63 / 92
62.百合
しおりを挟む
しん、と室内が静まり返った。
もとよりクレイグは留守番に甘んじるつもりはなかったが、俊の命が思ったより軽んじられていることに危機感が募る。
「戦力が足りんな」
呟いたディアンに皆が深く頷いた。
「蝶国は端から無理だろうが、狼国も無駄に兵力を連れて行くと宣戦布告ととられかねない。しかも教会の前だ。外つ国もいるかもしれない。外聞的に理由無く休戦協定を破棄したのはこちらになる。下手をすれば三国が弱ったところを外つ国に叩かれて共倒れだ。まぁ俺は死んだ身だし、狼国が戦力を出す謂れはもともとな、」
一陣の風が吹き窓際に飾られていた花瓶が倒れた。
クレイグの言葉が途切れ誰もが息を飲んだ。皆が囲むテーブルの中央、俊の短剣の上空に魔方陣が現れたのだ。見覚えのある文様が光を放つ。
ザズを捕まえた日に取り逃がした魔術師のものだ。
「これは花国の……!」
シュバイツアーの叫びを裏付けるように巨大な百合の幻影が咲いた。噎せ返るほどの芳香が鼻をつく。瑞々しい花弁の美しさはいっそ毒々しいほどで、誰もが背筋に嫌な汗が伝うのを感じた。
『面白い見世物がある。ぜひとも貴君を招待したい』
得体の知れない甘く低い声が冷えきった部屋の空気を震わせる。
明らかに自身に手向けられた招待、いや挑戦状だ。クレイグは静かに立ち上がり、固唾をのむ皆の前で花に手をかざした。
依り代にされた短剣を一瞥する。
挑発には慣れているがこれはまた格別だ。
「上等だ」
クレイグは笑い、吐き捨てると同時に美しい花を一瞬で燃え上がらせた。天井に届くほどの火柱があがる。
クレイグの掌を金色のオーラが包んだ数秒の後、ざぁ、と細かい粒子になって花の残滓は虚空へと消えた。
短剣の上に上質な封蝋をしたためた招待状が落ちていた。
「……今のは……」
炎が消えてもしばらく誰も何も発せなかった。シュバイツアーの思わずといったような声に目を向けると当惑の表情で何故か招待状ではなく、クレイグを見ていた。
協議を重ね奪還の目処はついたがまだ決定打に欠ける。呼び声を使ってどう人狼を復活させるのかも分かっていない。
クレイグは住処の結界を確認し終え、ウッドデッキで夜空を見上げた。あと数日で完璧な円になる月は忌々しいほど美しい。
から、と掃き出し窓が開かれ、朝から姿を見なかったシュバイツアーが本を片手に現れた。白樺でつくられたデッキに座るクレイグの隣に老人は静かに腰を落ち着けた。
「平静になりましたか」
「……表面上はな」
百合の出現以降、再び張り詰めていたのに気がつかれていたようだ。シュバイツアーは読書用にかけていたのだろう眼鏡を外すと神妙に頷いた。
「最近魔物の数が減っているはご存じですか? マクラウド卿が摘発された。あの時以降です」
クレイグは否定した。確かに魔物討伐の依頼は減っていたが、もともと増減のある仕事だ。魔物の総数自体が減少しているとは思いもよらなかった。国の一斉討伐が行われたと言う話も聞いていない。
ふむ、と老人は豊かな顎髭を撫でた後、悪戯を思いついた子供のように笑った。
「俊様を奪還するため、とっておきの奇策を提案させていただいても?」
皺を刻んだ手が懐から取り出したのは、今朝がた慌てた様子の彼に乞われ、力を化体したクレイグの魔光石と見覚えのある小瓶だった。
小瓶の底にはクレイグの胸元にあるものよりさらに小さい黒い塵が散らばっていた。
「これは流石に恥ずかしくて貴方にあげられなかったようです。彼付きの侍女が教えてくれました」
シュバイツアーは初めて好々爺の笑みを見せた。
だがクレイグが珍しそうに見ていると誤魔化すように咳をして、「本題はこれです」と一枚の手紙をクレイグにぺい、と手渡した。
クレイグは開封済みのそれを見て驚愕した。純白の封筒に施された封蝋が、百合の紋章、花国王家の印をかたどっていたからだ。
「本日、私は導かれるまま花国へ出向きました。……聖女の生家へ」
シュバイツアーはもう一枚の紙片をクレイグに見せた。導の紙だと俊が言っていた古紙には、小さな家と、そして老人がデッキに置いた二つの石が描かれていた。
もとよりクレイグは留守番に甘んじるつもりはなかったが、俊の命が思ったより軽んじられていることに危機感が募る。
