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第4話 受け入れて
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ピピピピ。
携帯の無機質な時計が、霞のかかった俺の頭を徐々に覚醒へと向かわせる。
「昨日の今日で、よく眠れなかった、な」
朝六時過ぎで、外はまだまだ薄暗い。
とりえあず、お湯を沸かそうと台所へ向かうと――。
ガチャ。
「あっ。お、おはよう敏也」
ブカブカな男の服を着た真が、視線を泳がしながらコンロの前に立っていた。
「真。もう起きてたのか?」
そしてよく見ると、トースターでパンが焼かれ、目玉焼きがフライパンの上で小さく揺れていた。
「居候させてもらっているしな。冷蔵庫、何にも無かったからさ、こんなんしか作れなかったけど――」
驚いた。声が出ないとはこのことだ。
「昼に買い物に行って、米とか足しておくよ……どした敏也?」
「え? あ、あぁ。金、渡しておくよ」
「サンキュ。三千円もあったら十分と思う」
混乱しつつもトイレにいった後、着替える。
居間に戻ると、目玉焼きが乗ったトーストと珈琲が置かれており、配膳をしている真が。
「醤油派? 塩コショウ派? それともソース?」
思っていたより遙かに手際よく、朝食の準備を進める。
「しょ、醤油で」
「ん」
パパパ、っと済ます。
「? 早く食べなよ。オ……自分は後で食べるから」
「わ、わりぃ」
昨晩とは打って変わって、こっちが恐縮しつつ朝食を始める。
何より温かい朝食を自宅でゆっくりと食べること自体が割と珍しい。
「美味い。ありがと真」
「目玉焼きを焼いただけだよ」
微笑む真の顔を、なぜかボーっと見てしまう。
「あのさ、敏也……トシ?」
「――え、あぁ。ど、どうした?」
「今日は何かボーッとしてるな。まだ眠い?」
寝ぼけ頭のせいとはいえ、昨日の真夜中の出来事と、甲斐甲斐しい朝の真に、見惚れていたなんて言えない。
「だ、大丈夫。それより、何を聞こうとしていたんだ?」
「あっ、えっと」
すると、やはりさっきみたく視線を泳がせる。
「?」
「や、やっぱいいよ。夜にでも聞くから」
そうか? っと朝食を全て平らげ、玄関へ向かう。真もわざわざ付いてくる。
俺は靴ベラを使いながら。
「家事とか無理にやり過ぎるな。がんばらなくていいからな」
「ははっ、適当にやっておくよ。何か買っておくものとかある?」
なんというか、朝の恋人同士の会話みたいだ。
「(つーかここのところ、意識して真と思わないと、妙な気持ちになりつつある)え、えぇと。麦酒を頼む。あと、もう少し(金を)渡すから、服も買って着替えな」
「りょ!」
冗談っぽく敬礼する真へ鍵を渡して、アパートを後にする。
昼休み。昼食を食べに、逃げるように会社を出ようとするも。
「勝塚く~ん」
「げっ」
自販機コーナーのところで捕まる。
「よっしゃ、歯ぁ食いしばれぇ!」
「何でだよ……」
昨日の同期複数人に囲まれる。
「昼飯を食わせてやるからさぁ~」
「洗いざらい吐いてもらおうか!」
「食わせるのか、吐かせるのかどっちなんだよ――」
俺の意志確認は一切ないまま、会社近くの中華料理チェーン店へ連行される。
「まず恋人か否かについて、被告は明瞭に答弁なさい」
「(いつから裁判沙汰になった)えっと、彼女ではない、かな?」
適当に注文されたAランチがやってくる。
「ぜってー嘘だ。ヤリまくってる癖に!」
「あんな可愛いのとヤリまくれたら勝ち組だなぁ――糞が」
「てか、勝塚。ほんとに彼女じゃないなら紹介してくれ。一生のお願いだから!」
「いや、それは……」
なぜだろう。今の一言に一瞬だがモヤっとしてしまう。
