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第5章 夜の獣と統一の儀
拮抗する気持ち
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突然背後から放たれた声に、尚希たちを見送ってドアを見ていた拓也は飛び上がってしまう。
「みっ…実!? お前、起きて…っ」
「いつまで狸寝入りをしているのかと思いましたよ。」
驚いて飛び上がる拓也とは対照的に、ハエルは呆れたように息をついた。
「あ、気付いてた? やっぱ、動物の勘ってすごいね。他のみんなは、ちゃんと騙せてたみたいなのに。」
悪戯っぽく笑い、実はベッドから降りた。
その動作は、これまでの無理を感じさせない軽いものだ。
「実、大丈夫なのか?」
「ん? ああ……さっきは尚希さんのげんこつで、一瞬意識が飛んだだけ。本当はすぐに気がついてたんだけど、なんか起きたらやばそうな空気だったからさ。ハエルに説明を押しつける形で、寝たふりを決め込んでたわけ。」
そこで鋭くなる実の表情。
「今日は、暢気に寝てる場合じゃないんだよね。あいつも、俺が起きたってとっくに気付いてるはずだから。」
「おい、実。」
拓也の咎めるような声が耳朶を打つ。
それで顔を上げてみると、声音とは全く違う、とても心配そうな表情がそこには広がっていた。
「………」
その表情を見て、つきりと胸が痛んだ。
しかし、それだけだ。
立ち止まっている暇などない。
実は静かに首を左右に振った。
それで、拓也の声と己の迷いを振り払う。
「だめなんだ、拓也。無茶なのは承知の上だし、周りを心配させてるのも分かってる。でも、今近づいてきてる嫌な気配……俺が眠ってなきゃ、来ることはなかったと思う。俺の責任なんだから、俺が始末をつけなきゃいけない。やめるつもりはないからね。」
言い切ると、瞬時に拓也の表情から揺れるものが消えた。
代わりにその表情は、波紋が立たない水面のように静かな色に彩られる。
相手の心をどこまでも見透かすように、じっくりと高みから静観するような拓也の瞳が、まっすぐにこちらを捉えた。
「なら、一つだけ訊いておく。―――死ぬことはないんだよな?」
急速にこの場を支配する空気が、緊張を帯びていくような気がした。
嘘をつくことを許さないと、拓也の双眸が語っている。
いくら上辺だけの言葉でごまかしても、今の拓也にはそんなもの通じないかもしれない。
そう思わせるほどの威圧感が、拓也の全身からほとばしっていた。
「正直なところ、分からない。」
逡巡し、実は重たげな溜め息と共にそう告げた。
拓也に向かって言うと同時に、胸が空くような感覚に陥る。
死ぬかもしれない。
直接口にしなかったその可能性に、自分の奥底に眠る破滅願望がゆっくりと鎌首をもたげた。
まるで、水が地に染み込んでいくかのように脳内に広がる諦観。
この脱力感に、全てを委ねられたらどんなに楽なのだろう。
そんなことを思いつつ、実は伏せていた目を上げる。
「でも、自分から死にに行く気はないよ。そもそも、そう簡単に死ねないと思う。……この世界に戻ってきちゃった以上は、さ。」
この世界に再び組み込まれるからには、死ぬことすら許されない。
封印を解いた時に、あの子供はそう言って嗤った。
そしてその言葉の意味を、自分は心のどこかで知っている気がする。
自分は死ねない。
この世界での役割を果たし終えるまでは、死んで楽にはなれないのだ。
「………分かったよ。好きにしろ。」
しばらく実のことを見定めるように観察していた拓也が、ふいに目を閉じる。
拓也が出した想定外の結論に、実は思わず目をしばたたかせた。
「え……いいの?」
我ながら、間抜けな問いかけだと思う。
案の定、拓也は呆れたように半目でこちらを睨んできた。
