上 下
8 / 45

子供は糸を断ち切れない

しおりを挟む
「で、答えは出たかい」

 改めて膝を突き合わせた子供の目は何か腹を決めたように、凛としたもののふらしい輝きを帯びていた。
 愉しみに輝く鬼道の子の目ではない。嫌な予感がしながら促した樹鶴の言葉に、すっと伸びた背骨を通った声が返ってきた。

「――はい、わたくしは店主殿を師と仰ぎとう御座います」
「……ハァ?」

 思わず間の抜けた声が漏れ、がくんと手が膝から滑り落ちる。

(あんだけ考えてた頭はどこいったんだい、この子)

 信じられないという色を浮かべた目に、何を勘違いしたのか、子供は生真面目な様子で再び口を開いた。

「わたくしは店主殿を師と――」
「待ちな。繰り返さないでいい。聞こえなかったわけじゃないよ。……聞き間違いと思いたかったけどね」
「店主殿がわたくしに示されたのは、わたくしが鬼道ものとして生まれついた以上、父上――家に従う道理はもともと存在せず、この身にいかなる異能が宿っていようと、人の世の道理に縛られた答えしか返せぬようでは未熟である。より深く学ぶことを選べぬ鬼道は傀儡に過ぎぬ。そういうことで御座いましょう」

 ぼそりと呟いた樹鶴の声は聞こえなかったのか、凛とした声に乱れも戸惑いもない。それこそ見えない糸で繰られている傀儡のようだ。
 そしてなにより、致命的に武家特有の自己鍛錬と自罰の感覚が滲み付いているのが見て取れる。

(さっきの顔は、なんかつかんだと思ったんだけどねえ……。ただの躾だけが原因じゃねえってのは、まあ視りゃわかるけどさ)
「ううん……指摘しにくいズレ方をしてみせるねこの子は。別に、アタシらはそんな責任感でやってるわけじゃあねえんだけど……」
「有難うございまする」

 ぼやいた言葉に深々とした礼が返ってきた。まったくもってやりづらいことこの上ない。

「褒めとらんわ堅物め。で、なんでアタシに?」
「わたくしはこの通り鬼道としても未熟。ヒトとしても未熟の身ゆえ、自身というものが薄い。ならばこの案山子のような身の導き手となってくださった店主殿こそ我が師に最上の人物である、と思いました」

 その言葉に、樹鶴の眉がわずかに上がった。

「案山子ってねえお前さん、いくら本当のことでも自分で言う子があるかい。まったく。……重ねて言うがね、もう筆子はとってねえの。さっさとどうするか決めて【塾】へお行き」
「嫌に御座りまする」
「頑固モノめ。……いいから、あれほど悩んだんだ。少しくらいは決めているんだろう?」

 本当に頭に藁しか詰まっていないようならあんなに悩むことはない。家の方針通りに自分を制御し、ヒトに飼いならされるためだけに生きる道以外を見つけたから、ああも長々と思考し続けたのだろう。
 自我を担保に楽に生きることよりも、幸福と楽しいことを見つける茨の道を愛する鬼道の一歩。それをあの瞬間に、踏み出したはずだ。
 すべてを今すぐ振り切れるとも思わないが、掴んだ糸を自ら手放そうとするなんてあまりにも愚かしい。愚かしいが、それを選ぶならば選ぶで潔く手放せばいい。それもまた選択の一つなのだから。
 だが、未練がましく手放せずにいるならば――蜘蛛の糸に、他ならない。

 小さな手が、ぎゅっと握りしめられる。

「それ、は……」
「さっきみたいに次の子が来てしまうかもしれないよ。あんまりのんびりしているとさ」
「む。それは本意では御座いませんね」
「だろう?」
「でも……」

 子供の中で、天秤がぐらついている。
 急かすような真似をするのは気の毒に思わなくもないが、もう十二分に待ったはずだ。ここで甘やかすのは樹鶴の主義に反する。

「その、決めかねております故に、店主殿に」
「妥協かい。癖になるよ。辞めときな」
「けれど……わたくしは」

 拳は硬く握られながらも、視線は下がっていく。
 父母を、一族郎党を裏切れない。あるいは――もっと大切な、自分の命そのものが千切れてしまうようで恐ろしいとでもいうような、そんな仕草だ。
 
(……マ、これ以上は駄目だな。アタシじゃあ壊しちまいかねない。こんだけ揺さぶっときゃ、亀櫻の仕事もやりやすくなんだろ)

 彼岸の友は自分よりもずっと指南役に向いている、と見切りをつけて樹鶴は煙管を扇子に変えるや否やパチンと閉じた。

「ひとまず、手形を渡すからあっちに一度渡ってみな。もののふの子は家の分、血や鉄に近づきすぎるから色々傷んでるのかもしれないしね」
「……はい、よろしく、お願いいたします」

 子供は、不承不承、という顔で頷いた。
しおりを挟む

処理中です...