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雛鳥の逢着

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 夕暮れに一歩届かぬ頃合いが、いつも鏡椛の帰る刻限だ。
 それを知らせる使役の甲高い鳴き声を受け、常のように帰り支度を始めた鏡椛へ樹鶴が待ったの声をかける。

「鏡椛、少し【塾】の雛たちと会っておいき」
「塾の……?」

 鏡椛が家路についた後に彼岸に渡っている雛たちは水鏡の向こうから帰ってくる。そのため鏡椛はいまだ【塾】に通っているらしい他の雛との面識を持っていなかった。

「いずれ渡れるようになれば同じ学び舎で過ごすんだ。いざ渡れるようになっても向こうで知らない人ばかりは緊張するらしいからね」
「他人事のように仰いますね」
アタシのことじゃないからね。さ、そろそろだ」

 その言葉が終わるや否や、姿見の鏡面が淡く光り、内から波を立て始める。

 大きな波紋が花のように幾重にも咲いて――ぬっと小さな手が現れ、次いで足と頭がひょいと跳ねるように境界を超える。
 現れたのは、黒髪に虎のような金糸が混ざった異色を持った、鏡椛より一、二歳年上だろう男子おのこだった。慣れた様子で全身を姿見から引き抜いた彼は、ぱっと身軽な様子でその場に着地すると、樹鶴の方をぱっと仰ぎ見た。
 その目は明るい黄色をしていて、やはり虎を思わせる。

「よ。っと、樹鶴様今晩――ヒャァア!? お侍様!?」

 まるで興行を見に来たお客にするように挨拶をしようとしたはずの彼は、――鏡椛の姿を捉えた途端、声を裏返して叫んだ。
 何事かと目を丸くする鏡椛の横で、樹鶴がさっと虎のような少年の傍で片膝をつく。

「しまった、一番乗りは飛天ひてんだったか」
「飛天殿?」

 血の気をなくし、ガタガタと震えながらひゅうひゅうと変な風に息をし始めた彼――飛天を樹鶴が抱き抱えた。何かから身を守るように小さく身を丸めた彼の体はすっぽりと大きな樹鶴の体に隠れて、鏡椛から見えなくなる。
 ゆっくりとその背を撫でながら、樹鶴は努めて柔らかな声を発した。

「ああよしよし、大丈夫だよこの子は噛みついたりしないからね――すまないね鏡椛。飛天は軽業師の子なんだが、昔武者崩れに興行をめちゃくちゃにされたことがあるらしくってね。それ以来すっかり武家を見るとこうなっちまうように……よしよし、ゆっくり息をするんだよ」

 精悍な若者に育つだろう面差しからは考えられないほどの狼狽ぶりに唖然としていた鏡椛は、その言葉を受けてすっと頷いた。
 未だ影となって姿をまともに見ることはできていないが、その怯えようを責める気持ちは起きない。むしろ鏡椛の胸には申し訳なさが満ちていた。

「いえ、そういう事情であれば致し方ありません。落人とはいえ民草からすれば武家すべてに見えましょう」
「今度うまいもん買ってあげようね……ああ、次は大丈夫だろ」

 よしよし、と腕の中の飛天をあやしながら、樹鶴が次の雛の到来を予見する。

 とぽん、と控えめな波紋とともに現れたのは、鏡椛にも見覚えのある子供だった。

「こんばんはでさぁ、樹鶴さま。……およ、あんときのお侍様では」
「今晩は、おしろ

 お代と呼ばれたその女童は、鏡椛が悩みの淵にいる合間に彼岸へと渡っていった子供であった。
 あれからまだそう日が経ってはいないが、彼岸に通ううちにだいぶ鬼道ものとして確立したらしく、あの日のように鏡椛を見て過剰に畏まる様子は見受けられない。
 鏡椛もその姿を覚えていたのか、ふわりと緊張が解ける。初見であれだけ怯えられたのは、憤慨や悲嘆こそしないもののさすがに堪えるものがあったらしい。

