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シャーロットを侮ってはいけない
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空は雲ひとつない晴天。
だが、それに反して部屋の中の空気はどんよりとしていた。
部屋を訪れたルーカスは、シャーロットに促されるまま、彼女の目の前に腰掛ける。
シャーロットの側付きのメイドは、二人に紅茶を出すと「ごゆっくり」とだけ言い残し、そのまま部屋を後にした。
入室してから約10分。ルーカスは、まだ何も話し出さないシャーロットの方をチラリと見た。
窓から差し込む光に、シャーロットの金糸のような髪が反射する。
その光が眩しかったのか、ルーカスは癖のある長い前髪を触り、目を隠した。
「今朝も朝帰りをしたそうだけれど、侯爵家の者であるという自覚が足りていないのではなくて?」
シャーロットは漸く口を開いた。
ソファに深く腰掛け、扇で口元を隠しながら、ルーカスに対し"侯爵家の跡取りとしての資質"を問う。
彼女の大きな青い瞳は、目の前に座るルーカスをしっかりと見据えていた。
その迫力に気圧されたのか、ルーカスは俯いたまま何も言えない。
しかし、長い前髪の隙間から覗く彼の三白眼は、不服そうにシャーロットをじっと見つめていた。
シャーロットは小さくため息をつく。
「随分とお盛んなようね?お父様が許していらっしゃるからと少し羽目を外し過ぎているのでは?」
「女遊びは芸の肥やしだと父上は言っていた」
「芸人でもないのに、芸を肥やしてどうするのです。侯爵家を捨てて、旅芸人にでもなるおつもりかしら」
「別に子どもは作っていない。問題ないだろう!」
「その辺は心配しておりませんけれど、いつ『貴方の子よ!』と心当たりのない赤子を押し付けられてもおかしくはないのですよ?」
「うるさいな!お前には関係ないだろ!?」
「関係ならあります。貴方の醜聞は私の醜聞になりますもの」
シャーロットはジトッとした目で、吠えるだけのルーカスを見る。
ルーカスは、シャーロットに口煩く言われているこの状況に納得出来ていない様子で、ボソッと一言呟いた。
「…俺の婚約者でもないくせに口出しするな」
実のところ、二人はまだ婚約していない。
二人は数年前に結婚の約束をしたが、そこから何も進展していなかったのだ。
理由は色々だが、そのひとつに年齢がある。3つ年上のルーカスはその時、すでに婚約・結婚が可能な年齢に達していたが、シャーロットはまだその年齢を迎えていなかった。
だから、今の今まで、二人は宙ぶらりんの状態だったのだ。
そして、それを逆手に取ったルーカスは今、遊び倒している。
正式な婚約者ではないシャーロットは、これまでずっと彼の女遊びに口出しできずにいた。
「婚約者になれば口を出す権利があると?」
「"婚約者なら"あるかもな」
言外に『お前にその権利はない』と言うルーカス。
だが、言質をとったシャーロットは、扇の下でニヤリと口角を上げ、一枚の紙を取り出した。そしてそれをルーカスの前に差し出す。
「な!?」
その紙を見たルーカスは、わかりやすく狼狽えた。
「今から婚約するので口出しする権利が発生します」
「お、俺はサインしないからな!」
シャーロットが差し出したのは、婚約の誓約書。つい先日、婚約可能な年齢を迎えた彼女は、今日これを書かせるためにルーカスを呼び出していたのだ。
「貴方はサインするしかありませんのよ?」
シャーロットはパンッと扇を閉じた。
そして、にっこりと微笑んでルーカスの前に一通の文を差し出した。
怪訝な顔で彼女を見るルーカス。
シャーロットは無言で文を開けるよう促す。
封を切ると、2枚の便箋が入っていた。
1枚目の便箋に目を通すルーカス。
そこには一言、こう書かれていた。
《諦めなさい》
ルーカスはバッと顔を上げ、シャーロットを見る。