「お前な…。引く気もなかったくせに、何言ってんだ? 何も言わずに暴走するならもちろん止めたけど、ちゃんとした理由があるんだろ? なら、無理に止めはしねぇよ。実は、自分が正しいと思うことを精一杯やればいい。」
拓也はそこまで言うと少し間を置いて、「でも…」と続ける。
「助けが必要な時は、ちゃんと言ってくれ。お前は、一人じゃないんだからさ。」
当然のようにこちらへと向けられる微笑み。
実は目を見開いて、その場に立ち尽くしてしまった。
先ほどハエルは、己にできることは自分を独りにしないことだけだと言った。
そして今拓也は、自分は一人ではないのだと言う。
自分を支えてくれる誰かの存在。
それは幼い自分が遥か昔に捨てたはずのものであり、そんな昔の自分に抗おうとする今の自分が、無意識に遠ざけようとしながらも、その反面でやっぱり欲しているものでもあった。
この言葉に甘えてしまいたい。
でもこの言葉を受け取ったら、絶対に後悔することになる。
助けてほしい。
でも、手を伸ばすことが怖くてたまらない。
拮抗する気持ちが、身動きできないくらいに脳内で交錯して絡み合う。
拓也の言葉に返す言葉が見つからずに、じわじわと追い詰められる心を救ったのは―――皮肉なことに、全身が震えるような不吉で嫌な気配だった。
背筋が戦慄し、実は反射的な速さでその方向を仰ぐ。
「実…?」
拓也が首を傾げるが、実はそれに答えることなく一直線に窓へと駆け寄った。
日はもう西に傾いており、低く射すオレンジ色の夕日が眩しい。
屋敷からまっすぐに伸びる大通りの先を目で追って、実は深い溜め息をつく。
「……やれやれ、思ったよりも早いお着きだこと。」
「え…? 何が?」
拓也が後ろから、自分の見つめる方向を追う。
懐疑的だったその顔は、一瞬で驚愕に取って代わった。
「なっ……なんで…っ」
「嫌な気配が来てるって言ったでしょ。」
予想はできていた来客だ。
目を剥く拓也に構わず、窓から離れる実。
その表情は、触れれば切れてしまいそうなほどに冷たいものだった。
「みっ…実!? お前、起きて…っ」
「いつまで狸寝入りをしているのかと思いましたよ。」
驚いて飛び上がる拓也とは対照的に、ハエルは呆れたように息をついた。
「あ、気付いてた? やっぱ、動物の勘ってすごいね。他のみんなは、ちゃんと騙せてたみたいなのに。」
悪戯っぽく笑い、実はベッドから降りた。
その動作は、これまでの無理を感じさせない軽いものだ。
「実、大丈夫なのか?」
「ん? ああ……さっきは尚希さんのげんこつで、一瞬意識が飛んだだけ。本当はすぐに気がついてたんだけど、なんか起きたらやばそうな空気だったからさ。ハエルに説明を押しつける形で、寝たふりを決め込んでたわけ。」
そこで鋭くなる実の表情。
「今日は、暢気に寝てる場合じゃないんだよね。あいつも、俺が起きたってとっくに気付いてるはずだから。」
「おい、実。」
拓也の咎めるような声が耳朶を打つ。
それで顔を上げてみると、声音とは全く違う、とても心配そうな表情がそこには広がっていた。
「………」
その表情を見て、つきりと胸が痛んだ。
しかし、それだけだ。
立ち止まっている暇などない。
実は静かに首を左右に振った。
それで、拓也の声と己の迷いを振り払う。
「だめなんだ、拓也。無茶なのは承知の上だし、周りを心配させてるのも分かってる。でも、今近づいてきてる嫌な気配……俺が眠ってなきゃ、来ることはなかったと思う。俺の責任なんだから、俺が始末をつけなきゃいけない。やめるつもりはないからね。」
言い切ると、瞬時に拓也の表情から揺れるものが消えた。
代わりにその表情は、波紋が立たない水面のように静かな色に彩られる。
相手の心をどこまでも見透かすように、じっくりと高みから静観するような拓也の瞳が、まっすぐにこちらを捉えた。