「! お前、まさかキープか?」
「信じられん。あんな可愛い娘をキープとか、実は油田とか持ってんの?」
餃子を突きつつ、勝手に盛り上がっていく。酒とかを頼みかねない勢いだ。
「一緒に住んでるとかじゃねーんだ?」
「――いや、昨日から一緒に住んで……」
ハッとして、自分で口をつぐむも、遅すぎた。
周囲の皆が般若のような顔に変貌する。
「ほんと、さっきから何を言ってんだ勝塚!」
「彼女じゃないのに一緒に住んで、家事とか夜の相手とかさせてんのか?」
「あのなぁ、夜の相手をさせているなんて、一言も言ってないだろうが!」
社会人が店員に注意されるまで猥雑な会話を続けてしまう。
――だが、真に対する妙な希少価値感のようなモノを、この低レベルな会話にて植え付けられてしまったのも、また事実であった。
「つ、かれたぁ」
自宅まであと少しという所まで歩く。
同僚達のせいで仕事の能率がままならないまま、一日を終えてしまった。
「――ったく、なんで俺がこんな目に」
たまに吹く晩秋の風が、近くの放置された空地の芒を揺らす。
冷たい表情の月をふと見上げた際に、自宅の窓も視界に入る。
当たり前だが、明かりが点いていた。
「……」
誰かが家で待っている。
子供の時は当たり前だったけど、大人になってから当たり前じゃなくなった。
そんなことが頭を過ぎったせいか、気持ち速足で向かい、自宅のインターホンを押す。
――カチャ。
「はい?」
真の声だ。
「ただいま」
「おっ、かえり~」
ガチャっと扉が開く。
エプロン姿の真が扉を開けてくれる。
「買ったのか?」
男が妄想する、家に帰ったらエプロン姿の美少女が、的なものを満たす勢いであった。
「うん。他にもいくつか……安いのにしたから金は心配するなって」
「別に気にしてないよ」
コートを脱ぎつつ、玄関にて。
「温ったか」
なんというか、久しく忘れていたホッとする感覚だ。脱いだコートを真が受け取りつつ笑顔で。
「実家のような安心感?」
「それはちょっと言い過ぎだな」
二人して軽く笑う。
「風呂、入ってきなよ。配膳しておくし」
味噌汁の良い匂いがここまで漂う。
「作れたのか?」
「悪いけど、敏也よりは料理できるぞ。風呂はいってきたら?」
確かに米の炊き方すら怪しい自信がある。
「じゃあ、任せた」
「任された」
真はある胸を軽く叩くと、ニコッと笑う。
不意に同僚達のヤリまくるだの、夜の相手だのという単語を思い出してしまう。
「(いかんいかん)じゃ、じゃあ」
着替えをもってそそくさと浴室へ消える。
「ふぅ」
リラックスした格好で風呂から居間へと戻る。
ガチャ。
「おぉ」
思わず声が漏れる。
味噌汁に白米、出し巻とサラダ、濃厚そうなソースを浴びたハンバーグ。
真は少し照れ臭そうに。
「携帯で調べられなかったから、ほぼ感覚で作っちゃった」
「いやいや、なかなか」
薄いせんべい座布団の上へ、急ぐ腰を降ろす。
隣に座った真が、カシュっというプルタブが開ける心地よい音を響かせる。
「ま、駆け付け一杯」
正座しつつ、発泡酒を差し出さしてくれる。
「どーもどーも……真も飲めよ」
「いいの?」
「一人で飲んでも味気ないさ」
では! っと互いに酒を持ってカン、乾杯する。
「敏也、何の乾杯?」
「景気が回復しますように?」
「なにそれ(笑)」
そして、一番うまい一杯目を喉へクリティカルヒットさせて流し込み、真の手料理に手を伸ばす。
「うん。味噌汁うまい」
「へっへ~ん、ちゃんとダシも取ったんだぞ」
しかも具だくさんであった。葱にニンジンに豆腐などに加え、ジャガイモが入っているのは個人的にポイントが高い。
次いで主菜だ。箸で切り分け、ソースの滴るそれを口へと運ぶ。
「――おぉ、ハンバーグも肉々しくていいな」
