ユウキくんにもまた与えてもらうことばかりで自分からは何もしてあげれていない。
心地よくて幸せで楽しいことばかりの時は良かったが、一度嵐が起きると耐えられなくなってそこからもまたひとりで逃げ出した。
自分はただの卑怯者だ。
多くの死に直面し、命の大切さを分かっているはずなのに自分の命を粗末にした。
そして今、大切な人をまた失いかけている。
ハルはふとユウキの顔を見た。
ユウキは目を閉じていた。
ユウキくんはきっと中途半端な私の気持ちに気付いているはず…タカヤが私のせいで生死の境を彷徨っている今、ユウキくんを受け入れることは出来ない。ユウキくんをもう解放してあげないと…
ハルはその時そう思った。
電車から降りて改札口を出たところでハルは立ち止まった。
「ユウキくん大切な話があるの。」
「あー…明日も病院行くよな?お、俺も明日仕事終わったら寄るからさ…」
ユウキは何かを察したのかハルの話を遮った。
「もう私のこと待たないで欲しいの。ユウキくんとの時間は本当に幸せだった。でもユウキくんのところへはもう戻れない。本当にごめんなさい。ユウキくんは私にはもったいないくらいだよ。」
ハルの声は震えていた。
ユウキを好きだった時間は嘘ではない。
本当に幸せな時間だった。
今、こうして離れる決断をするのはハルにとっても辛いことだった。
でも今、ハルが側にいてあげたい相手はユウキじゃなくタカヤだった。
命をかけて守ってくれたタカヤを今度は命をかけて守りたかった。
「もう、本当にダメなのか?」
ユウキはハルに静かに聞いた。
「ごめんなさい。」
ハルはユウキの目を見て言った。
ユウキの目をきちんと見て伝えたかった。
その目からは涙が溢れたが拭わずにずっとユウキから目を逸らさなかった。
その様子にユウキは
「本気なんだな。分かった。でも最後に抱きしめていいかな?」
と言ってハルの返事を聞く前に強く抱きしめた。
ユウキは震えていた。
ハルには罪悪感しかなかった。
ユウキは帰りの電車を待つホームでひとり泣いた。
電車に乗ってからも扉に額を付けてずっと泣いた。
大の大人がここまで泣くのかと言う程泣いた。それは道行く人が振り返るほどだった。
ハルがマンションの前まで来るとやはり報道陣が詰め掛けていたが、気にせず真っ直ぐ突き進んだ。
ユウキと出会い大人の恋愛をし、女性らしく変化したハルだったが
その姿は幼い頃の何事にも動じない堂々としたハルに戻ったようだった。
ハルはこの日を境に人が変わったように強く逞しくなった。
事件の後、職場での風当たりは強くなった。あえて嫌な仕事を押し付けられることもあった。
それでもハルはどんな仕事も笑顔で引き受けた。
「ユウキくんやタカヤを傷付けた傷に比べたらどうてことない。」
と耐えた。
仕事が終わると必ずタカヤに会いに行った。
事件から2週間経つがまだ意識は戻らない。
ハルはタカヤの手や顔を温かいタオルで優しく拭きながら毎日話しかけた。
ほとんどが昔の思い出話だ。
その日もいつものようにタカヤに話しかけた。
「タカヤ…私、実は一度も実家に帰ってないんだ。今度じいちゃんとばあちゃんのお墓参り行きたいから帰ろうかな?タカヤと一緒に帰りたいな。」
タオルで手を拭こうとタカヤの手を取った瞬間、ハルの手を握り返した。
「え…タカヤ…」
名前を呼ぶとまた握り返してきた。
気のせいじゃない。
ハルは慌ててナースコールのボタンを押した。
「早く来て下さい。」
看護師を待ってるいる間にタカヤの目も開いた。
「タカヤ…タカヤ!私だよハル!分かる?」
ハルは大声でタカヤに話しかけた。
「うるせえよ。」
タカヤの意識が戻った。
ハルは嬉しくてタカヤに抱きついた。
「痛えから…」
「あ、ごめん。でも本当に良かった。神様、ばあちゃんありがとう。」
とハルは両手を合わせて喜んだ。
タカヤはまだ朦朧としていたが、そんなハルを見て笑みを浮かべた。
看護師が病室に入ってきた。