「なら、一つだけ訊いておく。―――死ぬことはないんだよな?」
急速にこの場を支配する空気が、緊張を帯びていくような気がした。
嘘をつくことを許さないと、拓也の双眸が語っている。
いくら上辺だけの言葉でごまかしても、今の拓也にはそんなもの通じないかもしれない。
そう思わせるほどの威圧感が、拓也の全身からほとばしっていた。
「正直なところ、分からない。」
逡巡し、実は重たげな溜め息と共にそう告げた。
拓也に向かって言うと同時に、胸が空くような感覚に陥る。
死ぬかもしれない。
直接口にしなかったその可能性に、自分の奥底に眠る破滅願望がゆっくりと鎌首をもたげた。
まるで、水が地に染み込んでいくかのように脳内に広がる諦観。
この脱力感に、全てを委ねられたらどんなに楽なのだろう。
そんなことを思いつつ、実は伏せていた目を上げる。
「でも、自分から死にに行く気はないよ。そもそも、そう簡単に死ねないと思う。……この世界に戻ってきちゃった以上は、さ。」
この世界に再び組み込まれるからには、死ぬことすら許されない。
封印を解いた時に、あの子供はそう言って嗤った。
そしてその言葉の意味を、自分は心のどこかで知っている気がする。
自分は死ねない。
この世界での役割を果たし終えるまでは、死んで楽にはなれないのだ。
「………分かったよ。好きにしろ。」
しばらく実のことを見定めるように観察していた拓也が、ふいに目を閉じる。
拓也が出した想定外の結論に、実は思わず目をしばたたかせた。
「え……いいの?」
我ながら、間抜けな問いかけだと思う。
案の定、拓也は呆れたように半目でこちらを睨んできた。
「お前な…。引く気もなかったくせに、何言ってんだ? 何も言わずに暴走するならもちろん止めたけど、ちゃんとした理由があるんだろ? なら、無理に止めはしねぇよ。実は、自分が正しいと思うことを精一杯やればいい。」
拓也はそこまで言うと少し間を置いて、「でも…」と続ける。
「助けが必要な時は、ちゃんと言ってくれ。お前は、一人じゃないんだからさ。」
当然のようにこちらへと向けられる微笑み。
実は目を見開いて、その場に立ち尽くしてしまった。
先ほどハエルは、己にできることは自分を独りにしないことだけだと言った。
そして今拓也は、自分は一人ではないのだと言う。
自分を支えてくれる誰かの存在。
それは幼い自分が遥か昔に捨てたはずのものであり、そんな昔の自分に抗おうとする今の自分が、無意識に遠ざけようとしながらも、その反面でやっぱり欲しているものでもあった。
この言葉に甘えてしまいたい。
でもこの言葉を受け取ったら、絶対に後悔することになる。
助けてほしい。
でも、手を伸ばすことが怖くてたまらない。
拮抗する気持ちが、身動きできないくらいに脳内で交錯して絡み合う。
拓也の言葉に返す言葉が見つからずに、じわじわと追い詰められる心を救ったのは―――皮肉なことに、全身が震えるような不吉で嫌な気配だった。
背筋が戦慄し、実は反射的な速さでその方向を仰ぐ。
「実…?」
拓也が首を傾げるが、実はそれに答えることなく一直線に窓へと駆け寄った。
日はもう西に傾いており、低く射すオレンジ色の夕日が眩しい。
屋敷からまっすぐに伸びる大通りの先を目で追って、実は深い溜め息をつく。
「……やれやれ、思ったよりも早いお着きだこと。」
「え…? 何が?」
拓也が後ろから、自分の見つめる方向を追う。
懐疑的だったその顔は、一瞬で驚愕に取って代わった。
「なっ……なんで…っ」
「嫌な気配が来てるって言ったでしょ。」
予想はできていた来客だ。
目を剥く拓也に構わず、窓から離れる実。
その表情は、触れれば切れてしまいそうなほどに冷たいものだった。
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