「戦力が足りんな」
呟いたディアンに皆が深く頷いた。
「蝶国は端から無理だろうが、狼国も無駄に兵力を連れて行くと宣戦布告ととられかねない。しかも教会の前だ。外つ国もいるかもしれない。外聞的に理由無く休戦協定を破棄したのはこちらになる。下手をすれば三国が弱ったところを外つ国に叩かれて共倒れだ。まぁ俺は死んだ身だし、狼国が戦力を出す謂れはもともとな、」
一陣の風が吹き窓際に飾られていた花瓶が倒れた。
クレイグの言葉が途切れ誰もが息を飲んだ。皆が囲むテーブルの中央、俊の短剣の上空に魔方陣が現れたのだ。見覚えのある文様が光を放つ。
ザズを捕まえた日に取り逃がした魔術師のものだ。
「これは花国の……!」
シュバイツアーの叫びを裏付けるように巨大な百合の幻影が咲いた。噎せ返るほどの芳香が鼻をつく。瑞々しい花弁の美しさはいっそ毒々しいほどで、誰もが背筋に嫌な汗が伝うのを感じた。
『面白い見世物がある。ぜひとも貴君を招待したい』
得体の知れない甘く低い声が冷えきった部屋の空気を震わせる。
明らかに自身に手向けられた招待、いや挑戦状だ。クレイグは静かに立ち上がり、固唾をのむ皆の前で花に手をかざした。
依り代にされた短剣を一瞥する。
挑発には慣れているがこれはまた格別だ。
「上等だ」
クレイグは笑い、吐き捨てると同時に美しい花を一瞬で燃え上がらせた。天井に届くほどの火柱があがる。
クレイグの掌を金色のオーラが包んだ数秒の後、ざぁ、と細かい粒子になって花の残滓は虚空へと消えた。
短剣の上に上質な封蝋をしたためた招待状が落ちていた。
「……今のは……」
炎が消えてもしばらく誰も何も発せなかった。シュバイツアーの思わずといったような声に目を向けると当惑の表情で何故か招待状ではなく、クレイグを見ていた。
協議を重ね奪還の目処はついたがまだ決定打に欠ける。呼び声を使ってどう人狼を復活させるのかも分かっていない。
クレイグは住処の結界を確認し終え、ウッドデッキで夜空を見上げた。あと数日で完璧な円になる月は忌々しいほど美しい。
から、と掃き出し窓が開かれ、朝から姿を見なかったシュバイツアーが本を片手に現れた。白樺でつくられたデッキに座るクレイグの隣に老人は静かに腰を落ち着けた。
「平静になりましたか」
「……表面上はな」
百合の出現以降、再び張り詰めていたのに気がつかれていたようだ。シュバイツアーは読書用にかけていたのだろう眼鏡を外すと神妙に頷いた。
「最近魔物の数が減っているはご存じですか? マクラウド卿が摘発された。あの時以降です」
クレイグは否定した。確かに魔物討伐の依頼は減っていたが、もともと増減のある仕事だ。魔物の総数自体が減少しているとは思いもよらなかった。国の一斉討伐が行われたと言う話も聞いていない。
ふむ、と老人は豊かな顎髭を撫でた後、悪戯を思いついた子供のように笑った。
「俊様を奪還するため、とっておきの奇策を提案させていただいても?」
皺を刻んだ手が懐から取り出したのは、今朝がた慌てた様子の彼に乞われ、力を化体したクレイグの魔光石と見覚えのある小瓶だった。
小瓶の底にはクレイグの胸元にあるものよりさらに小さい黒い塵が散らばっていた。
「これは流石に恥ずかしくて貴方にあげられなかったようです。彼付きの侍女が教えてくれました」
シュバイツアーは初めて好々爺の笑みを見せた。
だがクレイグが珍しそうに見ていると誤魔化すように咳をして、「本題はこれです」と一枚の手紙をクレイグにぺい、と手渡した。
クレイグは開封済みのそれを見て驚愕した。純白の封筒に施された封蝋が、百合の紋章、花国王家の印をかたどっていたからだ。
「本日、私は導かれるまま花国へ出向きました。……聖女の生家へ」
シュバイツアーはもう一枚の紙片をクレイグに見せた。導の紙だと俊が言っていた古紙には、小さな家と、そして老人がデッキに置いた二つの石が描かれていた。
5
お気に入りに追加
1,231
あなたにおすすめの小説
【完結】ただの狼です?神の使いです??
野々宮なつの
BL
気が付いたら高い山の上にいた白狼のディン。気ままに狼暮らしを満喫かと思いきや、どうやら白い生き物は神の使いらしい?
