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第一章 輪廻の滝で
4:さようなら
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エントランスに降りると、伯爵夫妻と顔色の悪いベアトリーチェ、そして皇宮所属の騎士がいた。
今回は異例の結婚ということもあり、皇宮騎士団が男爵家までの護衛を務めてくれるそうだ。
「ハハッ。なるほど。逃げないように見張りってことですね」
アイシャは開けっ放しにされたエントランスの扉の向こうに見える豪奢な皇宮の馬車に一瞥をくれると、自嘲するように皇宮騎士に向かってそう吐き捨てた。
後ろで父が『無礼だ』何だと喚いているが、騎士たちの様子を見る限り、アイシャの指摘はハズレではないのだろう。
彼らはアイシャたちから荷物を受け取ると、気まずそうに目を逸らせた。
「このたび、護衛を務めます。第三騎士団所属のマルセルです。よろしくお願いしますね、アイシャ嬢」
「よろしくお願いします、マルセル様。……あの、第三騎士団というと、兄の所属ですよね?兄は……、今日は仕事なのですか?」
「あ、はい。少しトラブルがあって……」
「そうですか……」
アイシャは少し寂しげに目を伏せた。
別に来てくれるなんて思ってもいなかったけれど、こうして少なからず傷ついてしまう自分が情けない。まだ期待を捨てられずにいるのかと思うと、そんな自分を浅ましく感じる。
すると落ち込んでいるように見えたのか、ジェラルドの同僚たちはマルセルとアイシャの間にずいっと顔を出し、口々に話し始めた。
「ほ、本当はアイシャ嬢の見送りに行くつもりだったみたいですけどね?」
「代わりにほら!手紙を預かってきましたので!」
「ぜひ馬車で読んでください!」
「ジェラルドはとても寂しがっていましたよ!本当に!」
「はあ……、そう、ですか」
必死になって擁護する様が逆に怪しく思えるのだが……。押し付けられるようにして渡された手紙を手に、アイシャは後ずさる。
そのアイシャの疑っているような眼差しを見て、マルセルはすぐさま部下を下がらせた。
「部下が失礼しました、アイシャ嬢」
「いえ」
「しかし、ジェラルドは本当にあなたのことを思っています。それだけはどうか信じてください」
「そうですか。だと良いのですが」
「手紙、必ず読んでくださいね」
「わかりました」
「では、参りましょうか」
「はい」
「伯爵夫妻にご挨拶を」
「……ええ」
アイシャはマルセルに促され、ようやく振り向いた。そしてエントランスに降りてきてから、いや、この結婚を言い渡されてからまともに見ていなかった二人の顔をようやく見た。
「……っ!」
どうしてだか、息が詰まる。
父は先ほどからのアイシャの態度の憤慨しているような顔をしており、母は不安げな顔をするベアトリーチェの肩を抱き、彼女の顔を覗き込んで慰めていたからだ。
そこにはアイシャとの別れを惜しむ感情も、アイシャに対する罪悪感も、何もない。
そのことがどうしようもなく苦しい。吹っ切れたと思っていたのに、まだずっと苦しい。
「……今までお世話になりました。では、さようなら」
「……アイシャ。あの……」
「行きましょう。マルセル様」
アイシャは伯爵夫人が何か言いかけたのを遮り、踵を返した。
これ以上、何も聞きたくない。もう、これ以上彼らの言葉で傷つきたくないのだ。
マルセルも先ほどからのアイシャの様子を見て何か察したのだろう。特に余計な口を挟むことなく、彼女に手を差し出してエスコートした。
「おい、待ちなさい!アイシャ!お母様がまだ話しているだろう!」
「私がいなくなってもあなた方の日常は何一つ変わらないと思いますが、どうぞお元気で」
「お前、いい加減にっ……!」
