猫と嫁入り

三石一枚

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十六話

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 立花家に帰宅した時には、既に空は薄闇に身を隠そうとしていた。どす黒く分厚い雲も、つき抜ければ際限がなさそうなほど深い青色も、既に頭上にはない。西側の方向から絶えず差し込む日の断末魔が空に茜を注す。妖しさが宿る不思議な時間帯、ちぎられたような雲が紫色に染まり、かくも不気味な印象をうえつける黄昏時になっていた。

 かなり関係の無い余談をしてしまうのだけれど、黄昏の語源は、昼と比べても格段に暗く、たとえ知ったる顔と鉢合っても誰だかわからなくなる暗さから誰ぞ、彼は?  (誰だアレ)という疑問のような声から黄昏という言葉が作られた、なんて事を聞いたことがある。
 しかし夕暮れ時に関しては未だ未だ呼び名が存在するわけで、そんな中で私、立花麗かが最も好きな呼び名は、『逢魔が時』という呼び方だった。
 なんと禍々しい響き方だろう。まるで世界が亡びそうな響きをしているではないか。
 
 勿論逢魔が時という呼び方になった由来も、黄昏の語源同様に存在する。というか、存在しないわけが無い。良くも悪くも漢字の意味に準えてそういった別称が作られるわけなのだから、捻りなしに魔に逢うなんて縁起の欠けらも無い呼ばれ方はしない。
 とは言えども由来もとことん不気味な意味合いがあった。というより察しが良ければすんなりと意味が分かるものだと思うのだけれど。読んで字のごとく、ズバリ魔物に会いそうなほど怪しい時間帯という意味だそうだ。漢字の意味に準えすぎて逆に捻りがなくなってしまったまである。
 魔物というものが何をさしているかはわからない。この国で言う妖の類で言うなら、鬼や天狗、河童なんてものがかなり知られてる気がするけれど、一概にそれらがここで言う魔物に該当しているかどうかはさすがに私には断言できない。
 周囲の状況がわからないほどの暗さであるならば、人外でなくても魔物に等しい行いをする人間はいる。魔物というか、外道と称されるだろうけれど。
 人攫いに強盗の類。女性が標的とされるならば、それこそ襲われる事すらも視野に入る。もしかすれば、この逢魔が時という語源で言う逢魔と言うのは、表取ると文字通り妖怪や魔物の類に遭遇しない様に気をつけるべき時間帯であると想像させておいて、裏で取れば魔物という仮面を被った生き物は、等しく人間であるとしらしめるための呼び方なのかもしれない。
 などとつまらぬ考えを至る私であった。
  
 実に長ったらしい事を募ったが、私が言いたかったのは夕暮れ時に帰宅しましたという事である。私がいくら逢魔が時という言葉が好きであろうが、黄昏の語源を説明しようが私の人生観において微塵も関係の無い話だった。
  
 ので、閑話休題。

「ただいま帰りました」

 戸に手をかけて引っ張れば、いつもの通りで軽い音を打ち鳴らしながら開きが開く。冷たさを持ち始めた外とは対照的に、暖かくじんわりとした柔らかい光が眼前に広がった。吸い慣れた我が家の匂いに少しばかり安堵する。

「おかえり麗か。遅かったわね」

 暖簾をくぐって現れたのは母上だ。割烹着をつけているあたり、恐らくは夕餉の支度を行っていたのだろう。思えば微かにだが、焼き魚の香ばしいがする。その手には布が存在していた。雨に濡れたであろう私に気を使ってくれたらしい。

「途中で大雨に見舞われまして。帰るに帰られなかったんです。勢いもすごいし、これ以上服が泥だらけになるのも嫌だったし」

「・・・どうしたの?  目元が真っ赤よ」

「か・・・花粉症じゃないですかね・・・多分」

 母の指摘にびくつく。この目元の腫れはおばさんとの会談の時のものだ。会って話したなんてことがバレれば面倒臭い事になる。危ない危ない。

「あらそう。・・・ま、あんな大雨でその程度の被害でよかったわね。傘を持っていったのは正解だったでしょ」
 
「おかげさまで。途中からは傘じゃ防ぎようもなくなりましたけれども。下半身が冷たすぎますし」 

 私は右手にある重りそのものを玄関先にかける。今日一日お世話になった傘だった。
 母上から差し出された布を手に取り、髪や顔を集中的に拭う。身体まではさすがに拭うことは出来ないけれど、髪の水分を取り除くだけまだマシだろう。

「そういえばかなり降ったものね。私も最初は通り雨程度に済むと思ってたんだけれど、待てど暮らせど止まなかったから、洗濯物も干せずじまいだったし」

「私もああまで降られるとは思いもしませんでしたよ。・・・自然相手では、如何なる豪族もままなりませんね」

「そんなの分かりきったことでしょう。馬鹿な事言ってないで、みすぼらしいその服を着替えてらっしゃいな。風邪でも引いたら嫌でしょ?」

 みすぼらしい、か。思わず手が止まる。思考の裏には黒色が咲く。今日の雨は、かの姿をどのようにしてしまわれただろう。しぶとく元気であって欲しいが。

「・・・どうしたの?  急に黙りこくっちゃって」

「いえいえ、なにも。・・・それより、洗濯出来なかったと言ってましたが、翌日の顔合わせで着ていく服は無事なんですか?  当日になって着るものがないなんて騒いだら私が父上に怒られてしまいます」

