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【幕間】いもうと

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 春日晴人かすがはるとに妹ができたのは、彼が7歳の時だった。

 春と夏の境目の季節。少し動くと汗ばむ陽気の中、すっかり青くなってしまった桜の葉の中にひとつだけ見つけた小さなピンクの蕾を手折り、彼は小学校の校門まで迎えにきた父親と共に産院へと向かった。
 そして病室に着き、やり切った清々しい顔をする母に桜の蕾を渡し、『おめでとう』言った。

 さわやかな風が吹き込む白い病室で乱れた髪を靡かせ、小さな命を抱いて微笑む母の姿は世界で一番綺麗だったと思う。

 母の乳を飲みながら、まだ自分のものと理解していない手をパタパタと動かす妹に晴人はるとはグッと顔を寄せた。
 産まれたての赤ちゃんは思っていたよりも可愛くなくて、でも可愛い。その時芽生えた感情は、今まで感じたことのない複雑なものだった。

 彼は妹のその小さな手のひらに、そっと人差し指を置いた。すると、小さくか弱い手が、彼の指をぎゅーっと握る。
 弱々しいのに力強い。赤子とは不思議な生き物だ。

『赤ちゃんの名前、何が良いと思う?』

    母は、妹をじっと見つめてニコニコと微笑む晴人はるとに、そう尋ねた。
 どうやら、命名権は彼に与えられたらしい。
 彼はしばらく考えたのち、『ゆい』が良いと答えた。それは当時ハマっていたアニメのヒロインの名前。
 晴人はるとの中で、そのヒロインは強くて優しい憧れの女の子。だから、妹もそうなれるようにと願い『ゆい』と名づけた。


 時が経ち、歩けるようになると、ゆいはいつも兄の後ろをついて歩いた。兄のすることを全部真似した。
 ヒヨコみたいに後ろをついてくる彼女が、晴人はるとは可愛くて仕方なかった。
 もちろん、たくさん喧嘩もした。時には殴り合いになることもあった。
 ゆいは意外と負けん気が強くて、敵わないとなると捨て身の飛び蹴りを仕掛けてくることもあった。あの時は流石に危ないからやめなさいと、キツく叱った。


 思春期になり、妹の存在が鬱陶しく思うこともあったし、ひどい態度をとったこともある。
 けれどゆいはどんな時でも兄のことが大好きだった。
 部活で色々あって荒んでいた時期も、晴人はるとの心を癒やしたのは結局、妹の笑顔だった。

 シスコンと言われようとも、彼は妹の事が大好きで、何よりも大切で、本当にかけがえのない存在だった。


 だから、彼は今でも鮮明に覚えている。


 あの夏の終わりの日。家の前の路地を普段は見かけない高校生が通り過ぎた。
 
 ------何となく、嫌な胸騒ぎがする。

     晴人はるとは急いで家に帰った。
 閉めたはずなのに開いている玄関の鍵、散乱する靴と倒れた傘立て。彼は妙に重く息苦しい空気が漂う廊下を進み、リビングの引き戸を開ける。

 すると、その目の前に飛び込んできたのは、明らかに暴行を受けた後の妹の姿。呼んでも返事をしない彼女に、心臓が止まりそうな思いだった。

 何故家を空けたのかと、彼は自分を責めた。
 
 それからしばらく経った頃。暴行事件の加害者のうちの1人、工藤綺羅くどうきらが父親に連れられてゆいの病院を訪れた。
 これから警察に行くが、その前に彼女に謝らせてほしいと言ってきたのだ。
 晴人はるとは殴りたい気持ちを必死に抑え、地を這うような低い声で『帰れ』と言った。

 謝られたら、許さなくてはならなくなる。
 そんなこと、彼には耐えられなかった。

 その後、相手方の弁護士は示談を求めてきたが、春日家はそれを断固拒否した。

 あの時、示談を受け入れていれば、ここまで事が大きくなることはなかったのだろうか。今でも時々そう思う。

 妹のせいじゃない。もちろん自分のせいでもない。晴人はるとはちゃんとそのことを理解している。
 けれど、どうしてもあの時の光景が頭から離れなくて、怖いのだ。
 妹を残して家を出ると、立っていられなくなるほどに胸が苦しくて、息ができなくなる。


 
「ごめんな、どうしようもない兄貴で」

 夜中、ホテルで目を覚ました晴人はるとは、隣のベッドで眠るゆいの頭を優しく撫でた。
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