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第三章 アッシュフォード男爵夫人

6:突然の訪問者(2)

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 まるでティアラのように器用に編み込まれた錫色の髪と、ブルースターの髪飾りに、控えめだが顔色が明るく見えるメイク。
 そしてイアンから送られた、胸元を華やかに飾る上品な金糸の刺繍と肩のレースが特徴的な濃紺のドレス。
 彼の独占欲がむき出しなそのドレスに身を包んだアイシャは愛らしさの中にも大人の色気が溢れ出しており、ランは満足げに鼻を鳴らしつつ、サロンの扉を開けた。
 
「ようこそお越しくださいました。伯爵様」

 この屋敷の女主人らしく挨拶をするアイシャ。母親より母親らしかったエレノア子爵夫人仕込みのカーテシーを披露した。

(一体、何をしにきたんだろう)

 確かに招待状は送ったが、まさかこうして突然会いに来るとは思わなかった。
 アイシャは相手の様子を伺うように、ゆっくりと顔を上げる。
 すると尊大な態度でソファにふんぞり返っていた父も、出された紅茶にら文句を言っていた母も、そして体が弱いからという理由でアッシュフォード行きがなくなったはずのベアトリーチェも、全員がポカンと口を開けてこちらを見ていた。
 
「……どうかなさいましたか?」

 あまりに間抜けな顔をするものだから、アイシャも何だか拍子抜けだ。
 キョトンとするアイシャを呆然と見つめながら、ベアトリーチェはボソッと呟いた。

「お姉様、なの?」

 ベアトリーチェの知るアイシャはこんなに美しい姉ではなかった。こんな風に自信満々に微笑む姉ではなかった。
 彼女の中のアイシャはいつも自信がなく、俯いてばかりの地味な人だった。大人しく聞き分けが良く、優しいだけが取り柄の、そんな人だったはずだ。
 それなのに……。

「随分と変わってのですね」

 まるで、変わってしまったことを残念がるような言い方だ。自分より下だと思っていた人間が、実はそうではないのだと知ってしまったかのように、激しく困惑するベアトリーチェ。
 アイシャは彼女が何故、そこまで動揺しているのか理解できず、首を傾げた。

「この装いは令嬢のお好みではありませんでしたか?気に障ってしまったのなら謝ります」
「い、いいえ。そんなこと……」
「そんなことないわよ、アイシャ!とてもよく似合っているわ。さすがは私の娘ね!」

 ベアトリーチェの答えを遮り、夫人がアイシャを褒める。予想だにしていなかったその行動に、アイシャは目を丸くした。
 この人は一度だって、ベアトリーチェの前でアイシャを褒めたことなどなかったのに。

「……えーっと、夫人?」
「嫌だわ、アイシャ。親子でしょう?そんな他人行儀な呼び方はやめて?」
「そうだぞ、アイシャ。私たちは親子ではないか。私たちの可愛い娘よ」

 夫人の言葉に同意するように、伯爵もうんうんと頷く。
 わざとらしいくらいの擦り寄りだ。
 何か裏があるのはわかりきっているのに、それでも情けないことに、アイシャの心は少しばかり揺れてしまう。
 『私たちの子』、だなんて言われた記憶がないから、馬鹿だと思いながらも期待してしまう。
 血の呪いとはとても恐ろしいものだ。ありえないと分かりながらも、愛情を求めてしまうのだから。

「お、お父様、お母様……。私……」

 声が震える。恥ずかしい。情けない。
 アイシャは顔を伏せ、彼ら前に座った。

「あの、お母様……」
「アイシャ、いいのよ。家を出る時のことは、私たちも悪かったと思っているの。突然のことで私たちも混乱してしまって……。でも今思うと、あなたの気持ちをもう少し汲んであげるべきだったと反省しているのよ。だからあなたの態度を責めるつもりはないわ。、謝らないで?」
「……そう、ですか」
「それに、ベティもあなたとあんな風に別れてしまったことをとても後悔していたのよ。ねえ、ベティ?」
「は、はい……。あの、お姉様……」

 話を振られたベアトリーチェは、可愛らしいピンクのドレスをキュッと握りしめ、上目遣いでアイシャを見た。
 その透き通った碧の瞳は少し潤んでいて、きっと男ならば彼女にこんな風に見つめられただけで全てがどうでも良くなってしまうのだろう。
 不安げにこちらを見つめる妹の様子に、アイシャは少しだけ罪悪感を感じた。ブランチェットの屋敷出る際に辛く当たってしまったことを思い出したのだ。
 だから昔のように優しく「なあに?」と返した。
 すると、ベアトリーチェの表情はパァッと明るくなった。

「お姉様、あのね。私はあの時、お姉様にああ言われてとても傷つきました。けれど、お姉様も混乱していただけだったのですよね」
「……そうね。混乱は、していたかもしれないわ」
「きっと突然の結婚話で心が少しばかり荒んでしまっていただけだと思うのです」
「まあ、荒んではいたかもしれないわ」
「そうですよね!?だから私、お姉様のことを!ですからお姉様、仲直りをしませんか?」

 ベアトリーチェはピンと肘を伸ばして、アイシャに握手を求めた。
 きっと彼女も夫人も、自分がものすごく上から目線で発言していることに気づいていないのだろう。 
 どこまでもアイシャを見下している。それも無意識に、だ。一番タチが悪い。
 彼女たちとアイシャの関係性を知るランは衝動的に言葉を発しないよう、必死に唇を噛み締めた。
 少し、血の味がする。テオドールはそんな彼女の手を握ってやった。

「ラン、耐えなさい」
「……」

 貴族の会話に割って入る権利などランにはない。小声でそう諭されたランは小さく頷いた。
 声を出しては考え得る限りの罵詈雑言が全部口から溢れて出てしまいそうだから。

 すると、アイシャは貴婦人らしく扇を広げ、口元を隠した。
 そしてフッと笑みをこぼす。どこか小馬鹿にしたような嘲りが垣間見える笑みだ。

「……そうですね、私もお二人を。ここに送ってくださったお二人には感謝していますから」

 目には目を、歯には歯を、上から目線には上から目線を。
 尊大な態度でそう返したアイシャに、夫人もベアトリーチェも不快そうに眉を顰めた。
 アイシャが『許してくださってありがとうございます』と頭を下げることを期待していたのだろう。アイシャはそれを望まれていることを知りながらも、彼女たちの望み通りにはしなかった。
 揺れた気持ちを、やはり勘違いだと思わせてくれた二人には感謝だ。
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