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44:地雷

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 皇后の侍女は、ことジェレミーの良くない話になると途端に口が軽くなる。おそらくはもう、誤解だらけの噂はかなり広範囲にまで広がっているだろう。
 リリアンは目を閉じて内圧を下げるように長く息を吐いた。
 そして再び目を開き、真正面のオリビアを酷く冷めた瞳で見据える。

「オリビア様?」

 リリアンが微笑んだ。オリビアは鈴のようなその声色に、強い恐怖を覚えた。

(そ、そういえば、リリアン様って……)

 かつて10を少し超えたくらいの年から、魔獣討伐に出て、最前線で戦ってきたリリアン・ハイネは、流石はハイネ家の姫君だと称賛されるほどの成果を上げてきた。
 故に、その身に纏う空気も基本的には軍人のそれに近い。今、普通の令嬢として社交界に出入りしている彼女は、彼女がそうあるべきだと思い訓練を重ねた結果だ。優しく穏やかで慈悲深いリリアン・ハイネは彼女自身が作り出した努力の賜物。
 つまるところ、本来の彼女はもっと苛烈で無慈悲なのである。

「ひっ……」

 そのことを思い至れていなかったオリビアは、正面から放たれる殺気に思わず顔を伏せた。
 気温自体は暖かいはずなのに、体感温度は何故かマイナス。
 穏やかな微笑みはいつもと変わらないのに、何故か怖い。

「あ、ああああの。私、何か、その、まずいことを?」
「オリビア様」
「は、はひぃ!」
「何故、そんな話を?」
 
 ニコッと小首を傾げて微笑むリリアン。その背後には薔薇ではなく大蛇が見える。
 オリビアはようやく、自分が彼女の中の何らかの地雷を踏み抜いたのだということを理解した。
 しかし、何にそんなに怒ったのかがわからない。
 
(ど、どうしてこんなに怒っているの!?)

 勝手に噂を広めたからだろうか。
 優しいリリアンはジェレミーを悪者にしたくなくて、穏便にことを解決しようとしていたのだろうか。
 それを自分が無駄に騒いで、ことを大きくしてしまったことに怒っているのだろうか。
 まさかリリアンがジェレミーのことを好いているなど、思っても見ないオリビアはガタガタと震えながらも弁明し始めた。

「あ、愛し合っていたヨハネス殿下と引き裂かれてしまったリリアン様が、悲しみに打ちひしがれておられるのではと思って……」
「へぇ」
「さ、先ほども、ヨハネス殿下がリリアン様を守っていらしたし、ま、まさに麗しの姫と姫を守る王子と魔王って感じで……」
「うんうん」
「だから、公には公国との政治的な問題でーなんて言われてますが、本当はジェレミー殿下のわがままが原因なのだと……、そう思っ……」
「そう」
「私、リリアン様のこと、その、尊敬していて。だから、幸せになって欲しくて」
「そう、ありがとう」
「そ、それに、リリアン様の幼馴染のシュナイダー卿にも、貴女の幸せのために協力してほしい、とおっしゃって…」
「……ベルン?」
「ひっ」

   先ほどまでいつも通りの笑顔でうんうんと頷いていたリリアンの顔から、笑みが消えた。声色もワントーン低くなる。
 オリビアはその纏う殺気に息を飲んだ。

「リリアン、様?」
「ベルンは貴女に何と?」
「え、だから、リリアン様とヨハネス殿下はジェレミー殿下によって引き裂かれたのだと」
「それをどこで聞きました?」
「つい先ほどです。真実を見てほしいと庭園で声をかけられて着いて行ったら、あんな修羅場で……。だから私、卿の言っていたことは正しかったんだと思って……」

 自分にできることは宮廷内に噂を流して二人を援護するだけだから、おしゃべりな侍女に話したのだとオリビアは弱々しく白状した。

「……へぇ、そう。そうなのですか」
「は、はい……」

 リリアンの怒りは、オリビアからベルンハルトに移ったように感じた。彼とは幼馴染だと聞いていたが、間違いだったのだろうか。
 とりあえず、あまりの恐ろしさに俯いたままのオリビアはたまに顔をあげてリリアンの様子を窺ってはその冷たい眼差しに肩を震わせ、また足元へ視線を落とすを繰り返した。

「オリビア様。私、少し行くところができましたの」
「……そ、そうですか」
「ですから、お見送りができそうにありません」
「も、問題ありませんわ!迎えのものも正門近くに待機しておりますし、一人で帰れます!」
「申し訳ありません。オリビア様」

 リリアンは席を立つと、優雅に非の打ち所がないカーテシーを披露して部屋を出る。そして、扉前に待機していたキースに視線で『オリビアを宮の外まで送れ』と指示した。
 キースは穏やかに微笑みながらも、見たことがないほどに邪悪なオーラを放つ彼女に、何があったのかを聞きたくても聞けなかった。
 白銀の長い髪を後ろに靡かせ、やや早足で廊下を歩くリリアンの後ろ姿は、何故か戦場に赴く戦士のようにも見えた。


 


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