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虫圭

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二章 chocolate brothers

2月16日『La nuit porte conseil(夜は助言を齎す)』

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『はい、もしもし。……ミホさんですか?』

 電話越しに聞こえるゆかちゃんのくぐもったような声。
 6日ぶりに聞いた彼女の声。

「あ、ゆかちゃん? 私、ミホだよ」
『はい、聞こえてますよ。それに、着信でミホさんの名前も出てたので分かってますよ?』
「あ、そっか。そうだよね。うん、あの、久しぶり。元気だった?」
『元気……? そう、ですね、はい、元気です。ミホさんこそ、お元気ですか? いつもと少し雰囲気が違う気がしますけど』

 何だかいつものゆかちゃんと違う冷淡な言葉。
 そしてゆかちゃん自身の口調。
 抑揚のない平坦な話し方。
 数日前に私とバレンタインデーの作戦について盛り上がっていた女の子とはまるで別人のよう。

「わ、私は別に何もないよ。元気だし」
『そうですか? ……いつもは、もっと甘ったらしい話し方じゃないです? ベタベタするみたいな』
「そ、そうかな……。へ、変かな?」
『別に……』

 私が話してるこの子は、本当にあのゆかちゃんなのだろうか。
 あの子が、こんなに棘のある言葉を直接本人に言うのか。
 本当に、こんな、まるで八つ当たりをするような。彼女の人格を変えてしまうほどの何かがあったのだろうか。
 それとも、これが彼女の本来の気持ちであり、私が今まで見てきた彼女の姿や聞いてきた言葉は、全て世間に対する彼女の建前だったのだろうか。
 ……いや、あったのだ。
 何か・・があったのだ。
 仕事を無断で休み。
 翌日には電話で退職の連絡をして。
 連絡手段を断ち、関係を一方的に断絶してしまうような、そんな何かが、この子に起きてしまったのだ。
 本来であれば、こうして私がまだ関わろうとしていること自体、この子にとっては不本意なもので、今の私はゆかちゃんにとって、関わりたくない相手なのかもしれない。
 だからこうして突き放すような、私を傷付けるような言葉を選んでいるのかもしれない。
 ゆかちゃんは、私に引き下がってほしいのかもしれない。

『あの、何か用なんですか? 私、もう仕事は辞めましたよ? 連絡しました。お金も要らないって伝えました。だから、もうあの職場とは何の関係も無いんです。だから引き留めるとかも必要無いですし、心配される筋合いも無いんですよ』
「ち、違うの。この電話はそういうんじゃなくて」
『じゃあ何ですか? 私の家族でもないミホさんが、私に何の用ですか。私とミホさんは職場の先輩と後輩の関係じゃないですか。仕事を辞めた私には、もう関係の無い人ですよね? じゃあ用事なんて無いじゃないですか』
「あ、あなたのことが心配で! それで電話したの。……な、何度もかけたんだよ……?」
『心配……?』
「うん。私とゆかちゃんは、確かに職場の先輩と後輩の関係だったけれど、わ、私は、ゆかちゃんのこと、仕事だけの関係じゃなくて、友達って、そう思ってるから」
『……』
「だ、だから電話したの! 友達って、こういう時心配するものでしょ!?」
『……フッ』
「え?」
『フフッ。友達・・ですか? フッ、私とミホさんが? 友達? ……フフッ』
「な、何がおかしいの? 私はゆかちゃんのこと、友達だと思ってる!」
『ミホさんの言う友達・・って、アレですよねぇ? お茶会したりとか、お土産持って行ったりとか、気に入られてお店のお客さんになったりとか、そういうんですよね?』
「ち、違うよ! そんなんじゃない!」
『えぇ? だって、ミホさん、今まで1度も友達できたことないんですよね? 異性にも、同性にも虐められてたんですよね? 小賢しく生き延びる術を覚えて、大人に媚びて生きてきたんですよね? そう言ってたじゃないですか。だから友達なんて言っても、見栄えだけの友達しかできたことないんでしょう? そんなの、友達じゃないですよぉ』

 ゆかちゃんの、意地の悪い言葉が私の胸に刺さる。
 ゆかちゃんの言っていることは正しくて、私には見栄えだけの、つまり形だけの友達しかいなかったのだから、今さらこんなふうにゆかちゃんにそれを求めても、それを受け入れてくれる訳がないのだ。
 私とゆかちゃんだって、一線を引いて付き合ってきた、外面だけの友達だったのだから。

『……電話、切りますね? もうかけてこないでください』
「い、嫌」
『……は?』
「嫌だよ。私は、ここで終わりにしたくない」
『私はそんなの求めてません』
「ゆかちゃんが求めてなくても、私はゆかちゃんを求めてる。と、友達になりたい」
『……』
「友達に、なろう。ゆかちゃん。私と。今日から。今から」
『……はぁ』

 ゆかちゃんは大袈裟に溜め息を吐いた。

『気持ち悪い』
「……え」
『気持ち悪いって言いました』
「な、何で」
『さぁ? 気持ち悪いって思ったので』
「……友達に、私と友達になるの、いや?」
『そうですね、嫌です。気持ち悪いです』
「……」
『電話、切ります。それじゃあ、もうかけてこないでください。うちにも、もう来ないでください』
「……」

