世界の十字路

時雨青葉

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第2章 力を嫌う少女

変わっても、変わっていないところ

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「どういうことよ、実!」


 エーリリテからマイク越しに怒鳴られた実は、不満げに眉を寄せた。


「ええぇ…。今回は、俺のせいじゃないって。」


「じゃあ、誰のせいだっていうの? キースをここに連れてきたのは、あんたなんでしょ。そもそも、なんでここにキースを連れてきたのよ?」


「………っ」


 エーリリテに鋭く問われた途端、実が気まずそうに視線を逸らした。


 実よ、何故そこで黙るのだ。
 拓也は実のせない行動に、目をしばたたかせる。


 これが実のせいではないことは、自分も尚希も分かっている。
 しかし実がこんな態度をしては、この状況を作ったのは実であると肯定しているようなものではないか。


「何黙ってんのよ。やっぱ、あんたのせいなのね。」
「いや……その……」


 しばらく口ごもっていた実だったが、ようやく覚悟を決めたらしい。
 実は息を大きく吸うと、誰とも目を合わせないようにして口を開いた。


「尚希さんを連れてきたのは…その……エーリリテの歌、尚希さんも聞いてみたいかなーって思って…。あの、だからっ……他人として聞いたとしても、エーリリテって歌……う、上手いからさ…。それで二人を連れてきたら……みんな、なんか色々と知ってて、俺もびっくりしたっていうか、なんていうか……」


 つっかかりまくりでたどたどしい上に、尻すぼみに消えていく実の声。
 この場にいる誰よりも赤い顔。
 しん、と静まり返る酒場。


 表面上はエーリリテや尚希をからかったりしながらも、本当は色々と気遣って考えていたらしい。


 エーリリテと尚希は、意外な実の言動に言葉を失っている。
 コーレンを始めとする他の客たちも、茫然としたようにただ実を見つめていた。


 拓也は時を止めてしまったかのような酒場を見回して、最後に隣の実を見た。


 実は皆からの視線が恥ずかしいのか、頑なに顔を下に向けている。
 そんな実の様子が、唐突に封印を解く前の実に重なり、拓也は思わず噴き出してしまった。


「!?」


 実が思わず顔を上げる。
 理解できないとその表情が訴えていたが、それを見るとなおさらに笑いが止まらなくなる。


「な、なんで笑うのさ!」


 真っ赤な顔で抗議する実に、ひたすら笑い続ける拓也。
 そんな拓也に触発されてか、店の客たちも一斉に笑い始めた。


 まさかの展開に、実が信じられないといった様子できょろきょろと周りを見回す。


「周りにあまり関心のない、きっつい子だと思ってたけど……」


 客の一人が涙目で口を開く。


「そうそう。まさか、そんなことを思ってたとはな!」
「なっ…」


 そんなことを言われて、実は言葉につまる。


 反射的に何か言い返そうと模索したが、これ以上何かを言えばさらに墓穴を掘ることになるに違いない。
 最終的には、黙り込むしかなかった。


 せめてもの腹いせに、隣で笑いすぎて呼吸を乱している拓也に渾身の睨みを向けてやったが、効果はいまひとつ。


「はっはっは!」


 一際大きな声で、コーレンが笑う。


「いいぞ、実。ますます気に入った! ほら嬢ちゃん、歌ってやれや。みんなが待ってるだろ?」


 コーレンに言われ、エーリリテはようやく我に返ったようだった。


「えっ!? いや、ちょっと待って!」


 エーリリテは、わたわたと慌ててステージの奥に引っ込む。


 数十秒後。
 エーリリテは何事もなかったかのように、ステージ上へ戻ってきた。


 再びステージに立ったエーリリテは狼狽うろたえる様子もなく、微かな緊張感を漂わせ、目を閉じて深呼吸を繰り返している。


 表情も真剣そのもの。
 尊敬できる切り替えの速さだ。


 尚希の周りにたむろしていた客らが席へ戻る。


 尚希は未だにコーレンの拘束からのがれられずに顔をしかめていたが、エーリリテを見る目には、大きな期待に一抹の不安が入り混じっていた。


 ようやく本来の静けさを取り戻した酒場に、ピアノの音が流れ始める。
 少し長めの前奏の後に、エーリリテが大きく息を吸い込んだ。


 その直後、澄んだ、本当に透き通った声が響いた。


 水のように清く、聴く者の心に染み入るような声。


 高く、低く、大きく、小さく。
 語りかけるように優しく響く、声という名の音。


 お互いの音に勝つでも負けるでもなく、調和が取れた心地良い音楽と歌だ。


「すげ…」


 拓也は呟く。
 その一言しか出てこなかった。


「……でしょ?」


 実がそっぽを向いて言ってくる。
 そんな実に、拓也は柔らかく微笑んだ。


「大丈夫だよ。」
「……え?」


 唐突にかけられた言葉に、実はそんな間の抜けた声をあげてしまった。
 拓也は続ける。


「大丈夫。実なら、心配することない。今は大変かもしれないけど、きっとそのうち、昔とかどうとか悩む必要もなくなるさ。」


 自分に向けられた、優しくて温かい言葉。
 実はとっさに返す言葉を探すことができず、うつむくしかなかった。


「うるさい。拓也の馬鹿。」


 ぶっきらぼうに言う。


「なんだよそれー。」


 拓也は面白おかしく笑う。
 その時、実の手が強く握り締められたとも気付かずに。


 「………」


 実はゆっくりと目を閉じた。


 頭の中で、拓也の声が木霊こだまする。
 そして、それとはまた別の声も。


「大丈夫、か……」


 その声は誰の耳にも聞こえることなく、実の中にだけ響いて消えた。

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