うさぎ穴の姫

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「ぼくを?」ニームは石膏のように固まったオルレアンに怪訝そうにそう聞き返した。オルレアンはそれを手で制して、咳払いをした。
「いや、それはもういいんだ」
 オルレアンはニームに、きみがハシゴを外したのだろうとそう追及しようとした。ニームはおそらくそれを否定するだろう。ぼくは知らない、と。本来ならそんな否定は無意味だ。そんな言い訳は通用しない。事実ハシゴがそこになかったのだから、オルレアンを納得させることなどできない。それでもニームがやってないと言い張るならば、両者は水掛け論におちいるだろう。
 しかし、ニームにはわかっていた。ニームはその善良そうな顔の裏で、ひそかに計算をしていた。ニームがそれを不遜ともいえるような態度で否定し続ければ、オルレアンはオルレアン自身を疑い始めるだろう、と。
 ニームにはなぜその確信があったのか。それはオルレアンが自分を信じるよりも世界を信じたほうがましだと思えるような、そんな現象に巻き込まれたに違いないというこのを知っていたからだ。あるいは、気づいたからだ。ニームがオルレアンを追って、穴の中に入っていた動機はオルレアンにはわからない。もしかしたらその時点では、本当にオルレアンのことを心配して、自分のしたことを後悔して追ってきたのかもしれない。なんにしても、動機がなんだったかなんて、もうすでにどうでもよいことだ。
 穴の中にオルレアンを見つけられなかったニームは穴の外に出て、そして穴の中の暗闇ではわからなかった自分の足元を見て、自分の靴が赤土で汚れていることに気がついたのだった。
 ニームは少年期に偶然出会った旅人の顔はもう忘れてしまっていた。忘れていなければ、オルレアンを防空壕に下ろしたりなどするわけなかった。
 ニームが覚えていたのは、旅人の靴に付着していた赤土と、我が故郷ブラーヴについて語った言葉だった。ブラーヴの盛んな農業を支えているのは肥沃な黒土であること、赤土はブラーヴではめったにみないこと。
 ブラーヴで赤土がむき出しになっているのは、ブラーヴを囲む、隆起してできた山の、過去のある一時代を映し出す地層だけだった。少なくとも、ニームはそこしか知らなかった。だから旅人がその靴に赤土を付けたのは、山を越えてきたからだろうと即断するのは無理のないことだったし、当然のことともいえた。いったい誰が、地下に眠ったままの赤土の地層を踏みしめながら、ここまで歩いてきたのだと、発想することができるだろうか。








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