アイシャは伯爵の制止も聞かずに背を向けたまま言葉を返した。
流石に怒りが沸点に達したのか、伯爵が後ろからアイシャの腕を掴もうとしたが、気がつくとそれよりも早くベアトリーチェが駆け出していた。
「お姉様!」
ベアトリーチェはアイシャの前に立ち、彼女の進路を塞ぐ。アイシャは眉一つ動かさずに、目尻に涙を溜めた妹を見下ろした。
「お姉様!ごめんなさい!」
「……ごめんなさいって、何が?」
「私の、私のせいで、その、辺境に嫁ぐことになって……。私、お姉様に本当に申し訳ないと思って……」
「何だ、ちゃんと理解していたのね」
自分のせいで、姉がど田舎の寂れた土地に行くことを理解しているらしい。ベアトリーチェはきちんと理解した上で、謝ってきている。
アイシャはそのことに苛立った。
「本当にごめんなさい、お姉様。私……」
「なら代わる?」
「……へ?」
「悪いと思っているのなら、代わるかって聞いたのよ。正式に婚姻したわけでもないから、今ならまだ間に合うわ。この迎えの馬車に乗るのがあなたでも問題ないわよ?」
「そ、それは……」
目を細め、口元に薄く笑みを浮かべてひどく冷たい声でそう言ってくる姉に、ベアトリーチェは困惑したような表情を浮かべた。
まさかこんなふうに返されるなどと思っていなかったのだろう。いつも通り、『大丈夫よ、謝らないで』と言ってくれるとでも思っていたのだろう。そういう魂胆が見え見えの反応だった。
「ふふっ、冗談よ。ベアトリーチェ」
「お、お姉様……」
困惑した様子のベアトリーチェがなぜだか面白く感じて、アイシャは思わず声を出して笑ってしまった。
すると、ベアトリーチェの顔に安堵の表情が浮かぶ。許してもらえたとでも思っていそうな顔だ。
だからアイシャは彼女をそっと抱き寄せた。そして耳元で優しく囁く。
「ベアトリーチェ。あなたは私の大切な妹だったわ。あなたを羨ましいと思っていたのも事実だけれど、お姉様お姉様と慕ってくる姿は本当に可愛かったし、大好きだった」
「お姉様っ!私も、私もお姉様が大好きです!」
「ねえ。大好きなら、私のことを忘れないでね」
「もちろん!もちろんです!」
「本当に、本当によ?覚えておいてね?……あなたの代わりに、行きたくもない、寒くて娯楽なんて何にもない北の大地に旅立つ哀れなこの姉を忘れないでね?」
「……え?」
「大丈夫。あなたは何も悪くないわ。お父様が決めたことだもの。たとえあなたが『自分が嫁ぎます』と一言も言わなかったとはいえ、あなたが決めた結婚ではないのだから気に病む必要はない。けれど、ちゃんと覚えてほしいの。私はあなたの代わりに戦闘狂いと噂の、血も涙もない冷血漢と噂の、恐ろしい男の元に嫁ぐのだということを。……ね?」
アイシャは言いたいことを言い終えると、ベアトリーチェを抱きしめていた腕をほどき、自分の髪を結っていたリボンを解いてそれを彼女の手首に巻いた。
どうか私のことを忘れませんように、と言って。
するとベアトリーチェはその場に崩れ落ちるように膝をつき、目尻からポロポロと涙を流した。
「おい、ベティに何を言ったんだ!アイシャ!」
すぐに駆け寄ってきた伯爵夫妻がキッとアイシャを睨んだ。だがアイシャはそんな彼らに、彼らからは教わっていない完璧なカーテシーを披露してこう言った。
「私、アイシャ・ブランチェットはか弱く哀れな妹ベアトリーチェの代わりに、アッシュフォードへ嫁ぎます。……どうか、お元気で。私の犠牲により、ブランチェット家がさらなる繁栄を遂げることをお祈り申し上げます」
それは精一杯の嫌味。最後の抵抗。
それでも彼らは、何故アイシャがこんなことを言うのかなんて、理解しようともしないだろう。だがもうアイシャには関係ない。
「……さようなら」
アイシャは家族だった人たちに背を向け、歩き出した。
伯爵が怒り狂ったように彼女に殴りかかろうとしたが、それは皇宮の騎士たちに阻止された。
