霊装探偵 神薙

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第一章 幻核生物

一話 差し込む朝日

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 本州に位置する、地方都市を絵に描いたような月桑つきぐわ市は、県庁所在地からやや外れにあった。さらに古いビルの三階の一室に今日も今日とて、柔らかな十月ながつきの朝日と風が流れ込んだ。
 時刻は午前九時で、やや汚れた窓から室内を覗く。年季の入った長机、革部分シートに小さな穴がいくつも空いているソファ、葉が伸びきった観葉植物などが、いくらかの埃と共に、まだ眠っているかのように置かれていた。
 それでも衝立ついたてで仕切られた狭い応接室だけが、何とか事務所の体裁ていさいを保っているように見えた。
 零細企業としては、さもありなんな室内にて、一組の若い男女が、この望月事務所を開店準備のために、勤しんでいた。
なぎ君。この書類はどこにしまったっけ?」
 小柄な女性が、首をかしげげつつ声を掛ける。
「あのなぁ、内勤じむ外勤そとまわりに書類の仕舞い場所を聞くなよ。……動かないPCパソコンが乗っている机の引き出しの上から二段目だ」
 眉間にこれでもかと皺を刻む、ナギと呼ばれた男性は、この探偵事務所の正所員であった。
「ったく。令和のこのご時世、いつまで紙媒体なんだ? PDFか何かでさっさと電子化してくれ」
 忌々しげに呟いた彼の名は神薙蒼一かんなぎそういち。二十四歳で、身長は平均少し高め、体系はやや細身であった。髪は軽くかき上げた黒のナチュラルショートで、服は紺のワイシャツと地味なスタッドデニムであった。
 顔の良し悪しは人によりけりと言った所だが、常に眉間に皺を寄せ、神経質そうな表情を作っているのが特徴的と言えた。
「いや~、パソコンは苦手なもので(汗)」
「スキャンして保存するだけだろうが。星、お前はもう少し向上心を――」
 星と呼ばれた女性は、事務所の事務員バイトであった。
「えへへ~、ごみんごみん」
 名前は星宮ほしみやひかる。二十三歳であり、身長は平均的で体格は小柄であった。軽く揺れる柔らかな髪は黒で、小さな髪飾りを付けた総髪ポニーテールが印象的であった。
 服は青と黒のレースアップワンピースで、丈の長さは膝上くらいと短めであったが、黒の二ーソックスにより露出はさほど感じさせなかった。官能的グラマラスな体型では無いものの、均整が取れた小さな顔と、少し天然な立ち振る舞いにより、可憐かわいい、と言えなくもない容貌であった。
 ――だが、驚天動地の過去を持つ(後述)。
 ガチャリ。
 安っぽい開閉音が鳴り響き、中年男性が室内に入り、神薙が、次いで星宮が声をかける。▼
「おはようございます」
「所長さん。おはようございまーす」
 所長と呼ばれたこの男性は、望月探偵事務所の所長こと望月春明もちづきはるあき。五十歳くらいの彼は地味なスーツ姿であったが、悪くない恰幅をしていた。
「やぁ、おはよう。神薙君、星宮さん」
 温厚そうな表情と仕草から、経営に関してはやり手と言うより、人徳による部分が大きそうな印象を与えた。
「所長。朝一から恐縮ですが、先週の沢井さんの件についてまとめましたので、後でご確認ください。Excelエクセルファイルですのでお間違いなく。あと、下期しもきの決算について、税理士の丸山先生に……」
 足早やだが的確な説明を神薙が行い、それを一つ一つ頷きながら、所長は確認作業を進める。
 外の電線の上では、小鳥すずめが穏やかにさえずる中、星宮が部屋の隅にてお茶のためのお湯を沸かし始める。内勤と外勤の定義やくわりはともかく、この事務所では、いつもの見慣れた光景と言えた。
「神薙君、ここは?」
「あぁ、振込手数料の差額分です。大した額ではありませんが、きっちりしないといけない部分ですので」
「その通りだね。ありがとう」
 何とか急ぎの書類を片付け、ソファに腰掛けて一息つく男性陣。
 星宮は急須にお湯を注ぎ、それぞれの湯呑にお茶を注ごうとするが――、
「星。急須で煎茶を淹れる際は、蓋の穴部分を注ぎ口へ向けて淹れるんだ。そうすることで空気が茶葉を動かし、色や味、香りにむらの少ない均一なお茶を淹れられる」
 神薙の厳しい指導に星宮は軽く委縮する。
「わ、わかりました。す、すみません! お義母かあさん(汗)」
「誰がお義母さんだ、誰が」
 常に厳しい表情を作る神薙に睨まれた星宮は、申し訳なさそうに彼の隣に座る。
「ははっ、お義母さんは良かったね」
 そう言って一服する所長は、電子タバコを懐から取り出し、神薙らへ向き直る。そして、真顔を作った所長は、
「……さてと神薙君、依頼だ。昨晩に連絡が来たんだ」
 依頼の単語を聞くや否や、神薙は軽く頭を抑え、星宮は大きな目をパチクリとさせつつ、
「依頼主さんが直接、事務所に来なくて依頼を受けたということは――」
か」
 ハァ、っと不遠慮な溜め息を突く神薙と、それをなだめる星宮の構図、これいつものことであった。
 毎度のことながらと、所長も労わる。
「いつもすまないねぇ。――しかし、ウチはそれで成り立っている面もあるから(汗)」
「もぅ、所長さんったらぁ。それは言わない約束ですよ~」
 笑顔で茶化す星宮を、神薙は横目で見つつ、
「星、お前が言うか? ……まぁ、いいです。続けてください」
 所長は書類を取り出し、二人の前に並べる。
「昨日の深夜、月桑署へ捜索願が提出されて、警察もこれを受理した」
 星宮と神薙が順番に口を開く。
「そ、捜索願いですか?」
「状況と捜索対象者について教えてください」
 神薙は馴れた手つきで、年季の入った黒張りの手帳を取り出す。
「名前は土萩ワタル、十六歳。市内の商業高校に通っている男性生徒だ」
 神薙は書き込みつつ、
「最後に本人を確認したのは?」
「昨日、学校には来ていたらしいけど、それ以降の足取りは警察が捜査中なんだ」
「所長さん、他の手がかりは?」
 星宮の問いに、所長は渋い表情を作り、
「まだ昨晩の今朝だからね――」
「え? じゃ、じゃあ、こ、これだけの情報で探すんですか?」
 無理無理! っと言った動作の星宮とは交代する形で神薙が、
「……所長、彼が通っていた商業高校について教えてください」
「月藤商業高校。知っているかもしれないけど、車ならここから三十分くらいだね」
「了解。車借ります。……星、お前も来い」
「えっ、ボ、ボクも? ――た、確かに今月はお財布ピンチだけど~」
 所長も心配そうに声を掛ける。  
「だ、大丈夫かい? 星宮さんも連れて行って」
 神薙は汚れた壁に掛かった車のキーを手に取りつつ、
俺が矢面やおもてに立ちます。……それに、外部機関を煙たがる警察がわざわざ協会へ情報漏洩リークした以上、俺らが対処すべき案件の可能性が高いです。行方不明ならなおの事」
「そ、それって――」
 少し引きった表情の星宮が口籠るも、神薙は免許証を確認して、早々に身支度をすませる。
「早くしろ」
「で、でも怖いよぉ~」
 星宮が上目遣いで発した声は意図せず甘く、また耳と頬もほんのり赤かった。
 世間一般でいう可愛いの定義に充分含まれるであろう様相、――そんな星宮を罵倒しつつ引きづりながら、神薙は部屋を出る。
「しょ、所長さん、助けて~」
「き、気を付けて行ってらっしゃい(汗)」


