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63:嫌な予感(4)

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 事態が急転したのは、グレイス侯爵が皇后宮へ向かってすぐのことだった。
 宮のメイドが夫人の不在を告げたのだが、そのメイドがひどく怯えた様子だったため、何かあったのだと察した侯爵がメイドを問いただした。
 するとメイドは『皇后様と公女様が連れて行かれた』とその場に泣き崩れたのだ。
 嫌な予感がしたグレイス侯爵は『誰が連れ去ったのか』を聞かず、反射的に皇帝の執務室へと走った。

 報告を受けた皇帝アルヴィンは近衛騎士団長を呼び出し、使用人たちに悟られぬよう注意しつつ、城の中をくまなく探すように命じた。それが無駄だとわかっていようとも、自然な形で近衛を執務室から追い出すためにはそうするしかなかったのだ。

「……どういうことだ、グレイス侯」

 近衛を追い出し、ハイネ公爵とヨハネス、グレイス侯爵だけになった部屋でアルヴィンは静かに尋ねる。
 声も視線も、纏う空気さえも冷たい。グレイス侯爵は咄嗟に足元へと視線を落とした。

 皇宮のど真ん中、近衛も見回りの衛兵もメイドもいる中で姿を消した皇后と公女。誰が関与しているかなど明白だ。
 だが、彼はメイドから妻について何も聞いていない。今ならまだ持ち前の話術で何とか誤魔化すことができるかもしれない。
 考えを巡らせたグレイス侯爵はゆっくりと顔を上げた。そして、彼は悟った。

 ああ、誤魔化しは効かない。

 皇帝アルヴィンは血に飢えた獣のような鋭い視線をこちらに向けていた。
 群青の瞳から放たれる鋭い眼光がグレイス侯爵を追い詰める。下手に誤魔化せば、自分の首と胴は永遠の別れを告げるだろう。

「……妻がいません」

 震える声で今言える事実だけを伝えた。だがそれで十分だった。

 皇宮のど真ん中で、誰にも気づかれずに自然に二人を連れ出せるのかルウェリンしかいない。
 アルヴィンはすぐに皇后宮のメイドを呼んだ。

「行き先は告げていないようです。心当たりは教会しかないと」

 メイドに聞き取りをしたところ、クレアは公務以外でもよく教会を訪れていたらしい。何の目的で訪れていたのかは知らないが、毎度訪問は毎度お忍びで、お供はルウェリンしかつけていなかったそうだ。
 
「ルウェリン!!」

 もっと警戒しておくべきだった。メイドを下がらせたアルヴィンはドンッと机を叩いた。
 ティーカップが倒れ、緩くなった紅茶が散乱した書類を濡らす。

(ルウェリン……?)

 ヨハネスは父のその呼び方に違和感を覚えた。そんなふうに呼ぶほど、彼女と親しかっただろうか。二人は会えば話すが、特別親しくしているような雰囲気はない。

「陛下、落ち着かれてください」
「……」
「陛下」
「……ああ、悪い」

 ヨハネスが首を傾げていると、ハイネ公爵がアルヴィンを落ち着かせようと声をかけていた。
 アルヴィンは内圧を下げるようゆっくりと息を吐き出す。

「グレイス侯。貴殿の屋敷に兵を派遣するが、異論はあるまいな?」
「お、仰せのままに」
「ではヨハン、侯爵家に兵を動かせ。指揮は任せる。護衛にダニエル・ミュラーのみ解放して構わん。やつは無関係だろう。念のため、下手な真似をすれば親族の首が飛ぶと伝えておけ」
「……リリアンと母上はどうするのですか」
「教会の方は私が出向こう。二人がそこにいるのなら、おそらく神殿の奥深く、皇族しか入れぬ場所まで連れ込まれている可能性が高い。もしもに備えてハイネ公もついてきてくれ。精鋭の魔法師を連れて」
「御意に」

 教会が関与しているか明確な証拠がない以上、悟られぬよう自然な形で神殿に忍び込まねばならない。アルヴィンはガタンと椅子を鳴らして立ち上がるとすぐさま行動に移すよう命じた。

 ***

「ヨハネス殿下!少しよろしいだろうか」

 グレイス侯爵を牢に突っ込み、代わりにダニエルを引き取ってきたヨハネスは既に出発の準備を整えたハイネ公爵に声をかけられた。
 軍服の上に魔法師のローブを纏った彼は、その体の大きさと身を隠すために作られたローブがミスマッチで違和感しかない。
 久しぶりに見た戦闘耐性の彼にヨハネスは思わず笑ってしまった。

「公爵は魔法師というより騎士だな。いや、傭兵か?」
「そんなことを言っとる場合ですか、殿下」
「ああ、すまない。で、どうした?」
「グレイス侯爵家へ出向く前に、教会本部へ連絡を取っていただきたいのです。我々魔法師は教会と直接コンタクトが取れません故」
「本部、というと聖教国にということか?」
「ええ。全容が掴めない上に状況証拠だけですが、教会の関与は濃厚でしょう。しかし、支部であるとはいえ我が国は彼らにとって重要な地。神殿内で派手に暴れ回るには教皇聖下へひと言通しておくのが筋かと」
「……それ、なぜ私に頼むのだ?父上の方が適任だろう」
「陛下は頭に血が昇ってそれどころではないですし、グレイス侯爵家の調査は多少遅れても問題ありません。奴は行け好かないやつですが、家族を巻き込んでまで悪事を働くような馬鹿はしません。おそらく夫人が勝手をしただけですから」
「ふむ。まあ、そうだろうな」
「それに……、今後のことを考えると殿下と聖下の関係は強固にしておくべきかと」
「それはどういう……」
「では、よろしくお願いします」
「あ、おい……!」

 意味深な言葉を残し、公爵は去っていった。
 去りゆく大きな背中を眺め、ダニエルは不審そうに呟く。

「……公爵閣下はどういう意味でああ仰られたのでしょう」
「さあな。私たちも行くぞ。今はやるべきことをするまでだ」
「はっ」

 ヨハネスはダニエルの問いに答えなかった。

 帝国の、いやこの大陸の多くの国が王位につく際に教皇からの祝福を受ける。故にまだ後継に指名されてもいない皇子が教皇との繋がりを重視するなど、見る人によってはまるで玉座を狙っているかのようにも映る行為。
 それを勧めるということは、つまりそういうことなのだろう。
 ヨハネスはグッと唇の端を噛み締めた。

 
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