その目には動揺が伺えた。
シャーロットは素知らぬ顔で彼から目をそらす。
ルーカスは恐る恐る2枚目の便箋に視線を落とした。
そこにはこう書かれていた。
《人生の墓場へようこそ》
ルーカスは再びシャーロットを見る。
「お、お前…。まさか!?」
彼の便箋を握る手が、わなわなと震えている。
シャーロットは目を細め、ニヤリと口角を上げた。
「婚約誓約書をしっかり見なさいな?侯爵夫妻のサインがあるでしょう?」
ルーカスは文を横に置き、乱暴に婚約誓約書を手に取った。
誓約書の下の方を見ると、後見人が記入するサイン欄に父と母の名があった。
そして、その横には侯爵家の印鑑がしっかりと押されている。
ルーカスはテーブルを思いっきり叩き、前のめりになりながら声を荒げた。
「ど、どうやって父上と母上を丸め込んだ!」
「丸め込むなんて人聞きの悪い」
「2人とも、お前との婚約には渋い顔をしていたではないか!」
「私が幸せになれるのならと、快くサインしてくださいました」
シャーロットはにっこりと微笑んだ。
その笑顔がルーカスには少し怖い。
数年前、ルーカスと結婚の約束をしたことをシャーロットは侯爵夫妻に伝えた。
しかし、夫妻はずっと渋い顔をしていた。
そのことを知っていたルーカスは、まだ彼女との婚約迄に時間があると思っていたのかもしれない。
ルーカスが女遊びに夢中になっている間に、シャーロットはじわじわと、着実に夫妻を丸め込んでいた。
両親がこの婚約に賛成しているのならば、今ここで拒否しても、後で強引に推し進められるかもしれない。
何か逃げ道はないかとルーカスは必死に考える。そして、ふと、ある事を思い出した。
「お前には第二王子との婚約話が来ていたのではないか!それはどうするつもりだ!?」
シャーロットに縁談の話が来ていたことを思い出し、助かったとでも思ったのだろうか。
ルーカスはやや勝ち誇った顔をした。
しかし、シャーロットを侮ってはいけない。
彼女はそんな彼を鼻で笑い、そっと2通目の文を取り出した。それは随分と上質な封筒だった。
だが、それに反して部屋の中の空気はどんよりとしていた。
部屋を訪れたルーカスは、シャーロットに促されるまま、彼女の目の前に腰掛ける。
シャーロットの側付きのメイドは、二人に紅茶を出すと「ごゆっくり」とだけ言い残し、そのまま部屋を後にした。
入室してから約10分。ルーカスは、まだ何も話し出さないシャーロットの方をチラリと見た。
窓から差し込む光に、シャーロットの金糸のような髪が反射する。
その光が眩しかったのか、ルーカスは癖のある長い前髪を触り、目を隠した。
「今朝も朝帰りをしたそうだけれど、侯爵家の者であるという自覚が足りていないのではなくて?」
シャーロットは漸く口を開いた。
ソファに深く腰掛け、扇で口元を隠しながら、ルーカスに対し"侯爵家の跡取りとしての資質"を問う。
彼女の大きな青い瞳は、目の前に座るルーカスをしっかりと見据えていた。
その迫力に気圧されたのか、ルーカスは俯いたまま何も言えない。
しかし、長い前髪の隙間から覗く彼の三白眼は、不服そうにシャーロットをじっと見つめていた。
シャーロットは小さくため息をつく。
「随分とお盛んなようね?お父様が許していらっしゃるからと少し羽目を外し過ぎているのでは?」
「女遊びは芸の肥やしだと父上は言っていた」
「芸人でもないのに、芸を肥やしてどうするのです。侯爵家を捨てて、旅芸人にでもなるおつもりかしら」
「別に子どもは作っていない。問題ないだろう!」
「その辺は心配しておりませんけれど、いつ『貴方の子よ!』と心当たりのない赤子を押し付けられてもおかしくはないのですよ?」
「うるさいな!お前には関係ないだろ!?」
「関係ならあります。貴方の醜聞は私の醜聞になりますもの」
シャーロットはジトッとした目で、吠えるだけのルーカスを見る。
ルーカスは、シャーロットに口煩く言われているこの状況に納得出来ていない様子で、ボソッと一言呟いた。