「ああ、あの時の」
「へぇ、あんときはお邪魔して」
「いや、わたくしこそ長居をして申し訳なかった。無事、塾にたどり着いていたのだな」
「そういや、お侍様とあれからお会いしてねがったもんな」

 ぺこりぺこりとお互いに軽く頭を下げ合うが、そこに身分差の壁が現れることはなく、あくまで和やかな空気がその場に広がる。
 着物が特別綺麗になっただとか、垢抜けたとか、そういった変化はないはずだ。しかし、初めて視た時よりもにこやかで、どことなく血色もよく見えるお代の顔をしげしげと眺め、鏡椛が思わず、といった調子で尋ねた。

「――塾は、楽しいか?」
「ええ。とっても!」

 花が咲くように、お代は笑った。――これが、鬼道として満たされたものの変化なのか。そう思う鏡椛の目の奥が、息を吹きかけられた熾火のように輝いた。

「おっと、――そこ空けな。賑やかなのが来るよ」

 樹鶴の声がするや否や、ぴょんぴょこりんといった調子でみっつのちいさな影が姿見から団子になるようにして転がりだした。

「こんばんは! 樹鶴様」
「こんばんはぁ、樹鶴様」
「まだお月様は出ていません? 樹鶴様」

 矢継ぎ早、というよりはほぼ同時に言葉を発したのは、三人の女子おなごだ。揃いの着物が樹鶴の周りをくるくる回る。

「はい今晩は。おたつにおりん。月はまんまるいのが出ているよ、おこう
「同じ顔……?」

 鏡椛の目が見開かれた。その言葉通り、三人は表情に違いこそあれど、顔の作り自体はそっくりそのまま複写したように同じ形をしている。同じ表情をされたらまず見分けはつかないだろう。
 そんな、唖然とした鏡椛の声に、くるりと三つの顔が振り向いた。今度はわちゃわちゃと鏡椛の周りへと近づいてくる。

「ふむふむ、あなたが珍しい子?」
「あらあら、あなたがお弟子様?」
「ええ、わたしたちは同じ顔の三つ子なの」
「吉兆の三つ子なの」
「吉兆の三つ子なんだよ」
「そう、樹鶴様がつけてくだすったの」

 くるりくるりと言葉を繋ぐように、あるいは歌うように代わる代わる三人の子供が言葉を発する。調子には性格による多少の差は滲んでいるが、音色自体はまるきり同じものだ。愛らしい容姿と仕草は仔犬が戯れているようではあるが、万華鏡を覗いているように幻惑へと誘う光景でもあった。

 けれど、鏡椛は――愕然とした様子で、絶望したように呟いた。

「――三つ子」

「鏡椛?」

 小さな手が頭を抱え込むように側頭部を抑える。がくりと、常ならば凛として乱れのない姿勢が崩れる。

「みつご――なのに、吉兆?」

 迷子のような目が虚空を見上げた。腹の奥底がざわつく。まるで、触れてはいけないものに触れてしまったように、震えが止まらない。
 飛天を襲った恐怖のぶり返しとも違う、気づくことへの拒絶反応めいた、忌避。

「おやおや」
「あらあら」
「大丈夫?」

 そろって眉を寄せ、心配そうにのぞき込んでくる三つ子の姿自体に、拒絶すべきところはない。だが、同じ胎から同時に生まれた子供たちがそうして仲良く顔を揃えて過ごしていることに、鏡椛の思考回路が乱れる。
 叫びと否定が、頭の中をかき回す。

 ――在ってはならぬから、不吉であるから、傍にいてはならなかったのではないか。傍にいてはならないから、せめて
 ――この思い出は誰のものだ。知らない。知らない。知っていてはならない――知らないのに、苦しい。

