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21.恋心問答

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 イリスは『恋』と名付け、レンは『愛玩』と名付けた。
 少なくとも、どちらともサラージュがこれまで『初恋』と称していた感情に否やを提示している。
 当人がそうと言っている感情を否定することは無意味だ。
 そう切って捨てることは容易い。少なくとも、これまでの自分であれば「馬鹿なことをいっているのね」と目を背け続けただろう。

 だがサラージュは今、彼らが示したそれらの見解に怒りを微塵も覚えていない。
 少なくとも、納得している。
 ――ああ、たしかにそういう面があったかもしれないな。
 その程度の軽々しさで、サラージュ・ネクタルは自身の『初恋』を問う。

 なぜ、そう名付けたの? と。

「どう思う? 海賊さん」
「――お気づきで」

 虚空に投げられた呼びかけに、するりとその男は現れた。
 海のにおいのする男だった。よく日に焼けた筋肉質な体に鱗のようなタトゥー、海を紡ぎ出したようなターコイズブルーの波打つ髪、黒真珠のごとく魅惑的な切れ長の瞳。この国とは明らかに文化の違う色彩感覚に満ちた肌面積の広い服装は海上で陽光に照らされてこそ一等映えるそれ。
 サラージュやアレクシスよりも年嵩の、視線だけで人を殺せそうな異国の色男。
 王城に立ち入ることが許されるはずもない、見るからに異質な存在だ。

 だが、サラージュは気にすることなく、柱によりかかる男に笑いかけた。

「あら、そんなに呆けた女だとお思い?」
「まさか。オレはアンタほどおっかねえヒトを知らねえよ」

 サラージュの倍近く厚い筋肉で覆われた肩をすくめたこの男は、情報屋だ。名前はグェルデ。
 正確には数年前に戦場で拾って以来サラージュ個人が飼っている草の者なのだが、最近は西の港で顔役をしている。
 素性は知らない。
 否、立ち振る舞いの端々に見られる特有の所作などから推測できるが――約束なので、触れないことにしている。約束を破ってまで墓を掘り返すほど悪趣味ではない。

「光栄だわ。それで、どうお考えかしら?」
「恋ですっけ? 似合わねえな。アンタには戦場が一等似合う。本当だったらこの城に収めておくのが勿体ねえくらいだ」
「それはおまえの決めることではないわ……と、言いたいけれど、わたくしもそう思うのよね」

 カラカラと笑う男を一喝できればいいのだが、それができないから悩んでいるのだ。

「わたくしが殿下を許容したこれ・・が恋でないならば、わたくしはここに居るべきではないわ。……不誠実だもの」

 アレクシスとの婚約が政治的な理由であるのならば、気にせずとも問題はなかった。だが、サラージュはアレクシスからの好意を受け取り、それに応える形で婚約者となったのだ。
 自分も初恋相手が彼だから受け入れます。そう言って「受けずともいいよ」と言って選択の余地を与えてくれた家族を喜ばせ、多くの領民に祝福された。
 なのに、自身をも偽る虚構であったならば。
 偽って偽って、自身ですら真実を知ることができないほどに塗り固めた伽藍洞であるならば。

 ――それは、アレクシスや家族や領民の感情への裏切りではないか。

 唇を噛みしめ俯いたサラージュとは対照的に、グェルデは吹き抜ける風のように一笑した。

「ハ、真面目だねえ、姫さんは。いや、ロマンチストなのかね。結婚なんざ不義を働かなけりゃ両想いである必要ねえだろ。恋も愛も、正答なんざねえからどいつもこいつも四苦八苦してるんだしよ」
「わたくしは貴族の子だもの。心に正答はなくとも行動に正答は生じるわ」
「近頃は出奔する奴もいるってのにな」
「……まあ、いいわ。そちらの用を聞こうかしら」
「いいんです?」

 そう訊ねる目はどこか愉悦を帯びていた。迷走する若人を見守りつつも、からかいたくて仕方がないと言ったところだろうか。
 いまいち読み切れない男ではあるが、こういった仕草を隠さないせいか陰湿さとは無縁だ。

「いい。そう長居させるわけにもいかないでしょう。勝手に忍び込んできて」
「はいはいご主人サマ。お叱りはあとで受けますよっと―――アンタが動けなかった期間の情報です。御入用でしょう?」

 投げ渡されたのはロケットペンダントだ。表面の宝石と内部の暗号キーによって大きさ以上の情報を収め引き出すことができるマジックアイテムで、鳥便などでも送りやすいことから情報屋の間でも重宝されている。
 つまり、わざわざ本人が出向く必要はない。

「鳥を使えばいいでしょうに」

 ペンダントを懐にしまう。からかうために来たのかと視線をやれば、大きな手がひらりと揺れた。

「これでも恩人の大事に肝を冷やしたんですよ。顔の一つでも見せてください。オレよりは、どっちかというとあの珍獣たちに」

 珍獣、という言葉に一瞬誰の事かと目を瞬かせ、そういえばこの海色の男はサラージュの従者たちをそう呼んでいたのだったと思い出す。

「……そうね。あの子たちにも随分心配をかけてしまったし、それは配慮が欠けていたわ」
「オレは大人なんで我慢が効きますがね。あいつら……というか、アレはアンタのこと以外どうでもいいって類のモンでしょう。安全管理上本当勘弁してくれよ」
「そうするわ」

 従者たちはいささか変わった出生をしているのと色々挙動が極端なせいか、それを受け入れたサラージュに対する依存度が高い。
 普段はドタバタしているだけで可愛い子たちなのだが、彼らのドタバタ・・・・はいささか周囲への被害が大きいところがある。正式に輿入れするときに呼ぶからそれまでに力加減を覚えろと領地に置いてきたが、グェルデがわざわざ進言しに来たということはそろそろ限界が近いのだろう。

(なんでわたくしの周りってこう、加減が下手な子が多いのかしら)

 自分のことを棚に上げながら嘆息するサラージュに、グェルデが笑う。

「マ、いつでも使ってくれよ姫さん。アンタのお呼びとあれば他の野郎との商談ほっぽってでも馳せ参じるからよ」
「そこまでは望んでいないのだけれど……まあ、頼りにしているわ」

 文化圏の違いをうっかり出したらしい近距離の肩組みをやんわり外して「見つかる前に帰れ」と目で促せば、物わかりのいい色男は冗談めかしたウィンクを一つ落としてするりと柱の影に身を翻した。一拍もしないうちに気配が掻き消える。
 毎度のことだが、ああも目立つ姿だというのに実に隠形が上手い。
 抜け穴でも作っているのかと思って調べたこともあるがそんなものはどこにもなかったので、単にグェルデ自身の力量なのだろう。
 理解していても感知できないことが悔しくて、じっと彼の去っていっただろう方角を見つめる。今日こそは、と意気込む視線は焦がれているのかと勘違いされかねないほどに熱心だ。

 だからだろう。

「――サラ?」

 ライトグリーンの瞳が同じように自身を見つめていることに、サラージュは気づかなかった。
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