「パン粉との比率がミソなんだよ」
カチャカチャと箸と食器が触れ合う。
「真って、料理できたんだな。あんまり知らなかった」
「漫画家志望で金が無いから、必然的に自炊せざるを得ないってわけ」
真もグビッと勢いよく飲む。
「敏也、もう一本もらっていい?」
「おう」
「へへ~、さんきゅ~」
少し顔を赤めつつ、嬉々とした仕草と表情で、酒を取って来る。
「もう酔ってるか?」
「体感だけど、女になってから酔うのがちょっと早くなった気がする」
体格も小さくなっているから、あり得る話だ。
俺は出し巻を食べつつ。
「そう言えば今朝、何か聞こうとしていなかったか?」
などと言いつつ俺ももう一本と開けると、真はなぜかジッと酒の缶を見つめだす。
「どうした? 真?」
カッ。
俺の言葉など聞こえないと言った勢いで、三百五十ミリリットル缶を飲む干す。
「お、おい」
プハァ! っと息をした後、カン! と机に空き缶を叩き置きながら。
「敏也! すまん。見てしまったんだ!」
ますます赤くなった顔を作りながら、頭を下げて来る。
「……何の話だ?」
悪くない気分で、リラックスしつつ酔いが程よく回ってきているという、自分でもご機嫌な状況だが。
「その……昨日の、よ、夜中の」
夜中――。
「あっ」
「――ぅん」
その話か。ならばとりあえず、俺も二本目をぐいっと飲み干す。俺も耳を少し赤くしつつ。
「起こしたか?」
「――お、驚いた声が聞こえて、それで」
真は視線をあちこちへ乱射しつつ、モジモジしながら。
「ご、ごめんな。敏也の家なんだから、どこで何をしても自由なのに」
「あ……いや――まぁ客人が来てるのに、非常識な行動をとったと言えなくもない」
さっきまでとは打って変わって、やや気まずい、シンとした空気になる。
「あーと、真はそれを謝りたかったのか?」
というか男だったんだから、それほどショックな出来事でも無いような――。
「……んと」
視線は机に落としたまま、やはり身悶えしつつ、頬をますます紅潮させている。その原因が酒だけではないのは明らかであった。
「――うか?」
「えっ?」
発泡酒から日本酒に切り替えた俺は、緊張を解いたが、それが失敗の元でもあった。
「手伝、おうか?」
はい?
手伝う? ナニを?
「と、敏也の自慰、を――」
眉間を指で抑えつつ、肘は机に置いて、身体を硬直させたまま、問いを投げる。
「酔ってるのか?」
「酔ってはいる、けど。素面でも言おうって決めてた……」
真は縮こまりつつ、人差し指同士を無意味に合わせていた。
「(こっちは酔いが吹っ飛んだぞ)――ど、どういう意図なんだ?」
顔をあげて真を表情を読み取ろうとする。
「やっ、そのぅ、じ、自分もよくわかんねーんだよ。でも、でもな? 昨晩、敏也の自慰を見た後の結論がコレだった時は、最初はホモになっちゃったのかって愕然としたけど――」
耳までゆで蛸のように赤くなりながら支離滅裂気味に続ける。
「でも、そもそも女になってから時間が経つにつれ、敏也へ抱く感情みたいなのが、少しずつ変わってきた気がして……」
チラチラと上目遣いでこっちを見てくる。その大きな瞳に見つめられつつ、こんな性的な話題を振られると、ドクドクと心臓が鳴る。
「や、優しくしてもらったり、頼りにするつど、なんか、そのぅ、自分から敏也に、シテ、あげられることがあったらやってあげたいっていう、衝動? みたいなのが込み上げてばかりで――」
コン。
最後はおでこを机につけ。
「借りだらけだし、自分に出来ることの一つとして、一番、そのぅ……」
敏也を、喜ばせられるコトを、探り当てた結果なんだ、と。
「……」
安い室内灯を見上げつつ、軽く息を吐く。
――乳房やら男性器の有無にばかりに頭がいっていたが、冷静に考えたら脳の構造や精神体系みたいなものだって、変調していて当然だ。