「意識が戻ったんです。」
とハルは興奮して言った。
看護師はそんなハルを見て微笑んだ。
「先生呼んできますね。」
ハルは医師の診察を待つ間、嬉しくて今度は泣いていた。
「もう、大丈夫ですよ。」
医師も微笑んだ。
「本当にありがとうございます。」
ハルは深々と頭を下げた。
看護師と医師が病室を出た後もハルは嬉しくてタカヤの側から一時も離れなかった。
「お前、泣いたり笑ったり忙しい奴だな。」
とタカヤは笑った。
「タカヤ、今まで私を守ってくれてありがとう。迷惑ばかり掛けてごめんなさい。」
ハルは心から謝った。
タカヤは何も言わずにハルの頬に優しく触れた。
ハルはその手に自分の手を重ねた。
「あったかい。タカヤ、本当にありがとう。」
ハルはタカヤが生きていることを実感して心から感謝した。
ユウキも何も話さず静かにハルの横に座っていた。
どれくらい待っただろうか…
手術室から医師が出てきた。
ハルとユウキは立ち上がった。
「手術は成功しましたが、まだ予断を許さない状況です。」
そう告げられた。
ハルはまたベンチに座り祈った。
それから暫くしてタカヤの両親が駆けつけた。
「タカヤは…大丈夫なの?」
タカヤの母親がハルに聞いた。
「すいません…本当に…」
ハルはタカヤの両親に土下座をした。
「ハルちゃん、立って。何があったか説明してくれる?」
タカヤの母親がハルを優しく立ち上がらせた。
ハルは何から話せばいいのか分からず言葉がなかなか出てこなかった。
「ちょっと二人だけにしてくれるかな?」
タカヤの母親はハルを支えながら病院の待合室まで連れて行った。
ハルはゆっくり話し始めた。
「手術は成功しましたが、タカヤの意識はまだ戻ってません。タカヤは何度も私の命を救ってくれました。今回も私の身代わりに刺されたんです。私なんかの為に本当にすいません。」
ハルは震える声で泣いて謝った。
タカヤの母親は昔からとても穏やかで温かい人だった。
タカヤがこんな状況なのにハルの手を優しく握って微笑んだ。
「あの子、また見たんだね夢を。」
「え…」
「今朝、部屋を覗いたらあの子いなかったの。車も無かったからきっとあなたの元へ走ったのね。
子供の頃も夜中によく目覚めて私の布団に潜り込んできた時期があってね。それも小学5年生なのに…怖い夢でも見たの?と聞くとハルが泣いてるとかおじいさんが死んだとかそんな話するの。
でもあの子が見る夢はみんな正夢になった。しかも全部ハルちゃんに関する夢ばかり。
ハルちゃんのことが大好きなのね?と言ったら…うん。俺、ハルを一生守る。男らしくそうはっきり言ったのよ。
でも私、あなたたちが高校2年生の時にたまたま家の前にいるハルちゃんとタカヤを見たの。タカヤが心にも無いこと言ってハルちゃん逃しちゃって、あの日一晩中布団の中でこっそり泣いてたわ。」
ハルはタカヤにフラれたんじゃなかった。
タカヤの気持ちは勘違いじゃなかった。
それなのに勝手に腹を立ててタカヤを忘れる為にユウキくんと付き合った。
ユウキくんにとってもタカヤにとっても自分は最低な人間だ。
そう思った。
きっと自分がこんな中途半端な人間だから神様が怒って大切な人をみんな奪って行くのだと…
「ハルちゃんのこと一生守ると言い切ったんだからあの子はこんなことでは死なないわ。私は母親だから分かるの。」
タカヤの母親はそう言ってハルの肩を優しく撫でた。
「はい…」
ハルはタカヤの母親の言葉で泣いてる場合じゃないと涙を拭った。
手術室の前に戻るとユウキはいなくなっていた。
それから毎日ハルは病院に通った。
タカヤは2日経っても目を覚まさない。
病院に警察が訪ねてきてハルは事情を聞かれた。
中山とのトラブルと今回の状況を隠さず全て話した。
中山は殺人未遂の容疑で逮捕された。
テレビでも
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という見出しで大々的に報道された。