「なら、どうして、わたくしたち・・・・・・は」

 想いの奔流に押し出されるようにして、言葉と共に見開かれた目から、涙が零れた。

「ああ、限界か」

 半狂乱の教え子を観察していた樹鶴が、すっと煙管を取り出した。
 その火皿に火種はなく、また花蜜の琥珀もない。
 それでも樹鶴の唇に銜えられたそれは、ほつほつと煙のような、靄のような――けれどそのどちらでもない淡く虹色に揺らめく幻想を紡ぎ出す。

  夢はうつつに
  うつつは夢に
  夜のとばり
  月のしとね
  星のうたごえ
  風はゆりかご虹にかけ
  蝶は水辺で花とまどろむ

 古い文字が宙で詩を綴ったかと思うと、その一字一字が風もないのに桜吹雪のように舞い上がった。
 ひらりゆらりと降り注ぐそれにわっと盛り上がっていた子供たちは、ひとり、ふたりと眠りへ落ちていく。

「すまないね、雛鳥たち――すぐに起こしてあげるから、少しだけお眠り」

 腕の中で寝息を立て始めた飛天をそっと横たえて、鏡椛の目の前に立つ。

「鏡椛。アタシの声が聞こえるか?」
「――せんせ、い」

 ただ一人眠りの花弁を降らせずにおいた子供が、か細くも確かな声で応えた。
 あえて見下ろすようにしながら、その双眸を覗き込む。

「どうしてお前さんの頭がそんなに痛んでるか、わかるかい」
「わかり、ません。どうして、わたくしはこんなにも――つらいのか」
「お前さんの魂の中に、失せ物があるからさ」

 瞳孔の奥で燐光の異色が熾火のように静かに、けれど熱く光っている。そのうえで肝心肝要の場所が欠け落ちているのが、これまでで一番よく視える。
 藻掻くように着物の合わせを握りしめた鏡椛の手の甲に、頬を伝った雫が落ちた。

「失せ物……? それは、なにを」
「知らないよ。アタシはただ、お前さんの魂に穴が開いてるのを見つけただけ。そこになにが納まっていたのか、どうして落としちまったのかはアタシにはわからねえさ」
「では、どうすれ、ば」

 縋るような目に、樹鶴は深くため息をついた。
 追い込んだのは自分ではあるが、悪癖に逃げられてはたまらない。

「――うちに置くにあたっての約束事、忘れたか?」

 一瞬の沈黙の後、鏡椛の口が震えながら開いた。

「ここに居る間に、自分の頭で考えて、諦めるのをやめることを覚える……?」
「そ。考えな。自分が何をどうして失くしちまったか――それはどこにあるか、手放してよいものだったのか」

 すっと、長い指が鏡椛の握りしめられた拳を――その向こうにある心臓を指し示す。
 指し示された心臓が、図星を突かれたように大きく波打った。

「どうしたい? 鏡椛。お前さんがそれを要らねえというならそうしよう。見つけたいというのでも、そうしよう。アタシは決めてやらないよ」

 樹鶴が雛を見る時の姿勢は、古い大樹のようであり、また月のようであるとかつての弟子は云う。

 羽が強風で折れてしまうようなら大樹のように木陰で守り、疲れてしまうようならば枝だって貸してくれる。道がわからなくなったならば、その先にある選択肢を見せることだってしてくれる。
 けれど、それだけなのだ、と。

 大樹のように優しい声音と冷えた眼差しが、月のように雛鳥を見下ろしている。
 ――この鬼道ものは道を照らせど、手は引かない。

「わた、くしは」

 子供の、小さな唇が震えた。
 月に住むという桂男のような美貌を前にして、魅入られたように。
 けれどもその目に宿る燐火は、それまでの鬱屈をくべたように、強く燃える。

「わたくしは、思い出したい。――思い出しては苦しむとしても、失くしたそれが、恋しい!」

 会いたい、と叫ぶように、雛鳥はその未来へ手を伸ばした。
 その先にあるのが極楽とも地獄ともつかぬとしても、それでも、星に手を伸ばすように。

「相分かった。じゃあ、そう生きる術を教えよう」

 月のような瞳が、嬉しそうに微笑んだ。
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