記憶こそ残ってはいるものの、この数ヶ月の間、真のそういう目に見えない心理的な変化については全く追うことさえしていなかった。
「(――にしても、やはり男だった時の記憶がある以上、かなり抵抗感がありそうだが)……えと、真」
当然だが最初、俺は断ろうと思った。
そりゃ顔も身体もレベルが高いが、昔からの男の幼馴染だったんだ。
「う、うん」
おでこを少し赤くした真が、恐る恐るといった感じで顔をあげる。
だがその、怯える子猫のような目を見ると、決心が。
「そ、そもそも嫌じゃないのか? 他人のチンコを触ったりするの」
「確かに、嫌かもだけど……その」
何度も瞬きしつつ、熱い吐息と共に、流し目で。
「敏也のは――きっと嫌じゃない」
グラッ。
い、いかん、何かが俺の中で傾きつつある。
あれは杏川輝で、俺が小学校の頃からの旧友で、助けたり――。
「(助けられたことも、あったっけな。お前の天然さに)……」
断るのは簡単だ。
そして真は二度とこんな話をしなくなるだろう。
だが思い出す……真の明るさに救われた、悩み抜いた学生生活の過去を。
「(俺は)真」
性転換により、不安の坩堝に溺れかけている真が、女として温もりを求めてるのは、極めて正常なことかもしれない。
救い、救われた俺らの関係は。
「ト、敏也?」
俺が黙っているから不安になってきたんだろう。
俺は大きな決意をするかのように、息を吐いて。
「……嫌になったら途中で止めていいからな?」
「え、それって!」
わぁ、と花開いたような笑顔を作る。いや、むしろこっちが喜ぶ立場だろうに。
「と、とりあえず飯を食って、歯を磨いてからな」
とんでもない決心をした俺の心臓は、ドクンドクン、と早鐘のごとく鳴り続けた。
携帯の無機質な時計が、霞のかかった俺の頭を徐々に覚醒へと向かわせる。
「昨日の今日で、よく眠れなかった、な」
朝六時過ぎで、外はまだまだ薄暗い。
とりえあず、お湯を沸かそうと台所へ向かうと――。
ガチャ。
「あっ。お、おはよう敏也」
ブカブカな男の服を着た真が、視線を泳がしながらコンロの前に立っていた。
「真。もう起きてたのか?」
そしてよく見ると、トースターでパンが焼かれ、目玉焼きがフライパンの上で小さく揺れていた。
「居候させてもらっているしな。冷蔵庫、何にも無かったからさ、こんなんしか作れなかったけど――」
驚いた。声が出ないとはこのことだ。
「昼に買い物に行って、米とか足しておくよ……どした敏也?」
「え? あ、あぁ。金、渡しておくよ」
「サンキュ。三千円もあったら十分と思う」
混乱しつつもトイレにいった後、着替える。
居間に戻ると、目玉焼きが乗ったトーストと珈琲が置かれており、配膳をしている真が。
「醤油派? 塩コショウ派? それともソース?」
思っていたより遙かに手際よく、朝食の準備を進める。
「しょ、醤油で」
「ん」
パパパ、っと済ます。
「? 早く食べなよ。オ……自分は後で食べるから」
「わ、わりぃ」
昨晩とは打って変わって、こっちが恐縮しつつ朝食を始める。
何より温かい朝食を自宅でゆっくりと食べること自体が割と珍しい。
「美味い。ありがと真」
「目玉焼きを焼いただけだよ」
微笑む真の顔を、なぜかボーっと見てしまう。
「あのさ、敏也……トシ?」
「――え、あぁ。ど、どうした?」
「今日は何かボーッとしてるな。まだ眠い?」
寝ぼけ頭のせいとはいえ、昨日の真夜中の出来事と、甲斐甲斐しい朝の真に、見惚れていたなんて言えない。
「だ、大丈夫。それより、何を聞こうとしていたんだ?」
「あっ、えっと」
すると、やはりさっきみたく視線を泳がせる。
「?」
「や、やっぱいいよ。夜にでも聞くから」