アイシャ・ブランチェットはこの日、騎士たちに囲まれながら、小さな荷物とたった一人の味方を持って北部へと旅立った。
今回は異例の結婚ということもあり、皇宮騎士団が男爵家までの護衛を務めてくれるそうだ。
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アイシャは開けっ放しにされたエントランスの扉の向こうに見える豪奢な皇宮の馬車に一瞥をくれると、自嘲するように皇宮騎士に向かってそう吐き捨てた。
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彼らはアイシャたちから荷物を受け取ると、気まずそうに目を逸らせた。
「このたび、護衛を務めます。第三騎士団所属のマルセルです。よろしくお願いしますね、アイシャ嬢」
「よろしくお願いします、マルセル様。……あの、第三騎士団というと、兄の所属ですよね?兄は……、今日は仕事なのですか?」
「あ、はい。少しトラブルがあって……」
「そうですか……」
アイシャは少し寂しげに目を伏せた。
別に来てくれるなんて思ってもいなかったけれど、こうして少なからず傷ついてしまう自分が情けない。まだ期待を捨てられずにいるのかと思うと、そんな自分を浅ましく感じる。
すると落ち込んでいるように見えたのか、ジェラルドの同僚たちはマルセルとアイシャの間にずいっと顔を出し、口々に話し始めた。
「ほ、本当はアイシャ嬢の見送りに行くつもりだったみたいですけどね?」
「代わりにほら!手紙を預かってきましたので!」
「ぜひ馬車で読んでください!」
「ジェラルドはとても寂しがっていましたよ!本当に!」
「はあ……、そう、ですか」
必死になって擁護する様が逆に怪しく思えるのだが……。押し付けられるようにして渡された手紙を手に、アイシャは後ずさる。
そのアイシャの疑っているような眼差しを見て、マルセルはすぐさま部下を下がらせた。
「部下が失礼しました、アイシャ嬢」
「いえ」
「しかし、ジェラルドは本当にあなたのことを思っています。それだけはどうか信じてください」
「そうですか。だと良いのですが」
「手紙、必ず読んでくださいね」
「わかりました」
「では、参りましょうか」
「はい」
「伯爵夫妻にご挨拶を」
「……ええ」
アイシャはマルセルに促され、ようやく振り向いた。そしてエントランスに降りてきてから、いや、この結婚を言い渡されてからまともに見ていなかった二人の顔をようやく見た。
「……っ!」
どうしてだか、息が詰まる。
父は先ほどからのアイシャの態度の憤慨しているような顔をしており、母は不安げな顔をするベアトリーチェの肩を抱き、彼女の顔を覗き込んで慰めていたからだ。
そこにはアイシャとの別れを惜しむ感情も、アイシャに対する罪悪感も、何もない。
そのことがどうしようもなく苦しい。吹っ切れたと思っていたのに、まだずっと苦しい。
「……今までお世話になりました。では、さようなら」
「……アイシャ。あの……」
「行きましょう。マルセル様」
アイシャは伯爵夫人が何か言いかけたのを遮り、踵を返した。
これ以上、何も聞きたくない。もう、これ以上彼らの言葉で傷つきたくないのだ。
マルセルも先ほどからのアイシャの様子を見て何か察したのだろう。特に余計な口を挟むことなく、彼女に手を差し出してエスコートした。
「おい、待ちなさい!アイシャ!お母様がまだ話しているだろう!」
「私がいなくなってもあなた方の日常は何一つ変わらないと思いますが、どうぞお元気で」
「お前、いい加減にっ……!」
アイシャは伯爵の制止も聞かずに背を向けたまま言葉を返した。
流石に怒りが沸点に達したのか、伯爵が後ろからアイシャの腕を掴もうとしたが、気がつくとそれよりも早くベアトリーチェが駆け出していた。
