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七話 天職
しおりを挟む腹が減ったというカノとともにやって来たのは、萬葉町にある焼き肉店だった。高級焼肉店ではない、地元の焼肉屋といった風情の小さな店だ。それでも、人気店らしく店内は人で溢れかえっている。
「もっと良い店にしたかったんだけど……」
本当なら高級焼肉でもご馳走したかったが、予約なしで入れるほど甘くない。同伴するならちゃんとプランを考えるべきだったと反省する。
「なんだよ。気に入らないの?」
「ちっ、違げーし! そういう意味じゃないしっ!」
叫んで、ハッとして口をつぐむ。カノの前では借りてきた猫のように大人しくしていたのに、つい素が出てしまった。カノがクッと笑う。
「あ、いや、その」
「なんでよ。普通に話せって。オレもそうするし」
「――そ――、それって、良いの?」
「さあ? 清くんがよけりゃ、良いんじゃない? 店ではちゃんと、『姫』にしてあげるし」
「……」
その言葉に、カァと赤くなる。ホストは客を『姫』にしてくれる。清は男なので『姫』ではなく『殿』だと思うのだが……。
ともかく、気安く話してくれるのは、嬉しい。カノは今のこの状況を、同伴デートというより男友達との外出と捉えているのだろう。まあ、清はお金を払うのだが。
「年齢って、聞くの大丈夫?」
「あー、まあ、良いけど。言いふらさなければ」
「そんなことしないし」
「二十四。ホスト歴九年」
「一コ下か~。ん? 九年?」
清は首をかしげた。二十四歳で九年。ということは……。カノが肉をひっくり返しながらニヤニヤ笑う。
「えっ……! そ――それって、大丈夫なの?」
小声で問いかける清に、カノはヘラっと「ダメじゃん?」と返す。
未成年がホストをしていたというのは、問題だ。歳をごまかして働いていたのだろうが。
(色々、複雑なヤツ?)
ドラマでみるような設定を想像しながら、ビールを啜る。カノの頬に落ちた陰が、美しい。
「……なんで、ホストに? あ、言いたくないなら――」
「別に。天職だから?」
「天職?」
「顔が良い、酒が好き、女の子好き、セックスが好き」
ニヤリと笑ってそういうカノに、清は空気を呑み込んだ。確かに。いやでも、セックスって。
(カノくんなら、まあ、お客さん食い放題でしょうけども)
店に来る女の子は、みんな可愛らしい。『ブラックバード』には『姫』になるために来ているのだから、当然かもしれないが。
「……ぶっちゃけ、お客さん食った?」
「めっちゃストレートに聞くじゃん。気になる?」
「そりゃ、まあ――良いな、ホスト……」
「そこ焼けてるよ。まあ、清くんもなれるよ」
「変な慰め要りませんが?」
「面白い系とかあるから。顔じゃない、顔じゃない」
「もう顔じゃダメだって言ってるじゃん……」
ハァと溜め息を吐いて、肉を口に運ぶ。
「確かに、顔じゃないとは聞くけど、『ブラックバード』はイケメンしか居ないじゃん。やっぱ顔でしょ?」
「……清くん、他の男もチェックしてんの?」
ニッコリと、カノが微笑む。その笑顔に、ゾワリと背筋が粟立った。
「え? だ、だって入り口に、写真あるじゃん?」
「ダメだよ? オレ以外指名したら」
「しっ、しないって……」
内心、他のホストがどんなものなのか気になっていたのは内緒にしておこうと、清は思った。同じ店の中でも色々あるのだろう。浮気は良くない。
「カノくんしか指名する気ないしっ。なんなら女の子の方が――ねえ?」
「ま、そりゃそうだよな」
「そうそう。あそこのお姉さんとか胸デカい――」
「清くん、デート中によそ見しちゃダメでしょ?」
「いっづ……」
テーブルの下で足を踏まれ、清は小さく呻いた。
「……デート中だった?」
「同伴デートでしょ? はい、焼けたよー」
「あ、ありがとう……」
皿にのせられた肉を食べながら、清は(意外に嫉妬深いんだな……)と思った。
◆ ◆ ◆
外に出ると、あたりはすっかり夜の空気だった。萬葉町のきらめくネオンの看板が、チカチカとあたりを照らしている。人々の喧騒と食べ物の匂い、様々な匂いが混ざり合い、独特の空気を出している。
「焼肉臭くない?」
「むしろ良いでしょ」
いたずらっ子みたいに笑うカノに、吊られて清も笑う。この同伴デートもあと少し。店の前まで行けば終わりだ。最も、店でもカノを指名するのだから延長するようなものだが――この特別な空気感は、今だけな気がする。
「萬葉町は明るいな」
「そう?」
「俺が住んでるところ、住宅街からちょっと外れると田んぼばっかりで、街灯もないから夜だと真っ暗なんだよね」
電車の窓から見る景色は、闇がぽっかりと口をあけているように見える。その光景が、少しだけ好きだ。夜の闇にとろけて、海の底に沈んだみたいな感覚になる。都会にいると、街の明かりに取り残されそうになる気がした。萬葉町は魅力的で、光に惹かれる蝶のように誘われてしまうが、ここはやはり、清の街ではないのだと思う。夢か幻か、一夜の夢のようで。
カノはその中にきらめく、一番星だ。清は隣を歩きながら、同時に住む世界が違う人間なのだと、まざまざと感じる。本当だったら、永遠に混ざり合う事のなかったはずの二人。一緒に話すことも、酒を飲むことも、食事をすることもなかったはずの二人。そう思うと、すごく不思議だ。
「カノくんの天職がホストで良かったな」
「あ?」
「カノくんがホストじゃなかったら、俺みたいなのと逢うこともなかったでしょ?」
「――まぁ、そうかもな」
並んで共に歩く奇跡を噛み締めながら、清は『ブラックバード』までの道のりを惜しむように歩いたのだった。
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