そうか? っと朝食を全て平らげ、玄関へ向かう。真もわざわざ付いてくる。
俺は靴ベラを使いながら。
「家事とか無理にやり過ぎるな。がんばらなくていいからな」
「ははっ、適当にやっておくよ。何か買っておくものとかある?」
なんというか、朝の恋人同士の会話みたいだ。
「(つーかここのところ、意識して真と思わないと、妙な気持ちになりつつある)え、えぇと。麦酒を頼む。あと、もう少し(金を)渡すから、服も買って着替えな」
「りょ!」
冗談っぽく敬礼する真へ鍵を渡して、アパートを後にする。
昼休み。昼食を食べに、逃げるように会社を出ようとするも。
「勝塚く~ん」
「げっ」
自販機コーナーのところで捕まる。
「よっしゃ、歯ぁ食いしばれぇ!」
「何でだよ……」
昨日の同期複数人に囲まれる。
「昼飯を食わせてやるからさぁ~」
「洗いざらい吐いてもらおうか!」
「食わせるのか、吐かせるのかどっちなんだよ――」
俺の意志確認は一切ないまま、会社近くの中華料理チェーン店へ連行される。
「まず恋人か否かについて、被告は明瞭に答弁なさい」
「(いつから裁判沙汰になった)えっと、彼女ではない、かな?」
適当に注文されたAランチがやってくる。
「ぜってー嘘だ。ヤリまくってる癖に!」
「あんな可愛いのとヤリまくれたら勝ち組だなぁ――糞が」
「てか、勝塚。ほんとに彼女じゃないなら紹介してくれ。一生のお願いだから!」
「いや、それは……」
なぜだろう。今の一言に一瞬だがモヤっとしてしまう。
「! お前、まさかキープか?」
「信じられん。あんな可愛い娘をキープとか、実は油田とか持ってんの?」
餃子を突きつつ、勝手に盛り上がっていく。酒とかを頼みかねない勢いだ。
「一緒に住んでるとかじゃねーんだ?」
「――いや、昨日から一緒に住んで……」
ハッとして、自分で口をつぐむも、遅すぎた。
周囲の皆が般若のような顔に変貌する。
「ほんと、さっきから何を言ってんだ勝塚!」
「彼女じゃないのに一緒に住んで、家事とか夜の相手とかさせてんのか?」
「あのなぁ、夜の相手をさせているなんて、一言も言ってないだろうが!」
社会人が店員に注意されるまで猥雑な会話を続けてしまう。
――だが、真に対する妙な希少価値感のようなモノを、この低レベルな会話にて植え付けられてしまったのも、また事実であった。
「つ、かれたぁ」
自宅まであと少しという所まで歩く。
同僚達のせいで仕事の能率がままならないまま、一日を終えてしまった。
「――ったく、なんで俺がこんな目に」
たまに吹く晩秋の風が、近くの放置された空地の芒を揺らす。
冷たい表情の月をふと見上げた際に、自宅の窓も視界に入る。
当たり前だが、明かりが点いていた。
「……」
誰かが家で待っている。
子供の時は当たり前だったけど、大人になってから当たり前じゃなくなった。
そんなことが頭を過ぎったせいか、気持ち速足で向かい、自宅のインターホンを押す。
――カチャ。
「はい?」
真の声だ。
「ただいま」
「おっ、かえり~」
ガチャっと扉が開く。
エプロン姿の真が扉を開けてくれる。
「買ったのか?」
男が妄想する、家に帰ったらエプロン姿の美少女が、的なものを満たす勢いであった。
「うん。他にもいくつか……安いのにしたから金は心配するなって」
「別に気にしてないよ」
コートを脱ぎつつ、玄関にて。
「温ったか」
なんというか、久しく忘れていたホッとする感覚だ。脱いだコートを真が受け取りつつ笑顔で。
「実家のような安心感?」
「それはちょっと言い過ぎだな」
二人して軽く笑う。
「風呂、入ってきなよ。配膳しておくし」
味噌汁の良い匂いがここまで漂う。
「作れたのか?」
「悪いけど、敏也よりは料理できるぞ。風呂はいってきたら?」