 バタン!
 駐車場にて、素早く車へ乗り込む。
 望月探偵事務所にたった一台だけある老練オンボロの軽自動車は、案内ナビ無し、映像記録装置ドライブレコーダー無し、自動制動装置オートブレーキなど当然無し。無し無し無しと三拍子揃った、しかもツードアの車のエンジンをかけ、目的地を目指す。
 朝の混雑ラッシュは当に過ぎており、狭い国道はわりかし空いていた。信号次第であろうが、目的地まで三十分もかからないだろう。
「うぅ~、薙君。怖いよ~」
「男だろうが、意気地いくじを見せろ」
 衝撃のワンフレーズが飛び出す。
「い、今は女なんですけど――」
身体にくたいだけの話だろ?」
「そのニクタイが大事なんですってばぁ」
 ……耳を疑う言葉の応酬ドッチボールが繰り広げられる。
 無理矢理にでもこの会話に付き合うとすれば、女装か転換手術か、このどちらかだと推考するのが常識的あるいは健全な頭脳の持ち主であろう。
 ――が、星宮に限って言えば幸か不幸か、いやおそらく不幸の類いだろうが、そのどちらでも無かった。
 信号の点滅が見え、停車する。神薙も少し言い過ぎたかと。
「一年足らず、か。まだ慣れないか?」
「う、うん。まぁその。い、色んな意味で」
 星宮は困った表情を浮かべつつ、思い出してしまう。
 ……忘れることなど決して無いであろう、性が変わったあの日こと、昨年の誕生日を。
 奇異な倦怠感けだるさと共に迎えた朝は、人生で最も戸惑った起床となった。
 元より筋肉量が少なく、体躯からだが小さな部類の星宮であったが、その日は特に力がみなぎらなかった。
 不思議に思いつつ、かつて感じたことの無い柔らかな身体的特性と、体温の僅かな高さ、そして胸部の不可思議な重み。
 こんな結末になるとは想像も出来ず、寝巻を脱いで、身体を調べて見ると――。
「有ったり無かったりして大変でした まる」
 具体的な表現は差し控えつつも項垂うなだれる。
「――そうか」
 神薙はあまりこの話題を続けたく無さそうであったが、目的地までまだ少しあった。
「いつ、どんな風に変わったのか、本当に覚えていないのか?」
「う、ん。前日の夕方くらいからの記憶も曖昧で……ただ、その日の夜はすごい変な夢を見た気がするなぁ」
「変な夢……か。俺からも協会には問い合わせているが、前例が無いと調査中の一点ばりだ」
「はぁ、悩みが絶えません(涙)」
 道が細くなる。もう少しでくだんの商業高校だ。
「時折、男に言い寄られてるそうだな? それについては心底同情する」
「元男として、相手さんの目的かんがえが何となくわかるから、怖いんだよぅ」
「傍から見たら普通の女だからな。――まぁ、身の危険が及びそうになったらすぐに連絡しろ」
「ありがとう~、さすがは薙く」
「格安で引き受ける」
「お金取るの!?」
 悲涙の叫びを打ち消すように、ブレーキ音が鳴る。
 空地あきちまばらな住宅地区の一画に、灰色の外壁で構成される、年季の入った高校の校舎が見受けられる。目的地である月藤商業高校であった。
 神薙らは近くの有料駐車場コインパーキングへ停める。
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