「・・・あれだけ同伴に渋っていた貴方が、着物の心配をするなんて。どうしたの?  なにか悪いものでも食べちゃったかしら」

「心変わりは唐突にあるものですよ、母上。私も少しずつ大人になっているってわけです。立派なものでしょ」

「立派ね。母からすれば、まだちんちくりんみたいなもんなんだけれど」

「ちんちくりんとはまた失礼な・・・」

 母の雑言を背に私は自室に入り、着替えの準備をする。新たに着るべき服といっても、もう外に出る用事もなければ、無駄に着飾る必要も無いので寝巻きに使われる白衣に腕を通した。張り詰めた着物の冷たさが肌に馴染む。

「明日用の着物はちゃんと準備できてますとも。さすがに下手は踏みませんわ」

「・・・そのようですね。抜け目がないとはこの事でしょうか」

 自室の衣装用の桐箪笥の上に豪奢な着物が畳んであるのをちょうど見つける。全く持って用意周到な事だ。

「そういえば、父上はどこに?  まだ姿も声もありませんが」

 いくら私と父上の関係が険悪であったとしても、流石に身内の帰宅にはお互いに声をかけ合うくらいの余裕はあった。しかし今日はそれがなかった。母上の応答は言うまでもなかったが、彼の低くよく通る声は、如何に母上の声と被ろうとも相殺されるくらいには耳に入るのだけれど。

「先程、血相を変えて家をとび出てしまったわ。なんでも、工場の方で面倒事が起きたと言うことで」

「面倒事?」

「詳しくは知らないわ。ただ、今夜帰ってこれるかどうかは分からない」

「・・・難儀な事ですね。私としては小言がない分面白くありますが」

「またそんなこと言って、あなたって子は。だからまだ子供なのよ」

「ぐっ」

 母上の刺突に近い言葉を胸に受けて言葉を失う。いやまあ、自業自得の域だったが。

「しかし、あなたもやっと前向きにこの話に乗ってくれるわけね。お母さんは安心よ。立花家の安定も期待できるし、あなたもきっと普通の家庭よりかは、幸せで豊かな暮らしができるはずなんだから、あと少し頑張りなさい」

 自室と廊下を隔てる薄壁の戸の向こう。優しげな声の主の母上は、そんな事を言う。私はその言葉に、軽く下唇を噛んだ。

「・・・そうですね」

「さ、お父さんも帰って来れるか分からないから、先に夕餉を食べてしまいなさい。焼き魚が冷えてしまうわ」

「母上、その前にひとつだけ質問があるのですが」

「なによ」

「・・・母上にとって幸せだったことって何なのでしょうか。昨今、私には幸せと呼べる正体についてよく考える事がありまして。先駆者であり我が母である貴方なら、きっと私と同じ感性を持ってるだろうと」

「急に堅苦しい事を言うわね。本当になにか悪いものでも食べちゃったんじゃないの?」

「至って正常ですよ。・・・本当に悩んでるだけです。私にとってのそれが、どのようなものなのか」

「・・・そうね。参考までに、私にとっての幸せといったら、お父さんと結婚して、あなたが産まれて、今の生活がある事かしらね。お父さんは気難しいし、あなたもあなたでそんな偏屈ばっか。だけれど、この状態が私には一番幸せなのかもしれないわ。日常って言うのは、有り触れてるのにかけがえのないものだもの。だから、あなたにとっての幸せもそうなんじゃないかって思うの。少しばかり贅沢な生活で、子供もいて旦那もいてって。・・・そういう日が来れば、あなたもわかるわよ」

 ・・・おばさんが言っていた言葉がある。子を思う親の気持ちは本物だ、と。母上にとっての最大の幸せは、この生活のことをさしていた。そう思えば、母上がこの結納を私に推す理由もわかる気がする。
 自分の人生にとって、この家庭こそが最大の幸せだったからだということか。私にとっての幸福も、きっと縁定あとの生活に存在すると母上は信じているということだ。
 おそらく父はそうではなく、立花家の立場をあげるためにこの策略を企てたのだろうけれど、どちらかと言うと私寄りに見解を進めてくれる母上の結婚賛成の理由はそこらしい。

「もし仮に、私が結婚以外の道で幸せを見つけられたとするならば、どうします?」

 少しばかり意地悪な事を聞いてやった。例えばおばさんに対してそう問いたならば、いの一番にその幸せを取りなさい、なんて事を言ってくれる質問だった。
 父に聞けば、これはきっとふざけた事を抜かすなと怒鳴られるだろう。私が利己に走って婚約を破棄すれば、立花家は本来受けられたはずの優遇が破綻してしまう。とすれば、私には是が非にも相手方と縁付けしてもらう他にない。
 母上の考えはどうか。その考え次第で何かを決めるわけでもないのだけれど、少しばかり知っておきたい気持ちになる。
 子を思う親の気持ちが本物なら、『そういう事』だろう。

「そうね」

 母はそう言って少し黙り込む。お互いの姿が視野に入らないこの立ち位置が、妙な緊張感を産んだ。

「・・・私はあなたが本当の幸せをつかめるのならそれで構わないと思うわよ。ただ、お父さんの激昂からは庇い切れそうにないわ」

「・・・ですよね」

 母から貰った言葉に安堵する。・・・私のことを思いながらも、しかし父にはめっぽう頭が上がらない彼女らしい、如何にも中庸的な答えである。
 そして、ある種私の期待していた答えでもあった。母上は、ちゃんと『親』をしてくれている。

「あ、最後にひとつ」

「・・・まだなにかあるの?」

「夫婦である以上、子供を作るのはご時世上大切なものですよね。あれってどうやって作るのですか?」

「えっ」

「私も結婚をすればいつか持つ日がやって来るでしょうし。今のうちに作り方のひとつでもご享受してもらえた方がいいかなと」

「・・・學校で習わなかった・・・?」

「え?」

「えっ・・・」
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