確かに米の炊き方すら怪しい自信がある。
「じゃあ、任せた」
「任された」
真はある胸を軽く叩くと、ニコッと笑う。
不意に同僚達のヤリまくるだの、夜の相手だのという単語を思い出してしまう。
「(いかんいかん)じゃ、じゃあ」
着替えをもってそそくさと浴室へ消える。
「ふぅ」
リラックスした格好で風呂から居間へと戻る。
ガチャ。
「おぉ」
思わず声が漏れる。
味噌汁に白米、出し巻とサラダ、濃厚そうなソースを浴びたハンバーグ。
真は少し照れ臭そうに。
「携帯で調べられなかったから、ほぼ感覚で作っちゃった」
「いやいや、なかなか」
薄いせんべい座布団の上へ、急ぐ腰を降ろす。
隣に座った真が、カシュっというプルタブが開ける心地よい音を響かせる。
「ま、駆け付け一杯」
正座しつつ、発泡酒を差し出さしてくれる。
「どーもどーも……真も飲めよ」
「いいの?」
「一人で飲んでも味気ないさ」
では! っと互いに酒を持ってカン、乾杯する。
「敏也、何の乾杯?」
「景気が回復しますように?」
「なにそれ(笑)」
そして、一番うまい一杯目を喉へクリティカルヒットさせて流し込み、真の手料理に手を伸ばす。
「うん。味噌汁うまい」
「へっへ~ん、ちゃんとダシも取ったんだぞ」
しかも具だくさんであった。葱にニンジンに豆腐などに加え、ジャガイモが入っているのは個人的にポイントが高い。
次いで主菜だ。箸で切り分け、ソースの滴るそれを口へと運ぶ。
「――おぉ、ハンバーグも肉々しくていいな」
「パン粉との比率がミソなんだよ」
カチャカチャと箸と食器が触れ合う。
「真って、料理できたんだな。あんまり知らなかった」
「漫画家志望で金が無いから、必然的に自炊せざるを得ないってわけ」
真もグビッと勢いよく飲む。
「敏也、もう一本もらっていい?」
「おう」
「へへ~、さんきゅ~」
少し顔を赤めつつ、嬉々とした仕草と表情で、酒を取って来る。
「もう酔ってるか?」
「体感だけど、女になってから酔うのがちょっと早くなった気がする」
体格も小さくなっているから、あり得る話だ。
俺は出し巻を食べつつ。
「そう言えば今朝、何か聞こうとしていなかったか?」
などと言いつつ俺ももう一本と開けると、真はなぜかジッと酒の缶を見つめだす。
「どうした? 真?」
カッ。
俺の言葉など聞こえないと言った勢いで、三百五十ミリリットル缶を飲む干す。
「お、おい」
プハァ! っと息をした後、カン! と机に空き缶を叩き置きながら。
「敏也! すまん。見てしまったんだ!」
ますます赤くなった顔を作りながら、頭を下げて来る。
「……何の話だ?」
悪くない気分で、リラックスしつつ酔いが程よく回ってきているという、自分でもご機嫌な状況だが。
「その……昨日の、よ、夜中の」
夜中――。
「あっ」
「――ぅん」
その話か。ならばとりあえず、俺も二本目をぐいっと飲み干す。俺も耳を少し赤くしつつ。
「起こしたか?」
「――お、驚いた声が聞こえて、それで」
真は視線をあちこちへ乱射しつつ、モジモジしながら。
「ご、ごめんな。敏也の家なんだから、どこで何をしても自由なのに」
「あ……いや――まぁ客人が来てるのに、非常識な行動をとったと言えなくもない」
さっきまでとは打って変わって、やや気まずい、シンとした空気になる。
「あーと、真はそれを謝りたかったのか?」
というか男だったんだから、それほどショックな出来事でも無いような――。
「……んと」
視線は机に落としたまま、やはり身悶えしつつ、頬をますます紅潮させている。その原因が酒だけではないのは明らかであった。
「――うか?」
「えっ?」
発泡酒から日本酒に切り替えた俺は、緊張を解いたが、それが失敗の元でもあった。
「手伝、おうか?」
はい?