ハルが働いていた店とハルの住むマンションには連日報道人が詰めかけた。
店はとても営業出来る状況ではなくしばらくの間、閉店することになった。
ハルは社長に呼ばれて病院から本社に向かった。
「失礼します。」
社長室に入りハルは深々と頭を下げた。
「そこにどうぞ掛けて下さい。」
そう言って社長もソファに座り直した。
「はい。失礼します。」
「大変なことになったね。」
「本当に申し訳ありませんでした。」
ハルは座ったまま頭を下げた。
「悪いのはあの医者だよ。怖かっただろう。でも今回一番驚いたのは助けたのがプロドだったことだ。私も偶然知ったんだが、君も、もう正体知ってるんだろう?」
「はい…」
「プロドに何かあったらそれこそ大騒ぎだ。まだ意識は戻らないのか?」
社長に聞かれてハルは黙って俯いた。
「そうか…」
ハルは鞄の中から辞表を取り出して社長に渡した。
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社長はそれを受け取り
「これは預かっておくが受理は出来ない。確かに凄く迷惑だ。でもここで逃げたらずっと逃げることになるよ。君には責任を取ってもらう意味で残ってもらうよ。そのつもりでいてくれ。」
社長はハルの肩を叩いて立ち上がった。
「はい…ありがとうございます。」
ハルは社長に深々と頭を下げた。
床にぽたぽたと大粒の涙が落ちた。
会社の外に出るとユウキが待っていた。
「病院に行ったら社長に呼ばれてここにいると聞いたんだ。大丈夫か?」
「うん…」
ハルは笑顔を作ってみせた。
「ハル…」
ユウキはハルの頭を撫でた。
「無理に笑わなくていいよ。それに俺に気を使わなくていいよ。ハルが辛いなら俺、もう自分の気持ち押し付けたりしないから…」
そう言って笑った。
「マンションには帰れないだろ?俺のとこ来るか?」
ユウキはハルが心配なのもあったが、一緒に居たかった。
「大丈夫だよ。私逃げないことにしたから…ありがとう。」
「そっか…じゃあ、送ってもいい?」
ユウキに聞かれてハルは頷いた。
ユウキはハルと手を繋ぎたかった。
しかしそういう状況ではないと思い直して
一度ハルの手を掴もうと出した手を引っ込めた。
ふたりは電車の中で何も話さなかった。
ハルはユウキにかける言葉が見つからなかった。
ユウキもまた同じだった。
ハルは今までのことが走馬灯のように頭の中を過ぎった。
タカヤと過ごした時間は誰よりも長くてタカヤは家族よりも大切な存在だった。
それなのにタカヤから守ってもらうばかりで自分はタカヤに何もしてあげていなかった。タカヤがずっと側にいてくれることを当たり前だと思ってつけ上がっていた。
「他に好きな子いる」
というタカヤのたったあの一言だけを信じて勝手に傷付いて…
そしてユウキという新しい楽園でその大切な存在を忘れてひとりバカンスを楽しんでいたのかもしれない。
ユウキくんもまた自分を最初から大切に思ってくれていた。それなのに自分からユウキくんにしてあげたことはあったのだろうか。ユウキくんにもまた与えてもらうことばかりで自分からは何もしてあげれていない。
心地よくて幸せで楽しいことばかりの時は良かったが、一度嵐が起きると耐えられなくなってそこからもまたひとりで逃げ出した。
自分はただの卑怯者だ。
多くの死に直面し、命の大切さを分かっているはずなのに自分の命を粗末にした。
そして今、大切な人をまた失いかけている。
ハルはふとユウキの顔を見た。
ユウキは目を閉じていた。
ユウキくんはきっと中途半端な私の気持ちに気付いているはず…タカヤが私のせいで生死の境を彷徨っている今、ユウキくんを受け入れることは出来ない。ユウキくんをもう解放してあげないと…
ハルはその時そう思った。
電車から降りて改札口を出たところでハルは立ち止まった。
「ユウキくん大切な話があるの。」
「あー…明日も病院行くよな?お、俺も明日仕事終わったら寄るからさ…」
