うさぎ穴の姫

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「それでは、いまはその待ち遠しい時間の中に、お嬢様はいるのですね」ニームは自分の感情をさとられないようにいった。それが成功していたのかは、ニームにはもちろんわからなかったし、アルルにもわからなかった。アルルはニームの感情を察知しようとする目をギュッとつむろうと決め込んだ。
「別にそうとも限らないわ」アルルはニームに全てを伝える義務を感じなかった。
「まあ、それもいいでしょう」ニームはそういうと立ち上がって、部屋の扉のそばまで歩いていった。「しかし、ぼくにはやはり十年が一瞬で過ぎるような体験なんて信じられませんよ。それにもったいなくないですか。十年を一瞬で費やしてしまうなんて。それよりも毎日を有意義に過ごしたほうがよほどいいと思いますけどね」ニームは後ろ髪を引かれる思いで、アルルの答えを待った。
「あら、あなたはよほどすばらしい毎日を送ってらっしゃるのね」そういうアルルの表情は、ニームがうろたえるほどさっぱりしていた。まるでニームが一縷の望みをたくしてアルルを自分のほうに連れ戻そうとした言葉が、かえって、アルルの決意を促してしまったように。「私には毎日の積み重ねは飽き飽きだわ。劇的な一日がきてくれるなら、十年の歳月なんてうっちゃってあげていいわ」
 アルルはそういって、ニームに手を振った。アルルはそのとき、ニームにだけでなく、うっちゃっていいと自分でいった十年の歳月にも手を振っていたのかもしれない。
 あれから八年経った。ニームはそのときいらい、アルルに二度と会うことはなかった。それはニームの気持ちの問題でもあったし、単純にアルルの居場所にたどりつけない現実的な問題もあった。
 旧パスィヤンス病院は、ニームが次の診療を受けにいったときには、すでに取り壊されて、それがあったところはほとんど更地になっていた。アルルの部屋の窓からみえていた一本の木だけがそこに残されていた。ニームはアルルとともに過ごしたアルルの部屋があったところに立ってみたかったけれど、後に裏庭となるそこは、すでに立入禁止の柵で囲われていたから、それはかなわなかった。アルルは自分の慣れ親しんだ部屋が近日中になくなってしまうことを、たぶん知っていたのだろう。だから、あんなことをぼくに問うたのだ。もっとましな答えをいうことができていたら、なにか変わったのだろうか。ニームは自分からアルルの面影さえ奪おうとする鉄柵をつかみながら、ぼおっとそんなことを考えた。





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