手伝う? ナニを?
「と、敏也の自慰、を――」
眉間を指で抑えつつ、肘は机に置いて、身体を硬直させたまま、問いを投げる。
「酔ってるのか?」
「酔ってはいる、けど。素面でも言おうって決めてた……」
真は縮こまりつつ、人差し指同士を無意味に合わせていた。
「(こっちは酔いが吹っ飛んだぞ)――ど、どういう意図なんだ?」
顔をあげて真を表情を読み取ろうとする。
「やっ、そのぅ、じ、自分もよくわかんねーんだよ。でも、でもな? 昨晩、敏也の自慰を見た後の結論がコレだった時は、最初はホモになっちゃったのかって愕然としたけど――」
耳までゆで蛸のように赤くなりながら支離滅裂気味に続ける。
「でも、そもそも女になってから時間が経つにつれ、敏也へ抱く感情みたいなのが、少しずつ変わってきた気がして……」
チラチラと上目遣いでこっちを見てくる。その大きな瞳に見つめられつつ、こんな性的な話題を振られると、ドクドクと心臓が鳴る。
「や、優しくしてもらったり、頼りにするつど、なんか、そのぅ、自分から敏也に、シテ、あげられることがあったらやってあげたいっていう、衝動? みたいなのが込み上げてばかりで――」
コン。
最後はおでこを机につけ。
「借りだらけだし、自分に出来ることの一つとして、一番、そのぅ……」
敏也を、喜ばせられるコトを、探り当てた結果なんだ、と。
「……」
安い室内灯を見上げつつ、軽く息を吐く。
――乳房やら男性器の有無にばかりに頭がいっていたが、冷静に考えたら脳の構造や精神体系みたいなものだって、変調していて当然だ。
記憶こそ残ってはいるものの、この数ヶ月の間、真のそういう目に見えない心理的な変化については全く追うことさえしていなかった。
「(――にしても、やはり男だった時の記憶がある以上、かなり抵抗感がありそうだが)……えと、真」
当然だが最初、俺は断ろうと思った。
そりゃ顔も身体もレベルが高いが、昔からの男の幼馴染だったんだ。
「う、うん」
おでこを少し赤くした真が、恐る恐るといった感じで顔をあげる。
だがその、怯える子猫のような目を見ると、決心が。
「そ、そもそも嫌じゃないのか? 他人のチンコを触ったりするの」
「確かに、嫌かもだけど……その」
何度も瞬きしつつ、熱い吐息と共に、流し目で。
「敏也のは――きっと嫌じゃない」
グラッ。
い、いかん、何かが俺の中で傾きつつある。
あれは杏川輝で、俺が小学校の頃からの旧友で、助けたり――。
「(助けられたことも、あったっけな。お前の天然さに)……」
断るのは簡単だ。
そして真は二度とこんな話をしなくなるだろう。
だが思い出す……真の明るさに救われた、悩み抜いた学生生活の過去を。
「(俺は)真」
性転換により、不安の坩堝に溺れかけている真が、女として温もりを求めてるのは、極めて正常なことかもしれない。
救い、救われた俺らの関係は。
「ト、敏也?」
俺が黙っているから不安になってきたんだろう。
俺は大きな決意をするかのように、息を吐いて。
「……嫌になったら途中で止めていいからな?」
「え、それって!」
わぁ、と花開いたような笑顔を作る。いや、むしろこっちが喜ぶ立場だろうに。
「と、とりあえず飯を食って、歯を磨いてからな」
とんでもない決心をした俺の心臓は、ドクンドクン、と早鐘のごとく鳴り続けた。
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若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
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