ユウキは何かを察したのかハルの話を遮った。
「もう私のこと待たないで欲しいの。ユウキくんとの時間は本当に幸せだった。でもユウキくんのところへはもう戻れない。本当にごめんなさい。ユウキくんは私にはもったいないくらいだよ。」
ハルの声は震えていた。
ユウキを好きだった時間は嘘ではない。
本当に幸せな時間だった。
今、こうして離れる決断をするのはハルにとっても辛いことだった。
でも今、ハルが側にいてあげたい相手はユウキじゃなくタカヤだった。
命をかけて守ってくれたタカヤを今度は命をかけて守りたかった。
「もう、本当にダメなのか?」
ユウキはハルに静かに聞いた。
「ごめんなさい。」
ハルはユウキの目を見て言った。
ユウキの目をきちんと見て伝えたかった。
その目からは涙が溢れたが拭わずにずっとユウキから目を逸らさなかった。
その様子にユウキは
「本気なんだな。分かった。でも最後に抱きしめていいかな?」
と言ってハルの返事を聞く前に強く抱きしめた。
ユウキは震えていた。
ハルには罪悪感しかなかった。
ユウキは帰りの電車を待つホームでひとり泣いた。
電車に乗ってからも扉に額を付けてずっと泣いた。
大の大人がここまで泣くのかと言う程泣いた。それは道行く人が振り返るほどだった。
ハルがマンションの前まで来るとやはり報道陣が詰め掛けていたが、気にせず真っ直ぐ突き進んだ。
ユウキと出会い大人の恋愛をし、女性らしく変化したハルだったが
その姿は幼い頃の何事にも動じない堂々としたハルに戻ったようだった。
ハルはこの日を境に人が変わったように強く逞しくなった。
事件の後、職場での風当たりは強くなった。あえて嫌な仕事を押し付けられることもあった。
それでもハルはどんな仕事も笑顔で引き受けた。
「ユウキくんやタカヤを傷付けた傷に比べたらどうてことない。」
と耐えた。
仕事が終わると必ずタカヤに会いに行った。
事件から2週間経つがまだ意識は戻らない。
ハルはタカヤの手や顔を温かいタオルで優しく拭きながら毎日話しかけた。
ほとんどが昔の思い出話だ。
その日もいつものようにタカヤに話しかけた。
「タカヤ…私、実は一度も実家に帰ってないんだ。今度じいちゃんとばあちゃんのお墓参り行きたいから帰ろうかな?タカヤと一緒に帰りたいな。」
タオルで手を拭こうとタカヤの手を取った瞬間、ハルの手を握り返した。
「え…タカヤ…」
名前を呼ぶとまた握り返してきた。
気のせいじゃない。
ハルは慌ててナースコールのボタンを押した。
「早く来て下さい。」
看護師を待ってるいる間にタカヤの目も開いた。
「タカヤ…タカヤ!私だよハル!分かる?」
ハルは大声でタカヤに話しかけた。
「うるせえよ。」
タカヤの意識が戻った。
ハルは嬉しくてタカヤに抱きついた。
「痛えから…」
「あ、ごめん。でも本当に良かった。神様、ばあちゃんありがとう。」
とハルは両手を合わせて喜んだ。
タカヤはまだ朦朧としていたが、そんなハルを見て笑みを浮かべた。
看護師が病室に入ってきた。
「意識が戻ったんです。」
とハルは興奮して言った。
看護師はそんなハルを見て微笑んだ。
「先生呼んできますね。」
ハルは医師の診察を待つ間、嬉しくて今度は泣いていた。
「もう、大丈夫ですよ。」
医師も微笑んだ。
「本当にありがとうございます。」
ハルは深々と頭を下げた。
看護師と医師が病室を出た後もハルは嬉しくてタカヤの側から一時も離れなかった。
「お前、泣いたり笑ったり忙しい奴だな。」
とタカヤは笑った。
「タカヤ、今まで私を守ってくれてありがとう。迷惑ばかり掛けてごめんなさい。」
ハルは心から謝った。
タカヤは何も言わずにハルの頬に優しく触れた。
ハルはその手に自分の手を重ねた。
「あったかい。タカヤ、本当にありがとう。」
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