司祭×白狼(人間の姿になります)
神の使いなんて壮大な話と思いきや、好きな人を救いに来ただけのお話です。
全15話+おまけ+番外編
!地震と津波表現がさらっとですがあります。ご注意ください!
番外編更新中です。土日に更新します。
【R18】善意の触手魔王と異世界の勇者
Cleyera
BL
勇者として召喚された青年は、魔王の元にたどり着く前に『魔の森』で全滅した
魔樹に捕らえられて死んだ……はずが、触手爺さんに拾われました……え、このお人好しな触手の爺さんが、魔王??
魔の森の共生存在の(有性生殖を理解していない)自覚なし最強触手の爺さんと(治療過程で快楽堕ちした)呑気で楽天家な勇者?の話
:注意:
創作活動などをしていない素人作品とご了承ください
攻めは触手で、人型にはなれても人化はできません
性描写有りは題名に※を付けますが、全体的に性的な単語が入っています
ルビ多用の話があります
同名でお月様に出没しております
【R18/完結】転生したらモブ執事だったので、悪役令息を立派なライバルに育成します!
ナイトウ
BL
農家の子供ルコとして現代から異世界に転生した主人公は、12歳の時に登場キャラクター、公爵令息のユーリスに出会ったことをきっかけにここが前世でプレイしていたBLゲームの世界だと気づく。そのままダメ令息のユーリスの元で働くことになったが色々あって異様に懐かれ……。
異世界ファンタジーが舞台で王道BLゲーム転生者が主人公のアホエロ要素があるBLです。
CP:
年下ライバル悪役令息×年上転生者モブ執事
●各話のエロについての注意書きは前書きに書きます。地雷のある方はご確認ください。
●元々複数CPのオムニバスという構想なので、世界観同じで他の話を書くかもです。
悪魔の子と呼ばれ家を追い出されたけど、平民になった先で公爵に溺愛される
ゆう
BL
実の母レイシーの死からレヴナントの暮らしは一変した。継母からは悪魔の子と呼ばれ、周りからは優秀な異母弟と比べられる日々。多少やさぐれながらも自分にできることを頑張るレヴナント。しかし弟が嫡男に決まり自分は家を追い出されることになり...
【R18】満たされぬ俺の番はイケメン獣人だった
佐伯亜美
BL
この世界は獣人と人間が共生している。
それ以外は現実と大きな違いがない世界の片隅で起きたラブストーリー。
その見た目から女性に不自由することのない人生を歩んできた俺は、今日も満たされぬ心を埋めようと行きずりの恋に身を投じていた。
その帰り道、今月から部下となったイケメン狼族のシモンと出会う。
「なんで……嘘つくんですか?」
今まで誰にも話したことの無い俺の秘密を見透かしたように言うシモンと、俺は身体を重ねることになった。
【完結R18】異世界転生で若いイケメンになった元おじさんは、辺境の若い領主様に溺愛される
八神紫音
BL
36歳にして引きこもりのニートの俺。
恋愛経験なんて一度もないが、恋愛小説にハマっていた。
最近のブームはBL小説。
ひょんな事故で死んだと思ったら、異世界に転生していた。
しかも身体はピチピチの10代。顔はアイドル顔の可愛い系。
転生後くらい真面目に働くか。
そしてその町の領主様の邸宅で住み込みで働くことに。
そんな領主様に溺愛される訳で……。
※エールありがとうございます!
自分が作ったゲームに似た異世界に行ったらお姫様の身代わりで野獣侯爵と偽装結婚させられました。
篠崎笙
BL
藍川透はゲーム会社で女性向けゲームを作っていた。夢でそのゲームの世界を見ているものだと思いきや、夢ではなく、野獣な侯爵とお見合いさせられてしまい、そのまま偽装結婚することになるが……。
俺をハーレムに組み込むな!!!!〜モテモテハーレムの勇者様が平凡ゴリラの俺に惚れているとか冗談だろ?〜
嶋紀之/サークル「黒薔薇。」
BL
無自覚モテモテ勇者×平凡地味顔ゴリラ系男子の、コメディー要素強めなラブコメBLのつもり。
勇者ユウリと共に旅する仲間の一人である青年、アレクには悩みがあった。それは自分を除くパーティーメンバーが勇者にベタ惚れかつ、鈍感な勇者がさっぱりそれに気づいていないことだ。イケメン勇者が女の子にチヤホヤされているさまは、相手がイケメンすぎて嫉妬の対象でこそないものの、モテない男子にとっては目に毒なのである。
しかしある日、アレクはユウリに二人きりで呼び出され、告白されてしまい……!?
たまには健全な全年齢向けBLを書いてみたくてできた話です。一応、付き合い出す前の両片思いカップルコメディー仕立て……のつもり。他の仲間たちが勇者に言い寄る描写があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる