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決断の日

3:シャーロットの夫(1)

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 レクレツィアの死から7年。
 心を閉ざした第2皇子ギルベルトは、皇城の端にある小さな離宮へと居を移した。
 あれからずっと、彼は誰もそばに置かず、誰も寄せ付けず、たった一人で色のない毎日を繰り返していた。

 朝起きて洗濯をし、掃除をし、軽い食事を作りそれを食べ、そして寝る。この工程に週に何度か水浴びというタスクが組み込まれることはあるが、いずれにしても必要な最低限の行動しかしていない。

 本当に、ただ生きているというだけ。  

 その命が尽きるまで永遠に繰り返されるであろう淡々とした毎日に、嫌悪感を抱くこそすらない。
 彼の中にあるのは虚無感だけだ。あの日からずっと、何も感じない。

「ああ、今日も朝が来てしまった」

 ギルベルトはカーテンの隙間から差し込む日の光に、眩しそうに眉を顰めた。

 これからあと何度、この光を浴びれば死ぬことができるのだろうか。
 死んだら死者に会えるのだろうか。行く先は地獄だろうか、それとも天国だろうか。

 毎日、そんなことばかり考える。
 けれど、自死を選べるほどの勇気はない。

 ーーーーーただの臆病者。
 
 それが彼自身が思うギルベルト・ベーゼ・ベルトランだ。
 
 ギルベルトは鉛のように重い体に鞭を打ち、ベッドから起き上がった。
 そして出窓で育てているハーブの鉢植えに水をやると、その隣にある頭蓋骨を手に取った。
 それはかつて、白銀の魔術師と呼ばれたレクレツィア・ベルンシュタインの頭骨。
 特殊加工を施され独特な光沢があるその骨は、彼の腕の中で朝日を浴びて黒く光る。

「おはようございます、師匠」
 
 ギルベルトはレクレツィアに朝の挨拶をすると、優しく拭き上げてまた元の場所に戻した。
 
「眩し…」

 換気のために窓を開けると、外は嫌味なほどに快晴で、爽やかな風が吹いていた。
 長らく整えていない赤茶けた髪は、その爽やかな風に靡く。 
   すると、鼻先くらいまである長い前髪に隠れていた目元が露わになった。
 顔の左側に大きく残る火傷のような痕とスカイブルーの瞳。
 ギルベルトは慌てて前髪を直し、左の目を隠すと右目で空を泳ぐ雲の流れを追った。
 
「今日は洗濯日和だな…」

 こんな日は、かろうじて幸せを感じることができた幼少期を思い出す。
 レクレツィアの攻撃からひたすら逃げ回る訓練。魔力が尽きるまでひたすらに丸太を破壊する訓練。
 今思い出すと、虐待だと訴えても良さそうなほどのスパルタの日々だった。
 けれど、何も持たない皇子と蔑まされていた彼にとって、『お前には魔術師の才能がある』と言ってくれた師匠の言葉は何ものにも変え難いくらい大切なものだった。
 だから彼女の言葉を信じて、彼女の期待に応えられるように魔術の鍛錬に明け暮れた。

 あの、辛くも楽しかった日々が懐かしい。  

「師匠…会いたいです…」

 ギルベルトは瞳にうっすらと涙を浮かべた。
 とうに枯れ果てたと思っていた涙が出てくるなんて、今日は随分と感傷的だ。
 涙を拭った彼はフッと自嘲じみた笑みを浮かべた。

 それからしばらく、ギルベルトが窓辺でボーっとしていると、唐突に乱暴に扉が叩かれた。

「殿下!起きてください!」

 扉の外からそう叫ぶ声を聞いて、過去に浸っていた気分が台無しだと眉を顰める。

「起きている。うるさい」
「では失礼します!」

 『うるさい』と言っただけで入室の許可も出していないのに、強引に入ってきたのはアスラン・ケイ・バクラ。
 書類上はギルベルトの専属護衛だ。
 尤も、ギルベルト自身は彼をそばに置くことを許容していないが。
 
「入室を許可した覚えはないぞ。出て行け」
「いいえ、今日ばかりは出て行くわけには参りません!」

 アスランは強い口調でそう言うと、パンパンと手を叩いた。
 すると、ゾロゾロとお仕着せ姿の女たちが部屋に押し入る。
 おそらく今の今まで仕事をサボっていた第2皇子付きのメイドだろう。
 今初めて顔を見た彼女たちに、ギルベルトはハッと乾いた笑みをこぼした。

「こんなに居たのか。はじめましてかな?メイドのお嬢さん方」

    非難するような口調の挨拶に、メイドたちはただ頭を下げることしかできない。

    当たり前だ。今日までの7年間、何もして来なかったのだから。

 やるべきことと言えば死なない程度に食料を確保することと、たまに生存確認をすることくらい。
 離宮の主が生きていれさえすれば、それだけで給金がもらえる。
 確かにこの離宮のメイドになることは出世コースから外れることを意味するが、同時に仕事をサボっていても許されるため、結果的にただ給金だけもらえれば良いという者たちが残った。

 ギルベルトはその怠け者たちに一瞥をくべると、アスランを睨みつけた。

「何の用だ」

    彼らの手にあるものから推測するに、おそらく主人の身支度を整えようとしているのだろう。
 今更世話をされる気もなければ、これから来るであろう客人を丁重に出迎える気もない。
 そう言って眉間に深い皺を作るギルベルトに対して、アスランは険しい顔でとあるクシャクシャにされた書類をつきつけた。

 それはヴァインライヒ王国の第四王女とギルベルトとの婚姻が成立したことを示す書類の複製。

 この前、丸めてゴミ箱に捨てたものだ。

「何度も申し上げました。本日、殿下の奥様がこちらにいらっしゃいます」
「だからどうした?俺には関係のない」
「いくら広間に呼ばれないからといっても、最低限の出迎えの準備はなさるべきです」
「だから関係ないと言っているだろう。出迎えなんて、そんなものは不要だ」

 自分の預かり知らぬところで結ばれた婚姻など無効だ。
 王国の末姫が何を思って自分を指名したのかはわからないが、勝手に嫁いでくる顔も知らぬ姫を妻として受け入れる気など毛頭ない。
 ギルベルトは犬を追い払うようにしっしっと手を払う。

 アスランはそんな彼の心情も理解できなくはないが、それでも引き下がるわけには行かなかった。

「…これからこちらに来られるシャーロット王女はまだ13です」
「だから?」
「わずか13の少女が祖国のために、嫁いで来られるのですよ?売られるように!人質のように!勝手な婚姻は許せずとも、どうか王女様は受け入れてさしあげてください!」

   幼気な少女が祖国のため、味方のいない見知らぬ土地に嫁ぐ。それだけでも恐ろしいことなのに、よりによって嫁ぐ相手は冷遇されている第2皇子だ。呪われているという噂もある。
 きっと彼女は怯えながらここにくることだろう。
 アスランはそういう事情だから、ギルベルトだけには彼女の味方でいてやって欲しいと懇願した。

(確かにそう考えると、自分で俺を指名したという話も本当かどうかわからないな…)

 だが、それでもやはり、ギルベルトには王女がどんな顔で嫁いでくるかなど関係ない。
   深く頭を下げるアスランに、やれやれというようにギルベルトは肩をすくめた。

「ならばお前が味方になってやれば良いだろう」
「自分は…、バクラ伯爵家の人間ですから…」
「ハッ!真に味方にはなってやれないと?」
「バクラ伯爵家は、代々お仕えして来た騎士家門です…」
「ハハッ!そうだよなぁ?もし陛下が王女を殺せと命じれば、バクラ家門のためにお前は王女を殺さねばならないものなぁ?哀れに思う幼気な王女でも、殺さねばならない」

    -----レクレツィア・ベルンシュタインのように。

   絶対に口には出さないが、ギルベルトの言葉の後に続く名前はしっかりとアスランに伝わったようだ。
 アスランはグッと拳を強く握った。

「……お前はいつもそうだ。優しいフリをして、味方のフリをして、結局は権力に負ける」
「申し訳、ございません…」
「なあ、そうまでして家門を守りたいか?心を売り、信念を捨ててまで守る家門に価値はあるのか?」

 くだらない、とギルベルトは吐き捨てた。
 重々しい空気が部屋に充満する。息が詰まりそうなほど、憎悪のオーラを放つ彼に、ずっと下を向いたままのメイドたちは顔を上げる事ができなかった。

 そして、アスラン・バクラもまた、顔を上げる事ができない。

   何故なら彼は7年前、彼の最愛の人を殺したから。
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