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第一章 輪廻の滝で

12:拗らせすぎて伝わらない

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 食事の後、イアンはアイシャを部屋まで送り届けた。
 送る、とぶっきらぼうに言われたアイシャは予想外の申し出に戸惑いつつも頷いた。
 アイシャとの結婚を納得はしていなくとも、一応この結婚を受け入れようと努力する意思はあるということだろうか。ならば、まだ希望はあるだろうか。
 そんなことを思いながら、アイシャは食堂を出てからこの寝室に来るまでの間、一言も発していないイアンを見上げて軽く口角を上げた。またしても貼り付けた笑顔。正真正銘、子爵夫人仕込みの愛想笑いである。

「送ってくださって、ありがとうございます」
「べ、別に、このくらい……」
「それに、このお部屋も。この屋敷で一番日当たりの良い部屋だと聞きました。男爵様が選んでくださったお部屋なのでしょう?とても素敵なお部屋をありがとうございます」
「大したことはしていない。だから気にしなくても大丈夫だ」
「……いいえ。私にとっては大したことですわ。ですからお礼は言わせてくださいませ」
「それは。どういたしまして」

 イアンは相変わらずぶっきらぼうに返す。アイシャは彼の顔をじっと見つめているのに、彼の視線はずっと窓の外へと向けられていた。
 夜空に寂しく輝く三日月を眺めているのか、それとも闇夜を散歩するカラスを眺めているのかは知らないが……。

(さすがに少し無礼ではないかしら)

 この男は先程から、目も合わそうとしない。それだけならまだしも、たまにこちらを見ては何か言いたげに顔を歪ませては、またすぐに目を逸らす。
 そのあからさますぎる拒否の態度にアイシャは思わず頬を膨らませた。
 イアンが自分との結婚を望んでいないことも、何なら煩わしいとすら思っていることもアイシャは理解しているつもりだ。
 だが、こうもあからさまに拒否されては流石に悲しくなってくる。
 
(希望すらないのなら、いっそのことハッキリと突き放して欲しい……)

 こんな態度を取るくらいなら、初めから『お前と良好な関係を築くつもりはない』と言ってもらった方がまだ心の傷は浅くて済む。受け入れる気がないのなら、変に気遣いを見せないでほしい。

 またいつものように期待して、落胆するのはもう嫌だ。

 すでに泣きそうになっているアイシャは潤んだ瞳でイアンを見上げる。
 すると彼はブンッと風を切る音が聞こえそうなくらいの勢いで顔を……、いや、それどころか体ごと後ろを向いた。
 急に背を向けられたアイシャは俯き、唇の端を噛んだ。

「……今日は美味しい晩餐をありがとうございました」
「……あ、ああ」
「おやすみなさい」
「お、おやすみ」

 震える声で挨拶をしたアイシャは、一瞬振り返りそうになったイアンと目が合うよりも先に部屋の戸を閉めた。
 それも少し音を立てて。
 
 最後のアイシャの表情や声色は誰がどう見ても怒り……、いや、悲しんでいた。
 テオドールの額からブワッと冷や汗が滲み出る。

「旦那様……。一体どういうおつもりですか?」
「無理」
「何がぁ!?」
「無理無理無理!もう無理。一旦退散しよう。無理だ」
「はぁ!?」

 何が無理なのかはさっぱりわからないが、両手で顔を覆ったイアンはそのまま自室へ向かって全力で駆けて行った。


 ***


「はあ……。可愛かったなぁ……」

 自室に戻ったイアンは部屋に入るなり、ベッドに飛び込んで枕を抱き抱えた。
 そして、ぐふふと気味の悪い笑い声を上げながら右へ左へと転がり出す始末。
 これはもう、どこからどう見ても浮かれている。熊のような大男がまるで恋する乙女のように、頬を染めて浮かれている。
 その光景に、文句を言いたかったはずのテオドールは呆れて言葉が出てこない。

「昔も可愛かったけど、今は可愛さに美しさも兼ね備えていて、なんかもうヤバい」
「へぇ……」
「食堂に降りた時、料理の香りに混ざって微かに甘い花の香りがしたんだ。正直に話すと、もうすぐ本格的に冬を迎えるこの地に、季節を間違えた春の妖精でも現れたのかと思った」
「春の妖精……」
「あの強い意志を宿した群青の瞳とか、小鳥の囀りのような優しい声とか、小首を傾げて微笑みかけてくれるたびにふわりと揺れる錫色の髪とか、ほんのり赤く染まった頬とか、陶器のような白い肌とか……」
「それ、不安な眼差しと怯えた声色と愛想笑いと真っ青な顔の間違いでは?」
「なあ、テオ」
「何でしょうか、旦那様」
「アイシャ嬢は、やっぱり天使なのか?」
「人間です」
「いや、もうアレは絶対天使だよー。あんな可愛い人が人間なわけない。絶対天使」
「人間です、ほぼ熊みたいなあなたと違って」
「誰が熊か。お前よりかはちゃんと人間だ」
「ああ、聞こえていたんですね。びっくりしました」
「ぬああ……。可愛すぎて直視できない。直視できないよお、アイシャー」
「直視してください」
「だって光り輝いているんだぞ?後光が指してるんだぞ?直視したら失明する」
「いっそ失明すれば良ろしいかと」
「どうしよう、ドキドキが止まらない。心臓が爆発しそう」
「一度爆発してみては?少しはまともな頭になるかもしれませんよ?」
「はっ!もしかして、俺の態度はあからさますぎたか!?」
「わかりにくすぎましたね」
「あー!しまったぁ!!俺の気持ちが伝わってたらどうしよう!?気持ち悪がられた!?」
「大丈夫です。旦那様の気持ちは一ミリも伝わってないです。安心してください」

 あんな態度を取られて、『好意を持たれているかも?』なんて思うやつは余程のナルシストか、心を読める特殊な人間かのどちらだ。
 普通ならむしろ『嫌われているのかも』と思うだろう。そしておそらく、アイシャは後者だ。

「僭越ながら申し上げますと、旦那様。貴方の誤解しか招かない態度のおかげで、現在の奥様との心の距離は帝国の首都と魔族領の首都くらいに離れているかと思います。本当に大丈夫ですか?修復不可能なほどに嫌われたかもしれませんよ?」
「いやいやいや、別に好きだけど、恋とかそういんじゃないからな!?親愛的な意味の、ほら、好きだから!」
「人の話を聞けや、コラ。あと、少し話しただけでそれだけニヤニヤソワソワしてるのに、その感情が親愛なわけなかろうが、鈍感が」

 テオドールは側近の否定の言葉も届かないほどに浮かれている主人を眺めつつ、ズキズキと痛む頭を押さえた。
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