「…俺の婚約者でもないくせに口出しするな」
実のところ、二人はまだ婚約していない。
二人は数年前に結婚の約束をしたが、そこから何も進展していなかったのだ。
理由は色々だが、そのひとつに年齢がある。3つ年上のルーカスはその時、すでに婚約・結婚が可能な年齢に達していたが、シャーロットはまだその年齢を迎えていなかった。
だから、今の今まで、二人は宙ぶらりんの状態だったのだ。
そして、それを逆手に取ったルーカスは今、遊び倒している。
正式な婚約者ではないシャーロットは、これまでずっと彼の女遊びに口出しできずにいた。
「婚約者になれば口を出す権利があると?」
「"婚約者なら"あるかもな」
言外に『お前にその権利はない』と言うルーカス。
だが、言質をとったシャーロットは、扇の下でニヤリと口角を上げ、一枚の紙を取り出した。そしてそれをルーカスの前に差し出す。
「な!?」
その紙を見たルーカスは、わかりやすく狼狽えた。
「今から婚約するので口出しする権利が発生します」
「お、俺はサインしないからな!」
シャーロットが差し出したのは、婚約の誓約書。つい先日、婚約可能な年齢を迎えた彼女は、今日これを書かせるためにルーカスを呼び出していたのだ。
「貴方はサインするしかありませんのよ?」
シャーロットはパンッと扇を閉じた。
そして、にっこりと微笑んでルーカスの前に一通の文を差し出した。
怪訝な顔で彼女を見るルーカス。
シャーロットは無言で文を開けるよう促す。
封を切ると、2枚の便箋が入っていた。
1枚目の便箋に目を通すルーカス。
そこには一言、こう書かれていた。
《諦めなさい》
ルーカスはバッと顔を上げ、シャーロットを見る。
その目には動揺が伺えた。
シャーロットは素知らぬ顔で彼から目をそらす。
ルーカスは恐る恐る2枚目の便箋に視線を落とした。
そこにはこう書かれていた。
《人生の墓場へようこそ》
ルーカスは再びシャーロットを見る。
「お、お前…。まさか!?」
彼の便箋を握る手が、わなわなと震えている。
シャーロットは目を細め、ニヤリと口角を上げた。
「婚約誓約書をしっかり見なさいな?侯爵夫妻のサインがあるでしょう?」
ルーカスは文を横に置き、乱暴に婚約誓約書を手に取った。
誓約書の下の方を見ると、後見人が記入するサイン欄に父と母の名があった。
そして、その横には侯爵家の印鑑がしっかりと押されている。
ルーカスはテーブルを思いっきり叩き、前のめりになりながら声を荒げた。
「ど、どうやって父上と母上を丸め込んだ!」
「丸め込むなんて人聞きの悪い」
「2人とも、お前との婚約には渋い顔をしていたではないか!」
「私が幸せになれるのならと、快くサインしてくださいました」
シャーロットはにっこりと微笑んだ。
その笑顔がルーカスには少し怖い。
数年前、ルーカスと結婚の約束をしたことをシャーロットは侯爵夫妻に伝えた。
しかし、夫妻はずっと渋い顔をしていた。
そのことを知っていたルーカスは、まだ彼女との婚約迄に時間があると思っていたのかもしれない。
ルーカスが女遊びに夢中になっている間に、シャーロットはじわじわと、着実に夫妻を丸め込んでいた。
両親がこの婚約に賛成しているのならば、今ここで拒否しても、後で強引に推し進められるかもしれない。
何か逃げ道はないかとルーカスは必死に考える。そして、ふと、ある事を思い出した。
「お前には第二王子との婚約話が来ていたのではないか!それはどうするつもりだ!?」
シャーロットに縁談の話が来ていたことを思い出し、助かったとでも思ったのだろうか。
ルーカスはやや勝ち誇った顔をした。
しかし、シャーロットを侮ってはいけない。
彼女はそんな彼を鼻で笑い、そっと2通目の文を取り出した。それは随分と上質な封筒だった。
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