「お姉様!」
ベアトリーチェはアイシャの前に立ち、彼女の進路を塞ぐ。アイシャは眉一つ動かさずに、目尻に涙を溜めた妹を見下ろした。
「お姉様!ごめんなさい!」
「……ごめんなさいって、何が?」
「私の、私のせいで、その、辺境に嫁ぐことになって……。私、お姉様に本当に申し訳ないと思って……」
「何だ、ちゃんと理解していたのね」
自分のせいで、姉がど田舎の寂れた土地に行くことを理解しているらしい。ベアトリーチェはきちんと理解した上で、謝ってきている。
アイシャはそのことに苛立った。
「本当にごめんなさい、お姉様。私……」
「なら代わる?」
「……へ?」
「悪いと思っているのなら、代わるかって聞いたのよ。正式に婚姻したわけでもないから、今ならまだ間に合うわ。この迎えの馬車に乗るのがあなたでも問題ないわよ?」
「そ、それは……」
目を細め、口元に薄く笑みを浮かべてひどく冷たい声でそう言ってくる姉に、ベアトリーチェは困惑したような表情を浮かべた。
まさかこんなふうに返されるなどと思っていなかったのだろう。いつも通り、『大丈夫よ、謝らないで』と言ってくれるとでも思っていたのだろう。そういう魂胆が見え見えの反応だった。
「ふふっ、冗談よ。ベアトリーチェ」
「お、お姉様……」
困惑した様子のベアトリーチェがなぜだか面白く感じて、アイシャは思わず声を出して笑ってしまった。
すると、ベアトリーチェの顔に安堵の表情が浮かぶ。許してもらえたとでも思っていそうな顔だ。
だからアイシャは彼女をそっと抱き寄せた。そして耳元で優しく囁く。
「ベアトリーチェ。あなたは私の大切な妹だったわ。あなたを羨ましいと思っていたのも事実だけれど、お姉様お姉様と慕ってくる姿は本当に可愛かったし、大好きだった」
「お姉様っ!私も、私もお姉様が大好きです!」
「ねえ。大好きなら、私のことを忘れないでね」
「もちろん!もちろんです!」
「本当に、本当によ?覚えておいてね?……あなたの代わりに、行きたくもない、寒くて娯楽なんて何にもない北の大地に旅立つ哀れなこの姉を忘れないでね?」
「……え?」
「大丈夫。あなたは何も悪くないわ。お父様が決めたことだもの。たとえあなたが『自分が嫁ぎます』と一言も言わなかったとはいえ、あなたが決めた結婚ではないのだから気に病む必要はない。けれど、ちゃんと覚えてほしいの。私はあなたの代わりに戦闘狂いと噂の、血も涙もない冷血漢と噂の、恐ろしい男の元に嫁ぐのだということを。……ね?」
アイシャは言いたいことを言い終えると、ベアトリーチェを抱きしめていた腕をほどき、自分の髪を結っていたリボンを解いてそれを彼女の手首に巻いた。
どうか私のことを忘れませんように、と言って。
するとベアトリーチェはその場に崩れ落ちるように膝をつき、目尻からポロポロと涙を流した。
「おい、ベティに何を言ったんだ!アイシャ!」
すぐに駆け寄ってきた伯爵夫妻がキッとアイシャを睨んだ。だがアイシャはそんな彼らに、彼らからは教わっていない完璧なカーテシーを披露してこう言った。
「私、アイシャ・ブランチェットはか弱く哀れな妹ベアトリーチェの代わりに、アッシュフォードへ嫁ぎます。……どうか、お元気で。私の犠牲により、ブランチェット家がさらなる繁栄を遂げることをお祈り申し上げます」
それは精一杯の嫌味。最後の抵抗。
それでも彼らは、何故アイシャがこんなことを言うのかなんて、理解しようともしないだろう。だがもうアイシャには関係ない。
「……さようなら」
アイシャは家族だった人たちに背を向け、歩き出した。
伯爵が怒り狂ったように彼女に殴りかかろうとしたが、それは皇宮の騎士たちに阻止された。
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