 電話が切れて、私はしばらく、部屋に立ち尽くしていた。
 今、私が話していた相手は本当に誰だったのだろう。
 本当に、あのゆかちゃん?
 話し方や、言葉遣いだけじゃない。
 まるで、初めて話した人のようだった。
 知らない人。
 知らない相手だから、容赦なく傷付けられる。
 この先関わることがないからこそ、本音を言える。
 嫌われても何も構わない。
 そんな悪意のない残酷さがあった。
 私とあの子に間には、何も無かったんだと言われた気がした。
 私とあの子の関係には、初めから最期まで、何も存在しなかったんだと、そう言われた気がした。
 これまでの3年間、和気あいあいとしてきた時間は全て無駄で、初めて親友と呼べるくらい仲良くなれたと思っていた彼女は、私にそんな気持ちを抱いてくれなかった。
 電話一本で断絶された彼女と会社との関係のように。
 彼女にとっては私も同じように、その程度の関係でしかなく、容赦なく切り捨ててしまえるような相手でしかなかったということだ。

 ぽたり。
 電話を持っていた腕に涙が零れたことで、私は自分が泣いていることに気が付いた。
 それは自分でも凄く意外なことで。
 小さい頃から社会に出るまで、色んな人に虐められてきた私が、それでも一度も泣いたことのなかった私が、彼女との短い会話の中で泣くほどのダメージを与えられてしまったということへの衝撃だった。
 私は、傷付いたのだ。
 彼女の拒絶に。
 泣くほど悲しかったのだ。
 彼女に『嫌だ』と言われたことが。
 こんなことは初めてだった。

 一人がけのソファに腰を下ろして、もたれ掛かる。
 ケータイを操作して液晶に表示された名前を眺める。
 私が、唯一友達だと思っていた女の子の名前が映っている。
 上部だけの繋りじゃない。
 見栄えだけの関係じゃない。
 建前だけの交友じゃない。
 本当に。ちゃんと、友達になれたと思っていた、女の子。
 ケータイを太ももに乗せ、頬を伝う涙を拭って、両手で顔を覆う。
 苦しい。
 辛い。
 恥ずかしい。
 こんなに、悲しくて悔しい。
 拒絶されたのが胸が痛くなるくらい苦しくて悲しい。
 友達になれたと思っていた自分が恥ずかしくて、相手の気持ちに気付いてあげれなかった、友達経験値の乏しい自分が、堪らなく悔しい。
 一方的に好意を持って、相手の気持ちを考えれず、あまつさえ歳上の先輩面して得意気に性格分析なんてしていた自分が恥ずかしくて殴ってやりたいくらいむかつく。
 こんなに、彼女に伝えたい気持ちが在る。
 謝りたい。
 謝って、反省して、また友達になりたいって伝えたい。
 恥ずかしい自分を、このままにしたくない。
 彼女と、ちゃんと友達になって、馬鹿な自分を見返してやりたい。
 友達に何か会った時に、側に居てあげれるような、そんな自分になりたい。
 一方的でも、友達だと思っているあの子の側に、何か抱えているあの子の側に居て支えてあげれるような私に。
 そんな友達になりたい。
 あの子を支えてあげたい。

 両手を顔から離し、ケータイを手に取った。
 もう一度、もう一度ゆかちゃんと話そう。
 ゆかちゃんの話を聞こう。
 私の気持ちとか、建前の心配じゃない。
 そんなありふれた言葉じゃなくて、彼女の話に触れて、私が思うことを、私が彼女に伝えたい言葉を、伝えよう。
 ケータイを操作して、もう一度ゆかちゃんに電話を繋ぐ。
『お客様のお掛けになった電話番号は、現在電波の届かない所に居られるか、電源が入っていない為、掛かりません』
 電源がオフになってる。
 きっと、今度はいくら待っても繋がらないだろう。
 何度かけても。
 今度電源がオンになるとしたら、その時は私の番号は拒否される。
 ダメだ。
 電話じゃゆかちゃんと会話することは出来ない。
 会いに行ってみる?
 どこへ?
 ゆかちゃんの家に?
 居るのかすら分からないのに?
 この間は留守だった。
 カーテンは閉めきられて。
 玄関には鍵がかかって。
 インターホンも鳴らなかった。
 ゆかちゃんは家に居ない?

 いや。
 ……さっき、ゆかちゃんは最後に何て言った?
『うちにも、もう来ないでください』
 そう言った?
 確かにそう言った。
 私が家に来たことを知っていた。
 どこからか見ていた?
 違う。そんな筈がない。
 私が来ることは上司以外は知らなかったし、電話が繋がらなかったから私は直接ゆかちゃんの家に行ったんだ。
 じゃあ、あの時、ゆかちゃんは家に居たんだ。
 そして居留守で私の訪問を遣り過ごした。
 会いたくなかったから。
 話すことなんてなかったから。
 関係無い、友達でもない私と会って話すことなんてなかったから。
 だから居ない振りをした。
 会う必要が無かったから。
 でも、今は違う。
 今、彼女は家に居るんだ。

 ゆかちゃんは今、家に居る。
 私はケータイを操作した。
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